第40話 文治五年(1189年4~8月) 待望
鎌倉では長年の願いが叶い、喜んでいる者が二人いた。源頼朝と牧の方である。
弟の死と男児の誕生。まったく逆の願いではあったが――。
頼朝は藤原秀衡の死の後、院に対して奥州にいる義経追討の願いを幾度も出しているが、院は協議をすると言うだけで可否を表さなかった。
後白河法皇としては当然である。ここで奥州征伐までされてしまうと、鎌倉以外に武家勢力は存在しなくなる。今以上に鎌倉から院に対する圧力が高まることは、誰でも想像できた。
しかし、院の引き延ばし工作は、鎌倉に有利に働く。秀衡の後を継いだ藤原泰衡のほうが鎌倉の圧力に耐えられなくなってしまったのだ。
泰衡は父・秀衡の――義経を大将にして結束せよ、という遺言に背き、数百騎で義経が住んでいる衣川館を襲撃。義経と妻子、主従を自害に追いやった。そして今は藤原兄弟同士でも揉めているという。頼朝にすれば待っているうちに内に、柿の実が熟して落ちてきたようなものだった。
頼朝はこの機を逃さない。義経は死んだが、匿っていた泰衡は国に対しての反逆者だとして、院に泰衡追討の院宣を要求する。それに対して後白河法皇は、
――義経が死んで国がようやく落ち着いた。今年は伊勢神宮の式年遷宮があるし、大仏殿の再興工事も進めている。忙しい今、急いでやる必要は無い。
と、再三、戦を止めるための使者を鎌倉に寄越している。
そんな時期、牧の方に男児が産まれた。これまで女児を続けて産んでいた牧の方にとってはずっと願っていたことであり、北条時政の喜びも格別なものだった。
「義時には欲が無いし、時房は蹴鞠に夢中だ。この子はいい武士に育ってくれるといいが――」
北条屋敷では時政は目を細めて、牧の方の腕の中にいる赤子を見ていた。
「きっと、あなたが満足するような子に育てて見せますわ。だから、北条家の嫡子を決めるのはもう少しお待ちになって。義時も分家の江間家でいていただいたほうが良いわ。きっとこの子を良く補佐してくれます」
「――確かに義時は補佐役のほうが向いているかもしれんな」
「蹴鞠好きな時房殿は京のどこかへ養子に出せば良いのです」
時政は黙って赤子を見つめている。頭の中で考えがいろんな巡っているようだ、
「よし! この子のために寺を建てよう。大きな願いを叶えるために――大倉御所には奥州征伐を祈願すると説明すればいいだろう」
「いいお考えですわ。でもなぜ、大倉御所に真の祈願を隠すのですか? 知られると良くない祈願なのかしら」
牧の方はうれしさといたずらっぽさが混じる瞳で時政を見つめる。
「そうだ。この子に天下を取らせるための祈願だ。わしにも張り合いが出てきたわ!」
「まあ、うれしい。やっとその気になってくださったのね! 私も密偵たちを使ってあなたに尽くしますわ。これからは誰を見張ればいい?」
「――梶原景時。天下を狙うとなると、所領も増やしたい。そうなると、前に立ちふさがってくるのは、あやつになる」
京での激務を終えてから大人しくしていた時政だったが、男児誕生をきっかけに積極的に政治に参加するようになっていった。
時政は赤子のための寺造りにも着手する。その際、隣に別荘も建てようとしたところ、掘り返した土の中から“願成就院”と書かれた古い扁額が出てきた。願いが成就するという名が気に入った時政は、寺の名を願成就院に決めた。
院宣がなかなか下りないことにしびれを切らした頼朝は御家人たちの中から長老格のものを呼び出し、良い方法がないかたずねた。大庭景能が前に進み出て言った。
「軍陣においては、遠く離れた天子の言葉より現地での将軍の命令が優先されます。しかも、御所は院へ何度も願い出ております。返事を待たずとも良いでしょう。大体、泰衡は先祖代々の源氏の御家人です。家人筋に罰を加えるのに院へ遠慮する必要はありますまい」
