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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第四部(最終部) 本田貞親の子
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第59話 正治元年(1199年10月~1200年1月) 梶原弾劾

 鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうに集まった多くの御家人を目の前にして、三浦義村(みうらよしむら)は、今までに味わったことの無い高揚を感じていた。


――俺は天下人の器なのかもしれない。


 始まりは親友の結城朝光(ゆうきともみつ)を救うためだった。


 大倉御所で結城朝光が周りと話しているときに、故頼朝を偲んで、「上様が亡くなったときに、出家していれば良かった。故事には忠臣は二君に仕えず、という言葉もある」と言ったことが、梶原景時から悪意を持って頼家に伝えられ、頼家が激怒したのだ。


 頼家と景時の会話を政子の妹である阿波局(あわのつぼね)が立ち聞きし、結城にこのままでは命が危ないと告げた。


――そんな意味で言ったのではないし、言葉ぐらいで、罪にはなるまい。


 結城にはそう言い切れる自信は無かった。頼家が妾のことで安達を上意討ちにしようとしたことは、まだ記憶に新しい。狼狽した結城は親友の三浦義村の屋敷に駆け込んだ。


「事態はすでに動き出している。よほどの策が無ければ、災難は避けられないだろう」


 義村は話を聞くと、深刻な顔をして言った。その後、憤りはじめた。


「それにしても、文治ぶんじ以降(1185年~)景時のやつは、何人もの御家人を讒言(ざんげん)で殺し、所領を奪った。今でも恨みに思っている者や子孫が何と多いことか。このままやつを好きにさせておくにはいけない。戦を仕掛けてやりたいぐらいだが、まずは長老たちを呼んで話をしてみよう。景時退治に乗るかもしれん」



 義村はすぐに各所に使いを出すと、和田義盛(わだよしもり)安達盛長(あだちもりなが)がやってきた。義村が事の一部始終を話すと、喜んで賛成してくれた。和田が言う。


「我らと同じ恨みを持っている者で連署状(れんしょじょう)を作って、上様に訴えようではないか。あの讒言者は重用されるべきではない。訴えた後、上様の様子をみて、何もしてくれないようであれば、連署状の御家人たちで景時と戦おう」


 安達がうなずいて言う。


「さて、連署状の人を集めるときに大事なのは文章だ。下手なやつでは困る」


「それならば中原仲業(なかはらなかなり)が良いでしょう。頼朝公の祐筆(ゆうひつ)だけあって、文章が巧みだ。何より景時への恨みが深い」


 義村はそう言うと、仲業を呼びに行かせた。



 走ってきた仲業は、話を聞くと膝を打って言った。


「この筆で長年の恨みを晴らしてくれる! 腕が鳴るわ!」



 それが昨日のことである。今、義村の目の前には御家人・六十六名の名前が記された連署状が拡げられている。たった一日でこれだけ集まるとは義村も思わなかった。景時が頼家を動かしたとしても、抑えきることができない数だ。


――機と目的さえ誤らずに動けば、これだけのことができる。皆に怖れられていた、梶原景時をこんなに簡単に……。


 人々の不満を操る快感とその力の大きさ。これまでは有力御家人の嫡男として満足していた義村の中で、何かが変わりつつあった。


 それだけ景時が恨まれていた証拠でもあるが、景時を怖れて署名しない者もいた。長沼宗政は今回の事件の当事者・結城朝光の兄にも拘わらず、花押(かおう)は記さなかった。また北条時政、江間義時の名前も無かった。


 中原仲業が皆の前で内容を読み上げた後、皆で景時を弾劾することを誓いあった。連署状は和田と義村が大江広元に託すために持っていった――。




――頼朝公が亡くなってから一年も経っておらぬにこれだ。連署状の中には、三浦・安達・足立・和田・八田・比企の名前もある。景時のことだとしても、なぜ十二人で話す前に動く? これでは共犯になる形で、固い盟を結んだ意味が無いではないか。


 大江は幕府の先を考えると憂鬱になった。おそらくこれははじまりに過ぎない。連署状の内容を見ても“鶏を養う者は狸を飼わず、家畜を飼う者は山犬を育てぬ”など、具体的な証拠を上げてくるのではなく、諫言(かんげん)にみせてただ梶原を罵っているだけだ。


 そもそも景時の讒言というのも、頼朝と大豪族を解体するために阿吽の呼吸でやっていたもので、すべて景時のせいだというのは間違っている。大豪族が細かく分かれた後に、頼朝が保護をする。結果、景時は憎まれ、頼朝は人望が高まった。


