第71話 元久元年(1204年11~12月) 悲報
京に向かった一行だが、先頭の馬に乗る北条政範の顔色は日を追うごとに悪くなっていった。それでも弱音を吐かずにいた政範だったが、近江国に入ったとき、とうとう倒れてしまった。
御家人たちは話し合ったが、政範のために遅れるわけにはいかないので、輿を借りて政範を運び、京入りすることになった。
そのときに、誰が先頭を飾るかということで多少言い争いがあった。和田宗実が今までの上洛の先例に倣おうと言い、先陣は畠山家の者である重保が務めることになった。先例で言えば和田宗実は二番手である。和田の狙いは明らかだった。
十一月三日。京では街の人々が見物に来ていた。今まで上洛の経験がない若武者たちは誇らしげに進んでいた。中でも先頭の重保は注目を浴びた。重保は舞い上がりそうになる気持ちを隠しきれなかった。
しかし、前方から騎乗の武士がやってくると、重保たちに冷や水を浴びてきた。
「止まれい! 止まれい! なぜ、畠山殿が先陣になっている。北条殿のはずだろう」
京の警備をするため駐在している平賀朝雅は厳しい顔で詰問してきた。
「使いを出しております。北条殿は病のため輿で京入りすると」
「それでは、京の人々の目に映らぬではないか。北条殿はどこだ?」
平賀朝雅は列の後方の輿に近づき、北条政範に言った
「執権殿から、政範殿の先陣を補佐せよと命じられておる。武士ならば多少の無理はできるはず。一刻ほども我慢すれば終わりだ。ささ、鎧をつけて馬に乗りなさい」
御家人たちが冷ややかな目で見守る中、先陣が政範に、二番手は平賀朝雅に変わった。そのまま列は京の街を行進し、逗留先である平賀朝雅の屋敷に入っていった。
屋敷に着いた途端、政範は再び倒れて寝所から出てこなくなった――。
十一月四日。平賀屋敷では宴会が行われた。政範は立ち上がることもできなくなったので、平賀は家人に京の医者を呼びにやらせた。
宴会の最中に、平賀朝雅と重保の口論が始まった。先陣の件で無理をさせ政範を倒れさせたことを重保が責め、平賀朝雅が反論して揉め出したのだ。
この二人は、平賀朝雅が武蔵国を経営する武蔵守、畠山家が現地で武蔵の御家人をまとめる立場と、微妙な対立関係にあった。そのせいか、途中からは意地の張り合いになった。
他の御家人たちがなだめるまで、二人の言い争いは終わらなかった。その結果、呼ばれて来た医者は平賀屋敷の門を入ったところで、ずっと待たされるはめになった。
平賀朝雅は苦しげな様子の政範を医者に見せると、医者は諦め顔で首を振った。
「残念ですが助かりません。もう少し、早く診ることができれば――」
平賀朝雅は医者の言葉に棘が含まれているのを感じた。他の医者も呼びにやったが、その努力もむなしく、五日に政範は息を引き取った。
鎌倉に向けて政範の死を知らせる早馬を送った後、平賀朝雅は落ち着かなくなった。時政夫妻が政範を溺愛していたのは、鎌倉中が知っている事実だ。
――誰かに、政範に無理をさせたことや、医者に見せるのを遅らせたことを、執権殿に伝えられてはこの身が危ない。
平賀朝雅は、弁明と政範の死の原因は重保にあるという内容の書状を持たせた使者を、再び時政に送った。
重保はそんなことなど知らずに、他の御家人たちと実朝の嫁取りの準備に追われていた。
次の日、京の四条河原で一人の医者の死体が発見された――。
十一月十三日。鎌倉・北条屋敷に政範の病死を伝える早馬が到着した。
時政の落胆ぶりはひどかったが、すでに長男の宗時や娘を亡くしていた過去があるため、
三日後には御倉御所に出仕できるほどには気を持ち直していた。
しかし、牧の方は初めての子、それも期待をかけていた一人息子を亡くしただけに、悲しみで気が狂ったかと思うほど泣き叫び、そして疲れ果てると一日寝込み、起きたらまた泣きわめくなど、手の付けようがなかった。
