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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第四部(最終部) 本田貞親の子
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第74話 元久二年(1205年6~7月) 追放

 江間義時は畠山重忠を討った翌日に鎌倉に帰還すると、戦について北条時政に報告した。


「重忠の弟や縁者は、遠くの所領に行ったまま戻ってはおらず、重忠に付き従っていたのは百騎を超える程度でした。謀反の話が虚言だったことは明らかです。重忠の首を見たとき、私は涙を止められなかった」


 時政は何も言えなかった。義時の瞳が憎悪に染まっているのであれば、闘志も湧いたのだが、義時の瞳は氷のような冷たさを漂わせているだけだったからだ。時政はこれから自分の身に何かが起こるかもしれない、と不安を抱いた。



 その予感はすぐに的中した。三浦義村(よしむら)稲毛重成(いなげしげなり)榛谷重朝(はんがやしげとも)の一族を、時政を虚言でそそのかした罪人として、急襲したのであった。時政に一言も相談せずに――。


 義時は時政に対し淡々とその事実のみを報告した。時政も褒めざるを得なかった。なぜなら、鎌倉中が重忠の死を(なげ)(いた)んでいたからだ。



――秩父党の主だった家を滅ぼすことができました。お喜びでしょうか。


 義村は父祖の霊に仇討ちを報告すると、すぐに次の標的を牧の方と時政へ定めた。御家人の不満を感じ取ったからである。


 稲毛・榛谷を討った義村を、御家人たちは褒めたたえ、加勢できなかったことを口惜しがった。時政と牧の方へ直接、不満を言えないことの裏返しなのは明らかだった。


 義村は此度の乱は、牧の方が平賀朝雅(ともまさ)を将軍にしたいがための陰謀だと、噂を流したのだった。御家人たちはすぐに牧の方を憎むようになった。無実の者を討ったという罪悪心から逃れるかのように――。


 この噂に一番、神経を尖らせていたのは、息子の命を守りたい政子と、朝廷に近い将軍が生まれることを警戒していた大江だった。


 二人は義時と義村を呼び、源実朝を守るよう命じた。再び鎌倉中が騒めいたが、すぐに収まった。時政が対抗して御家人を集めようとしたが、そのほとんどが時政の元に行かず、義時の屋敷に集まったからだ。




 時政はあきらめの境地にいた。義時や義村に加え、政子や大江まで敵に回したのだ。


――武士の意地を見せて戦ってやってもいいが……。


 隣にいる牧の方を横目で見た。集まった御家人の少なさに気落ちしている。


「すまんな」


 一言だけ言った後、時政は別の間に移ると、髪を下ろして出家してしまった。


 幕府と義時へは、伊豆に出家謹慎すること、北条家を義時に継がせることに加え、此度の騒動はすべて自分の考えであり、牧の方は関係ないことを書いた書状を送った。


 幕府は時政の訴えを認め、翌日の朝には時政は伊豆へと送り出された。重臣合議では、空いた執権の座に北条義時が就くことと、京にいる御家人に平賀朝雅を誅殺するよう命ずる使者を送ることが決まった。




 鎌倉に残った牧の方は、毎日のように義時の屋敷の前に立って面会を求めたが、義時は会おうとはしなかった。初めこそ、人々の中には牧の方に石を投げる者もいたが、没落したとはいえ、現執権北条義時の継母である。後の災いを怖れて皆、牧の方を見て見ぬふりをした。


 日を追うごとに身なりも汚れ、感情的になって門の前で泣きわめく牧の方は、鎌倉中の噂となっていった――。


「なりませぬ! 行ったところで、牧の方に何をしようというのです」


 義時が屋敷の門に向かおうとするのを安達新三郎が止めた。畠山重忠の無実が明らかになったので、新三郎は阿火局と共に義時の元で世話になっていた。本田貞親は平賀を討ちに京へ向かっていた。


「伊豆に帰るように話す! 行かせてくれ!」


「ならば、前から皆が申し上げている通り、家人に命じて伊豆に送ってしまえば良いでしょう。いったいどうしたのですか? いつも義時様なら、このようなことで迷わないでしょう」


「新三郎は覚えているか? 秩父で初めてお前に会った時のことを。私は己が関わることになると、普段通りでいられなくなるのだ――」


「懐かしい話です。確かに畠山館でお会いした時は気を高ぶらせていましたな――だが、義時様は変わった。鬼になられた。重忠殿を討つ大将軍など、前の義時様なら受けなかったはず! 牧の方を追放するのも同じことです!」


