穢れの代償
伊織と真莉愛の協力もあり、初日の授業は恙なく終えることが出来た。移動教室では真莉愛に案内してもらい、班行動では二人が千鶴を引き入れてくれた。
幾度となく繰り返してきた転校生活の中で友人が出来たのは初めてのことで、千鶴は戸惑いながらも二人の好意に甘え、伝えられるときに伝えられるだけ感謝をした。
一日最後のHRも終わり、部活や帰宅で教室内から生徒が減り始めた頃、帰宅準備をしていた千鶴に、同じく荷物を纏めながら伊織が話しかけてきた。
「なあ、千鶴は家どの辺なんだ?」
「え? えっと、傀儡町の外れのほうだと思う……白蛇さんの祠があるところ」
「あー……ずっと売りに出されてたあれか。あの家うちの土地だからさ、家主がいないあいだ、俺が祠の管理してたんだ」
「そうなんだ。半年くらい無人だったって聞いたけど、お家も祠も綺麗だったから……伊織くんのお陰だったんだね」
屈託のない笑みで「ありがとう」と言う千鶴に、伊織はまたも「別に、大したことはしてないし」と視線を逸らしながら答えた。
「それじゃ、また明日ね」
「おう」
昇降口で部活に向かう伊織と別れ、千鶴は帰路についた。
駅を通り抜け、大通りに沿って真っ直ぐ進んでから国道を逸れて暫く歩くと家の門が見えてくる。門を越え、玄関内に一度鞄を置くと、千鶴は家の裏手に回って白蛇の祠を目指した。いつもなら綺麗な白木の祠が出迎えるのだが、どうも様子がおかしい。
「……なに、これ……」
朝は何の異変もなかった祠は、見る影もなく荒れ果てていた。周囲には踏み荒らした足跡が無数に残されており、祠自体も泥でひどく汚されている。備えていた盃も倒れて中身が地面に零れていて、端が小さく欠けてしまっている。まるで、複数人で泥団子を投げ当てる遊びでもしたかのような有様だ。
残された足跡はどれも千鶴の足より幾分か大きいが、大人というほどでもない。だがたとえ子供でも、他人の私有地に入り込み祠に悪戯をするなど許されないことだ。
「お父さんとお母さんは今日から仕事だし……どうしよう……」
念のため警察に連絡をし、それから祠を直すことにした。
しかし、警察は簡単に周囲を調査し、家から盗まれたり壊されたりしたものがないとわかると「なにかあったら呼んでください」とお約束の台詞だけ残して去って行った。残されていた足跡は大量生産されている一般的なスニーカーで、中高生のものだろうということだった。そのため、不法侵入ではあるがただの子供の悪戯だろうとのことで、敷地と道路の境にフェンスを作ることを言い添えるだけだった。
「……仕方ない、のかな……お巡りさんの仕事は人間の被害をどうにかすることだし」
落ち込みつつも、出来る範囲で祠を整え、千鶴は家に戻った。
その日の夜、千鶴は夢を見た。
夜遅く、塾の帰りに横断歩道を渡ろうとしている中学生の少年がいる。歩行者信号が青に変わり、一歩踏み出す。交差点の中程まで来たところで、少年の体が金縛りにでも遭ったかのようにぎしりと固まり、その場で動かなくなった。青信号が点滅し、やがて赤に変わる。そして、それまで赤だったほうの信号が青に変わる。少年が道の真ん中で固まっていることを除けば、何の変哲もない夜の街の風景だ。
いつの間にか、傍観者視点から件の少年の視点に変わっていた。相変わらず身動きが出来ない。まるでなにかに締め付けられているような苦しさが全身を襲っている。
深夜、車通りも人通りも少ない交差点。少年の横方向から走行音と共に白いライトが近付いてくる。
そして――――
「……………ッ!!」
衝撃を感じたと思った瞬間、千鶴は跳ね起きた。
やけに生々しい夢だった。心臓がうるさく脈打ち、耳元には飛び起きる寸前に聞いたクラクションの音が焼き付いている。
「……ぁ……あの道、知ってる……どうして……」
夢で見た交差点は、駅から少し離れたところに実際にある道だ。夕暮れ時から徐々に車通りがなくなり、夜九時辺りを回ると殆ど車も人も通らなくなるわりに道幅が広く、稀に通る車は法定速度を無視した速さで駆け抜けるので、夜のほうが寧ろ危険だと記憶している。
「…………ただの夢、だよね……」
家から然程遠くはないとはいえ、家人が誰もいないいま、確かめに行く勇気はない。遠くに聞こえるサイレンを気のせいだと言い聞かせ、布団に潜り込んだ。