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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第三部 源頼朝の子
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第41話 文治五年(1189年8~10月) 奥州合戦

 早暁から始まった阿津賀志山(あつかしやま)の戦だが、源頼朝がまず左翼に戦力を投入し、陽が真上に来る頃には敵の守将の金剛別当秀綱こんごうべっとうひでつなを退けた。


 右翼もその日のうちに敵方の砦を攻め落とした。左翼を攻撃しても奥州軍が守りに徹しているのを知った頼朝が、自陣の守りに備えていた戦力を大胆に右翼攻めに回したからである。戦の一日目は鎌倉軍の勝利で終わった。


 二日目は、敵の中央攻めの軍を整えるため、いったん軍を下がらせた。その後、軍議が行われ、明朝、攻めかかるということで決まった。



「若! 若殿!」


 夜中に榛澤成清(はんざわなるきよ)が畠山重忠の身体を揺り起こした。


「若武者どもが勝手に抜け駆けを始めておる。せっかく先陣の名誉をいただいたのに、これでは台無しじゃ。今から馬鹿どもの前を塞ぎに行って参る!」


 すぐ去ろうとする成清の袖を重忠が掴んだ。


「その必要はない。抜け駆けした者が敵を倒したとしても、先陣は重忠が命令されているのだから手柄は我らのものだ。そうはならぬとしても、戦おうとしている者たちの邪魔をするのは、重忠の気性に反する。手柄を独り占めしようと思われるのも恥だ。爺よ、ここは欲張らずに知らぬ振りを決め込もうではないか」


 成清は渋々ながら引き下がった。“恥”という言葉を言い出した重忠を説得するのは無駄だと分かっているからだ。


 翌朝、敵味方の主力が激突した。奥州軍はここで負けてしまうと、二度と大規模の軍勢を集めるのが難しいため、必死の抵抗を見せた。


 山野に戦いの叫び声がこだまし、両軍の犠牲は相当なものになるかと思われた。しかし、鎌倉軍には平家との戦いの経験があった。奥州軍と相対する三日前にすでに抜け駆けしている武士の一団がいた。


 その武士たちは義経の鵯越えの真似をした。現地の者に道案内をさせ、鎧兜を馬に括り付け軽装になり、奥州軍の後ろに回って伏せていたのだ。その武士たちが背後から襲い掛かったときに勝負は決まった。退き口を失う恐怖から奥州軍はたちまち混乱して逃げ始めた。頼朝は直ちに全軍に追撃を命じた――。


 皆、敵の守将である藤原国衡(くにひら)の首を目指した。最初に捕らえたのは先回りして待っていた、和田義盛である。お互いに弓を放ったところ、義盛の矢が国衡の腕に刺さり、国衡は逃げた。


 だが、その先には重忠の大軍がいた。国衡は慌てたのか、田んぼにはまってしまい、重忠の郎党である大串次郎に首を取られた。この男は木曽義仲との宇治川の戦いで、溺れているところを重忠に掴んで敵陣に投げられた縁から、重忠の郎党になった者である。


 翌日、頼朝が首実験をしているときに、ちょっとした(いさか)いがあった。畠山重忠が敵の大将軍・国衡の首を見せ、頼朝が褒めていると、和田義盛が前へ出て言った。


「国衡は、この義盛の矢に当たったのが元で討たれたのです。よって、これは畠山殿の手柄ではありません」


 重忠は、大笑いをして言い返した。


「おかしなことを言う。殺したという証拠は何か? この重忠が首を持ってきている以上は、疑いようが無いだろう」


「首については確かにそうだが、証拠はある。国衡の鎧は上等なものだ。当然、大串が剥ぎ取って持っているだろう。それをここへ持ってこさせてくれ。大高山神社の前で、わしと国衡はお互いに矢を放ち、わしの矢が国衡に当たった。その矢の穴は鎧の左袖の上から二三枚目の小札(こざね)にある! それが証拠だ!」


 頼朝は国衡の鎧を持ってこさせた。をよく見ると左袖の上から三枚目の小札のやや後ろ側に射抜いた穴があった。頼朝様が重忠に問う。


「国衡に対して矢を放ったか?」


「矢を放っておりません」


 そう重忠が応えたので、頼朝はそれ以上問わなかった。和田の言っている事に間違いはなかった。頼朝は和田の手柄を褒めると、同じく重忠の嘘の無い清廉潔白さを褒め、両者の面目を立たせた。



 翌十一日には太平洋側を攻め進んでいた、千葉常胤(ちばつねたね)八田知家(はったともいえ)の軍が合流。十二日には比企能員(ひきよしかず)宇佐美実政(うさみさねまさ)達から、出羽国へ攻め込んで勝利したとの報告が頼朝の元へやってきた。