「しかし!」


 義時は再び覗き窓を見ると、牧の方が泣き伏していた。


――初めて彼女が北条館に来たときと同じだ。周りに誰も頼れるものがおらず、一人で泣いていたあのときと。


 義時の目には、今の牧の方と少女・牧の方の姿が重なって見えた。今なら、歪んだ関りではなく、正しい繋がりを作れるかもしれない。義時の心はもう止まらなかった。


「どけ! 新三郎!」


 新三郎を振り切っていこうと義時が太刀に手を伸ばしたとき、外が騒がしくなった。三浦義村(よしむら)の一行と、姫宮(ひめみや)一座が前を通ったのだ。




「みじめなものだ。前の執権の正室が鎌倉中の笑いものになるとは――」


 鶴岡八幡宮の舞の奉納を終えて屋敷に帰る途中の義村が馬上から、輿の中にいる姫宮に言った。姫宮は輿の御簾を上げて言う。


「――義村様。お願いがあるのですが」


「まだ船を造りたいのか? そなたと痣丸とやらの夢の船が出来たばかりではないか」


「いえ、来月に京に帰ると話していましたが、今、この場でお(ひま)をいただけないでしょうか?」


「どういうことだ?」


「私も牧の方様には少々、借りがございまして――」


「まあ、いいだろう。ただし、騒ぎを起こすなよ」


 義村は底意地の悪そうな笑みを浮かべると、姫宮一座を置いて屋敷へと向かって行った。




 姫宮は輿から降りて、牧の方の近くに行った。牧の方が姫宮を見上げる。


「あらあら、化粧が崩れて酷いお顔――」


 片膝をついた姫宮は諭すように牧の方に話す。


「今の鎌倉の状況では、義時様が会ってくれるわけがないでしょう」


「でも! でも! 私はすべてを失ったの! もう義時にすがるしか!」


 牧の方の頬が、パァンと鳴った。遠巻きに見ていた姫宮の弟子たちも驚いている。


「情けないことを! 己まで捨ててしまうつもり。あたしの知っている牧の方様は、そんな弱い女ではなかったわ。どんな失敗をしても懲りずに立ち上がる悪女(あくじょ)よ!」


 姫宮が手を高く上げて右に回すと、弟子たちが集まってきた。弟子たちは姫宮の指示に従い、牧の方を幕で囲んだ。


「姫宮……、一体何のつもり」


「そんな薄汚れた姿だから、心も弱くなるのです。牧の方様、あなたはすがる女ではなくて、奪い、従える女。似合わない役を演じる踊り子は、見苦しいだけですわ」



 しばらくして幕が開くと、衣を取り換え、髪を梳き、化粧を直した牧の方が出てきた。


「姫宮、私の輿を用意して。屋敷まで送っていきなさい」


「ふふっ、お目覚めになったようで何よりです」


 牧の方の表情はいつものものに戻っていた。


「鎌倉を出るときには今までの恥を返して出て行きたいわ。何か知恵はある?」


「姫宮一座にお任せあれ」


 姫宮はおどけて礼をした。


 外に出ようとしていた義時も、覗き窓から見える光景に何もできず、ただ茫然としているだけだった。





 数日後、牧の方が追放されると聞いた人々は、その姿を見ようと辻々に集まった。見物人の数はどんどん増えていく。牧の方の輿の前後を白拍子たちが固めたからだ。


 舞ながら行進するその列に人々は目を奪われ、いつもは田楽舞ぐらいしか見たことのない庶民は、神が嫁入りするようだ、と感嘆した。御簾をあげた輿に乗った、牧の方の姿も美しく、誰も義時の屋敷の前で泣いていた人と同じだとは思わなかった。


 牧の方は堂々と周りの人々を見下ろしていた。御簾を上げたのも牧の方が望んだからだ。その姿は囚人ではなく、鎌倉の女王のようだった。


 見物人を引き連れた列は由比ガ浜に向かっていった。船着き場には痣丸が新しく造った大船と共に待っていた。姫宮が痣丸に向かって大きく手を振ると、二枚の帆が張られた。


 おお―――っ、と歓声が上がった。帆には大きく“悪”の文字が染め抜かれていた。


「懐かしいわ。景清ね。私が悪の字を引き継ぐのもおもしろいかもね」


「あら、おかしい。もう天下の悪女なのに」


 二人は顔を合わせて笑った。


 痣丸が合図をすると、牧の方一行を乗せた船は、ゆっくりと出航した――。

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