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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第一部 木曽義仲の子
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第4話 治承四年(1180年10月4日) 一文無しの嫡流 

第4話 治承四年(1180年10月4日) 一文無しの嫡流 


――佐殿(すけどの)(源頼朝)の軍がどんどん大きくなっていく。


 江間義時(えまよしとき)が使者として安房から旅立ったとき、頼朝の周りには数十名いたかどうかだった。兵たちの間を抜けて佐殿の寝所に向かいながら義時は思った。


石橋山の敗戦以降、華々しい勝利など一つも無いのに、千葉常胤(ちばつねたね)上総広常(かずさひろつね)が加わった後は、草木がなびくように味方が集まり、佐殿の威勢は高まっていった。しかし、義時は考える。佐殿は何も持っていない。一寸の領地も一人の家人も。この軍は他家の家人、郎党と財産の集まりなのだと。


 己には源氏嫡流(ちゃくりゅう)の血統しかないことを一番知っていながら、虚勢を張り続けなければいけないところに頼朝の苦悩があった。多くの者は虚勢には気づかない。いや、頼朝が気づかせない。十三歳で伊豆に流されてから二十年余の流人の人生が、簡単には見抜けぬ仮面と他者への洞察力を頼朝に与えた。


 他にも女に好かれる才能も持っているが、これは源氏の嫡流たらんと、貴公子然とした仕草や風貌を意識したことの副産物にすぎない。


 義時も政子の弟でなければ気づいていたかどうか。義時は挙兵が決まってから、北条時政と共に頼朝の側にいることが多かった。

旗揚げ前後から、頼朝は作戦は人に任せて、味方の心を取ることに集中していた。夜な夜な人を呼び出し、


――おぬしだけが頼りだ。

――あなたを頼朝の父だと思う。


 昼間に被っていた威厳の仮面を外し、特別な親しみを与えていた。源氏嫡流から大事な人と思われることに、喜びを感じない者はいない。時政も義時も一時は感動した。

しかし、誰にも彼にも言っている姿を何度も目の前で見せられると、これも頼朝の仮面の一つであることがわかってきた。


 父の時政などは、


「我らが佐殿と一蓮托生になった途端、父扱いなどどこかへ行ってしもうた。噂になっている女たちにもあの調子で手を出しているのであろう。政子もこれから苦労しそうじゃ」


と、呆れている。


 佐殿に畠山重忠の話を持ち出すのは、周りに誰もいないときしかない。義時はそう決めていた。義弟ということで、寝所に入ることを許されている。夜になるのを待ち、佐殿との寝所に行くと、地元の遊女と楽しんでいるところだった。

 几帳越しに女の悦ぶ声が聞こえてきた。頼朝は夜を女無しに過ごすことは無い。


 義時は外から声を掛けたが、寝所からの反応は無かった。頼朝は女が満足しきるまで、悦ばせる行為を止めないのはいつものことなので、義時は気にせず待つことにした。ひと際大きな女の声が上がると、几帳の奥から頼朝の「入れ」という声がした。


 義時が入ると、頼朝の衣を体に掛けられている女が気を失っていた。逆に頼朝は平然としている。義時はその様子を見て言った。


「その分だと種をお出しにならなかったようで――」


「ご落胤をばら撒く気はないさ。政子もうるさい。それより、武蔵の話を聞かせてくれ」


 頼朝と義時は膝をつき合わせて話し合った。畠山たち秩父党の帰順とその場合の三浦家の反応や、畠山重忠と和田義盛への対応について義時の考えを話した。おおむね頼朝は賛同したが、所領の没収には拘った。


「畠山たちの命を助けるのは構わない。元々、そのつもりでもあったからな。三浦や和田への対処の仕方もいくつか頭にはある。ただ、所領の半分は欲しい」


「早く、ご自身の兵をお持ちになりたいお気持ちはわかりますが……」


 頼朝の顔に失望の色が表れた。ため息交じりで言う。


「義時よ。少しは我の苦悩の理解してくれているかと思っていたが、まだ考えが浅い。それでは頼りにならんな。今の(われ)が一番欲しいものは何だ? 我の側で何を見てきた」


「諸将の心でございます」


「そうだ。私が恐れているのは諸将の心が離れていくことだ。源氏の嫡流ということで、兵は集まっているが、心の底から仕えている者などほんのわずかだ。大なり小なり家の当主どもの本心は所領の保全しかない。義時は我を人たらしと見ているようだが、爺どもはそんなに甘くはないぞ。時政を見ればわかるはずだろ? だから私は次の手を考えねばならん」


「それが所領の没収ですか――しかし、佐殿の物にはせずに、諸将に与える」


「そうだ。我についてくれば所領の安堵だけではなく褒美ももらえる。そう思わせねばならぬ。ここで私が所領に欲を出してみろ? 我は必ず見限られる。周りを見渡してみも、甲斐の武田をはじめ、上野の足利、常陸の佐竹、志田。我の代わりの源氏などいくらでもいる」


