第64話 建仁元年(1201年7~12月) 三浦の庇護
「どうです。いい小袖や直垂ばかりでしょ?」
鎌倉・北条屋敷では姫宮が牧の方に頼まれて、京から持ってきた衣を何枚も拡げていた。牧の方は見比べて、今年で十二歳になる北条政範を呼ぶ。
「次はこれを着てみて」
政範は疲れた顔で応える。
「母上、これで八着目ですよ。もうこれで良いでは無いですか。私は着せ替え人形ではありません」
「あら、そんなに着せたかしら。でもあなたも来年には官位をもらい朝臣になるのです。ふさわしいものを着なければ――だいたいどの衣も決め手に欠けるのよ」
姫宮は書状を拡げて文句を言う。
「まあ、相変わらず口が悪いこと。ほら、これを見てください。あたしは牧の方様に頼まれた物を持ってきただけです。全部買ってもらいますからね!」
「あまり、欲深いと極楽浄土に行けなくなるわよ」
「磯野禅尼が亡くなった後、禅尼の弟子たちを食べさせなくてはいけないのです。死んだ後にどこへ行くかなど、気にしている余裕はありませんわ」
「だから、三浦義村に飼われに来たの?」
「そうです。三浦様はどなたかと違って気前が良いですからね。一年間、庇護してくださるばかりか、船作りもお願いしてくださいましたわ」
「それは良かったわね。抱かれまくって、身体を壊さないよう祈っているわ」
それまで黙って聞いていた政範が言う。
「母上。いくらなんでも姫宮殿に失礼です。私はこれで下がらせていただきますよ」
部屋から出て行く、政範の背に姫宮が声をかける。
「ありがとうございます。政範様は良いご気性で。誰かに似なくて良かったですわねえ」
牧の方は手をひらひらさせて言った。
「もういいわ。やりあいはこれぐらいにしておきましょう。ところで痣丸の船には乗ったの?」
「ええ、もちろん。一番初めに乗せてくれる約束でしたから」
うれしそうに姫宮が言った。
「あれは、北条の船なんだけど……。まあいいわ。出来のいい船だと時政殿も褒めていたし」
「当然です! あたしを惚れさせる才能の持ち主ですよ」
すっかり姫宮は上機嫌になった。
「はいはい。痣丸が凄いのはわかったわ」
牧の方は姫宮ののろけを受け流すと、姫宮に問うた。
「さっきの三浦に庇護してもらうって話だけど、頼家のところには行かなかったの? 金なら将軍家のほうが持っているじゃない」
「今は蹴鞠に夢中で舞などに興味は無いみたいですよ。牧の方様もお聞きでしょう? 蹴鞠の奥義を極めるためと言って、百日連続の蹴鞠を誓ったり、大江殿を通じて京から蹴鞠の達人を呼んでみたり。白拍子は遊女としてしか呼ばれてないようですよ。そんなのあたしの意地が許しませんわ」
「三浦は違うの?」
「ええ、御家人たちを呼んで酒宴を開かれるのが好きなようで、そのとき、白拍子の舞をお見せします」
「そう……」
牧の方は考える仕草をした。姫宮は先回りして言った。
「三浦様が御家人たちと良からぬことを考えている様子はなさそうですよ。あたしが見たところ招いた御家人の不満を聞いて慰めているだけのようですから。世の中にはああいうことが好きな方もいるのですね」
「不満ねえ……」
「北条家に対する不満があるか気になります?」
いたずらっぽい瞳で姫宮は聞いた。
「いいえ。そんなものを気にしていたら、他に出し抜かれるだけ」
「牧の方様らしい。でもそんな姿があたしは好きですよ。芸も同じです」
「知ったような口を聞くようになったわね。少し飲んでいく?」
「ええ、喜んで」
仲が良いのか悪いのか、二人の酒宴は夜まで続いた。
――本当に俺は源義経の子なのかもしれない。
眼の前に平伏している武士たちを見て小次郎は思った。
三浦半島にある衣笠城の大広間の一段高い上座には、正装した小次郎を挟むように三浦義村と海野幸氏が、下座には三浦一族の有力者たちが五十人近く座っていた。
海野屋敷に三浦義村と名乗る武士がやってきて、あなたは源義経殿の子だと言われたときは、何が何だか分からず、とても信じることはできなかった。海野幸氏に静御前の子で自分が助けたと言われても疑いは増すばかりで、衣笠城に来るまで逃げる隙をずっと伺っていたのだ。
しかし、海野からは逃げる隙を見つけられなかった。そして、数日間軟禁された後、今まで着たこともない正装をさせられて、大広間に連れてこられたのだ。
――静御前に生き映しだ。
――おお、確かに。
下座から、ざわめきが聞こえる。義村は咳払いをしてから話はじめた。
「かつて平家全盛のころにも、源氏の血を隠れて保護する豪族はいくつもいた。後日を期して、と考えた者もいれば、憐れと思って助けた者もいた。今、小次郎御曹司の正体が幕府に知られれば、間違いなく上意討ちされるであろう」
義村は拳を振り上げて、訴え続ける。
「だが、それは私の仁愛の心が許さぬ! そもそも、義経公が逆賊とされたのは梶原景時の懺言ではなかったか。その景時も私が弾劾して罪を明らかにし、誅殺された。ならば、義経公の子に罪などあろうはずが無いではないか! 三浦一族の当主として命ずる。御曹司を保護するのだ!」
義村の言葉は義侠心にあふれたものだった。下座からは、おう! と応える声が相次ぎ、中には感動して涙を浮かべる者までいた。
小次郎はというと、事の成り行きをただ黙って聞いているしかなかった。
義村は誓紙を出して言った。
「この秘密を他に漏らすことを禁ずる。例え分家の和田であってもだ。わかったものから誓紙に名を書け。私は御曹司とともに奥に下がる」
三浦一族が一斉に頭を下げる。この後、皆、署名し花押を記していくのだろう。
奥の間に下がると、小次郎は場の緊張から解放されてぐったりとなった。
「御曹司。慣れないことで、お疲れになったでしょう」
いつからか義村は小次郎のことを御曹司と呼んでいる。
「いえ、俺はこれからどうなるのですか?」
「この城で暮らしてもらいます。鎌倉では三浦一族といえども守りきれません」
「閉じ込められるのであれば、薩摩にいたときと変わらない。それは嫌です!」
義村は内心舌打ちをした。
――わがままな所は義経に良く似ておる。しかし、今はなだめねばならん。
「それでは、水軍の指揮を取っていただきましょう」
「良いのですか!」
小次郎は目を輝かせた。
「お父上の義経公は壇ノ浦で平家を全滅させたほどの将軍でした。なんで、義経公の血を引く御曹司ができないことがあるでしょうか」
小次郎は何度もうなずく。
「ただし、それにはまず船の操舵と構造をよく学んでおかねばいけません。それに風と海にも詳しくなる必要がございます」
「その通りです!」
「そのためには時間がかかります。ちょうど今、痣丸という腕のいい船大工がやってきているので、いろいろ聞くと良いでしょう。船の操舵に詳しい者もお側につけるようにいたします」
「よし! 源氏の名にふさわしい、大将になってみせます!」
「良いお心掛けです。さあ、今日はもうお疲れでしょう。お休みになられると良い」
義村は侍女を呼ぶと、小次郎を寝所に案内させた。
――あれは悍馬かもしれん。扱いを間違えると乗り手が危ない。
義村は郎党に小次郎の監視の人数を増やすように命じた――。