第47話 建久四年(1193年5~7月) 曽我兄弟の仇討ち
五月二日。北条時政は巻狩りの支度のために駿河に入った。目的は獲物の状態を見ることと、仮旅館の建設を、伊豆と駿河の両国の御家人達に命じるためである。
奥州合戦並みの数の御家人たちが一カ月近く滞在することを考えると。仮旅館の数だけでも千を超える。時政は休む間が無いぐらい忙しかったが、楽しみが後に控えていると思うと、疲れも気にならなかった。曽我兄弟の仇討ちが待っているからだ。
――この混乱の中で不埒な考えを起こすものがいれば、それもまたおもしろい。
そう思い、工藤祐経の仮旅館の場所を、頼朝の大旅館の近くに決めた。建設させる人夫の中に曽我兄弟を紛れ込ませることも忘れなかった。これで旅館の構造も頭に入るだろう。決行は子の刻(〇時)、雨が降った日に行うことを決め、皆に知らせた。
五月十五日に頼朝以下、御家人たちが富士野の仮旅館に続々と入ってくる。その日は、殺生を禁じる日だったので、陽が高い時刻から大酒宴が始まった。巻狩りのことは噂になっていたので、駿河中から遊女が大勢集まってきていた。
その遊女たちが大将首を狙うがごとく、頼朝の側で酌をしようと殺到した。はじめは笑ってみていた頼朝だったが、混乱が増していくのをみて、里見義成に対し、遊女を管理する別当(長官)に任命した。その場で作った役職である。
里見義成は遊女たちを頼朝から引き離し、歌舞に通じている遊女を選別して酒宴に参加させた。
翌日から狩りが始まった。勢子だけで四千人だ。鳴り物や追いたてる声は、軍勢が迫ってくるようである。獲物を狙う射手も千人以上いるので、狩場は獲物が流す血の匂いで充満した。
そんな中、頼朝の嫡男・頼家が鹿を射止めた。子に甘い頼朝は大はしゃぎして、政子に使者を送ったが――武家の子なら当然でしょうと、政子に冷たくあしらわれている。
後白河法皇崩御の喪が明けるまで、狩りを禁止していたので、数日程度の狩りでは獲物がいなくなることはなかった。そしてとうとう五月二十八日の深夜に雨が降り出した――。
「――では、行くか」
酒や食べ物を保管している小屋から、伊藤悪七兵衛景清と曽我兄弟は出てきた。景清は布で顔を隠している。
「見張りの兵が多くなるまでは、私が露払いをしてやる。お前たちは身体を冷やさぬようにしろ。工藤の武術はさほどでもないが、逃げ足は速そうだ」
「ありがとうございます。工藤を討った後には、必ず頼朝も!」
弟の曽我時致が目を光らせた。景時は首を振る。
「余計な事は考えなくていい」
兄の曽我祐成が礼儀正しく言う。
「師匠にはまだ何も恩返しできていません。お世話になった返礼だとお思いください」
「好きにしろ」
三人は工藤の仮旅館にたどりつくまでに、景清が一人斬るだけで済んだ。雨のおかげで足音が目立たない。仮旅館の中からは、かすかにだが工藤たちが酒宴を楽しんでいる声が聞こえた。曽我兄弟は太刀を抜いて身構える。
「馬をつないでいる綱を切って、何頭か暴れさせる。それを合図に、いくつかの旅館の中で騒ぎが起こる手はずだ。その騒ぎに乗じて工藤を討て」
駆け足で去っていく景清の背に、二人は頭を下げた。
――馬のいななきをきっかけに、各旅館から言い争う声が聞こえ始めた。
牧の方が連れてきた遊女たちが、他の遊女を罵って喧嘩を仕掛けたのである。頼朝のいる大旅館でも、頼朝とは別の間にいる御家人同士が喧嘩を始めた。大庭景能と岡崎義実である。この巻狩りの奉行である時政は、おおげさに慌てて、皆の者止めよ! 止めよ! と叫んだ。
