第43話 建久元年(1190年10~12月) 頼朝上洛
十月三日。源頼朝は上洛のため、鎌倉を出発した。先陣の名誉は畠山重忠、殿は千葉常胤。行軍の列は頼朝が相模国懐島に泊まったときに、ようやく殿が鎌倉を出るほどの長さ(10km程度)だったという。
京に入るまでに通常の行軍の倍である一カ月をかけた。その理由は頼朝が遠江国以西に行くのは十三歳のとき以来で、ゆかりのある土地に立ち寄っていたからである。母親の実家である尾張国の熱田神宮では身を清めて拝し、美濃国の青墓では、遊女屋の主人・大炊の娘を呼び出して贈り物を与えた。
大炊は頼朝の父である源義朝が、鎌倉と京の都とを往来する度に、ここで大炊を寵愛していたからである。大炊の姉も祖父・源為義の最後の妾であった。
また、青墓は頼朝の兄の朝長が亡くなった土地でもある。平治の乱で敗北して都落ちしていくとき、太ももに深手負って、足手まといになるからと、父の義朝にせがんで介錯をしてもらったのだ。
十一月六日。土砂降りの雨の中、畠山家の仮宿に本田貞親がやってきた。
「殿、酷い雨ですな。いや、そのおかげで一日京入りが遅れたから、恵の雨というべきか」
「残念だ。くやしがる顔を見たかったのだがな」
重忠は貞親をからかって迎えた。
「使いを出すのが遅すぎます。どれだけ、馬を飛ばしてきたことか」
「何を言う。上洛の命令があってからすぐ出したぞ。薩摩が遠すぎるのだ。その顔の傷はどうしたのだ。西国武士に負けたのではないだろうな」
貞親の顔には左目の上から下へ大きな切り傷が出来ていた。
「勝ってます! まあ、手強い敵もいましたがね。父上も忠久もわしに任せて、さっさと鎌倉に帰りおって――その後がどれだけ大変だったか。ところでわしの鎧は?」
「ちゃんと新三郎が持ってきておる。後で会ってくるんだな」
その後、貞親の父・本田親恒と新三郎を呼んで、ささやかな酒宴が行われた。
翌七日、頼朝は入京する。行列の先頭には院への贈り物を満載した棺型の箱が進み、続いて畠山重忠と貞親たち、家人・郎党十名が進む。その後に続く武士も、自慢の鎧に身を包み晴れの舞台を進んでいく。鴨川沿いにはお忍びで来ている後白河法皇をはじめ、見物客が大勢いた。
「ほら、獅子若丸。あれが父上よ」
阿火局は赤子を抱きながら、貞親を指さした。新三郎は獅子若丸と呼ばれた幼児を高く持ちあげる。
「見えるか。薩摩では土にまみれて戦っていたらしいが、今は光り輝いておるだろう。うーん、まだわからんか」
きゃっきゃ言いながら、貞親を見る獅子若丸に新三郎は言った。源義経の忘れ形見は三歳になっていた。
「おい、貞親。なぜ子供が二人いる」
阿火局に手を振っている貞親に重忠は言った。
「わしの次男坊です。かわいいでしょ?」
「薩摩で戦をしていると言っていたが、戦の相手は妻だったのか」
「そちらもなかなか手強い相手でした」
そう言うと、二人は大声で笑い合った。
「やはり、仕掛けてきましたな。大納言に右大将とは。肝心の征夷大将軍への任官は毛ほども見せません。御所、これらの役目は――」
「我を京に縛り付けるものだな。そなたの言う通り辞退する」
頼朝の宿舎では、大江広元と頼朝が院からの要請に対して検討していた。
「大天狗と会ってみてどうでした」
「初めは地頭のことや年貢の未納で責めてきたが、その後は我を誉めつづけてくれたよ。その後は朕の隣で政をして欲しいだの、後鳥羽天皇の後見役として京で睨みを聞かせて欲しいなど、粘り強く懐柔してきたよ」
「政の内容については?」
「東大寺再建の寄付集めへの協力をお願いされた。後はもっぱら人事だ」
大江はがっかりした顔を見せた。