 義時は黙るしかなかった。頼朝は他者ばかりでなく、己自身も冷徹な目で見ている。かといって重忠との約束もある。義時は必死で訴えた。


「秩父党は衣笠城を一日で落としました。その力は平家との戦でも必ず役立つはずです! 此度はこの義時の願いをお聞き入れくださいませ」


――これでは説得にもなっていない、ただの懇願だ。頭脳が冴えない。


 義時は畠山重忠に深く関わりすぎたかなと思った。後ろで静かに観察するのが自分本来の姿であり、今のように当事者に近づくことには慣れてないのだ。


「義弟の願いゆえ、無下にしたくは無いが……。体を揉んでくれ、少し考える」


 頼朝は体を揉まれながら、しばらく黙っていた。



「これなら、上手くいくか……」


 そうつぶやくと、体を起こして義時に言った。


「畠山らの所領は安堵する」


「ありがとうございます!」


「ただし! 我のやり方に少しでも口を挟んだら、その時点で無しだ。そして、そなたは我に一つ借りを作ったことになる。わかったな」


「はっ! 必ずや借りを返します」


 義時は平伏して礼をして寝所から下がった。

 帰り道、苦笑しながら――柄にも無いことをすると碌なことにならぬ。人と深く関わるのは重忠までにしておこうと、義時は自分に言い聞かせていた。



 頼朝の軍が武蔵国へ入って二日後、長井の渡しで畠山重忠たちが待っていた。頼朝の側には義時のほかに、硬い表情をした三浦義澄(みうらよしずみ)和田義盛(わだよしもり)がいる。昨日の軍議では秩父党(ちちぶとう)帰順(きじゅん)について話し合われた。


――平家を倒すにはまだまだ力がいる。ここは遺恨を忘れ合力せよ。


 頼朝の言葉に二人は渋々ながら同意した。千葉胤常や上総広常らの、戦機を逸してはならないという意見に対し、作戦上、反論ができなかったからである。


 義時がみるところ、三浦義澄は五十を超えていることもあって落ち着いているが、和田義盛からは不穏な気が見え隠れしている。義時は義盛が変な気を起こさないよう、近くに馬を寄せた。

 

 重忠に対した頼朝は、まず源氏方を明言していた三浦義明を討ったことを責めた。重忠は源氏と戦ったつもりではなく、三浦家との行き違いだと説明し、誤解させてことを謝った。そして後ろを振り返り合図を送ると、白旗が掲げられた。


「なぜ、我の許しを得ずに源氏の旗を掲げている! 次第によっては許さぬぞ」


 頼朝が厳しく言った。重忠が応じる。


「この白旗は佐殿の御先祖である源八幡太郎義家殿から、私の先祖武綱が賜り、陸奥で武衡・家衡を討った際の旗です。吉例と名付けて代々相伝してきました」


 義時は膝を打った。


――重忠殿には運がある。佐殿の父、義朝殿ゆかりの品があればと思っていたが、まさか八幡太郎義家の旗とは!


 源八幡太郎義家は源氏の歴史の中で一番の名将だ。


「皆あれを見よ! これ以上の吉瑞があるか。我が祖、八幡太郎様が味方した。これで我が軍は無敵だ!」


 思った通り、頼朝は喜びを隠すことなく興奮している。


「よく持ってきた重忠。その旗を掲げ先陣を務めよ! 所領の半分を召し上げるつもりであったが、鎌倉まで無事に案内すれば、褒美として返してやろう」


「承知! 源氏の先陣とは武者の誉れ。重忠の武をご覧あれ!」


 義時は頼朝の采配に思わずうなった。所領没収の罰と褒美を与える力があることを他家の者に見せ、重忠が一番喜ぶ名誉を与えている。


――これで、重忠は佐殿へ心からの忠誠を誓うだろう。


 ただ、義時は三浦家が少し気の毒になった。重忠の誇らしげな顔と対照的に、和田義盛の顔はくやしさでいっぱいだ。三浦義澄を見ると心配げに義盛を見ている。


「和田義盛! 前へ!」


 頼朝が大声で呼んだ。馬を降りて駆け寄る義盛に皆の注目が集まる。叱責させると思ったのか義盛は伏し目がちに頼朝の前に立った。


侍所別当さむらいどころべっとうを命じる! 武士どもの長として励め!」


 顔を上げた義盛の身体は感動に震えているように見えた。侍所別当は義盛が幼いときから憧れている役職で、挙兵のときからずっと頼朝に嘆願していたのは義時も知っていた。

武士のまとめる職なので、見方によっては重忠の上役ともいえる。


 他の武士からの羨望の眼差しを受け、義盛はさら上機嫌になった。義澄もそんな義盛を見て喜んでいた。


 そのまま軍議に入り、同席した義盛と重忠はいつの間にか楽しげに話を交わすほど和解していた。陣幕から諸将が出るとき、重忠は義時に近寄ると深く頭を下げた。


「この恩は忘れぬ」。


「私は何もしていません。すべては佐殿と八幡太郎様のご加護です」


 重忠は謙遜と取ったようだが、義時は心からそう思っていた。


「きっと佐殿は大業を成す。政治とは実に面白い――もっと人の理を知らねば」


 相手の喜ぶツボを見事に押さえる頼朝に義時は凄みを感じだ。わかっていても、こうはできるものではない。義時は頼朝の人心を操る術に魅了された。


――もっと佐殿の側で観ていたい!


 その気持ちを抑えながら、義時は甲斐へ旅立った――。




※当時の関東勢力図 wikiより

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/d/d9/%E6%B2%BB%E6%89%BF4%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%96%A2%E6%9D%B1.png

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