第46話 建久四年(1193年3~4月) 仇支度
伊豆・牧家別邸では、牧の方が伊藤悪七兵衛景清・曽我兄弟・姫宮を集めていた。
「曽我兄弟の仇討ちができそうよ。時政殿から五月に駿河国の富士で大掛かりな巻狩りを行うから支度するように言われたわ。後、二カ月で私と時政殿も手助けの準備をするつもりよ」
「巻狩りとは何なのですか?」
姫宮が聞くと、牧の方は答える。
「大人数で行う狩りのことよ。勢子と呼ばれる者たちが、四方の山野から鳥獣を追い立てるの。それで逃げてきた獲物は待ち構えた射手に仕留められるってわけ」
「戦のようですね」
景清が牧の方の代わりに答える。
「そうだ。敵を包囲して射止めるのは、軍の訓練にもなる」
景清がしみじみと言った。
「いよいよ、頼朝を斬るときが来たか――」
「いいえ。景清の出番は無いわ。私と同じく手助けまで。姫宮もそうよ」
「なぜだ!」
景清は牧の方を睨みつける。牧の方は正面から応じる。
「此度の相手は工藤祐経。襲撃は曽我兄弟だけで行わないと意味がない。それが時政殿のお考えよ。伊豆の武士同士の話に、平家の景清が入ると仇討ちではなくなる。そうなれば、曽我兄弟の名誉も失われる、そう言っていたわ」
「師匠、時政殿の言われる通りです。工藤を師匠に殺されては意味が無いのです。私たちだけでやらせてください!」
そう曽我兄弟にも懇願されると、同じ仇討ちの気持ちを持つ、景清はわがままを言えなくなってしまった。
「――曽我兄弟よ。明朝、富士に向かうぞ。巻狩りの場所を下調べする。闇夜でも迷わないようにしなければな」
曽我兄弟は大きく返事をした後、景清に感謝の言葉を言った。
姫宮は不安そうに牧の方を見てきた。
「駿河に行くから一緒にいらっしゃい。景清、この子は私が預かるわ」
「ああ、好きにして構わん。自分の身を守れる程度の技は仕込んである」
景清は牧の方に木で作った、こぶし大ぐらいの船の玩具を渡した。
「何のつもり?」
「痣丸があなたの子のために作った。もらってくれ」
景清はそう言うと、庭に降りて厩舎のほうへ向かっていった。
庭には一頭の木馬に乗った痣丸が揺れていた――。
鎌倉・北条屋敷では北条時政が二人の老武士をもてなしていた。一人は齢八十を超えている岡崎義実、もう一人は保元の乱で足に矢を受けてから、 歩くことも難儀になっている大庭景能である。
どちらも歴戦の勇者でありながら、平家との戦では年と怪我で手柄をあげることができなかった。また本家筋では無いため元々の所領も少ない。相模の武士であり、長老として扱われてはいるが、口うるさく、煙たがられている点においても二人は似ていた。要は不遇なのである。
時政は二人にほんの少しだけ、所領を増やす後押しをしてやった。今夜はその祝いの席である。そこで、時政が曽我兄弟の話を涙交じりに話すと、二人も同情の涙を流して聞いた。しかし、時政が仇討ちの手助けをしていることを話すと、二人とも驚いた。
「いや、わしが一緒に斬りこむわけではありません。相手は上様の寵臣ですから、流石に義父の私でも処罰は受けてしまいます。あくまで工藤を襲うのは曽我兄弟だけです」
時政は小さな砂金袋を二つ前に出した。岡崎義実が聞く。
「これはどういう意味じゃ。わしらに何をしろと?」
「もちろん、仇討ちに直接力を貸してほしいとは申しません。巻狩りは一週間以上、予定しております。その中の一日だけ、お二人で一芝居打って欲しいのです」
「その日に工藤を襲うと?」
「わかりません。何も起こらないこともあります。襲うのは二人だけなので、早々に気づかれて討たれることもあるでしょう」
「承知した。元々、歌や舞しかできぬ工藤は好かんからの。後は大庭殿次第じゃ」