しかし、二人は芝居を盛り上げるためか、興奮したのかわからないが、小刀を抜いた。すると止めようとしていた武士たちが殺気立った。時政は舌打ちする。
――爺ども、やりすぎだ。これでは後で庇いづらいではないか。
曽我兄弟は工藤の仮旅館に飛び込んだ。そこには工藤と王藤内という備後国の武士、それに遊女が二人いた。工藤は弟の時致に赤木柄の短刀であっさり刺殺された。遊女は悲鳴をあげた。
「曽我兄弟が、父の仇を討ったぞー!」
仮旅館の外に出て、兄弟が大声で叫ぶと同時に雷雨になった。騒ぎに気付いた御家人たちが次々に外へ出てきたが、闇夜のため右往左往するだけで、夜襲を恐れて逃げる者、同士討ちをする者など混乱を極めた。
そんな中、兄弟は頼朝がいる大旅館目指して走った。郎党を十人以上斬り殺し、海野幸氏をはじめとする御家人を九人も負傷させた。
なおも走り続ける兄弟。しかし、兄の祐成が新田忠常に迎い討たれて倒れた。
「兄上!」
「止まるな! 恩を返すのだ!」
弟・時致が頼朝をその目に捕える。頼朝は慌てて太刀を取った。畠山重忠が頼朝を庇うように前に立つ。
「邪魔だ! どけ!」
しかし、頼朝にたどり着く前に、小姓たちが次々と身を呈して時致にぶつかっていった――。
翌朝、頼朝自身が直に時致を問い質すことにした。左右には有力御家人たちがずらりと並んでいる。はじめは幕を二枚隔てて他の者が時致を尋問をするのを聞いていたのだが、時致がどうしても頼朝に直に話したいと激しく訴えたからだ。
「工藤祐経を討ったのは、父の恥を雪ぐためです。ようやく……、叶いました。祐成が九歳、時致が七歳のころから、仇討ちのことを片時も忘れる事はなかった。そして遂に果たしました! 御前に向かって行ったのは、仇の工藤祐経は可愛がられ、祖父の伊東祐親は嫌われて自殺しました。頼朝様の眼の前でその恨みを申し上げて、腹を切ろうと思ったからです!」
時致は少しだけ嘘をついた。
御家人たちはこの話に感動していた。頼朝もこういう男は嫌いではない。許そうかと考えたが、工藤祐経の子の犬房丸が泣きながら仇討ちをせがんだため、時致は引き渡され、その日の内に首を斬られることとなった――。
仇討ちから二週間後、誰もいなくった駿河の遊郭で、景清は虎御前と名乗る遊女を見送っていた。背中に牧の方が語り掛ける。
「あれが、曽我祐成の妾? 意外と優しいのね。いろいろ話してあげた上に、太刀と馬まで与えるなんて」
「どうせ、工藤の家から盗んだものだ。惜しくはない。それより、私に役目をくれ。曽我兄弟の話を聞いてから、身体が戦いを欲しがっている」
「そういうだろうと思って、これを持ってきたわ」
牧の方は一枚の紙を渡した。名前がずらりと記してある。
「これは何の名簿だ?」
「三河の御家人。その中でも頼朝に忠義の厚い武士たちよ。片っ端から殺してちょうだい。そうすれば、平家追討の大将軍・源範頼を謀反人に追い込むことができるわ」
「そんな簡単なものなのか?」
「範頼は曽我兄弟の仇討ちの際、政子に対して頼朝が死んでも自分がいるから心配ないと言ったらしいの。それに頼朝が激怒して、お前ごときが調子に乗るなと、こっぴどく叱ったらしいわ。範頼が恨みを持ったとしてもおかしくないでしょ? 持たないとしても、私たちが範頼は恨みを抱いていると噂を流す。同時に範頼の所領で頼朝に親しい武士たちが殺されたとしたら――」
「頼朝は疑うだろうな」
「三カ月でできるかしら」
「一カ月あれば充分だ」
景清は名簿を眺めると、手に取って立ち上がった――。