江間義時も何度か北条屋敷を訪れたが、牧の方は離れの戸を閉じたまま、会おうとはしなかった。義時は牧の方の悲しみを受け取ろうとするかのように、離れの縁側に一日中座っていた――。
周りは皆、牧の方を心配したが、十二月十日に実朝の妻になる坊門信子が鎌倉に到着すると、大倉御所を中心に祝賀行事がいくつも行われるため、時政や義時も牧の方を気にかけてはいられなくなった。牧の方はいたたまれなくなり、時政が止めるのをも聞かずに京の平賀朝雅の元へ向かっていった。
鎌倉・三浦屋敷では、海野幸氏を招いて酒宴が行われていた。
「白拍子の舞をお見せできなくて申し訳ない。姫宮一座をそろそろ呼び戻すつもりなので、そのときはぜひ来てもらいたい」
「お気づかいなく。今日は何の用件ですか」
海野はいつも酒も余り飲まないし、無駄な話を嫌う。三浦義村はそこが苦手だった。
「鋼の武士について、その後どうなったかと思いまして」
「一向に現れる気配はありません。比企の乱のときは期待をしたのですが――」
「中身はやはり――」
「畠山重忠殿です。だが、もう鋼の武士として現れることはないでしょう。残念ですが、戦う場がないまま終わりそうです」
義村は杯を置いて、海野を見た。
「海野殿、聞いてほしい。我が三浦には秩父党に衣笠城を攻められ、祖父上を打たれた借りが残っている」
「……借りを返すのは無理でしょう。御家人同士での争いは私闘になります」
「そうだ。だが、私も機があれば、海野殿と同じく畠山ら秩父党を討ちたい。そのぐらいの心持ちだ。海野殿には我々が同志ということを知っておいてもらえればよい」
「いや、私が討ちたいのは鋼の武士であって――」
まあまあ、と手で義村は海野をなだめた。
海野は話を変えた。
「遮那王は息災ですか?」
「衣笠城の中だけだが、好きにさせている。周りで江間義時の犬が嗅ぎまわっているので、外に出すわけにはいかないが」
「安達新三郎殿ですね。畠山殿とも親しい」
「そう、油断のならない奴だ。だから御曹司は上様の身に何も起こらなければ、死を迎えるまで城内で暮らすことになろう」
海野の眼光が鋭くなった。
「三浦殿が何か起こすのではありませんか?」
義村は海野の視線をかわすと、
「海野殿は誤解しておる。私は乱を好む者ではない。私が立ち上がるとすれば、御家人の不満が溜まったときだけだ。今はそのときではない。だが、幕府を守る者として備えはしておかねばならない。海野殿の神降ろしの弓も、私には必要だ」
「相手を射るかどうかは八幡大菩薩が決めます。それでよろしいか?」
――また、小難しいことを言う。扱いづらい男だ。
「私は正しさを求める男だ。それで構わんよ」
鎌倉・望月屋敷に畠山重保が贈り物を持参して挨拶に来ていた。
「上様の婚儀も終わりました。私は秩父に帰ろうと思います」
「先陣に喧嘩、京ではすっかり名を上げたらしいな」
「からかわないでください。すべては政範殿の身を心配したからです」
「喧嘩の相手が悪い。平賀武蔵守だ。ただでさえ、お前の父上と平賀殿の関わりには利害がある。余計な懺言をされないよう気をつけるのだな」
「望月殿もそうお考えですか。でも父上からは、恥じることをしていないのであれば言い訳などするな、と言われました」
うーむ、と望月は腕を組んだ。
「生き方としては尊敬できるが、多少の言い訳はしたほうが良いと思うがなあ。重忠殿も懺言で追い詰められたことがあった。秩父に変える前に江間義時殿には挨拶をしておけ」
「承知しました――帰る前に弓馬四天王に私の弓を見ていただきたいのですが」
「ふっ、弓よりも世辞が上手くなったな。いいだろう。しごいてやる」
望月は笑いながら重保を的場に連れて行った。