第73話 元久二年(1205年6月) 重忠の最後
畠山重保が討たれる一日前。北条時政は江間義時とその弟の北条時房を呼んで、畠山親子の征伐について話すと、義時は猛烈に反論した。
「畠山重忠は治承四年以来、忠義を尽くしています。頼朝公もその心を知るからこそ、頼家様のことを頼みもしたのです。しかし、比企能員との戦では我々に加勢してくれました。頼家様より父上との義理を取ったのです! その重忠がなぜ反逆を企てるのですか! 今までの義理を捨てて、征伐をすれば必ず後悔します。私が事の真偽を調べます。征伐をその後に決めたとしても、何ら幕府は困りません」
感情を露わにして抗議する義時に、兄にはこんな一面があるのかと弟の時房は驚いた。時政は義時に是非を言わないまま、座を立った。
その夜、義時の屋敷に牧の方が現れた。
義時が屋敷の中に案内しようとすると、牧の方は中庭へと歩いて行った。
「庭で話しましょう」
牧の方は庭の池に渡してある橋の上に立つと、後ろから歩いてくる義時に語りかけた。
「力を貸してとは言わない。息子の仇討ちの邪魔はしないで」
「畠山親子を誤解している。彼らは謀反などしない。私が調べるまで待ってくれ!」
「あなたが真偽を調べれば、私は讒言者になるかもね。それでもいいの?」
「――やはりそうか。畠山を殺して何になる! 嘆き悲しむ心を平賀に付け込まれたのだろう? 私に任せてくれないか。悪いようにはしない!」
「らしく無いわね。いつも後ろで見ているだけのあなたが」
「重忠は友なのだ! 見捨てるわけにはいかない!」
牧の方と義時は見つめ合った。風が二人の間を吹き抜ける。
「もう、遅いわ。時政殿は御家人を集めた。重保も明日の朝には首になっている」
「御家人を動かしたのか!」
「義時が私を知るように、私も義時を知っている。義時に時を与えたらどうなるかも――」
「では、なぜわざわざ私に言いに来た! あなたは鬼か――」
義時は声を荒げたが、牧の方が涙を流しているのを見て、次の言葉を飲み込んだ。
「“あなたの力になる”。今度こそ、その言葉が欲しかっただけ。義時はいつも冷静。だけど、私のために、道理を離れて力になって欲しかった! でも、ずっとダメだった――そう、私は鬼から人に戻れないままよ」
牧の方は屋敷の外に駆け出した。義時はその後ろ姿を見ていることしかできなかった。
翌日の朝には大倉御所に兵馬が充満していた。義時が御所にはいると、すでに重保の首が晒されていた。政子を見ると、首を横に振るだけだった。
時政はひと際、厳粛な顔を作ると、義時に大手軍の大将軍を命じた。義時はもう逆らわなかった。重忠の退路を塞ぐ関戸軍の大将軍は和田義盛と北条時房。従う兵の数は五千を超えていた。
大手軍の中に入っていた三浦義村は軍の士気の低さを感じ取っていた。御家人の誰もが皆、重忠の謀反を疑っているのだろう。義村は時政に手を貸したことを少し悔いていた。
――重保を三浦の手で討ったのはまずかった。下手をすると私に不満を持つ者がでるかもしれん。亡き祖父上や父上には悪いが、重忠は三浦の手では殺さぬ。むしろ……。
午の刻(正午)、武蔵国二俣川で大手軍と畠山主従は相対した――。
重忠は追討軍に会う少し前、馬を飛ばしてきた安達新三郎に重保が殺されたことを知らされていた。手勢、百三十四騎をいったん休ませて、鶴ヶ峰の麓で今後を話し合っていると、目の前に数千騎が現れたのだ。本田親恒と榛澤成清は声をそろえて、引き上げることを進言した。
「殿、敵は数千だというのに、我々は戦支度もしておりませぬ。畠山館に戻って戦をしましょう! 我が畠山の力を思う存分、見せつけてやろうではありませんか!」
