第33話 文治二年(1186年5月) 大姫のために舞う
安達新三郎は久しぶりに大姫に挨拶に行った。春からかかっている気鬱の病がなかなか治らないため、南御堂に十四日間、参篭し邪気を払うと聞いたからだ。大姫は喜んで会ってくれたが、生気が無いのは一目でわかった。
壁を見ると清水義高らしき絵が掛けられている。それを見ながら大姫は言った。
「義高様にしばらく会えないのは残念だけど――母上様が静御前にお願いして、私だけの舞いを見せてくれるらしいの。楽しみだわ」
その話は聞いていた。鶴岡八幡宮での静が舞った日、大姫は寝込んでいて見ることができず、後で舞いの素晴らしさを聞いた大姫は大層残念がったという。そこで政子が大姫の病気治癒祈願のために舞を捧げて欲しいと、大量の贈り物とともに依頼してきたのだ。
静は――なぜ敵方の娘に、とはじめは拒んでいたが、義高と大姫の話をすると、自分の境遇に近いものを感じたのか、泣きながら承諾した。
新三郎が挨拶を終えて下がるとき、大姫の護衛をしている海野幸氏に声を掛けられた。
「大姫様は義高様の記憶が薄れて行くのを怖がっておられます。絵を描かせたのもそのためです。私としては忘れることも大姫様のためと思っているのですが――そのことを言うと泣いて叱られます。新三郎殿には死のうとしていた大姫様を一度助けていただいております。またお力をお貸しください」
海野は望月重隆とともに、義高についてきた側近である。義高に遺言に近い形で大姫を守る様に言われ、まだ少年なのに健気に尽くしている。新三郎は彼を励ますと――何か考えてみよう、と言って屋敷に戻ってきた。
新三郎は静と磯野禅尼に相談しようと思い、自邸の部屋に入ると見慣れぬ女の後姿があった。振り向いたその顔に新三郎は、あっ、と声を上げた。
「お久しぶりです兄上。今は阿火局と名乗っております。京では磯野禅尼にお世話になっておりました」
新三郎は唐突な再開に戸惑ったが、すぐにうれしさが勝った。
「生きていて良かった。本当に……。記憶が戻っていない話は聞いているが、そんなことは後で考えればいい! これからも会えるのか? ここに住んでも良いのだぞ。弟たちも心配しているぞ! 会いたくは無いか?」
慌てて話す新三郎に、阿火局は微笑み返す。
「私はとある方に仕えております。名は申し上げられません。これからも顔を出すようにいたしますので、今はそれで許していただけませんか」
「許すも何も。たまに元気な顔を見せてくれるだけでも俺はうれしい」
「それでは、今日はこれで失礼いたします」
「貞親が会いたがっていたぞ」
「……そうですか」
阿火局を姿が見えなくなるまで見送った後、新三郎は静と磯野禅尼に、大倉御所で海野と話した一件を説明した。
磯野禅尼は白拍子の芸を確立させた先駆者で、静は芸の達人である。二人の話し合いは熱を帯びてきた。“巫女舞”“変化”“憑依”などの言葉が出てくると、新三郎は話についていけなり、黙って部屋から出て行った。
大姫が南御堂に参篭を終える日、静は白拍子姿で南御堂に立った。見る者は大姫と護衛の海野幸氏と望月重隆。そして新三郎と磯野禅尼は静の傍らに座り、扇子で板を叩いて拍子を取る扇拍子を務める。
舞は鶴岡八幡宮と同じく黄竹の歌で始まった。王が帰ってくるのを姫が待ち焦がれる恋歌を、途中で王が死んでいるのに姫が待ち焦がれる恋歌に変えていった。大姫がのめり込んでいるのがわかる――そう、これは大姫の歌なのだ。
歌が盛り上がりを終えると、静が倒れ込み、新三郎と磯野禅尼は燭台の明りを吹き消した。大姫は恍惚の表情をしている。
燭台に再び、新三郎が明りを灯す。中央で磯野禅尼が“巫女舞”を始めた。死んだ王の魂だけでも、この世に戻るよう祈っている。大姫は磯野禅尼が舞っていることを不思議がったが、こちらも舞の名人なだけに、すぐに大姫を魅了した。
――そして、大姫の後ろに静が現れた。静は舞台に向かって歩き出す。
