四分割でもにんじん
一時間ほどの自由時間の後、班ごとに夕食の支度に取りかかる。薪を用いた調理台に苦戦する班が多い中、千鶴たちは伊織の指示で手早く火の準備を終えた。
「伊織くん、凄く手慣れてるね」
「家族でキャンプ行くこともあるし、部活でもたまにこういう合宿やるんだよ。何代か前の先輩が好きで始めたのが何となく恒例になってるらしくてさ」
「へえ……凄いね」
「お前も慣れてるだろ、料理とか」
「うちは親が殆ど家にいなかったから、自分でやるしかなくて」
手際よく支度をこなす伊織に感心しながら、千鶴も手を動かすことは止めない。隣で真莉愛も不慣れな手つきながらもどうにか材料を刻んでいる。先ほどから二人の会話に加わらずにいた理由は、包丁使いに集中しているためだった。ゆっくり一欠片ずつ切り分けていくその手つきはとても危うい。
「真莉愛ちゃん大丈夫? にんじん切りにくいなら代わろうか?」
「だ……大丈夫、です。まりあもお料理くらい、覚えないとですから……」
言いながらも、手元はぷるぷると震えていてとても見ていて心許ない。だがあまりに心配しすぎても却って気が散るだろうと、千鶴も自分の役割に戻った。
見た目も性格も良く完璧だと思われた真莉愛にも苦手なことがあったのかと、包丁とにんじんの不仲に苦戦する様を見て思う。しかし調理に苦戦する様でさえ愛嬌に思えるくらいには、千鶴は真莉愛のことを気に入っていた。
「あのぉ……」
材料を煮込む段階になってある程度手が空いた頃。千鶴たちのスペースに、二人組の女子生徒が訊ねてきた。彼女たちは伊織の側まで来ると千鶴をチラチラ見ながら伊織に声をかけた。
「大御門くんにお願いしたいことがあるんだけどぉ……」
「うちらこーゆう薪とか原始人っぽいの使ったことないからわかんなくってぇ」
「こっちきて見てくんない?」
しゃがんで火を見ていた伊織は視線だけ上げると、面倒くさそうに口を開く。
「わからないことがあれば先生に言えって最初に言われてただろ。余所の班のことまで責任取れねえよ」
「でもぉ……」
「てか、元はうちらの班だったじゃん……」
「ね……誰かのせいでばらけちゃっただけだしぃ……」
囁く声に乗せて、悪意が隠しもせずに千鶴へと突き刺さる。だが、伊織が一向に動く様子がないとわかると、最後に千鶴の背後をすり抜けながら「あんたなんか来なければ良かったのに」と呟いて去って行った。
「だめだってー」
「あーあ、なんで別の班になっちゃったんだろう」
「ねー」
二人組が彼女たちの班員に向かって聞こえよがしにそう告げるのを、千鶴のみならず伊織と真莉愛も聞いていた。というより、聞きたくなくとも耳に入ってしまっていた。伊織は呆れて溜息を吐き、千鶴に「気にするなよ」と言って立ち上がった。
「あんな態度取られて自分らの好感度上がると思ってんのか……?」
「まりあは、千鶴と一緒がいいです」
真莉愛がそっと傍に寄り添い、千鶴の腕を取り囁く。不格好なにんじんを含めた具材たちが煮込まれているのをぼんやり見下ろしながら、千鶴は真莉愛の頭を撫でた。
「大丈夫、気にしてないよ。正直ああいうのも慣れてるし、味方が一人もいないことのほうが多かったくらいだから、寧ろいまはしあわせだよ」
「千鶴……」
「最低よりマシだからいいってのもどうかと思うが、まあ、お前が気にしてないんなら俺らが言い過ぎんのもだな」
人数が少ないこともあり、千鶴たちの班が一番早くに完成した。夕食は出来上がった班から順に食べ、終わった班から風呂となる。千鶴たちは手早く片付けを済ませると、神蛇に一言告げてからコテージへと戻った。
その背中に視線が突き刺さるのに、気付かないふりをしながら。
「伊織くん、火加減見るの上手だったね。わたしだったら焦がしてた自信あるよ」
「あんなもん慣れだ、慣れ」
千鶴の言葉を軽く流して答えてはいるが、その顔はどこか嬉しそうだ。部屋で三人、それぞれのベッドに腰掛けながら話しているとき、千鶴はふと疑問を抱いた。
「……そういえば、他の班は男女別のお部屋だけど、わたしたちは違うんだね? 伊織くんだけ一人になっちゃうからかな」
千鶴がそう言うと、伊織と真莉愛がきょとんとした顔で互いを見て、それから揃って千鶴を見た。その妙に息の合った反応に驚き、千鶴も首を傾げる。
「え、わたし、なにか変なこと言った?」
「あー……いや、あのな千鶴。俺、こんなナリしてるけど、戸籍上は女だから」
「え!!?」
心底驚かれ、伊織は苦笑いを浮かべた。
「まあ、初見でわからなかったヤツもそりゃ一応いたけどさ、ひと月近く付き合ってて全然ってのはお前が初めてだわ」
「ご、ごめん……」
伊織曰く、この学校は比較的寛容で、伊織の事情を汲んだ上で男子の制服を着用することを許可しているという。ただ、こういった集団で宿泊する行事ではなるべく互いに傷つかない場所選びをするようにとも言われた。まだ世間的にも、体と心の性の不一致などの繊細な事情について浸透していないこともあり、伊織自身個人的な細かい事情を他人に話すことはしていなかった。
「つっても俺の場合、初孫が女で落胆した爺さんに男らしく育つよう小さい頃から教育されたってだけだから、女が恋愛対象かどうかまではわからないしな」
「女の子で……って、それも凄い理由じゃない……?」
「そこはしょうがない。うちは大地主だから、跡取りになれる男のがありがたいのさ。時代が時代なら、母さん諸共追い出されてたような家柄だしな」
「伊織くん……さっきわたしに言った言葉、伊織くんに返すよ」
「はは、言えてる」
最低よりマシだから、それでいい。
それは最高に至れないと諦めた子供たちの、精一杯の抵抗だった。