頼朝は大庭景能の言葉に満足して、軍の招集を御家人たちに命令を下した。
――半月後、鎌倉では征伐軍の編成を行った。軍は三つに分ける。
一つは、太平洋海岸沿いとなる東海道(常磐道)軍。率いる大将軍は千葉常胤と八田知家。常陸、下総両国の武士たちを連れて攻め入り、阿武隈湊を渡った後、頼朝率いる本隊に合流する。
二つ目は、日本海側の北陸道軍。一日早く出発し、大将軍は比企能員と宇佐美実政。上野国の武士を動員して、越後国から出羽国鼠ヶ関へ攻め入る。
三つめは頼朝自身が大手軍として中の道から東北へ攻め入る。先陣は畠山重忠。和田義盛、梶原景時、加藤景廉、葛西清重を中心に武蔵国の武士たちが戦う。頼朝の出陣は富士川の戦い以来、九年ぶりとなる。
編成の途中、院から軍を差し止めるよう使者が来たが、
「武士が大勢集ってきて、すでに多くの軍費がかかっている。今更、来年に延ばせるわけがなかろう! 絶対に出発する!」
頼朝は怒りを大いに表して追い返した。
大倉御所の渡り廊下では、大姫が庭にいる新三郎と話していた。
「新三郎は行かないの? この前に奥州に行ってきたのに」
「私の仕事は密偵です。敵を調べた後はやることはありません。なので、留守居です」
「それは良かったわ。新三郎がいると安心するの。ところで――」
大姫は声を落とした。新三郎も小さく応える。
「申し訳ございません。静御前の行方も探していたのですが、見つけることはできませんでした」
「そう、義経様が亡くなったことは?」
「奥州にいるとすれば、知らないはずがございません」
「――だとすると、静御前は身を投げているかもしれませんね」
「大姫様……」
新三郎が心配そうに大姫を見る。
「大丈夫よ、新三郎。私は身投げはしないわ」
大姫は十一歳には似合わない憂いを帯びた顔をした。大倉御所から出ることはないため、その肌は驚くほど白く、新三郎は大姫から神聖な美しさを感じた。
頼朝の大手軍は七月十九日に出陣した。二十九日に白河の関を通過した後も、奥州軍の姿を見ることは無く。八月七日に初めて陸奥国伊達郡阿津賀志山で奥州軍と対峙した。
奥州軍の兵力はおよそ二万。三十里に渡り兵を配置している。総大将は泰衡の異母兄・藤原国衡。敵は待ち構えていたというべきだろう。阿津賀志山から阿武隈川まで長大な堀を作り、阿武隈川の水を引いていた。水中には大縄を張り、馬が渡るときに引っかかるようにしている。さらに三重の土塁を築いていた。
頼朝は先陣の重忠と戦経験豊富な武士たちを集め、明朝にまず精鋭で敵の左翼の陣を崩せと命令した。
重忠は自分の軍営に戻ると、榛沢成清を呼んだ。
「爺よ、明朝攻めることとなったが、敵の防備は万全だ、かなりの兵が死ぬだろう」
重忠がそう言うと、成清は得意げに言い放った。
「そういうこともあろうかと、鋤鍬兵を八十人ほど連れてきております。攻め口を決めてくだされ。夜の内に土砂で埋めてみせましょう!」
「おお! 準備が良いではないか、爺」
重忠は手勢の仲に武士以外の者が多い事にうすうす気づいていたが、わざと大げさに驚いて見せた。
「わはははは、一の谷では若殿に準備不足を散々馬鹿にされましたからな! 二度失敗は繰り返さぬ。この成清は畠山家の軍師ですからの」
御機嫌になった成清は鋤鍬兵を集めて、意気揚々と作戦を指示していった。
八月七日早朝。埋められた堀の上で畠山重忠が大音声で叫んだ。
「坂東武士の力を見せてやろうではないか! 放て――――!」
鏑矢が音を立てて敵陣に飛び込んだ。こうして奥州合戦の火ぶたが切られた――。




