第55話 建久八年(1197年8月) 泣き若狭
一年前、島津忠季は若狭国に大きな所領をもらい、若狭守護にもなった。兄が所領の地名を名字に変えたように、島津忠季も名字を若狭に変えた。母のである丹後内侍と頼朝が親しいこともあって、兄共々厚遇されている。
――上様には返しても返しきれない恩ができた。人一倍の忠義を見せねば! 間もなく、上様が京に入られる。私も明日の京に入り、朝廷工作でお役に立って見せる。内容はまだ極秘とのことだが、最近は朝廷にも顔が効くようになってきたし、何とかなるだろう。
忠季は張り切っていたせいか、なかなか寝付けずにいた。すると、激しく館の木戸を叩く音がした。間もなく、寝所に郎党がきて、深夜の訪問者について告げた。
「兄上と姉上が?――今すぐ行く」
――こんな時間にくるとは何か危急の知らせか? 慌ててはならぬ私は守護なのだ。
そう思い、身を引き締めていた忠季だったが、傷だらけの新三郎を見て動揺した。八角棒を杖にしてようやく立っている。阿火局は頭に絹を被せた女を支えている。
「賊に襲われましたか! それにその女は?」
「あなたの寝所を借りるわよ。それと信頼できる郎党と侍女を一人ずつ集めて!」
阿火局は忠季の言葉を無視して、館にずかずかと上がり込んでいった。郎党も忠季と阿火局の関係を知っているため逆らわない。後ろからおろおろとついてくる忠季を叱りとばすと、阿火局は寝所に大姫と新三郎を寝かせた。
「いったい、何があったというのです。姉上、話をしていただかないと――」
大姫の顔を隠してあった絹をさらりと落ちた。
「あ、姉上! この方は――」
阿火局は忠季の胸ぐらをつかまえると、別の間に連れて行き柱に押し付けた。凄い目でにらみつけてくる。
「ここでは、大姫の名を出さないで。あたしの娘で通す。いいわね」
「なんでここにあの方がいるのです?」
忠季は小声で聞く。阿火局も小声返す。
「さらってきたのよ」
「何てことを……」
忠季は襖を閉めると、頭を抱え込んだ。早口で阿火局に問いただす。
「理由をお聞かせください。なぜ大姫様を? まさか、今度の上洛に関係あるのですか。はっ、まさか、私がやる朝廷工作というのは――」
「京で立ちまわっているだけあって、勘がいいわね。大姫入内が目的よ」
「そ、それを邪魔したというのですか。それでは、謀反人ではないですか」
「大丈夫よ。私たちの正体は知られていない」
忠季は部屋の中を落ち着きなく歩く。
「姉上、早く大姫様を返しましょう。今ならまだ間に合うかもしれません」
「何を言っているの? あんたが大姫様を匿うのよ」
「ええっ! それでは、私も謀反人になります」
阿火局は再び、忠季の胸ぐらをつかむ。
「この計画には貞親も加わっているわ。つまり、あんたの兄二人と姉が謀反人ってわけ。それで無関係って言っても、頼朝が許すかしら? 少なくともあたしが捕まったら、あんたも関係していたと言うわ」
「そんな、ひどい!」
阿火局は小刀を忠季の首元につきつけた。
「ひどいのはあんたよ。傷ついた女を見捨てるような男なら、生きてちゃいけない。今すぐこの手で殺してあげる」
忠季は震えあがった。阿火局は胸ぐらをつかんでいた手を離すと、呆れて言った。
「あたしや貞親があんたたち弟のために、どれだけ協力したと思っているの? 断ったことがあった? 少しぐらい恩を返したらどうなのよ」
「それって、ほとんど忠久兄のほうじゃないですか……」
「おだまり! 忠久にも協力させるわ。兄上の傷が治り次第、薩摩に向かう。ここは京から近い、いずれ六波羅に見つかる」
新三郎を見に行こうとした忠季に、阿火局が嫌みを言う。
「何日で治りそうか? って、考えてるでしょ。そんな心で守護が務まるのかしらね」
図星だった忠季は無言で肩をすぼめた。
一夜明けた、野路宿周辺ではこの騒動の後始末に追われていた。遊女たちは里見義成が詮議をし、頼朝襲撃した男たちはすべて死んでいたため首を並べ、知っている者を探して名簿を作成した。
大姫については、ある者は矢で射られて湖に落ちたと言い、ある者は鋼の妖怪に湖に投げ捨てられたと言うなど、その行方はわからなかった。頼朝は遊女たちが乗ってきた船を接収し、地元の漁師に湖の中を捜させた。また六波羅にも叡山への詮議を命じた。
しかし、一週間経っても大姫の行方が分からないため、頼朝は大姫が生きていることを諦め、失意のまま鎌倉へ帰還した。貞親は太刀こそ向けていないものの、頼家へ無礼を働いた罪により、梶原景時に囚人として預けられた。
「心配いらぬ。皆への示しをつけるために囚人にしただけだ。上様は機会を見つけて、おぬしを許すつもりだ。わしにはわかる。上様はおぬしのような男が好きだ」
「ああ、そうですか」
景時は得意げにそう言ったが、貞親は上の空だった。自分のことより阿火局や大姫の無事が気がかりだった――。
「まったく、大事な時に遊女のとこへ行っておるとは。叡山がおとなしかったから良かったようなものの――」
畠山重忠は京から帰る途中、榛沢成清に小言を言われ続けていた。
「爺がいれば、心配いらぬ。頼りにしているぞ」
「その程度のお世辞じゃ、満足できませんな。それに貞親のやつのことを聞きましたか」
「ああ、剣の達人だと評判だ。わしの自慢の家人だ」
「そうではありませぬ。梶原めに預けられたそうで」
「折を見て、上様に赦免をお願いする。この重忠に任せろ」
成清は疑わしい目で重忠を見る。
「遊女で遊び呆けていた殿が大言を吐くわ。それと何ですか、あのガシャガシャうるさい箱は」
後ろの荷車に積まれている大きな木箱を差して成清は言った。
「わしの兄弟みたいなものだ」
重忠はそう言うと、大声で笑った――。
京の大江屋敷では、望月重隆が報告のために訪れていた。
「土御門卿だったのですね、お金の出どころは。来る途中にすれ違いました」
「理想は真逆だが、目的は同じだったのでな。ところで調べは――」
「最近、尼になった者の中に大姫様はいらっしゃいませんでした」
「ふむ、そうするしかないと踏んでいたが、どこに隠したか……。まあ良い。私が用意した、逃げ道を使わないほど用心深い女だ。六波羅にも簡単には見つかるまい」
望月は少しつらそうな顔をした。
「磯野禅尼や貞親殿を見張ってみますか?」
「いや、下手につついて噛みつかれるのは面倒だ――そして、貴殿との同盟もこれで解消する。後日、上様から信濃に新しく所領が与えられるだろう」
「ありがとうございます。また、何かあればお声掛けください」
望月が下がっていくと、大江は書状を拡げ、何かを考え始めた――。
「お疲れ様。惜しかったわね」
景清のさらし首を見つめる見物人の中に牧の方はいた。
「この戦いで頼朝に恨みを持つ者たちもずいぶん減ってしまったわ。今度は恨みでは無く野心を持つ人でも集めようかしらね――心配しないで、痣丸は誘わないわ。平家の英雄さん」
そんなことを言ってると、六波羅に連れて行かれるぞ、と牧の方に忠告する見物人に対し、
「私は頼朝など恐れない」
牧の方は宣言するように言い放つと、衣を翻して去って行った――。