第66話 建仁三年(1203年7~8月) 策謀家の片鱗
六月に阿野全成が処刑されてから、数日後、北条時政は三浦屋敷にいた。二人の前で舞っていた姫宮たちが一礼をして下がっていく。
「さすが鎌倉で評判の酒宴じゃ。このようにもてなされては、皆、口が軽くなりそうだ」
「ははは。買いかぶりすぎです。時政殿に聞かせるほどの話はありませんよ」
三浦義村は時政の問いを軽くいなす。
「しかし、酒宴に自ら押しかけてきたのは時政殿が初めてです。しかも人払いまでさせて。何事ですか」
「いや、不満を聞いてくれると聞いたのでな。ぜひわしの話も聞いてもらいたい」
「ふふっ、幕府の重臣の中でも長老格の時政殿になんの不満が?」
「比企がなぜかわしを疑っていて、困っておる」
――この古狸がぬけぬけと言うわ。
阿野全成の謀反は様々な憶測を呼んだ。全成の背後には必ず黒幕がおり、それは舅の北条時政以外に考えられなかった。
だが、政子が阿波局を守ったことで、頼家が調べても時政に繋がる証拠は何も出てこなかった。しかし、頼家の乳母夫の比企義員は諦めていない。お互い口にこそ出さないが、北条と比企の間には不穏な空気が流れていることは皆が感じていた。
「それは困りましたな」
「そうじゃ。わしとしても身を守ることを考えねばならん」
「三浦による仲裁をお望みか?」
「いや、三浦殿に不満を聞いてもらうだけで充分じゃ。良ければ三浦殿の欲しい物も聞いて帰りたい」
義村はしばらく考えた後、答えた。
「武蔵国の御家人の不満を聞きたいと思っています」
――武蔵守だと? 強欲な狐め。
時政は義村の強気を感じたが、欲深い相手なら取引ができるとも思った。
「武蔵は平賀義信の後を継いだ平賀朝雅がよく治めている。不満は出てこないだろう」
「そうですかな。私の聞いたところによると、義信殿は評判も良く、武蔵留守所惣検校職の畠山殿とも上手くやっていたようですが、朝雄殿は気負いすぎて、いろいろ問題が出ているとか――ああ、そう言えば朝雄殿は時政殿の婿でしたな」
「畠山も婿だ」
時政は渋い顔で答える
「これは失礼。朝雄殿は今の奥方の娘婿と言うべきでした」
それには答えず、時政は言った。
「国司の任命は朝廷を通さねばならん。朝廷を相手にしている大江殿がいい顔をすまい。しかし、守護なら幕府内の問題だ。何とかなる」
「私は望むものを言っただけです。どうかお気になさらずに」
その日はここまでで時政と義村の会談は終わった。
その後、頼家が急病で倒れるとすぐに時政が動いた。重臣の合議により義村を土佐守護に任命したのだ。
――武蔵守を貰うつもりが土佐守護とはな……。比企が馬鹿なせいで、古狸に安く買われてしもうたわ。
義村としては比企と北条の間に立って値を吊り上げるつもりだった。しかし、比企義員は義村を取り込もうとはせず、義村を北条方と見て警戒するだけだった。また、頼家を己の手に握っている自信なのか、御家人たちに根回ししている様子も無かった。
比企を見限った義村は時政と密談を交わすようになっていった――。
八月になると頼家の病はさらに悪化し、意識も定かで無くなってきた。
八月二十七日には最悪のことを考え、重臣たちは後継者について合議をした。時政は一時的に弟の源実朝が将軍職を務め、後に頼家の息子・一幡に譲るという案を主張したが、比企は実朝と一幡が六歳しか年が違わないことを理由に実朝ではなく、すぐに一幡に将軍職を譲るよう主張した。
しかし、重臣たちの大半は時政に同調するか、黙るだけであった。孤立した比企に対して、江間義時が妥協案を提示する。関西三十八カ国の守護職を弟の実朝に、関東二十八カ国の守護職を一幡に相続させ、共同統治しようというものだ。
