第44話 建久二年(1191年) 災いの種
鎌倉・北条屋敷の離れでは、江間義時が牧の方を問い詰めていた。
「この大火はあなたの仕業ですか? 私の屋敷もすべて焼け落ちた」
「そうよ。頼朝を殺すため、いや、あなたに会うためなら屋敷だって焼くわ――と言いたいところだけど、それは私を大きく見すぎよ。大火を予言した男がいたそうじゃない? そいつを捕まえれば良いのではなくて」
建久二年三月四日。鎌倉で大火があった。午前二時ごろに小町大路から出火すると、激しい南風に煽られ、義時たち御家人の屋敷が十軒以上、民家は数十軒が燃え、鶴岡八幡宮や大倉御所までも全焼に近い被害を受けた。
頼朝をはじめ大倉御所の人々も、安達盛長の甘縄の屋敷へ避難した。その前日に広田邦房が大火を予言したのを何人か耳にしている。それを牧の方は言っているのだ。
「良かった。これで命の心配をせずにあなたを抱ける」
義時は離れの中に入っていく。お互いがすぐに裸になり、激しく愛し合った――。
「父上の子は元気ですか?」
「“あなた”の子は元気よ」
裸のまま寝ている二人。牧の方は義時に口づけをする。
「あの子に天下を取らせたいの。時政殿も本気になってる。あなたも父親なら協力して」
「気が早いな。まだ二歳ですよ。賢愚もわからない。前から言っているはずです。私は当事者より、観察者でありたいと。それにしても――」
義時は牧の方の瞳をのぞき込む。
「孤独におびえる少女はもういなくなった。家族が増えていくと、強くなるものなのだろうか」
「偽りの家族だわ。本当の家族は私とあなたとあの子よ」
天井を見上げながら義時は言った。
「――私も妻が欲しくなってきました。偽りでもね」
言い終わる前に義時の視界が、牧の方の裸体で塞がれた――。
七月に新三郎は京へ祝いの品を届けると、鎌倉に戻ってきた。一条能保の娘と摂政・九条兼実の息子・九条良経との婚姻が結ばれたからである。
大倉御所はまだ造成中なので、安達盛長の屋敷に復命しにいくのだが、新三郎の足取りは重かった。難しい使いを頼まれたからである。使いの相手は大姫だ。御所台所に預けて帰ろうと思ったが――それは私からではなく、新三郎のほうがいい、といって政子は頑なに受け取らなかった。その態度を見て、これは御台所も一枚噛んでいる、そう新三郎は確信した。
大姫がいる部屋を訪れると、望月重隆といっしょに喜んで迎えてくれた。京の話を一通り終えると、おずおずと絹に包まれたものを大姫に差し出した。
「甥の一条高能殿からでございます」
――何かしら。大姫は包みを解いていくと部屋にいい香りが拡がった。中には札が入っていた。読んだ大姫の肩がわなわな震え始める。
「残酷なことをするのね、新三郎。中身を知っていたでしょ!」
「いえ、私はこれを渡せと言われただけで――」
「嘘おっしゃい! 様子が変だったもの! こんな恋歌なんか!」
大姫は泣きながら札を新三郎に投げつけた。
「申し訳ございません。大姫様のお気持ちはわかっておりましたが、私が代わりに断るわけにも行かず――」
新三郎は望月を見たが、首を横に振るだけで救いの手を差し伸べてはくれなかった。
この後、大姫はしばらく病で起き上がれなくなる。新三郎は気が気ではなくなった――。
十月には、牧の方も兄の牧宗親を連れて、娘と三条実宣の婚姻のために京へ上った。牧宗親は病気の時政の代わりである。久しぶりの京を満喫した兄妹は鎌倉へ帰る準備をしていた。
「おい、そなたはまた良からぬことを考えているのではないな? あれは何だ?」
うんざりした顔で牧宗親は牧の方へ言った。
「さあさあ、みんな早く輿に乗って」