岡崎義実は即答した。大庭景能は少し考えた後、時政を見て言った。
「こう言っては失礼だが、知恵者の時政殿がそれだけの目的で曽我兄弟を助けているとは思えん。もう少し、本音を聞かせて欲しい。それと成功したときの見返りの話も――」
時政は二人の杯に酒を注いでから言った。
「工藤殿は我が家と肩を並べる、伊豆の豪族です。わしは工藤家を伊豆から他に移したい。しかし、工藤殿は上様の寵臣なので手が出せません。だが幼い息子なら何とでもなる――お二方には時をみて相模に近い所領をご用意しましょう。ただし、何があっても、この時政の名前を出さないことが条件です」
「正直に話してくれて感謝する。協力しよう」
「では、深酒の鍛錬でもしましょうか」
時政は二人と乾杯をした。
駿河の遊郭では白髪の数を増やした牧宗親が牧の方に苦情を言っていた。
「遊郭など簡単にできると言ったな。こっちに来てから苦労しっぱなしだぞ!」
「思ったより繁盛しているじゃない。やはり、京女は大したものね」
「そのおかげで、地元の遊女どもからは目の仇にされている」
「当たり前でしょ。よそ者に縄張りを荒らされて怒らない人がいると思って? 兄上はそんな事もわからないの?」
牧宗親は怒りで体を震わせながら言った。
「お前がやれと言ったのだろうが!」
「そうよ。私が欲しかったのは、地元の遊女と仲が悪い遊女たち。そのほうが自然に事が運べるから」
「な、何を言っているのだ、お前は?」
牧宗親は頭の回転が追いつかない。
「いいわ、兄上。遊郭の主人は来月までで許してあげる。その後は店じまいよ」
もはや何を言えばいいのかもわからない、牧宗親を無視して、牧の方は姫宮に言った。
「巻狩りが終わったら、遊女たちを連れて京に帰るの。いいわね。これがあなたの最初で最後の仕事になるわ。京に行った後は自由よ」
「牧の方様……」
「景清から知らせがあったの。後白河法皇が崩御した後、あなたの瞳から怨念が消えたって。そりゃそうよね。仇がいなくなったのだもの、当然だわ」
「でも、私一人では……」
「行く宛てが無いのなら西河の遊郭“天女”の磯野禅尼を頼るといいわ。きっと女一人でも生きていける術を教えてくれるはずよ」
「ありがとうございます。この恩は必ず返します」
「恩など感じる必要は無いわ。私は姫宮を利用しようとしただけ。だから対等よ。また姫宮が必要になったときに利用させてちょうだい。さあ、旅で疲れたでしょう。奥で休みなさい」
牧の方は姫宮に奥の部屋で休むように指示をした。
「私にも少しは恩を感じて欲しいものだな」
牧宗親がぼやきながら部屋を出ようと立ち上がった。
「そうかしら、兄上は失敗のほうが多いじゃない。兄上はまだ休まないの! 今から作戦を話すから、しっかりと聞いてくださいね」
牧の方は宗親の襟首をつかむと部屋に引き戻した。
四月十九日。工藤祐経が新築したばかりの屋敷が火事になった。家主は頼朝とともに那須に狩りに出かけていて不在だったが、幸いにも他の屋敷には飛び火しなかった。
「私も火の付け方の加減がわかってきたかもしれん」
工藤家から曽我兄弟の弟・曽我時致が大量の書状を、兄・曽我祐成が宝物を持ち出してきた。
「よし、帰るぞ。書状をすべて読み、工藤の行動の癖を見つけるのだ。祐成、なぜ宝物など持ってきた?」
「大磯に来世の縁を交わした遊女がいます。私が死んだあとはこれを渡していただけませんか?」
「お前の女は仇の持ち物を喜んで受け取るのか?」
曽我祐成は一本の太刀残して全部、地に落とした。
「いいえ、そんな女ではありません。工藤を討った太刀のみ渡してください」
「引き受けよう。せっかくだ、工藤の馬に乗って帰るぞ」
燃え盛る工藤の屋敷を背に景清たちは駿河に向かった――。