少し傾いた烏帽子に浅黄色の直垂の後ろ姿を見ただけで、大姫の瞳から滂沱のようなに涙があふれ出た。静は中央に行くと磯野禅尼が倒れ込む。
歌が再び始まる。死んだ王が待ち焦がれる女に語りかける――私はお前が恋しくて、毎日会いに来ているのに、死んだ私にお前は気づいてくれない。こんな悲しみはあるだろうか。だから今、人の身を借りて舞い降りたのだ――。
「義高様――――っ、義高様――――っ、え――ん! え――ん!」
大姫は子供のように泣きじゃくった。義高の死後、大人びた話し方をするようになり、ときには威厳させみせていた大姫の姿はそこにはなかった――好きな人がいなくって寂しがる少女だけがそこにいた。
海野と望月も泣いていた。この仕掛けに協力し、静が義高を演じていることが分かっている二人にも、義高がそこにいるとしか思えなかった。
舞いが終わった後も、静は大姫が泣き終えるまで胸で抱いていた。泣きやむと、静御前は立ち上がり、扇で燭台の明りを消して消えて行った――。
「義高様、行かないで……」
立ち上がって追おうとするのを、新三郎が抱きとめた。疲れたのであろう。大姫はそのまま気を失った。
大姫を輿に運ぶと、海野と望月が新三郎に礼を言いに来た。
「静御前にも礼を言いたいのですが――」
「全身全霊を尽くして疲れたのだろう。静御前はまだ横になっているよ。磯野禅尼が介抱している」
「そうですか、では後日、御礼に伺うとお伝えください。天下一の芸の凄みを感じました。本当に義高様を蘇らせた! なあ重隆」
「ああ、我々の弓の技もあの高みまで登らせたいな」
二人は興奮気味に話している。この仕掛けには二人の合力が必須だった。義高を蘇らせるため、義高が気にいっていた直垂や烏帽子の被り方のくせ、よくやる仕草などを静と磯野禅尼は詳しく効き取り、舞に取り入れていったのだ。
――これで少しでも大姫様の病が良くなるといいが。
大姫の輿が去っていくのを見つめながら、新三郎は南御堂に願った。
静に男児が産まれたら殺すと頼朝が言ったという話は、いつの間にか鎌倉中の噂になっていた。本来、秘事のはずなのだが、政子が止めて欲しいと懇願し、頼朝がそれを出すぎた真似と叱ったことから、口喧嘩になり、いつものように侍女たちから広まっていったのだ。
「義時は何で来ないの!」
鎌倉・北条屋敷では牧の方が阿火局に八つ当たりしていた。
「今宵も大倉御所へ詰めているとのことでした」
阿火局は日課となりつつある江間義時の屋敷との往復をして、牧の方に報告しているところである。
「平家が滅んだ今、何を徹夜でやることがあるっていうのよ。時政殿も京から帰ってこないし。こんなことなら浮気でもしてやろうかしら。ねえ、景清、子種をちょうだい」
牧の方は縁側にいる、伊藤悪七兵衛景清に絡んだ。景清は相手にせず太刀の手入れをしている。
阿火局が京から戻った時、密偵頭が牧宗親から、景清に代わっていた。初対面だったが、そんな気はしなかった。なぜなら、貞親から散々聞かされていた男だったからだ。
――まさか、貞親が追っている仇の手下になるとは……。しばらくは貞親には会えないな。
阿火局は少し寂しくなった。
「お方様、例の噂をお聞きですか?」
「ああ、静御前の妊娠のことでしょう? 知っているわ。鎌倉中の噂ですもの」
「また、何か仕掛けをなされるので?」
「この件に関しては、私も頼朝と同意見よ。産まれた子が女だったら静御前は私の仲間。男だったら私の敵よ。男を産めない女の怒りを知るがいいわ」
なかなか男児を産めない牧の方はやけっぱちになっている。
「あなたもそうでしょ、景清」
「源義経は平家を滅ぼした仇、その息子なら死ぬが当然だ。阿火局よ、静御前の出産まであとどれぐらいだ?」
「二カ月ぐらいかと」
「牧の方よ、一カ月ほど鎌倉を離れる。ここでは、どうも平家の残党が集まらん」
「いいわ、時政殿が京で稼いでくるから、集められるだけ集めてきていいわよ」
――世話になった磯野禅尼の孫を殺すかもしれない。
そう考えると阿火局は気が重くなった。