居並ぶ高偏差値の壁
昼食の時間になり、土と汗にまみれた生徒たちが解散していく。午後の部は一時半に始まるとのアナウンスが流れたのを最後に、放送席も自動で曲を流す設定に変わった。
真莉愛の案内で人工芝グラウンドの片隅に向かうと、そこには既に真莉愛の保護者と妹の英玲奈がレジャーシートを敷いて待っていた。
「あ、千鶴、兄も来てくれました。お仕事終わったのですね」
「すごい……眩しい……」
近付くにつれ、彼らの顔かたちや服装がはっきり見えるようになり、千鶴は思わずといった様子で呟いた。
「やあ真莉愛。そちらの可愛らしいお嬢さんがいつも話に聞くお友達かな?」
「はい、千鶴です」
「初めまして、僕は花織。僕とも仲良くしてくれるとうれしいな」
胸ポケットから名刺を差し出しながら微笑む青年は、一言でいうなら好青年。綺麗な黒髪に整った目鼻立ち、透き通った肌に清潔感のある格好、指先まで完璧に整えられたその姿は、銀幕越しに対面しているのではと錯覚するほどだ。
「花織さん、ですね。初めまして。真莉愛ちゃんにはいつもお世話になってます、千鶴です」
「これはご丁寧にありがとう。そうそう、よく訊ねられるから先に言っておくけれど、ちゃんと本名だよ。ほら」
受け取った名刺には芸名のような字面が並んでおり、確かにこれは一瞬迷いそうだと思った。
「かおる兄さまは、普段はアメリカでお仕事をしているのです」
「せっかく可愛い妹の活躍が見られる機会だというのに、仕事なんかしている場合ではないからね。昨日のうちに終わらせて今朝帰国したところさ」
「それは……徹夜というのでは……?」
爽やかな笑顔でさらりととんでもないことを言う花織に、仕事を終えてきたばかりのような疲れは全く見えない。
千鶴が感心していると、花織の横から真っ直ぐ注がれる強い視線を感じた。見れば、英玲奈がじっと花織越しに千鶴を見上げている。
「……兄さん、千鶴お姉さんに会えてうれしいのはわかりますけど、母さんたちを放置しないでください」
「おっとすまない。紹介するよ。母のディアナと父の陽臣だ」
「初めまして」
花織の紹介を受け、真莉愛をそのまま大人にしたような美女がにこやかに手を振り、花織が更に成長して威厳と貫禄を身につけたような男性が穏やかな笑みで会釈をした。
「さあ、どうぞ座って」
「はい、お邪魔します」
「がんばって、おべんとつくりましたの。千鶴の口にあうとうれしいです」
千鶴が真莉愛と英玲奈に挟まれる形でマットに座ると、ディアナが不慣れな日本語で言いながら重箱サイズの弁当箱を開けた。
「わあ……! か、可愛い……!」
二段の重箱とデザート用の小さな弁当箱の中身は、所謂キャラ弁というものだった。
下段には小さなテディベアのおにぎりやいなり寿司が詰まっていて、そのいくつかはハート型に切り抜かれたハムが張り付けてある。上段にはおかずが詰まっていて、一口サイズのハンバーグには星形のチーズが貼られ、そのハムとチーズをくりぬいた残りを張り付けたと思われるゆで卵はイースターエッグのようになっている。
小さい弁当箱は密閉容器となっていて、中身はフルーツポンチだった。こちらも星やハートにくりぬかれたフルーツと寒天が泳いでいて、全てにおいて可愛らしい。
「母さん、日本に来て初めてお弁当を検索したらこれが出てきて、以来日本のお弁当はこういうものだと思っているんです」
「なるほど……」
こそりと英玲奈に伝えられ、千鶴は納得して頷いた。
「どうぞ、お召し上がりください」
「はい、頂きます」
まずはゲストからということなのか、千鶴が食べるのを待つ煌びやかな集団の視線に緊張しつつ、おにぎりを一つ口に運ぶ。食べ物だとわかっていても可愛いテディベアの頭が欠けているのを見るのは忍びないため、手元に視線を落とさないようにしながら、千鶴はディアナに「美味しいです」と微笑んだ。
「よかった、安心しました。皆も食べなさい」
「頂きます」
真莉愛たちも千鶴に続いておにぎりやいなり寿司を手に取り、食べ始めた。