 つまり、景時は頼朝の半身だったのだ。ただ、景時は頼朝に可能な限りの選択肢を与えようと讒言をしすぎた。そして、頼朝は讒言の内容を見極めて、危険な相手以外は聞き流していたし、御家人たちの感情を見ながら、判断を変えられる能力と観察力があった。


 頼朝と景時が作った“謀反の嫌疑をかけて罰する。無罪が証明されても、罪に問われたことを恨んで謀反する危険があるということで討つ”という、疑いをかけてしまえば決して相手を逃さない手法は、扱う者が頼家だと危険でしかなかった。大江は合議制があるから心配ないと説いていたのだが、重臣たちは安心できなかったようだ。


――皆の気持ちもわかるが、梶原景時は有能な男。何とか丸く収めたいが……。


 智者の大江でも良い案は浮かばなかった。六十六人という数は個別に説得するには多すぎる。彼らの扱いを間違えれば頼家の身も危なくなり、幕府の危機となるだろう。大江は頼朝の死後、鎌倉の不安定な姿を京の朝廷には見せたくはなかった。




 十日過ぎても、大江は悩んでいた。すると、運悪く大倉御所で和田義盛に捕まってしまった。部屋で座って向かい合い、頼家の反応を聞く和田に対して、まだ見せていないと返答すると和田は激怒した。


「景時の権威を怖れ、皆の不満を放っておく。これが幕府の法か!」


「そうではありません。ただ、あれを上様に出せば梶原家が滅ぶかもしれない。それが惜しいのです」


「納得できぬ! 今ここで、上様に見せるか否か決めてもらいたい!」


「……上様に、申し上げましょう」


 大江は諦めたように言うと立ち上がった。




 その二日後、大江は景時のいる前で頼家に連署状を渡した。頼家はさっと目を通した後、景時に渡した。顔を強張らせながら読む景時に頼家は一言しか言わなかった。


「この中身について言うことはあるか」


 景時は黙って頼家をしばらく見た後、大倉御所から下がっていった。


 次の日になっても弁明はせず、一族を引き連れて所領の相模一宮に移っていった。謹慎の姿を御家人たちに示したのである。



 十二月九日。景時は様子を見るため、鎌倉に一度戻ったが、御家人たちの不満は収まっていなかった。景時の処遇に対し、大倉御所では連日に渡って合議が続けられた。頼家と大江は景時を庇いきることができないまま、十八日には鎌倉追放の上、景時が持っていた播磨国の守護職も取り上げられる決定が下された。


 梶原屋敷は和田と義村によって取り壊され、その木材は永福寺に寄付された。


 翌正治二年一月二十日。梶原の一族郎党が謀反のために上洛したという一報が大倉御所に入る。ただちに三浦義村・比企義員(ひきよしかず)をはじめとする追討軍を編成したが、追いつく前に景時たちは討ち取られていた。


 景時らは上洛の途中に、弓の技比べのために集まっていた駿河国の御家人たちと遭遇。怪しんだ駿河の御家人から弓を射かけられ戦闘になった。騒ぎを聞いて駆け付ける御家人の数も多く、梶原の一族郎党三十三名はその日のうちに皆討たれてしまった。




 鎌倉・北条屋敷では今回の騒動には加わらず、高みの見物をしていた時政が言った。


「三浦の若造もなかなかやるではないか。とはいえ、仕掛人がおぬしらだと気づかないあたりはまだまだ青い。なあ阿波局(あわのつぼね)


 部屋には時政の娘の阿波局のほかに、夫で亡き頼朝の異母弟である阿野全成(あのぜんじょう)。それに牧の方がいた。


「これで実朝様が将軍に近づけたのでしょうか?」


 阿波局は不安そうに言う。夫の阿野全成が肩を抱いて落ち着かせる。


「大丈夫だ。お前は頼家様の右腕をもぎ取ったのだ。残る左腕は乳母夫の比企義員(ひきよしかず)


 牧の方が励ますように言う。


「そうよ。比企義員さえ除けば、将軍は実朝様のもの。乳母夫のあなたたちが外戚(がいせき)として実権を握れるわ。私も母としてぜひ手伝わせてね」


「そうだ。私は頼朝公の弟なのにも関わらず、兄が怖くてずっとおとなしくしていた。やっと巡ってきたこの機を逃したくない」


 阿野全成の鼻息は荒い。


「こういう物もあるわ。人をゆっくりと時をかけて弱らせる薬。なぜか源氏にはよく効くみたい」


 牧の方は微笑みながら小壺を差し出した。阿波局は恐る恐る受け取った――。

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