黙っていた他の重臣たちもこの案に賛成した。比企としてはこの案を受け入れるしかなかった。
重臣たちの合議の後、鎌倉・北条屋敷に時政、義時、三浦義村が集まった。
義村は義時と時政を見て言った。
「寡黙な義時殿があのような事を言い出すとは驚きました――時政殿も意地が悪い。義時殿が、あのようなことを言うなど聞いておりませんでしたぞ。正直、義時殿が発言したときは、親子仲が悪いのかと冷や冷やしました」
「いや、わしも驚いた。勝手なことをしおって」
「あの場はああでもしないと収まらないかと――」
「義時殿の言われる通りかもしれん。あのまま押し切れば、比企はすぐにでも戦支度をしそうな勢いだった。黙っていた者たちも、戦になればどっちに付くか怪しいものだ。だが、義時殿の妥協案は比企以外の皆が納得しやすいものだった」
義村は取り成すように言った。
時政が腕を組んで言う。
「さて、これで比企が納得するかのう」
「御所を出る時は怒りに震えていた。屋敷に帰って悔しがっているでしょう。もしかしたら時政殿と義時殿に一芝居打たれたとおもっているかもしれませんな」
「ふむ。これで比企はわしを殺すしか手は無くなった」
「いや、上様が病から回復した場合はわかりませんぞ。上様の名を持って上意討ちにくる手もある」
「その前にけりをつけるのが上策じゃのう」
「討つ理由は?」
「謀反の罪を着せる」
「それは難しい。上様のお側には嫡子を産んだ比企の娘が看病している。比企義員は近づけても、我らは近寄らせてもくれないでしょう」
「上様は意識が定かではない。命令はすべて嘘じゃ、と言い張ればよい」
「では、こちら側は誰が比企討伐の命令を下すことになるのですか」
「義時、尼御台所は味方にできるか?」
時政はそれまで黙っていた義時に顔を向けた。
「一に上様の命の保証。二に父上が危ない場合は味方してくれるでしょう。そのためには比企殿から先に仕掛けさせねばなりません」
「先手を取らせるのか。機を見誤るとこっちが滅ぼされそうじゃ」
「それに、大江殿はまだ上様を守ることを諦めてはおりません。姉上と同じく、大江殿が父上に味方しなくてはいけない状況を作らねばなりません」
大江は持っている兵こそ少ないが、文官たちを束ねており、重臣の中原親能、二階堂行政、三善康信もその影響下に置いている。また彼らは幕府を運営するためには必要な者たちだ。大江は官位も御家人の中で頭一つ抜けている。
「うむ。大江を殺すようなことがあれば、せっかく実朝様を将軍しても幕府は混乱しよう。それは避けねばならん。しかし、どうやってその状況を作る?」
義時は少し間を置いてから口を開いた。
「上様が亡くなったという使者を京に送りましょう。同時に実朝様の将軍職の宣旨ももらいます。そうなったら、大江殿も幕府を割らないために、上様を守ることを諦めるでしょう」
「病が篤いとはいえ、まだ上様は生きておられるのだぞ! もし病から回復したら、我らが謀反人になるではないか!」
立ち上がって叫ぶ義村に、義時は冷静に答える。
「御心配には及びません。上様が回復する前に相手を滅ぼします。朝廷に使者を送ったと噂を鎌倉中に流せば、比企殿の暴発も誘えるでしょう」
怖ろしいことをさらりと言ってのける義時を見て、義村は唾をごくりと飲み込んだ。
――江間義時とはこういう男だったのか! 古狸より油断ができぬ。時政のような老獪さこそないが、鋭さと物事に動じない強さがある。
時政は義村を座らせてから、口を開いた。
「尼御台所はどうする? 上様の命の保証をせねば動かないのではないのか?」
「出家で手を打ちます」
「そうするしかないか……。三浦殿、義時の策をどう思う?」
「良いでしょう」
三人はその後、朝廷に送る使者について話し合った――。