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鬼灯町の百鬼夜行◆祭  作者: 宵宮祀花
【弐ノ幕】カミサマポスト
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言の葉九つ

 雨が降る。

 暗い空から、地上を塗り潰すように、大粒の雨が降っている。


 願い事を綴った手紙を手に、千鶴は夜の小学校を訪れた。とうに校門は閉まっているため、柳雨に抱えられた状態で空から侵入したのだが、なぜか桜司の機嫌が悪い。囮になることは渋々ながらも納得したのではなかったのだろうかと不安になるが、一先ずは役目を果たさなければならない。

 無人の、陽が落ちきった学校は何とも言えない恐ろしさがある。日の光があるうちは見えないものが見えるような気さえしてしまう。しかも、いま対面しているのは木造の古びた旧校舎だ。下手なお化け屋敷より迫力がある。


(ポストに入れて、真っ直ぐ門に走ればいいんだよね……)


 頭の中で、繰り返しイメージする。僅かでも躊躇えば全てが台無しになってしまう。

 怖々近付き、場違いなほどに可愛らしい手紙をポストの口に押し込むと、千鶴は踵を返して一目散に駆け出した。


「……っ!!」


 瞬間、背後から津波のような質量のナニカが迫るのを感じた。無数の子供たちが走り回る小さな足音や、はしゃぎ回る楽しげな声が気配に混じって迫ってくる。あまりにも異様な、真昼の校庭のような日向の空気が圧力を伴ってすぐ背後に迫ってきている。

 決して声を出さず、そしてなにがあっても振り返らず、真っ直ぐ走れ。囮になる前、暗唱出来るほど繰り返し言われた言葉の通りに、ひた走る。新校舎が視界の端に見えてきた頃、背後から声がした。


『千鶴』


 ビクッと肩が跳ねた。思わず足が止まりかける。


『千鶴、こっちだ』


 平坦な声で千鶴を呼ぶその声は、声音だけなら桜司のものにそっくりだった。だが、千鶴は足を止めなかった。振り向くことも、声を出すこともしなかった。真っ直ぐに、ひたすらに走る。恐怖と緊張、そして雨に濡れて重くなっていく服や靴のせいで、普段以上に心臓がうるさい。何十キロも走ったかのように息が上がる。


 前方に、正門が見えた。

 激しい水音を立てて門前に倒れ込む千鶴の背後で、清廉な風が千鶴を庇うように降り立つ気配がした。


「――――お疲れ千鶴! 縄張り展開ッ!!」

「逃がすかよ!! 喰らいやがれ!!」


 桐斗が叫ぶと同時に、周囲の空気が凍り付いたように固まった。更に上空から柳雨の声がして、鋭い風が塊となって振り下ろされた。遠くで、木片が散らばるような派手な音が聞こえたかと思うと、門柱にもたれ掛かったまま動けずにいた千鶴の体がふわりと浮いた。


「千鶴」

「先輩……着物、汚れてしまいます……」

「気にするな。さあ、あとは我らに任せよ」


 半化生の姿となった桜司の腕に収められ、千鶴は漸く自分を執拗に追ってきたものが何だったのか確かめることが出来た。桐斗が威嚇するように低く唸るその向こう。夜の闇より暗い、黒いナニカ。一切の光を受け付けない純粋な黒がそこにはあった。夜闇に浮かぶ黒い影は、歪ではあるが時代を感じる郵便職員に似た姿をしていた。斜めがけの鞄からは無数の紙が溢れ、影の足下に落ちてはタールのような黒い染みを作っていく。


「あれは……郵便屋さん……?」

「の、形を取っているだけだな。都市伝説系の荒魂は噂の元となった存在の形を取る」

「なるほど……カミサマポストは、カミサマに願いを届けてくれる存在だから、郵便屋さんなんですね」

「然様」


 幽世と現世を繋ぐ窓口の役割を果たしていたポストは破壊されている。だが、こちら側に引きずり出した本体を浄化しないことには、逃げられた上にポスト諸共再生され、更には警戒されて同じ手も通じなくなってしまうだろう。

 片手を地面につき、影を睨み付けながら桐斗は再び威嚇の唸り声を上げる。その声は人のものではなく、紛うことなき猫のものだった。影も抵抗しようと咆哮を上げるが、それを上回る拘束力で桐斗がその場に縫い止めているため、逃げることが出来ない。


「よ……っと」


 影を挟んで向こう側サッカーゴールの上に、一本足の下駄で器用に柳雨が降り立つ。大きな黒い翼と羽のうちわが風をはらみ、いつでも撃てるよう渦を巻いている。

 退路を断ったところで、別の方向から伊月が現れた。伊月もまた半化生の姿となっており、彼の体には羽衣のような帯状の布が揺らめきながら纏わり付いている。


「終わらせる」


 一言そう呟くと、伊月は流れるような仕草で腕を振り上げ、そして影に向かって振り下ろした。その所作に合わせて羽衣がしゅるりと靡き、宙を泳ぐ龍のように突き進むと影の体に纏わり付いた。瞬間、布一面にびっしりと文字とも記号ともつかない文様が、ぼんやり発光して浮かび上がった。


『アアァァアァアアッ!!!』


 苦しげな叫び声を上げ、身を捩る。だが抵抗すればするほど苦痛が増すのか、やがて声は断続的なうめき声へと変わっていった。生きたまま焼かれる責め苦にあってなお、影の手は肩にかけられた鞄の紐を握り締めている。影の周囲を竜巻のような風が暴れ、バサバサと激しい音を立てながら手紙が渦を巻き、嵐のように荒れ狂っては桐斗の体を切りつけていく。


「ちょ……っと! 早く……!」

「ソイツの本体はヒトガタのほうじゃねえな……鞄だ、伊月!」


 影を抑えている桐斗が苦しげな声を漏らし、上から監視していた柳雨が吼える。


「心得た」


 彼の怪異は、願いを貪るもの。空虚な腹を満たさんと、無邪気な願いを求めたもの。

 嘗ては旧校舎で子供たちに囲まれて幼い願いを聞き届けては、歪めず濁さず、正しく叶えていた害なき存在―――だったもの。


 人々から忘れられ、存在が歪んでしまった哀しい記憶の残滓。


「眠れ―――願いは、聞き届けられた」


 伊月が静かに宣言すると、鞄の中から無数の紙が鳥の羽ばたきのような音をあげて、夜空へと飛び立っていった。鞄の中身が減っていくにつれて、暗闇そのものだった影も徐々に薄らいでいく。


 ―――皆ト、ずッとこうシテ、笑っテ過ごセまスやうニ―――。


 影が消える寸前、辺りに微かな声が風に乗って流れた。

 パサリと音を立てて、纏わり付くもののなくなった羽衣が落ちる。


「……はぁ……いまのって、アイツの願いだったのかな……?」


 疲労困憊といった様子でしゃがみ込みながら、桐斗が呟く。それに答えられるものはこの場にはいない。訊ねようにも、もうカミサマポストは現世には存在しないのだ。


「……千鶴?」


 千鶴は、黙ったまま桜司にしがみついて、静かに涙を流した。

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