「あ、いたいた。お邪魔しまーす」
そこへ、昼食を確保しに行っていた桐斗と桜司が合流した。
賑やかな場が苦手な伊月とそれに付き合っている柳雨は部室にいるらしく、ここには来ていない。
隣にマットを敷いて座りながら、真莉愛の家族に向けて桐斗が愛想良く手を振ると、彼らも同様笑顔を返した。
「真莉愛、彼らもクラスメイトかい?」
「いえ、先輩です。以前お話しした、千鶴のナイトです」
「!?」
真莉愛の言葉に、千鶴は驚いて隣を見た。真莉愛はそんな千鶴の動揺など知らずに、にこにこと上機嫌に桐斗たちを家族に紹介している。
(真莉愛ちゃんはお母さんたちにもわかる言葉を使っただけだし……あまり気にしないようにしよう)
そう自分に言い聞かせることで動揺を押し殺しつつ、ハンバーグを一つ手に取った。ハンバーグは可愛い持ち手がついたプラスチックの楊枝にウズラのゆで卵と連なる形で刺さっている。こちらの卵も黒ごまで顔がついていて、細かいところまで抜かりない。
「……美味しい」
食べてみてわかってことだが、ケチャップが中に仕込まれていた。チーズとの相性も良く、一口で食べてしまうのが勿体ないほど美味しい。じっくり味わっているとまたも視線を感じ、そろりと顔を上げる。
「ねえハル、聞きました? 二回もおいしい言ってくれました!」
「そうだねえ、良かったねディアナ」
興奮気味に陽臣に報告するディアナと、子供を宥めるような目で同意する陽臣。更にそんな夫婦を微笑ましく見守る花織という、理想の家族像というタイトルで描かれたといっても過言ではない、あまりにも眩しい光景が目の前で繰り広げられ、千鶴は思わず見入ってしまった。
「千鶴くんはとても美味しそうに食べてくれるね」
「わかるー」
他人事のように和んでいるところへ飛んできた花織の言葉に、横でパックジュースを飲みながら桐斗が同意した。これで何度目かも知れない「美味しそうに食べる」という評価を受け、じわりと顔が熱くなる。
「千鶴姉さんは全部顔に出ますから、見ていてわかりやすいですよ」
「えっ……」
英玲奈を見ると、黒曜石のような深い黒がじっと見上げていた。彼女は千鶴と違い、滅多に表情が動かない。心の裏側まで見透かしてきそうな大きな瞳で見つめられると、なにも言えなくなってしまう。
「わたしは逆に、態度や表情に出ないので、なにを言っても疑われるんですよね」
「そうなの……?」
「わたしくらいの年の子は、大袈裟なくらいが普通みたいなんです。なにも感じてないみたいだって思われやすくて……難しいです」
「言われてみれば、小学生くらいだとそうかも。けど、それって性格にもよるんだし、わたしは英玲奈ちゃんと話しててそう感じたことはないよ」
千鶴の言葉に、英玲奈の瞳が僅かに揺れた。
表情は確かに変わらない。真っ直ぐ見つめる視線も、人形めいた顔立ちが引き立てている冷静な表情も変わらない。けれど英玲奈は、表情ではなくその大きな瞳が口よりも雄弁に語るようだ。
「いまだって、わたしの言葉がちゃんと届いたってわかったよ」
「……家族以外でわたしにそんなこと言ったの、千鶴姉さんが初めてです」
千鶴が英玲奈の頭を撫でて言うと、英玲奈は睫毛を伏せて小さく呟いた。
「……せ……先輩…………」
英玲奈と仲良くなれたようで和んでいる千鶴の背に、のし掛かるものがあった。最早振り返らずともわかる。桜司だ。
「そろそろ時間だぞ、千鶴」
「時間を伝えるだけなら背後から捕獲しなくてもいいじゃないですか……」
言いながら時計を見ると、集合時間の十分前だった。楽しい時間ほどあっという間に過ぎてしまうと名残を惜しみつつ、片付けに入る。
「今日はありがとうございました」
「千鶴くんも真莉愛も、午後もがんばって。応援しているよ」
「はいっ」
真莉愛と声を揃えて花織に答えると、千鶴は真莉愛の両親に会釈をして英玲奈に手を振ってから、背後に桜司を張り付けたままグラウンドへと戻っていった。




