黄昏色の空の下
全てのプログラムが終わり、閉会式が執り行われる。
開始前は比較的白かった体操着もすっかり土埃にまみれ、斑模様になっている。夏の午後四時はまだ真昼の明るさを維持しており、暑さが和らぐ気配もない。校長の長話に生徒たちが飽きてきた頃、漸く閉幕となり全生徒がグラウンドから退場した。
「千鶴、初めての体育祭はどうでした?」
「凄く楽しかったよ。真莉愛ちゃんと一緒だったから、余計楽しかったんだと思う」
「千鶴……まりあも、千鶴と一緒で楽しかったです」
手を繋いで歩きながら千鶴が真莉愛と話していると、後ろから肩を軽く叩かれた。
「お二人さん、俺も入れてくれよ」
「伊織!」
千鶴の隣に立ち、体操着の袖で額の汗を拭いながら伊織が笑う。
「もちろん、伊織くんもだよ。部活対抗のときも最後のリレーも格好良かったし」
「はいっ、伊織が走っているあいだ、まりあは息を止めてしまっていました」
「はは、ありがとな」
退場してそのまま保護者と合流する者や、外水道へ向かう者、友人と余韻に浸るべく木陰に移動する者など様々いる中、千鶴たちは本校舎と特別棟のあいだを通っている、渡り廊下まで来た。ここは建物の向きと構造の関係で風が抜けやすく、余程の酷暑でもない限り涼むのに最適な場所となっている。
日陰に入り、風に当たりながら深く息を吸って、ゆっくり吐く。火照った体が静かに冷えて、余韻を残したまま緩やかに落ち着いていくのを感じた。
「はー……楽しかったな」
「うん」
「はい、とても」
生徒たちの談笑する声が遠くに聞こえる中、三人は暫く涼みながら余韻に浸った。
「あっ、そうだ。伊織くん、今度試合見に行こうと思うんだけど……応援に行けそうな試合ってあるかな?」
紅潮していた顔が元の色を取り戻し始めた頃、ふと思い出して千鶴が伊織に尋ねた。
「地区大会が夏休みにあるから、足さえあれば見に来られると思う。球技の大会とかと違って広い体育館じゃないから勝手は違うけど、見る場所はあるしな」
「それって遠いの?」
「あー……今度の課外授業で行く市のもう一つ向こうだからな、車じゃないとキツいんじゃねえか」
「そうなんだ……取り敢えず、先輩にも聞いてみるよ」
「おう。無理はすんなよ」
伊織に頷いたところで、小さな足音が三人の元へ駆け寄ってきた。足音の主は、姉を迎えにきた英玲奈だった。
「姉さん、そろそろ帰りますよ」
「はい。……千鶴、伊織、また明後日ですね」
「おう、じゃあな」
「うん、気をつけて」
真莉愛と英玲奈を見送り、伊織が真上に伸びをする。
「千鶴はこのあと、先輩のところか?」
伊織の問いに頷くと、彼は「実は俺も」と笑って言った。
「弓道部の先輩と打上げなんだ。俺は一旦帰って汗流してからだけど」
「そっか。じゃあそろそろ帰ったほうがいいかな」
「だなー」
名残惜しそうに言いながら、どちらからともなく歩き出す。正門が見えてきた辺りで一度足を止め、伊織は千鶴を振り返った。
「んじゃ、また!」
「うん、また明後日に」
レース二本と団体競技を全力でこなしたあととは思えない元気な足取りで駆けていく後ろ姿を見送っていると、最早慣れ親しんだ感触が背中を包んだ。夏の最中にあって、なお褪せない春の香をまとったひとだ。
「……先輩、わたしぬいぐるみじゃないですよ」
「丁度良いのだから仕方ないだろう」
「赤猫先輩じゃだめなんですか……?」
「我もお断りだが、それ以前に彼奴が嫌がる」
それもそうかと納得しかけたが、千鶴も明確に赦したわけではないのだと思い直し、桜司の腕に手を添えた。だが千鶴がなにか言うより先に、腕に力がこもる。
「お主のためでなければ、斯様な人間共の群になどおらぬ」
「……それは……」
桐斗も言っていたことだ。千鶴に会うために、高校に在籍したと。彼らは今更人間の子供が学ぶような内容を教わる必要などないというのに、千鶴を―――特異点を護るという共通の目的のために、それだけのために学生のふりをしている。
「わたしが、特異点だからっていう、そのせいなんですよね」
無言の肯定が、千鶴の問いに返される。
「ずっと気になってたんですけど、特異点って何なんですか……?」
「……全てを説明するにはまだ早いが……そうさな。怪異を惹きつけやすい体質とでも言っておこうか」
「それは、わたしががんばってどうにかなるものではないんですよね」
「出来るなら、教えているだろうな」
「そう……ですよね」
それはそうだ。そんな方法があるならとうに教えて、高校生ごっこなどという戯れも百鬼夜行部という隠れ蓑も必要なくなっているところだ。
「お主はただ、我らに護られていれば良い。いまは、それだけで良い」
「…………」
いまはまだ。
もしいつか真実を知るときが来るのだとしたら、そのときは彼の口から聞きたいと、そう思った。