 それから十日後の二十二日。頼朝は戦らしい戦をせずに奥州藤原家の首都ともいえる平泉(ひらいずみ)に入った。藤原泰衡はすでに平泉に火を放ち、陸奥国の奥に逃げていった後であったが、残った財宝だけでも、頼朝を驚かすには十分だった。


 (さい)の角、象牙の笛、水牛の角、紺色のガラスで出来た(しゃく)(貴族が手に持つ細長い板)、金の靴、玉でできた仏教の旗飾りの幡、中国は蜀江錦(しょっこうにしき)直垂(ひたたれ)、縫い目のない帷子(かたびら)、金細工の鶴、銀細工の猫、ガラスの火皿など、鎌倉ではまず目にすることができない逸品が宝物庫から出てきた。


 財宝の持ち主である藤原秀衡は蝦夷(えぞ)に逃げるところを、代々仕えていた郎党である河田次郎に裏切られ、その最後を迎える。


――奥州に栄華を誇った藤原氏の時代が、その終わりを告げたのだ。



 頼朝の仕事はもはや戦では無く、戦後始末の指示と恩賞の授与に変わっていた。戦後始末は葛西清重(かさいきよしげ)が担当し、恩賞の取次役は梶原景時が行っていたのだが、そこでちょっとした問題が起こった。


 景時が奥州軍の将である由利八郎を取り調べしている際に、立って見下ろしたまま、次のように聞いたのだ。


「お前は、泰衡の家来の中でも名のある武将らしいな。事の真偽をごまかさず、正しい事だけを言え。何色(おどし)の鎧を着た者が、お前を生け捕った?」


 その態度に由利八郎は怒って吠えた。


「何だ、その物言いは! 身分知らずにも程がある。奥州藤原氏三代は鎮守府(ちんじゅふ)将軍を拝命した家だ。お前の主の頼朝さえも、そのような物言いはしないだろう。それに、お前と俺は家人同士で同格だ。偉そうに勝者面をしておるが、お前のような傲慢(ごうまん)なやつに答えることなど何もない!」


 景時は怒りで顔を真っ赤にして、頼朝に報告しにいった。


「あの男は、文句ばっかりで何も話しません。これでは調べようがありませんな」


 頼朝は怒る景時をなだめた後、堀親家を呼んだ。


「由利が怒っているといったが、景時がいつもの態度を見せたのだろう。まあ、由利の気持ちは分からなくもない。畠山重忠を呼んで、代わりに由利への詮議をさせろ」



 重忠は堀親家から話を聞くと、敷皮(しきがわ)を持って由利のところへ向かった。重忠は由利の前へ来て敷皮に座ると、礼儀正しく挨拶をしてから話しかけた。


「弓馬に関わる武士ならば、敵に捕われる事はよくあること。決して恥ずかしい事ではない。頼朝様も平家の囚人となったあげく、伊豆へ流罪になった。それでも、今、天下を治めることになった。貴殿(きでん)は陸奥の内では勇名が轟いている。それゆえ武士たちも貴殿を捕えた手柄を、互いに主張しあって揉めているのだ。だから、教えて欲しい。貴殿は何色の鎧を着た者に生け捕られたのか?」


 由利は姿勢を正して返答した。


「貴殿が畠山殿か。さすがに礼儀を心得ておられる。先ほどの礼儀知らずとは違う。黒糸威しの鎧、鹿毛の馬に乗った武士が、俺を捕まえて馬から引きずり落とした。その後は数多くの武士が俺に群がってきたのでわからない」


 これで誰の手柄かはっきりした。この一件で陣中での重忠の評判も上がった。


しかし、後日に奥州合戦の恩賞として、重忠に下された所領はあまりにも少なかった。


――景時の意趣(いしゅ)返しか!


 と、頭に血を上らせた重忠だったが、江間義時の言葉を思い出してとどまった。


――謀反疑惑のとき、御所はお前に何も言わなかったが、それが逆に気になる。どこかで御所にお前の心を試すようなことをしてくるかもしれん。重忠よ、そのときは不満を言ってはならぬ。何事にも従う忠義を見せれば、後で大きな御所の信頼が手に入る。



 先陣を奪われたことが、恩賞が少なくなった原因だと思っている榛沢成清(はんざわなるきよ)は不満げに言った。


「この恩賞の少なさよ。若、言わんこっちゃない。だから抜け駆けを邪魔すべきだったのじゃ」


「わしの親切心で、多くの仲間に恩賞がいき渡り、皆が領地を貰った。それで良いではないか」


 重忠はそう強がってみせたが、成清は納得せず、ぶつぶつ言いながら引き下がった。


 

 恩賞を決めた後、戦後処理を葛西清重に任せて、頼朝は鎌倉に戻る。大倉御所に入ったのは十月二十四日。出陣から三カ月で頼朝の奥州征伐は終わった――。

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