「爺よ。梶原が一宮の館から退いて、京に上る途中に滅ぼされたのを覚えておろう。そのとき、梶原は命を惜しんだものと笑われた。ここで逃げては陰謀を企てたと思われよう。それはこの重忠が最も恥とするべきところである。重忠は戦うことで身の潔白を証明してみせる」
「――殿は昔からそうでしたな。無粋なことを申し上げましたわ。なあ、皆の者!」
成清が言うと、周りから、そうだ!そうだ!と声が起こった。本田親恒が叫んだ。
「畠山の武士は戦無双じゃ。語り継がれる死に様を見せようではないか!」
おう! と皆が応えた。
「よし、戦の準備をせよ。川を挟んで迎え撃つ。だが――」
重忠は本田貞親と安達新三郎を呼んで言った。
「おぬしは新三郎と落ちろ。没収された島津忠久の所領がもうすぐ戻されると義時が言っていた――阿火局と約束したのだ。忠久におぬしを仕えさせると」
「何を言います! わしも共に死なせてくだされ!」
「ならぬ! おぬしがここで死ねば小次郎はどうなる。三浦の道具にされて無残な死を迎えるだけだ。貞親、わしの息子の友を助けてやってくれ」
重忠は新三郎に優しく言った。
「衣笠城以来、いろいろと世話になった。おぬしは人が良いから、最後にもう一つ願いを聞いてくれ。わしの義弟貞親を頼む」
「命に代えても」
重忠はニコリと笑うと、手勢と二俣川に進んで行った。
「殿! ええい、新三郎。離せ! 離すんだ!」
「離さぬ! おぬしは重忠殿の父、亡き重能殿と富士川で誓ったではないか! 命を無駄にはせぬと!」
新三郎は涙を流している貞親の顔を見ないようにして、馬のほうへ引きずっていった。
義時は目の前に現れた畠山主従の兵の少なさと、鎧をつけていない姿を見て、自分の考えの正しさと、これから重忠に起こる運命を知った。側にいる御家人が戦闘開始の号令をうながしたが、義時は正面の重忠の顔をまともに見ることができず、うつむいていた。
「義時ぃ――――!!」
川向うから重忠の大声が聞こえた。
「前を見ろ! 大将軍が顔を下げるな! これから天下を差配する男が、そんなことでどうする! わしはな、おぬしに命を捧げると決めたのだ! だから、遠慮せずわしを殺せ!――義時よ、最後に天下を取る男の顔を見せてくれ!」
義時の胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
――最後まで励ましてくれるのだな。我が友よ。いいだろう、我も鬼になってやる!
義時は手を大きく上げた。
「皆の者、知った顔だが容赦はするな!! かかれ――――っ!!!」
義時が手を振り下ろすと、御家人たちは先を争って川を渡っていった。先ほどまでの士気の低さは嘘のようだった。
――重忠の気に当てられたのだ。
義時は改めて、重忠の将器の大きさを感じていた。
重忠は自分目がけて向かってくる御家人たちを見て感動していた。
「爺よ。皆、我が弓馬の友である。それが我こそ先へと、重忠を目がけて向かってくる。これこそわしに対する称賛の証だと思わぬか!」
「想われ人も大変ですな、殿。だが、安々と想い人に合わせては興も無いでしょう」
成清は笑うと、郎党に迎撃の構えをさせた。
激戦が始まった。重忠たちが少数とは言え、御家人たちが殺到したため、数の利を自ら捨てることになった。そのため、御家人たちも次々と討たれていった。中でも重忠に近づいた者たちは次々と叩き落されていった――。
猿の斜めの刻(午後四時半)。弓の名手である愛甲季隆の矢が重忠を射抜いた。愛甲が重忠の首を取ったことを叫ぶと、残りの郎党は皆、自害した。義時は戦の終わりを全軍に伝えた。
御家人たちは毒気が抜けたような顔をしていた。重忠の気に当てられて興奮していたが、戦が終わってみると誰の目にも、重忠の無実が明らかなことが分かったからだ。
三浦義村が義時に馬を寄せてささやくと、義時は厳しい顔でうなずいた――。