「御所と膝突き合わせて一日近くお話になったと聞いて、大天狗の理想の国家造りの話も出るかと期待しておりましたが――。やはり、治天の君などと言われても、この国をどうするかなど考えておりません。朝廷がやっていること言えば、神への祈りと権力の行方のみ。院政が始まってからは神への祈りは天皇に任せ、院は権力を把握することだけ。国を豊かにせずして何の政治か!」
大江は嘆いた。昔を思い出すように遠い目をして言う。
「その点、清盛公は貿易で国を豊かにしようとしていた。院は寺院を立てれば、国が良くなると思っている。悪いことではございませんが、度がすぎれば国庫の浪費に過ぎません――」
大江の弁舌が止まらない。こうなったら頼朝は黙って聞くしかない。しかも、大江は法皇批判の中に頼朝への諫言も入れてくる。
頼朝も寺院を建てることを大いに好んでいる。それを諫めているのだ。だが、大江は頼朝の権威を何より重んじるので、決して直言はしない。頼朝もその気遣いを知っているので、文句を言わずに聞くのが、二人のいつもの風景だった――
遊郭“天女”では、静の母・磯野禅尼が贅を尽くした料理で、島津兄弟・貞親・阿火局と幼子たちをもてなしていた。
「ささ、遠慮せずに食べてね。あなたたちは恩人なのだから。おいで、獅子若。よう大きくなって――婆がお菓子をあげるわ」
磯野禅尼は三歳になった孫の獅子若丸を呼んだ。物怖じしない性格なのか、磯野禅尼の膝にぴょこんと乗ると、お菓子を取った。頭を撫でながら禅尼は言う。
「獅子若には良い親と弟がいて良かったわねえ。大人になっても家族を大事にするのよ。そうしたら、いっぱいお菓子をあげるわ」
静は義経を追って奥州に入ってから、何の連絡も寄越していない。静を捨てた義経と、息子を預けたまま消えてしまった静への皮肉だろうか――。
阿火局が薩摩に入った後も、磯野禅尼とは連絡を取っていた。義経の死後一年経っても静の消息はわからず、磯野禅尼は阿火局に対して獅子若丸を一時的なものではなく、正式に養子にして欲しいとお願いした。そして静や義経のことも獅子若丸には話さないでおくことも決めたのだった。
「――それで、しばらく薩摩にいるつもりなの?」
「獅子若とこの子がもう少し大きくなるまではいようと思っています。忠久からもそのようにお願いされていますし」
阿火局は島津忠久のほうを見る。拝み倒すように忠久は言う。
「御家人たちが良い代官が見つからず苦労している中、義兄上や姉上が力になってくれる私は幸せ者です。必ず報いますので、何卒、何卒」
末弟の忠季が口を尖らせる。
「忠久兄は甘えすぎなのです。私なんか若狭国・津々見の地頭職をいただいたのに、代官候補がいなくて苦労しているというのに」
「あんたたち、喧嘩しないの。あまりはしゃいでいると他の御家人に妬まれるわよ。ところで禅尼、相談していた件ですが――」
「弟さんたちが接待で“天女”を使うことね。遠慮せずに使うといいわ。偽物じゃなく、本物の白拍子の芸を見せてあげる」
「ありがとうございます! この度、近衛家との取次役を命じられたのですが、あまり遊びの経験が無く――」
忠久が言いよどむと、阿火局はぴしゃりと言った。
「あんたはそれぐらいでいいの! まず重忠殿の娘の貞子さんを大事にしてあげなさい。接待以外で使ったら――、こうよ!」
阿火局が小刀で刺す仕草をみせた。はっ! 忠久は背筋をピンと伸ばして返事をする。その迫力に赤子が泣き始めた。それまで黙っていた貞親が言う。
「そんなに脅すことはなかろう。わしも薩摩の戦の間に――」
「あんたは――こうよ!」
阿の局が投げた小刀を貞親はかろうじてかわした。
頼朝の京滞在は五週間ほどで終わった。十二月十四日に京を発ち、帰りは寄り道をしなかったため、十二月二十九日には鎌倉に到着した――。