牧の方は兄を無視して、女たちを急がせる。輿の数は二十ほどあるだろうか。
「せっかく来たのだから、京の輿を鎌倉で売ろうと思っただけよ」
「私が聞いているのは、あの白粉臭い女どものことだ!」
「兄上は今、無役で駿河の所領にいるのでしょう?」
「質問に答えろ!」
「裏で遊郭でもやってみない? これから上洛があるたびに大儲けできるわよ」
「私は武士だぞ! そんなことできるわけが――」
「じゃあ、景清にやってもらおうかしら、兄上の所領の中で--」
「あんな殺し屋を我が領内に入れてたまるか!」
「なら交渉成立ね。良かったわ、喜んで引き受けてくれて」
牧宗親は泣きたくなった。
――やはり、この妹の近くにいると碌なことにならない。
十一月十四日。由比ガ浜で一人の刺客が梶原景時とその郎党に捕らえられた。源義経に味方して討たれた源有綱の家人で、名を平康盛という。源有綱を殺した北条時政の弟・時定を狙っていたのだが、運悪く景時に捕まったらしい。
「本当に助けなくて良かったのですか。同士だと言われていたのに」
由比ガ浜が見渡せる崖の上には、伊藤悪七兵衛景清、曽我兄弟、姫宮がいた。
「奴も義経の仲間。つまり私の仇だ。気にすることは微塵も無い」
景清が伊豆で北条時貞を狙っている平康盛を見つけると、同じ鎌倉に恨みを持つ者同士ということで、騙して梶原景時を襲わせたのだ。その経過を曽我兄弟たちも知っているからこそ出た問いである。
「それよりも、景時の郎党の動きをしっかり見たか。刺客に対して、護衛がどう反応するのかをよく覚えておくのだ。そうすれば自分が刺客になったときの失敗が少なくなる。平康盛をあわれと思うならば、今日の見たことを忘れないことだ」
曽我兄弟たちは大きくうなずいた。
――また機会があれば見せてやる。景清はそう言ったが、次の刺客は皮肉にも景清の兄・伊藤忠光だった。
建久三年一月二十一日。鎌倉で造成中の寺で人夫として、頼朝が視察に来るのを待ち伏せていたのだが、隻眼に変装していたことが逆に怪しまれ、捕まってしまった。
後でこの事件を知った景清は、曽我兄弟に言った。
「兄が捕まったのは残念だが、喜びが二つあった。一つは兄が生きていたこと。もう一つは私と同じ志を持っていたことだ。兄弟とはそうあるべきだ」
鎌倉・畠山屋敷では、上機嫌な重忠が新三郎に延々と歌を聴かせていた。
「どうした新三郎。元気が無いではないか! ではこの歌はどうだ」
――御所も罪なお方よ。
重忠は頼朝に酒席に呼ばれて歌を披露したところ、また褒められたらしい。うれしくなった重忠は新三郎を呼んで、そのときの自慢と歌を繰り返し聴かせていた。
――貞親め。いつまで薩摩で羽を伸ばしているつもりだ! 時よ、早く過ぎろ!
新三郎が歌を聴き流して、そんなことを願っていると、ようやく重忠の気が済んだらしい。宋の品というらしい喉に効く薬を飲んでいる。新三郎は聞いた。
「その薬はどこで入手されているのですか?」
「大宰府だ。おぬしの妹の阿火局がわざわざ薩摩から大宰府に買い求めに行ってくれたのだ。宋にはいろいろな薬があるものだな。送ってくれた薬の名簿を見てみるか?」
「ぜひ!」
――妹がそんな気配りできる性格だとは知らなった。そう思いつつ、薬の名簿を見ていった。それぞれ、効能が書いてある。大姫のために気鬱の薬を探すと、いくつか見つけることができた。と、同時に気になる文言があった。
――二つの薬を同時に飲むと逆の効果が表れるので注意が必要である。
新三郎は喉の調子が良くなった重忠の歌を、もう聞いてはいなかった。逸る気持ちを抑えながら、自分の屋敷に戻ると、急いで妹に送る書状を書いた――。