第70話 建仁三年(1203年11月~1204年10月) 実朝の嫁取り
「私が見誤っておりました。尼御台所様がこれほど己を殺せる御方だったとは。頼朝公が生きておられる間は、女子のことで感情のまま動かれていたのに――義時殿はわかっていたのですな」
大倉御所で江間義時と大江広元が、政子と実朝に頼家の死を報告して下がってきたところだった。
「いや、姉上の中で何かが変わられたのでしょう。私も頼家様に対して姉上が厳しくなれるかどうかは、疑っておりました。だが、書状の一件以降、将軍の後見人として物事をお考えになられるようになったようです」
以前、頼家から政子に書状が送られてきたことがあった。
“山に閉じ込められて暇なので、前に仕えていた近習を寄越して欲しい。また、(比企の乱のときに裏切った)安達景盛を私に引き渡してほしい”という中身だったが、政子は同意しなかった。
そればかりか、重臣たちが頼家の書状について、好き勝手させておくと乱の元になるので禁止させたいというと、政子は涙ぐみながらも反対することはなかった。
「頼家様を殺した武士、守れなかった武士など、数名の命は覚悟しておりましたが、誰も殺せとも追放しろとも言われなかった。それでいて、頼家様の御子たちの命は守る。道理もわかり、情もある。亀の前事件のことを覚えていて、不安がっていた御家人たちも、今では尼御台所様を信頼し始めている」
「では、幕府の権威は姉上の元に――」
「集めるのが理にかなっている。だが、尼御台所の一代限りの仕組みだ。新たな仕組みを考えねばならぬ。だが――それは、次の幕府を担う義時殿に任せます」
「大江殿――」
「これから私は朝廷に目を光らせる。土御門通親卿は亡くなったが、後鳥羽上皇は朝廷復権を諦めておられぬようだからな」
その後、義時と大江は実朝の嫁取りについて話した。
秩父の畠山館では、安達新三郎が本田貞親と阿火局に三浦半島での出来事を話していた。
「そう、三浦が隠していたのね。こんな近くにいたなんて思わなかったわ」
阿火局はため息をつく。新三郎は困り顔をした。
「今は衣笠城の中だろう。逃げた後は海に出てくることもなくなった」
「生きているならそれでいいわ。三浦が小次郎を守る理由は?」
「三浦義村は小次郎を義経様の子として扱っている。将軍家に何かが起こったときに利用するつもりだ」
「では、幕府が安泰の間は小次郎の身は大丈夫なの?」
「――どうだろうな。小次郎のことを幕府に知られたら、義村は小次郎の首を差し出すかもしれん。逆に謀反を起こしたときは旗印に使うだろう。その場合もおそらく小次郎には死が待っている」
三人が話している部屋に畠山重保が入ってきた。貞親が郎党に重保を呼びに行くよう命じていたのだ。
「それは、本当ですか?」
「間違いない。小次郎から重保殿に伝言を預かってきた。いずれ謝りに行くと」
重保はうれしそうな顔をした。
「そうですか――また小次郎に会いたいな」
貞親が厳しい顔をして言う。
「以前の小次郎では無くなっているかもしれん」
「それでもいい。あいつとは越後でともに初陣を飾った同志だ。いつかまた一緒に戦いたい。奪い返すときは私も加勢させてくれ」
新三郎は腕を組む。
「小次郎に逃げる気が無ければ難しいな。しばらくは義時殿に相談して、三浦を見張らせてもらうつもりだ。もちろん、小次郎のことは伏せてな。貞親、重忠殿には――」
「すでに若殿も知っている。話さなければなるまい。あまり殿には秘密を持たせたくないのだが……」
貞親は苦しげに答えた。
「もう京に憧れるようになるとは……。上様を朝廷から遠ざけていてもこれだ。尼御台所様に権威を集めることにして良かった」
大江広元は自邸で、使者に持たせる書状を書きながら、今日の事を振り返っていた。
頼家が殺された後、実朝が将軍として政務の場に出るようになった。重臣の合議では幕府安定のため、実朝の嫁取りも話し合われたのだが、重臣が推した足利義兼の娘を実朝は良しとはせず、京で教養のある才女を探すように命じたのだ。
実朝が京の女を求めたきっかけは和歌集だった。そこには頼朝の歌も選ばれていた。亡き父を追慕するために読み始めた実朝だったが、いつの間にか歌に傾倒し始めた。
そんな実朝には、歌とは無縁であろう上野国育ちの足利の娘は、嫁取りの相手としては見れなかった。
大江は嫁取りに関しての指示を記した書状を使者に渡すと、すぐに京へ発たせた。そして、文化の持つ人を引き寄せる力について考えていた。
鎌倉では流鏑馬、小笠懸、犬追物など騎射の文化は育ってきたが、武に関わるものしかない。奥州藤原氏のように京を模倣するやり方もいいが、大量の金があってこそだ。鎌倉にふさわしい文化とは――大江の頭の中に難問が一つ増えた。
「いつまで屋敷に引き籠っているつもりかしら。島津様は書物を読んでいるだけ、まだましだけど、若狭様ときたら――」
京・島津屋敷に姫宮がやってきた。姫宮は寝ている若狭忠季の足を踏むと、忠季はギャっと叫んで転がった。
「何をする! 謹慎している姿を世間に見せているのだ。なあ兄上」
「誰も若狭様のことなど見てはおりませんよ。それより島津様」
「どうしたのだ?」
「大江様から六波羅に将軍家の嫁取りの相手を探すように使者が来ました。後鳥羽上皇に近くない公卿で、歌の上手い女をお望みのようです。歌の名人・惟宗広言の子のお二人なら見つけられるのではなくて?」
忠季が起き上がって忠久を見た。忠久もうなずく。
「礼を言う。忠季、すぐに公卿を回るぞ」
「上手く行ったら、言葉じゃない礼を期待してますわ」
そう言って姫宮は去っていった。
数週間後、六波羅から幾人かの嫁取り候補が幕府に届き、その中から前大納言・坊門信清の娘が選ばれた。
実朝が、京へ迎えに行く者は容姿花麗な武士が良いと言い、有力御家人の若者から直々に選んだ。北条政範・畠山重保・結城朝光・千葉常秀・八田知尚・和田宗實・土肥惟光・佐々木盛季などである。
鎌倉・北条屋敷では牧の方が政範を励ましていた。
「御迎えの御家人の中ではあなたの官位が一番高いのです。堂々と先頭を歩むのよ。他の者に譲ってはなりません」
咳をしている政範を北条時政は心配そうに見ている。
「近ごろ政範は病がちだ。此度は無理に生かせなくても良いのではないか」
「いいえ、前のように大規模な上洛があれば良いけど、幕府にはその気は無いでしょう?」
「確かにそうだが……」
「政範を京の人間に覚えてもらうことなど、そうそう訪れません。目いっぱい着飾って見せつけてやらないと。時政殿が心配なら、私が後ろからついていってあげますわ」
「母上、おやめ下さい! 恥ずかしい。政範は一人で行けます」
「ふふっ、頼もしいわ。あなたは自慢の子よ」
畠山屋敷でも、重忠が重保を送り出そうとしていた
「父上、この黒色縅の鎧は地味ではないでしょうか」
重忠はギロリと重保を見た。
「くだらぬことを言うな。秩父で一番の馬を用意した。秩父党は馬で誇れ」
「は、はい。畠山の名に恥じないよう努めます」
「そうだ。畠山家の嫡男として名を惜しめ。それだけ心得ておけば良い」
十月十四日。坊門信清の娘を実朝の嫁として迎えに行くため、御家人たちは鎌倉を発った――。