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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第一部 木曽義仲の子
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第7話 養和元年(1181年) 姻戚

 富士川の戦いから一年、武田勢だけで平家軍を打ち破ったのを見た源頼朝は軍を返し、坂東の平家勢力を駆逐することに専念した。頼朝の尊称(そんしょう)佐殿(すけどの)から御所(ごしょ)へと変わった。これは源氏の嫡流から坂東を経営する立場になったことを意味していた。政治を執る場所である、大倉御所から取った呼び名である。


「北条館もようやくすっきりしたわ。ずっとお祭り騒ぎで疲れたけど」


 牧の方は晴れ晴れとした顔で義時に言った。


 この一年の間、北条家の娘たちは次々と嫁いでいった。頼朝の血縁者である足利、異母弟の阿野全成(あのぜんじょう)との婚姻で、頼朝とのつながりをさらに強くし、武蔵国の畠山重忠、稲毛重成(いなげしげなり)と縁戚になることで秩父党と北条家の関係を深めた。


 北条時政は房総半島の上総広常(かずさひろつね)千葉常胤(ちばつねたね)、相模の三浦義純(みうらよしずみ)ら大豪族との婚姻も考えたが、今の力関係では北条家が彼らの一族の下に加わる形になってしまうのでやめた。


 そこで時政は畠山、稲毛ら武蔵国に勢力を張る秩父党とのつながることによって、伊豆・武蔵を北条家の勢力下に置くことを狙った。重忠との婚姻については義時の強い勧めもあった。


「父上はじっくり婿選びをしたかったようでしたが――」


「泣いてお願いしたわ。早くこの館の主人を私にして、と。私も継娘たちと仲良くしたかったけど、みんな政子に忠義面をするんだもの。だから、相手を早く決めて館から出て行って欲しかった。思った通り、娘たちが嫁いでいくと、政子はこの館に寄り付かなくなったわ。阿野との姻戚はくやしかったけど――」


 妹の一人、信子の姻戚だけは政子が決めたといっていい。三人の妹たちが自分の側から剥がされていくように感じた政子は、信子だけでも自分の側に置こうと頼朝に訴えて、頼朝の義弟である阿野全成に嫁がせたのだ。

 政子の意向で信子だけではなく、阿野も頼朝の側で仕えることになった。


「私にも一人ぐらいは妹を残して欲しかったですね」


「あら、そんなに妹思いだったかしら?」


「北条が京に出て行った時に姻戚を結ぶ女がいなくなった」


「その心配はないわ」


 牧の方は衣の帯を外して、挑発的な視線を義時に送る。


「私が産むから」


 義時は燭台の火を吹き消すと衣の帯に手をかけた――。




「ハァ、ハァ、ハァ……。婆さん! 次の女を用意しろ! 大きな女がいい」


武蔵国の国府がある宿場町。体から湯気を立ち昇らせた貞親が言った。組み敷かれている遊女はぐったりしている。


「おう、来たか! 入れ」


「恋文の使いに何日かけるつもりだ、阿呆」


 戸口に呆れた顔をした阿太郎が立っている。


「御所が平家と戦おうとせぬから、こうして暇を潰しておるのだ」


 貞親は裸のまま、胡坐(あぐら)に座りなおした。


「俺に当たるな。おぬしが苛ついているのがわかるから、重忠殿も夙妻太夫(あさづまだゆう)への使いを命じたのだ。遊女で気を晴らしてこいとな。だが、遊びすぎだ――何が大きな女がいいだ。おぬしは和田義盛(わだよしもり)か」


 鎌倉では和田義盛の妾探しが評判になっている。侍所別当さむらいどころべっとう(御家人を束ねる部署の長官)にふさわしい強い子を産める、力士のような大きな女子はおらぬかと、各家に聞いて回っているらしい。


