第63話 建仁元年(1201年6月) 小次郎出奔
鎌倉・畠山屋敷では、畠山重忠が座を立とうとしていた。
「わしのほうはこれで終わりだ。これで失礼する」
本田貞親親子と望月重隆は庭で白目をむいて伸びている畠山重保を気の毒そうに見ていた。重忠が部屋から出ていってから、貞親は頭を下げた。
「越後での心使い、感謝する」
「たいしたことはしておりません。小次郎を叱らないでください。若者にはよくあることです。初陣で武者首を一つあげましたよ。立派なものです」
誇らしげな顔をする小次郎に、貞親は厳しい顔をみせる。
「そういうわけにはいかん。勝手に動くことがいかに許されぬことか、しっかり教えこまねばならん」
「首を取ったからいいではないですか! なぜ、褒めてくれないのです!」
小次郎は声を大にして言った。貞親は諦めるように言う。
「この通り、どれだけ叱っても、どれだけ殴ろうともわかろうとせぬ」
貞親は阿火局と顔を合わせる。阿火局は言った。
「小次郎。明日、私といっしょに薩摩に発つのよ。今から支度をなさい」
「嫌です! 何で鎌倉から追い出そうとするのです。父上は私が嫌いなのですか!」
「いい加減にしなさい!」
阿火局は激しく小次郎の頬を打った。
「なぜ、わかってくれないの……」
涙を浮かべる阿火局に、小次郎は立ちあがって言った。
「わかってくれないのは、父上と母上です。小次郎は鎌倉から離れません!」
庭に降り立つと、そのまま走って屋敷の外に出て行った。
苦虫をかみつぶしたような顔の貞親に望月が言う。
「いっそ、本当のことを話したほうが良いのではありませんか?」
「源氏の血統であるということをか? 望月は知っているはずだ。源氏の血が長生きできないことを」
「頼朝公の弟である阿野全成殿のような例もあります」
阿野全成は義経や範頼が粛清さえていくなか、表舞台には立たず裏方にいることで生き残っていた。
「阿野殿のように生きるには、まず出家して野心が無いように見せねばならん。小次郎にそれができると思うか?」
望月は何も言えなくなってしまった。
海野が三浦屋敷に挨拶に行くと丁重にもてなされた。
「越後では相当活躍されたと聞く。今、京で評判の姫宮一座を呼んでいる。楽しんでいかれよ」
三浦義村は酒宴の準備をさせようとすると、海野は手を上げて止めた。
「いえ、今日はお願いしたいことがあって参りました」
「ほう、遠慮なく申されよ」
「鎌倉の中で左腕を怪我している武士を探しています。義村殿の耳にそのような者の情報が入ったら教えていただきたい」
義村の目が光る。
「例の鋼の武士と関りが?」
「確証はありませんが、手掛かりにはなるかと――」
義村は家人を呼ぶと、何か話していた。
「実は一人心当たりはあるのだが、ここだけの秘密にしてもらいたい」
海野がうなずくと、義村は話しだした。
「ある理由が合って、畠山を調べさせている。一カ月ほど前に、重忠の嫡男・重保と本田小次郎が秩父へ行き、帰ってきたときには、重保が左腕を怪我していたと報告があった」
「――それだけ聞ければ充分です」
「当たりかな」
「恐らくは。返礼になるかは分かりませんが、義村殿の手柄になるかもしれない秘密を一つ話しましょう」
「それはありがたい。ぜひお聞かせ願おう」
「本田小次郎は、源義経の息子です。由比ヶ浜で殺されたことになっていますが、生きています」
「まさか? にわかには信じられんな。証拠はあるのか?」
「顔が静御前と瓜二つです。それに――」
海野から表情が消えた。
「私が由比ヶ浜で助けました」
義村は息を飲んだまま、しばらく何も言葉を発することができなかった。
「理由は聞かないでおこう。それが秘密を打ち明けてくれた友に対する礼儀だと考える」
「ありがとうございます――ただ、いずれ誰かが勘づくでしょう」
「海野殿にお願いがある。さきほど、畠山重保のことを言ったが、他にも畠山の周りで異変が起きている。本田小次郎が屋敷を飛び出し、本田家の郎党が探し回っている」
義村は言葉を続ける。
「しかし、この義村は居場所を知っている。畠山屋敷の周りを調べていた郎党が小次郎の後をつけたのだ。今は南御堂に隠れている――どうだろう? 少しの間、海野殿の屋敷で匿ってもらえぬか。私がいきなり行っても小次郎は警戒するだろう。それよりも、若い武士の間で評判の海野殿が声をかけたほうが安心する。支度が整い次第、私が小次郎を迎えに行く」
「殺すか捕まえて、幕府に突き出すことはしないのですか?」
「そうなると、海野殿まで罪の追求が及ぶかもしれん。小次郎を利用することができないか考えたいのだ」
「良いでしょう。小次郎がいるところは南御堂ですね」
海野はすぐに行動に移すと言った。
――何でこうなってしまったのだろう。鎌倉に知っている者もいないし。
南御堂では小次郎が途方にくれていた。啖呵を切って出てきたものの行く当てはない。ただ、このまま薩摩に帰るのだけは嫌だった。両親を見返してやりたい思いもあった。
重忠の拳骨を喰らって伸びていた、重保を思い出す。
――若殿には悪い事をしたな。いつか謝らないと。
人が近づいてくる音がした。隠れようとする小次郎を呼びとめる声がした。
「本田小次郎ではないか」
小次郎が振り向くと憧れの武士である海野がいた。
「私の名を知っているのですか!」
「越後で武者首を取っていただろう。勇者の名は頭に残るものだ」
ここに認めてくれる人がいた。しかも、神降ろしの弓・海野幸氏が!
「ここで何をしている。良ければ力になろう」
小次郎は今までの事情をすべて話した。海野は聞きながら、貞親たちが呼んだのではなく、勝手に薩摩を抜け出したことを知り、貞親たちが小次郎の存在を隠すために、親子関係がこじれてしまったことを悟った。
「では、私の屋敷に来ないか? いくらでも居て構わない」
「本当ですか!」
海野に褒められて舞いあがっている小次郎は、何の疑問も持つことなく、海野の屋敷に連れられて行った。
新三郎の屋敷に阿火局が訪れていた。思いつめた顔で阿火局が言う。
「もっと、薩摩で一緒にいてあげれば、こうならなかったかもしれません」
新三郎は囚人の身から許されて屋敷に戻っていた。今の役目は義時や政子の近侍で、大倉御所に詰めている。
「正面切って親子喧嘩できるだけ、まだいいさ。尼御台様と上様などは使者を行き来させて喧嘩している。上様も果たして姉の大姫様や、妹の乙姫様としっかり話し合ったことがあったかどうか――御所の中は冷え冷えとしている。果たしてあれは家族なのか……」
大姫との別れがあってから、新三郎は世の儚さばかり考えるようになっていた。阿火局は新三郎がどこかへ消えてなくなりそうな気がした。
「兄上……」
「心配するな。俺も探してみよう。小次郎は俺にとっても家族のようなものだからな」
新三郎は笑顔を作って応えた。