第39話 文治四年(1187年10月) 囚人重忠
大宰府で買ってきた土産を大姫に渡すと、安達新三郎は部屋から出てきた。
新三郎は源頼朝に義弟にあたる島津忠久に加勢したいと願い、半年の間だけ薩摩行きを許してもらった。今日は帰還したことをまず頼朝に報告し、その後に大姫に会っていた。
大倉御所の廊下を歩いていると、江間義時が深刻な顔をして呼びとめてきた。
「――重忠がまずいことになった」
江間義時と畠山重忠とは、義時の妹が重忠に嫁いだことで義兄弟になっている。武の重忠に対して文の義時と対照的だが、お互いを信頼している仲だ。
「何があったのです」
「地頭をしている土地の長者から訴えがあった。重忠の代官が現地の郡司(地方官)の家を襲って財産を奪ったらしい」
新三郎は、たいして驚きもしなかった。
「そんなことは日本中で起こっていますよ。年貢の横取りに、未納税、朝廷が任官した役人の追い出し。薩摩から戻ってくる間、そんな話ばかり聞こえてきました。こんな言い方はしたくはないですが、重忠殿ではなく仕組みが悪い」
義時は渋い顔をする。今の大倉御所での政務はもっぱら院から地頭に対しての苦情への対処が主になっている。かといって、地頭制を止める気はない頼朝は、当面の対応として、院での発言力のある公卿の荘園から地頭を撤退させてることで、苦情を減らすことにした。
「――仕組みは悪くないのだ。ただ、理解が進んでいないだけだ」
「理解ですか……。地頭の中には、文字の読み書きもできない武士も多いのですよ」
「わかっておる。御所は問題のある地頭を厳格に処罰することで、皆に分からせて行くおつもりだ。ただ、その中には重忠もいたから困っておる。相手も悪い。伊勢神宮の神人だ。発言力もある」
伊勢神宮は寺社の中でも最高位なのは新三郎も知っていた。
「重忠殿は何と言っているのですか?」
「代官がやったことは知らぬ、分からぬ。ただ、わしは誰よりも清く生きている、としか言わぬ――すぐに調べます、代官を呼び出して説明させます、とか言えば、まだ取りなしようもあるが、あの気性だ。罪を問われた恥辱で頭に血が昇って、黙り込んでいる」
「黙ったからといって、許されるわけではないでしょう?」
「そうだ。だから重忠は苦情があった所領四カ所を没収され、今は千葉胤正の屋敷に囚人として預けられているのだが――困ったことに、食を絶っている」
「死んでみせてやる――重忠殿らしい潔白の証明の仕方ですな。私が伊勢にいって代官を引っ立ててまいりましょうか。重忠殿が不正を図った代官を取り調べて処刑すれば、弁解にもなるし、重忠殿の意地も立つ」
「行ってくれるか! 畠山家に話して“洞吹”を借りてある。使ってくれ」
新三郎は意味ありげな視線を義時に送る。
「段取りが良いことで。初めからそのつもりだったのでしょう。義時殿も人を使うのが上手になってきましたね。この新三郎、見事使われて見せましょう」
新三郎は旅支度を整え、すぐに伊勢へと発った。
新三郎が苦労して重忠の代官を連れて帰ってきたときには、重忠はすでに罪を許され、秩父に帰っていた。重忠が絶食していることを知った頼朝が、即座に罪を許したらしい。
「重忠殿が許されて良かった。骨折り損ではありましたが……」
新三郎は義時の屋敷で、豪勢な食事でもてなされていた。
「そういうな。連れてきた代官を処刑するだけでも意味はある――しかし、また困ったことが起こった」
「今度は何があったのですか?」
「梶原景時が重忠に謀反の噂があると御所にささやいておる――重忠は御所に許された後、そのまま秩父に帰ってしまった。これは重忠が怒っている証拠だ。そしてちょうど薩摩から重臣の本田親恒が戻ってきて手勢も揃っている。これは怪しい、という筋立てだ」