「さあ戻って、支度をするぞ」


「戦か!」


 貞親は跳ね起きる。


「残念だが違う。重忠殿が鎌倉の江間義時殿に会いに行く。そのお供だ」




 秩父への道すがら、貞親は疑問をぶつける。


「なあ阿太郎。なぜ御所は平家と戦わぬ。おぬしはわかるか?」


 阿太郎は立ち止まる。小枝を拾うと、地面に数個の丸を書き始めた。一番左の丸の中に「平家」と書き、一番右の丸に「御所」と書いた。


「まず京の平家、そして坂東の御所。二つだけなら攻めているだろう。しかし」


 中間にある三つの丸に書き入れていく。「行家(ゆきいえ)」、「木曽」、「武田」。


「京に行くまでには、こやつらを倒すか、屈服させねばならぬ。武田は御所の下に付くかと思っていたが、富士川の戦いで平家を破ってからは駿河、甲斐、遠江を支配下に置き、独自に動き始めた。木曽は信濃から越後、北陸を伺い、御所の叔父の行家殿は三河で兵を集めている。これらはみーんな源氏だ。今、御所が京に向かえば源氏同士で戦うことになり、喜ぶのは平家のみだ」


「なあんだ、そんなことか。源氏が結束すればいいだけの話ではないか」


「まったくだ。しかし、源氏は坂東武士の英雄、八幡太郎義家のときでさえ兄弟で争っていた。源氏の血統は大将の器量がある。だからこそ並び立つのが難しい。皮肉なものだ。それに、軍を動かせないのには、もう一つ理由がある。大飢饉だ」


「また、飢饉の話か」


「何度でも言ってやる。おぬしは飢饉の恐ろしさを分かっておらぬ。坂東は作物がよく実り、山野にも食べられる物が多い。京の飢饉は地獄絵図だ。俺も飢えで死にかけた。これを見ろ」


 阿太郎は白頭巾をめくると、額に“阿”の文字が現れた。


「仁和寺の隆暁法印(りゅうぎょうほういん)が御仏のもとにいけるようにと、死んだ俺に書いてくれたものだ。だが俺は運よく息を吹き返して、阿弥陀様ではなく重能殿に助けてもらうことになった。今年、隆暁殿はあまりにも死者が多いので“阿”の字を何人の死者に書いたか数えてみたそうだ。その数はいくらかわかるか? 四万を超える」


 阿太郎は貞親に小枝を向ける。


「貞親が自慢げに旗を持って、御所に従って鎌倉に入ったときの軍勢の数と同じだ。それが丸々、飢え死にしたのだ。この凄まじさが分かるか? 弓矢で殺せる人の数など飢饉に比べたら可愛いものだ。今、京へ上るのは地獄見物に行くのと同じだ」


 そう言うと阿太郎は小枝を放り投げた。飢饉の経験がない貞親は唸るしかなかった。


「俺が御所でも飢饉が終わるまでは動かない――さあ行こう」


 貞親の目には歩き出す阿太郎の背中が泣いているように見えた――。




「それでは、鎌倉に戻ります。北条館の女主人殿」


 髪をとかしている牧の方の背に義時は声をかけた。


「私も時期を見て鎌倉に行くわ。御台所・政子の継母として助けてあげなくては。いなくなった彼女の妹たちの代わりにね」


 牧の方は振り向くと勝気な顔を見せた。


「姉上を操ろうとする考えは捨てたほうがいい。もう姉上は以前とは違う。坂東統治の一部、御台所です。彼女の心が騒げば、御所に仕える私も面倒が増える」


「あなたも少しぐらい野心を持ったら? 時政殿と全然似てないわね」


「己をよく知っているだけです。私は日陰にいるほうが物事を上手く運べる。政治も恋も。もし私が野心を持ったときは――」


「そのときは?」


「きっと私が私を殺したのでしょう」


「最近、流行りの禅の言葉かしら? 何を言っているのかわからないわ」


「私にもよく分かりません」

 

 何がおかしいのか義時はしばらくの間、笑っていた。

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