第51話 建久七年(1196年) 呉越同舟・前編
鎌倉・大江広元の屋敷に、安達新三郎、本田貞親、阿火局が招かれていた。今まで大江と接点など無かったこの三人がここにいる理由は数日前にさかのぼる――。
「あくまで仮の話だが、大姫様が妃として後鳥羽天皇に入内されるとしたら、どう思うか?」
――鎌倉・大江屋敷に呼ばれた新三郎は、大江に秘密を約束させられた後、こう聞かれた。
「大姫様が納得されるのであれば、良い事かと」
「納得しなければ?」
「何とかして差し上げたいと思います」
大江は満足そうにうなずいた。
「であれば、貴殿は同志だ。私も大姫様に入内して欲しくはない。しかし、入内へ向けての動きは一年後に活発になるだろう。そして、京へ向かうその日まで、御所は大姫様に知らせる気はない」
「それでは、騙し討ちのようなものではないですか!」
「その通り。上様は大姫様の説得はできないと考えている。だから、奇襲のような形で入内させるおつもりだ。こちらとしては、それを阻止する方法を考えねばならぬ。私は上様に忠誠を誓う者ではあるが、この件に関しては上様に逆らうことが忠義だと思っている」
はっきり「逆らう」と言った大江に新三郎はとまどった。
「――しかし、できるのですか? そんなことが」
「今、大姫様に近い人に声を掛け、同志になれるかどうかを試している? そして同志と思った者には、仲間を連れてきて欲しいと頼んでいるところだ。貴殿にもお願いしたい」
「仲間ですか――考えてみましょう」
翌日には新三郎は自邸で貞親と阿火局にすべてを打ち明けた。
「大江殿は上様の側近中の側近。今ひとつ信じることはできぬ話だが、おぬしは大姫のこととなると、周りが見えなくなるからなあ。放ってはおけん」
新三郎は、そんなことはない! と、立ち上がろうとしたが、横の阿火局が大きくうなずいているのを見ると。咳払いして座り直した――。
そして今、大江屋敷でもてなしを受け、侍女に膳を下げられたところである。
「他にも声をかけたと聞きましたが、その方々は?」
新三郎の問いに対し、大江は悩むふりをした。
「来ている。ただ、会わせないほうが良いと進言するものがいる。こちらへ!」
大江が手を叩くと、廊下から若武者が現れた。
「おお、望月殿か。これは頼もしい! それでは海野殿も?」
望月重隆は首を振った。
「今の海野は大姫様よりも上様に近づきすぎています。加えるには危険です」
「そうか……。ただし、大江殿、これだけの人数では――」
「貴殿の言うとおりだ。やはり、皆で合力して事にあたらねばならない」
大江は立ち上がると望月に何か指示を出した。襖の前に立つと大声で言った。
「これから私たちは同志である!」
大江は襖を明け放った。新三郎たちの正面に見えたのは、牧の方と伊藤悪七兵衛景清だった。
屋敷全体に緊張と殺気がみなぎる。
牧の方は阿火局を見て目を見開いている。景清と貞親が太刀に手をかけた。
「それまで!」
大江が座ったまま手を前に出して叫ぶ。横では望月が短弓を構えていた。
「お互い、因縁があるのは望月から聞いている。だからこそ、お互いの実力も熟知しているはずだ。共に動くのなら無能な味方より、有能な敵のほうが頼りになる。大切なのは皆、大姫様の入内を止めたいと思っていることだ」
一人ひとりの顔を確かめるように大江は見ていく。誰の顔も納得してはいなかった。
「うむ。共に動くのは難しいか……。であれば、敵で無いことだけわかっていれば良い。大手攻め・搦め手攻めのように、二手に分かれても可能な策をこの大江が考える」
「しかし、この人数でやれることなどありますか?」
新三郎が不安げに聞いた。
