第28話 元歴二年・文治元年(1185年5~10月) 締まる縄
源頼朝がまず源義経に対し打った手は、義経に気づかれぬよう西国の武士たちに使者を送り、義経に従ってはならぬ、と内内に命じることだった。
義経はというと、平宗盛親子ら捕虜を京に連れて入る凱旋の行列を組む際、頼朝お気に入りの御家人の土肥実平と、自分の家人で頼朝から見れば陪臣である伊勢義盛を並ばせて、他の御家人たちを鼻白ませた。そして、またも弁明になっていない使者を鎌倉に送り、頼朝を怒らせていた。
木曽義仲追討以来、久しく頼朝と会うことができなかった義経に、ようやく頼朝と会う機会が訪れた。平宗盛父子たちを鎌倉に護送することを申し出たのだ。
しかし、頼朝は冷淡だった。義経を腰越の満福寺とどめ、鎌倉に入ることを許さなかった。和解はもちろんのこと、鎌倉での暴発の隙さえ与えなかった、この仕打ちに対して、義経は自身の心情を書いた書状を大江広元に渡すことしかできなかった。
鎌倉・北条屋敷では、直垂を着て支度している牧宗親に牧の方は毒づいていた。
「役目を断らなかったそうね。情けない。また頼朝に髻を切られたいの?」
「時政殿が取りなしてくれたのだ。御所からは駿河に新しく所領もいただいた。出仕しないわけにはいくまい」
「囚人護送の先導ぐらい兄上が断ったところで、代わりはいくらでもいるわ。そうだ、平宗盛父子にこっそり暗殺用の小刀を渡してみたら?」
「そんな馬鹿なことはせんよ。私は今度こそ、平穏無事に生きて見せる。密偵頭も辞めたい。早く代わりの者を探してくれ」
「どうしたの、兄上。あれだけ恨みを持っていたのに、あっさりしたものね」
牧の方は大きくなったお腹を撫でながら言う。
「お前が執念深すぎるのだ。陰謀を胸に隠しながら、大姫様と仲良く話しているお前を見る度に、私は空恐ろしく感じる。此度の義経殿の件もそうだ。そそのかすだけで、知らんぶり。人の運命を弄ぶとしっぺ返しが来るぞ。私は巻き込まれたくない」
「兄上が忘れっぽいのよ。この世に平穏無事なんてものはありえない。またすぐに気が変わるわ」
宗親は牧の方を見てため息をつくと、大倉御所へ向かって歩き出した。
腰越の義経の元に平宗盛父子が戻ってきた。京の近くで処刑するためだ。義経の訴えに対して頼朝は言葉ではなく、四日後に義経の所領二十四カ所を没収することで答えた。さらに九月には梶原景時の息子・景季を通じて、義経と親交のある新宮行家の追討を命じてきた。義経は徐々に力を奪われ、追い詰められていった――。
「坂東へ戻らねばならぬことになった。残念だのう。師匠の元を離れるのは」
「歌いすぎですか? 声が変になってますよ」
喉の調子を戻そうと咳払いする重忠に、護衛でついてきている新三郎は言った。
「半年近く、稽古をしたのだから、もう満足してください。義経殿が鎌倉から帰還してからの京は、いつ何があってもおかしくない空気です。範頼殿の軍も鎌倉に戻りました。重忠殿も秩父で戦に備えるべきかと」
「うむ。爺(榛澤成清)に任せているので心配はしておらんが、秩父党の騎馬に使う馬は、わし自身が選びたいからな。おぬしはまだ京にいるのか?」
「変事が起こるまではいるようにとのご命令です。ただ――そう長くはないでしょう」
「ところで、師匠についてなんだが――」
「会いませんよ。重忠殿の頼みでも」
「詫びを聞いてくれるだけでいいのだ。広言殿は昔の過ちを大変悔いておる」
「言ったのはそれだけじゃないでしょう?」
「ううむ。確か――真の“あわれ”を知ってこそ見えた歌の境地があると」
「断じて真では無い! それに父上が謝るべき相手は私ではない!」
新三郎の激しい怒りを見て、重忠は説得を続けることを諦めた。
「坂東へ戻らねばならぬことになった。残念だのう。師匠の元を離れるのは」
「せいせいするわ。ちょっと犬、そこ外から見えるわよ。お客が逃げちゃう」
西河の遊郭・天女の入り口で阿火局と貞親が話している。あれから貞親は砂金袋を持って何度か遊びに来た。阿火局が、砂金を盗んだ文句を言ってもお互い様だ、と取り合わない。
そして、砂金を使い切るころには、遊郭の主、磯野禅尼を師匠と呼ぶほど親しくなり、酒と引き換えに用心棒を引き受けていた。
「ちっ! おぬしまで犬と呼ぶな!」
貞親はいつの間にか、遊郭に遊びに来る御家人たちから“白拍子の犬”というありがたい呼び名をいただいている。
「まだ、会いに行く気が無いのか? それなら新三郎と暮らすか、鎌倉に戻れば良いではないか」
貞親は新三郎の親が、三条に住んでいる惟宗広言で、二人は不仲であることを阿火局に伝えている。逆に阿火局のことは口止めされていて、新三郎には話していない。
「知らないから気になっただけで、よくよく考えたら私を捨てた親だしね。新三郎が兄と言われても、昔の記憶がないのよ。だったら、他人とそう変わらないわ」
「わしには意地を張っているようにしか見えんがな」
「その手には乗らないわよ」
貞親は遊びには来るがまだ一度も阿火局を抱いていない。なぜと聞くと、新三郎に二人の関わりを黙ったまま抱くのは、気が乗らないらしい。
「そのうち気も変わるだろう。わしは奥で飲む。必要なときは声をかけてくれ――師匠、師匠! 少し話しませんか」
そういうと、貞親は磯野禅尼のいる部屋に銚子を持って入っていった。
鎌倉では頼朝と梶原景時、大江広元が、景時の息子・景季の京での役目の報告を受けていた。義経は病気で謀反の可能性は少ないと景季は言ったが、頼朝と景時にとってそんなことはどうでも良かった。欲しかったのは新宮行家追討に対して慎重な意見を言ったという事実。そして、公卿の中で義経につくものが少ないという情報だ。
だが、少しだけ誤算があった。頼朝はめぼしい御家人に義経への刺客を打診したが、辞退というか、この件には関わりたくないという者が多かったのだ。そんな中、土佐房昌俊が自ら手を挙げたので頼朝は喜んだ。
褒美を約束された土佐房昌俊は八十三騎を率いて、十月九日に鎌倉を発った――。