「なるほど、例によって景時殿の忠義立てですね」
「さすが新三郎。良く洞察できている。御所は常に大豪族の力を削ぐことを考えておられる。そして景時は御所の心に応えるために、大豪族を討つ理由をいつも探しておる――しかし、幸いにも御所の心の中には畠山家の脅威は無かった。だから御所は他の意見を聞いた。小山朝政、下河辺行平、小山朝光、三浦義澄、和田義盛を集め、使者をもって問いただすのと、征伐軍を行かせるのと、どちらが良いかを聞いた」
「その結果は?」
「皆、重忠は謀反をするような人では無いので、使者が良いと言った。それで御所は使者に重忠の弓馬の友である下河辺行平を選び、明朝に鎌倉を発つよう命じた。私も同行の願いを出しているのだが、新三郎もついてきてくれないか。重忠のことだ、素直には鎌倉には来るまい」
「いいでしょう。ここまできたら最後まで付き合わないと、寝覚めが悪い」
二日後。秩父の畠山館では義時の懸念が現実になっていた。
「この重忠が何の恨みがあって反逆するのだ! わしの心の確認? 笑わせる。御所もそんな疑いは持っていないはずだ。大方、讒言者が鎌倉に呼び出して騙し討ちでもするつもりだろう。しかし、武家の家に生まれてきて、このような目に会うとは実に恥辱である! そんな死に方をするぐらいなら――」
重忠は怒りに震えていた。その怒りの着地点は重忠の腰刀だった。義時は刀を抜こうとする重忠の手を抑える。下河辺行平は言った。
「私は貴殿の正直さを信じている。そしてこの行平も真心を持っている。嘘をついて陥れる気持ちなど微塵もない。討つのであれば、正々堂々とやる。そのほうがおもしろいからな――重忠よ。なぜ御所が私を使者にしたか考えてみろ。弓馬の友ならば無事連れて帰ると思ったからだ。そうは思わないか?」
重忠は少し考えた後、大いに笑うと、皆に酒を勧めた。鎌倉に行くという答えである。その後は、気が許せるもの同志、おおいに酒宴を楽しんだ。
下河辺行平は重忠を鎌倉に連れてくると、侍所所司の梶原景時に引き渡した。重忠は、景時に対し、反逆の意思の無い事を話した。
――この讒言者が!
そう思いつつ、重忠は何とか我慢した。下河辺行平とそう約束したからだ。しかし、景時の次の言葉で重忠は約束を破った。
「それほど言うのなら、起請文に書いて提出しろ」
「聞け、景時! この重忠、人の財を奪ったと言われるのは恥辱ではあるが、謀反の疑いをかけられるのは、かえって名誉である。その力があるということだからな! しかし、御所に対して謀反の余地など微塵も無い! 今、運無く讒言に出会ったが、重忠は心と言葉とを違える者ではない。故に起請文など書く必要はない! 嘘が無い事は御所も承知のはずだ。さあ、すぐに御所に伝えにいけ! それがおぬしの役目だ!」
景時も怒りで顔を朱に染めたが、その場で何も言い返さずに頼朝に報告しにいった。景時は重忠の傲慢さを過大に伝えたが、頼朝は無言のままだった。景時は頼朝がそれほど怒っていない様子なので、それ以上、意見を言うのを控えた。
頼朝は景時を下がらせた後、重忠と下河辺行平を呼んだ。そこでは、世間話をしただけで、謀反のことには一切触れずに終わった。そればかりか、重忠に余計な疑いをかけずに済んだと言って、下河辺行平に褒美の太刀まで与えた。
重忠は周りは景時に濡れ衣を着せられたと同情された。
鎌倉を重忠の問題が騒がしていたころ、奥州では激震が起こっていた。源平どちらとも上手く渡り合い、奥州に逃げ込んだ源義経の保護者でもあった、英雄・藤原秀衡の病死である。これ以降、頼朝は遠慮なく奥州征伐を口にするようになった――。