「もう少し増やしても良いが、人が多いほど秘密は漏れやすい。人を増やすときは別の名目で集める。そして、互いに関わらせない。そうして秘密と安全を図る」
「まだ、一年も先のことでしょ。途中で陰謀が発覚する危険はないかしら」
牧の方が遠慮せずに不信を口にした。
「その心配はない。なぜなら、この陰謀は大姫入内阻止が目的で、大姫入内が決まる時期は一年後だ。途中で誰かが我々の行動に疑問を感じたとしても、我々の目的にはたどり着けない。入内が決まっていないから当然であろう?」
「なるほど、理解したわ。それにしても――」
牧の方は大江の顔を見ると呆れ顔で言った。
「あなたって、いつもこんなことを考えているの? 苦労が多そうね」
「いかにも。私の策の半分以上は取り越し苦労で終わってしまう」
大江は笑いながら答えた。
「別行動を取る以上、皆で集まるのはこれで最後だ。後は個別に策を相談するとしよう。時は一年あるが、休ませるつもりは無いので御覚悟を」
この日は、それで解散となった。
数日後、まず牧の方と景清が呼ばれた。大江の後ろには望月が控えている。
「景清殿には上洛中の軍に対し、勇士を率いて襲ってもらう。場所は南近江辺りになるであろう」
「勇士はどこにいる?」
「貴殿が集めるのだ。戦経験豊富な残党たちを」
「檀ノ浦の戦いからもう十年以上経った。腕のある平家の武士は討たれるか、山に隠れてしまっている」
「平家の残党はそうだ。ならば源氏の残党を集めればよい。死んだ源範頼の三河国、誅殺された安田義定親子の越後国・遠江国には、上様に恨みを持つ武士がまだ残っている。そして、源氏の残党は、かつての仲間ということもあって平家ほど厳しく追捕は受けていない。多く武士を集めることができるだろう」
「私に源氏の残党を率いろというのか!」
「では、どうやって襲撃するつもりだ? たった今、貴殿が平家の残党が少ないと言ったところではないか」
景清が黙ったまま言い返さないので、なだめるように大江は言った。
「その代わりと言ってはなんだが、貴殿は大姫様のことは何も考えなくて良い。上様だけを狙っても構わない」
「本当に良いのか?」
「待って景清。それって囮に使われているかもよ」
「さすがは牧の方。その通りかもしれぬ。だが上様を討てれば、助かる可能性はある。いや、上様を討たない限り、残党たちに生きる道はない。ただし、貴殿だけには逃げ道を用意しておく。無理だと思ったら先に逃げても構わない」
「逃げる気はない――頼朝が率いる軍の数は?」
「一万。戦で攻めるとなると数千はいるが、私には貴殿たちを上様の近くまで無傷で近づける策がある。それは――」
大江が考えている策を話すと、景清は膝を打った。
「やってみる価値は充分にある」
「集めた兵は決行までの間、叡山で預かってもらうといい。私が手配しておこう。武器鎧も心配はする必要は無い」
「大した富豪ね。賄賂で稼いだのかしら? あまりため込むと頼朝に嫌われるわよ」
「過大評価してもらっては困る。出してもらうあてがあるだけだ」
大江は思わせぶりな言い方をした。
「私は何をすればいいのかしら」
「牧の方は、京の遊女に顔が利くと聞いている」
「多少はね」
「近江の遊女も動かせるようにしてほしい。後は遊女を乗せる船百艘」
「ちょっと! いくらかかると思っているのよ!」
「時政殿に相談するのだな――権力の舞台が朝廷に戻っては、無位無官の時政殿の出番は永遠になくなる。そう伝えれば出してくれる」
「ひどい人ね、あなた。この機会に北条まで弱らせようとするなんて」
やれやれと牧の方は立ち上がる
「用は済んだのなら、もう帰るわ。行くわよ、景清」
大江は振り向いて望月に言った。
「次は新三郎殿を呼んでまいれ――」