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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第四部(最終部) 本田貞親の子
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第65話 建仁三年(1203年1~7月) 苦肉の策

 小次郎が畠山屋敷から飛び出してから、一年を過ぎても消息は分からなかった。阿火局は鎌倉だけではなく、弟たちがいる京や若狭まで足を伸ばしたが、見つけることはできなかった。


 義父の本田親恒(ちかつね)にも使者を出したが薩摩には来ていないということだった。心労で寝込んでしまった阿火局に対し、夫の本田貞親(さだちか)は優しく慰めた。


「まだ殺された知らせも無ければ、捕えられたという話も聞こえない。生きていれば、いつか合える。だから今は療養せよ」


――ここにも心を痛めている母親いる。


 側にいた新三郎は、政子のことを思い浮かべた。最近の政子は頼家の愚痴ばかり言っている。


 毎日のように蹴鞠に熱中する頼家に、政子は何度も注意するのだが、その場は止めるだけで、次の日にはまたいつも通りやっている。政治のことは重臣たちに任せっぱなしだ。江間義時をはじめとする重臣が、誰も頼家に諫言(かんげん)しないのも政子には面白くなかった。



 新三郎が阿火局の寝所から出て廊下を渡り、畠山重忠と義時がいる部屋に入ろうとすると、重忠のしみじみとした声が聞こえてきた。


「頼朝公のときは良かった」


「失礼。そのようなことは言わないほうがいいですよ、重忠殿。懺言者につけこまれます」


 そう言って部屋に入ると新三郎は義時の隣に座った。義時は笑う。


「心配するな。結城朝光のように“忠義の士は二君に仕えず”などとを言っているのではない。なあ、重忠」


「頼朝公のときにあった、歌会がめっきり減ったのを惜しんでおるのだ。義時は昔から付き合いが悪いし。上様は蹴鞠以外に興味が無いのか?」


「ああ、大江殿がそうしてしまった。上様も気づかないうちにな」


「なぜ、そのようなことをする?」


「重忠も知っているはずだ。上様は政治が得意ではない。御家人からも不満が出ていた」


 重忠は寺社の所領争いを頼家にお願いして酷い目にあったことを思い出した。


「しかし、この一年。蹴鞠のことの他に上様の悪い噂を聞いたことがあるか?」


「確かに思い当たらんな。なぜだ」


「上様に政治をさせていないからだ。不満など出るはずがない。恐れながら今の上様の世界は屋敷の庭だけだ。それも上様が望んでそうなっている」


「どうせなら、歌会を熱心させてくれれば良かったがな」


 重忠は冗談を言った。


「歌会は舞と切り離せないからなあ。舞があれば遊女もくる。上様は頼朝公に劣らず、女好きだ。手を出して外に将軍の子ができれば、後の政治にも影を落とす。そして何より、姉上が許さない。尼御台所様は女遊びにはとりわけ厳しいからな――前に姫宮という京一番の白拍子が売り込みに来たが、大江殿は上様にも会わせずに追い返した」


「なあ、義時――大江殿がしていることは、忠義と言えるのか?」


 重忠が真剣な顔で聞いた。


「上様を守っているから忠義であろう。上様と取り巻きの好きに政治を任せたら幕府は持たない。幕府が無くなれば上様の立場も危うい。大江殿の苦肉の策だ」


「それでは政治は重臣だけで行っていることになる。同じ御家人の命令を聞くのは面白くないのう。わしの忠義が利用されている気がする」


「それが大江殿のもう一つの狙いだ。今まで上様に向かっていた不満の矛先が重臣に変わる。これでさらに上様の安全は保たれる。さらにもう一つ。重臣の中には野心を持つ者も幾人かいる。その者たちは御家人たちの評判を気にする。人望を落として重臣から引きずり落とされたくはないからな。そうなると、公平な政治を心がけるようになる」


「そういうものか。まあ上手く行っているのであれば、良い策なのだろうな」


 義時は首を振る。


「重臣たちの均衡が保たれている間はな。はじめ、大江殿は将軍の権威の下、重臣の結束をもって幕府の安定を図ろうとした。しかし、梶原騒動の後は結束させることを諦め、重臣の力を均衡させることで安定を保とうとしている。だが――」


