第52話 建久七年(1196~7年) 呉越同舟・後編
新三郎、本田貞親、阿火局が大江屋敷に呼ばれた。いつものように大江広元の後ろには望月重隆が控えている。
「まず、言っておきたい。我々は大姫様入内を阻止したい者同士だが、大きな違いが一つある。貴殿らは救うことを目的とし、私は救えないなら殺しても構わないと思っている。私にとっては大姫様の命よりも新しい世のほうが大事だ」
三人は大江を睨んだが、大江はひるまない。
「この望月もそう考えている」
新三郎は驚いた表情で望月を見た。
「大姫様は入内した場合、死を選ぶでしょう。そうなるのであれば、この手で苦しませずに――私の腕ならたやすくできます」
新三郎は拳を強く握りしめる。
「そのようなことは断じてさせない!」
横の貞親と阿火局もうなずく。大江は三人を見た後言った。
「その覚悟が知りたかった。しかし、そうすると少なくとも一人は追われる身になる。大姫様を逃がすための者がな。すぐに大姫様を尼にしてしまうという手もあるが……」
新三郎は前にずいっと進み出て言った。
「俺がやる! 元々、御家人になりたくてなったわけではない。無論、大姫様が尼になりたいのであればそうする。だが、そうでなければ俺が守る!」
貞親と阿火局が心配そうな顔で新三郎を見る。大江が言った。
「新三郎殿の覚悟。しかと承った――ならば私の策を今から話そう」
大江は近江国の地図を広げると、扇子を取り出して説明し始めた。
「大姫様入内のための上洛軍はおよそ一万。東海道を上ってくる行列は、南近江の野路宿で泊まることになるだろう。その夜に景清殿と牧の方が派手に注意を引く。その間に新三郎殿は大姫様を連れ出して、湖に用意してある船に乗って逃げて欲しい。貞親殿は大姫様を船まで護衛した後、景清殿を討ちに行く」
「景清を討ってもいいのか?」
「構わない。その姿を皆に見せておけば、後で貞親殿が疑われたとき言い逃れができる。ただし、大混乱になっているはずだから、景清殿を見つけるのは難しいだろう」
「同志じゃなかったの?」
阿火局が横から言った。
「我々が同志なのは大姫様が逃げるまでだ。その後はお互いに好きにして構わない。だから、貴殿らが後で景清殿に襲われたとしても、私は何も関知しない」
――この男、割り切りすぎではないか?
貞親は大江の考えに血の通っていない、冷え冷えするものを感じた。
阿火局は大江に確認するように言う。
「好きにして構わないのなら、味方になったっていいのよね?」
「お前……」
貞親が驚いて阿火局の顔を見た。大江は探るような目で聞いてきた。
「構わんが――何を考えている?」
「別に――私はあの人たちのすべてが嫌いってわけじゃないだけ。それに旦那を必要以上に危険な目に会わせたくないの」
阿火局の貞親を見て言った。大江がうなずく。
「承知した。言い忘れていたが、貴女には船で大姫様を受け取る役をして欲しい」
「わかったわ。でも私たちはそれまで何もしなくていいの?」
「いや、磯野禅尼との繋ぎ役を頼みたい」
「あの方を巻き込むつもり?」
阿火局は露骨に嫌な顔をした。
「陰謀は知らせぬ。禅尼はいまだ白拍子を教えていると聞いている。だから最高の舞台を見せてくれるよう頼むだけだ。御家人たちはいまだに、静御前の舞を見て感動したことを忘れてはいないのだ。磯野禅尼には危害も疑惑も及ばない。必ず約束する」
阿火局が何も言わないので、大江は新三郎のほうに向き直って話を続けた。
「貴殿にはこれから京と鎌倉を何度も往復してもらいながら、少しずつ仕掛けを作っていってもらうつもりだ」
この日から、与えられた役目をこなすために、皆が活発に動き始めた――。
その年の十一月。とうとう九条兼実が関白の地位を追われ、その娘もまた内裏から追い出された。丹後局と土御門通親が朝廷を掌握したのである。
頼朝はさっそく約束を守らせようと、大姫入内について一条能保を通じて丹後局に相談した。だが、のらりくらりとかわされるだけで、前に進む気配は一向になかった。さらには土御門通親の養女が産んだ皇子を立太子するという噂まで鎌倉に届いた。約束が違うと、頼朝は激怒した。
――そろそろ最後の準備に入るころだな。
大江はまず牧の方と伊藤悪七兵衛景清を屋敷に呼んだ。
「牧の方のほうは?」
「船百艘に遊女千人は何とかできるわ」
「さすがだな。当日は遊女を乗船させて動かしたい。貴殿のほうは、何人集まった?」
「二百を少し超える程度だ。言われたとおり腕の立つ勇士しか集めなかった。平家がほとんどいないのが、おもしろくはないが――それと、叡山に隠している兵たちだが、六波羅が感付き始めている。あまり長くは留めておけないぞ」
「よろしい。貴殿はその精兵たちに人夫の格好をさせて野路宿に行くがよい。そこで磯野禅尼と工人の指示を受け、湖の岸に舞台を造るのだ。上様の軍が近づくまでは、人夫として働いてもらう」
しびれを切らせた頼朝は、梶原景時に一万の軍勢を用意するよう命じた。上洛して朝廷に圧力をかけるためである。鎌倉中が急な上洛支度で慌ただしくなり、上洛の目的も明かされないため、様々な憶測を呼んでいた。
秩父・畠山の館では貞親が薩摩に戻る支度をしていた。
「急に薩摩に戻るとはどういうことだ?」
畠山重忠が腕を組みながら、不信をあらわにしていた。
「前から言っていたではないですか。そろそろ、子の顔が懐かしくなってきたと」
「こっちを見ろ、貞親。おぬしはたまに隠し事をする。なぜだ?」
重忠を見て、申し訳なさそうに貞親は言う。
「清廉潔白で忠義に厚い。そして頑固ですぐ頭に血が上る畠山重忠。わしも秩父の皆も、そんな殿が好きだ。それが理由です」
重忠は腕を組んだまま、少し考えた後、言った。
「重忠が重忠で無くなれば、話せるか?」
「――どういうことです」
「少し待っていろ」
そう言うと、奥の間に重忠は消えていった。
野路宿に近い琵琶湖の湖畔では舞台の造営が行われていた。
磯野禅尼が人夫を束ねている景清に話しかけてくる。
「あの少年は何者なの、工人頭が驚いていたわ。構造の理解も早いし、指示もできるって。この分だと早く完成しそうよ」
姫宮が代わりに答える。
「痣丸よ。とっても器用なの。私が伊豆にいたときも、木彫りの動物や、木を組み合わせていろいろ作っていたわ。ねえ、景清様」
京で白拍子の名人として評判になり、姫宮はすっかり明るい性格になっていた。ただ、磯野禅尼と違い、景清の正体を知っているだけに、姫宮は口にこそ出さないが、これから何かが起こると予感していた。
禅尼たちが他へ行くと、景清は痣丸を呼び寄せて言った。
「――私は今度の戦いでは頼朝の首を取るまで戦う。どちらにしろ死ぬだろう。だからお前は戦には加えない」
首を横に強く振る痣丸の肩を景清は両手で抑えた。
「姫宮に会って思った。これ以上、私の怨念に付き合うな。姫宮のように自分の生きる道を見つけるのだ。私のことを思うのなら約束してくれ。心を残したまま戦いたくはない。名も変えるがいい」
景清は黒刀を抜いた。
「痣丸の名はこの刀に譲ってくれ」
――しばらく泣いた後、ようやく痣丸はうなずいた。