「難しいのか?」


「均衡はいずれ崩れる」


 部屋の中を沈黙が支配した。


 重忠は新三郎に聞いた。


「大姫様が生きておられるとき、おぬしは大姫様に懸命に尽くしていた。大姫様が亡くなった今、おぬしが尽くすべき相手は見つかったのか?」


「今はまだ――」


 新三郎は目を伏せた。重忠は続ける。


「わしは頼朝公が亡くなった後も変わらず、上様に忠義を尽くせるものだと思っていた。そして、その通りに尽くしていた。しかし、今はわしの清廉潔白な心に靄がかかっている」


「すまない。私が余計な話を聞かせすぎたせいだな」


 義時は申し訳なさそうに言った。重忠は笑う。


「そう思うのなら、責任を取ってもらおう――義時よ、わしはおぬしに従うことにする。どうせ重臣たちが政治を決めるだろう? ならば、友であり義兄弟のおぬしが良い」


「忠義の武士が、忠義を捨てるのか?」


「わしは武士として美しく生きたい。忠義もそのためだ。迷う忠誠などこの重忠の心が許さぬ。それに忠義の忠を捨てても義は残っておる」


 重忠は義時の杯に酒を注ぐ。


「そろそろ、政治の先陣に立て。先を見通せるおぬしならば、間違いのない政治ができるはずだ」


「また、重忠の煽りがはじまった」


 重忠が膝を叩いた。


「そうだ! おぬしが天下を取れば、わしは忠義を尽くした男になるではないか。おい義時、わしの生き方の帳尻を合わせろ」


「虫のいい男だ」


 そう言うと、二人は笑いあった。




――昔の全成殿はこうではなかった。


 阿波局は夫・阿野全成(あのぜんじょう)を思うとため息をついた。全成は頼朝の他の弟たちと違い、頼朝の旗揚げのときまで、寺にいたために弓馬よりも書が得意だった。そんな全成に頼朝は戦に出ろと命じず、大倉御所で文官や奥向きのことをさせていた。


 頼朝の弟なので誰かの下につけるというわけにはいかず、役目も多くは無かった。しかし、全成は不平を言わずに仕え、義経が討たれてからは、義経の同母兄である全成はさらに控えめになり、まるで存在を消しているかのように生きていた。


――だからこそ、殺されずにいたのに。


 それが、源実朝(さねとも)の乳母夫になったあたりから、少しずつ変わり始めた。その変化を見逃さなかったのは、父の時政だった。父が梶原景時を追い落とすから全成を呼べと言われたとき、阿波局は話す相手を間違えてないかと耳を疑った。


 阿波局の予想に反し、全成は身を乗り出して賛成した。そればかりか景時への恨みを延々と語り始めた。弟・義経を讒言で殺したこと、その後も執拗に景時が自分の粗探しをしていたことを。阿波局も全成の辛さに気付かなかった申し訳なさもあって加担した。


 景時潰しの本当の目的が頼家を倒すための初手だと気づいたときには、もう毒薬を握らされていた。目の前には頼家暗殺を励ます全成がいた。


 全成はもう実朝将軍擁立に夢中になっていた。今までの控えめな性分が嘘のように、御家人たちの屋敷を訪ね歩いた。三月に頼家が病気になったときは、阿波局が頼家に毒薬を飲ませていないと、どれだけ言っても、「上様に何かあったときには実朝を」と先走り、挨拶して回っていた。




 その結果、六月に全成は謀反の罪で常陸に流された後、処刑された。京にいた息子も同じだった。


 全成が挨拶して回った御家人のうちの誰かが、頼家に告げたのだろう。阿波局は全成が謀反の罪で捕まったとき、大倉御所で政子といっしょにいたために難を逃れた。尋問したいという頼家の使者に対し、「そんな大事なことを女子が知るわけがないでしょう」と言って、その身を渡さなかったのだ。

 

 全成の死後、牧の方が「頼家に復讐をしなければね」と言ってきたが、阿波局は曖昧にうなずいただけだった。元は言えば全成が仕掛けなければ、処刑されることもなかったのだ。


 そして、阿波局に危機が及んだときに助けてくれたのは、父の時政ではなく、姉の政子だった。その日、阿波局は毒薬の入った小壺を捨てた。



 七月二十日。頼家が病で倒れる。大江が必死で守ってきた均衡に、綻びが見え始めていた――。

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