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源氏の子 ~源頼朝に逆らった男たち~  作者: キムラ ナオト
第一部 木曽義仲の子
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第2話 治承四年(1180年9月) 北条の後妻 牧の方

「この内掛けはどうかしら。京から取り寄せたのよ。いいでしょう? これなら都の女にも負けないわ。公家の出の私がしっかり殿方の心つかめるように選んであげますからね。ほら、時子さん、いつまでも泣いてないで」


 泣いているのは時子だけではない。伊豆の北条屋敷では、石橋山での源頼朝の敗戦と嫡子宗時(ちゃくしむねとき)の死が聞こえてからというもの、誰もが暗く沈んでいた。


 そんな中、一人張り切って衣選びなどを侍女たちに指示を出しているのが、北条時政(ほうじょうときまさ)の後妻、(まき)(かた)だ。


「継母上、兄上が討たれて悲しむなというのは酷です。こんなときまで小袖選びなどしなくてもよいではありませんか」


 時子は怒って牧の方を睨んだ。継母(ままはは)と娘の会話だが、ほぼ年齢は変わらないので姉妹にしか見えない。

京から連れてきた派手な衣を好む若妻に、北条時政は周りが呆れるほど惚れ込んでいた。


「宗時殿が亡くなったのは悲しい事です。でもね、時政殿の反対を押し切って、一か八かの戦に北条家を巻き込んだ張本人は宗時殿です。失敗したら死ぬ覚悟もあったのではなくて。可哀そうなのは巻き込まれた、時政殿や義時殿のほうですよ。まったく、これからどうなることやら。もう一人の張本人はまだ伊豆山権現(いずやまごんげん)ですか? 女どもで話さなければいけないことも多いというのに――」


「姉上を悪く言うのはおやめください。佐殿(すけどの)のご無事をずっと祈っておいでなのです」


 政子は源頼朝の挙兵から伊豆山権現に保護されていた。多くの僧兵に守られているため、平家方でも簡単には手は出しにくい場所だ。


「はいはい、わかりましたよ。加持祈祷は政子殿に任せましょう。北条一族のことも祈ってくれているといいのですけど」


 勝気な政子を呼んで話したところで、話がまとまらないは牧の方もわかっている。しつこく反論せずに、あっさりと引き下がった。


「なぜ今、私たち四人の衣選びや道具選びをしなければならないのです?」


「あら、いつでも嫁げるように支度をしなくては」


「何をおっしゃっているの。今はそんなことを考えている場合はではないでしょう」


「いいえ、佐殿が勝とうが負けようが、あなたたちは嫁に行くことになるわ。勝てば佐殿を支える有力な家に。負ければ家を守るために他の源氏にね。例えば甲斐源氏の武田か一条かしらね――嫡流でないのは不満ですけど、仕方ありませんわ」


 時子はいぶかしげな顔をする。


「継母上はお若いのにいろいろとお詳しいこと。私は考えがついていけませんわ」


時子は口をとがらせて抗議するが、牧の方は気にもしない。

苛立つ時子は庭に控えている禿姿の童女に八つ当たりした。


「また、京から連れてきた怪しげな禿(かむろ)どもを使って調べさせたのでしょう。ああ、気味が悪い。物の怪のようなもの使っていると、良くないことが起こりますよ」



――平家が京で実権を握った後、不満を持つ政敵が多く現れ、平家に危機をもたらした。防止策として平大納言時忠の発案で、親のいない孤児を集めて、検非違使(けびいし)の庁所属の赤禿という密偵集団を作りだした。赤の直垂に禿(おかっぱ頭)の恰好で街に放ち、平家の悪口を言う者を検挙させたのである。捜査権を持ち、公卿の家でも堂々と入っていく彼らは、その派手ないでたちも相まって恐れられた。「平家に(あら)ずんば人に(あら)ず」と放言した平時忠らしい策である。



 北条時政に牧の方が嫁ぐ際、兄の牧宗親も京から伊豆に妹と下ることとなったが、牧家は公家のため、部下に武者働きできるものがいなかった。


そこで主人筋である池大納言(平頼盛)に相談したところ、優秀な赤禿の童女を一人払い下げてもらい、坂東の密偵頭を務めることになった。それから赤禿は牧家の郎党(ろうとう)に密偵の仕事を教えている。



「悪口をいうと、夜中に禿が驚かせに行くかもしれませんよ~」


「まあ怖い。縁談の話を進めるにしても、清子姉さんと私と吉子までにしてくださいね。

末の貴子には私から折を見て話します。あの子はおとなしそうに見えるけど、姉妹の中で一番頑固ですから」


「はいはい、私はこれから半日ほど外に出てきます。北条一族を大事に思うのなら泣く代わりに、恋文の一つも練習しておくことね」


「相手もわからないのに書けるものですか!」


 ふくれる時子をおいて、牧の方は赤禿を連れて北条館を後にした。しばらく歩くと二人は海沿いにある牧の方の別邸に入った。ここは北条時政や牧の方の兄の牧宗親が使うほか、禿たち密偵の拠点としての機能も有している。


 しばらくすると別邸から、赤禿が市女笠(いちめがさ)を被って出てきた。何かを待ちきれないように、足取りは早い。時折、すれ違う村人もあったが、赤禿の良くない噂でも聞いているのか、村人は赤禿を避けるように歩いていく。


赤禿は屋敷に入ると香の漂わせている部屋で待っている男の胸に飛び込んだ。放り投げた市女笠の陰から現れた顔は赤禿ではなく、牧の方だった。


義時(よしとき)! よくご無事で」


 感情を抑えきれない声で牧の方は言った。逆に戦陣帰りとは思えぬ落ち着きを見せているのが江間(えま)義時。北条時政の次男で政子の弟。牧の方の継子である。


「継母上、残念ですが、赤禿に伝えた通りこれから武田に向かわなければなりません」


 そう言いながら義時は狩衣を脱いでいく。合わせ鏡のように牧の方も衣を脱ぎ、裸になっていった。短い間だが、義時は激しく、乱暴に牧の方を犯した。二人にとってはこれがいつもの姿なのであろう。牧の方もそんな義時を受け止めて、喜びの声を上げていた。



――数時間後、義時は来たときと同じ狩衣姿に戻っていた。牧の方のほうは小袖を着ているだけだ。


安房(あわ)に落ち延びた佐殿(源頼朝)はどうなるの?」


「下総の千葉常胤(ちばつねたね)は味方するでしょう。大軍を持つ上総広常(かずさひろつね)はまだ迷っています。自信家で押しの強いと評判の武将だが、できるだけ危険を避けている小心者です。だから我ら親子は上総ではなく、甲斐に行けと佐殿の命じられました」


「上総広常に甲斐源氏も味方だと安心させるためね」


「父上も郎党を使って、常陸の佐竹が佐殿追討を理由に広常の領地に侵入してくるという流言を流しています」


「でもあなたは私に逢いに伊豆にきてくれた」


 牧の方は馴れ合うような視線を義時に送る。 


「親孝行でしょう? 父上からの文を預かってきました。返し文をお書きください」


 義時は澄まし顔でそう言うと、袋から文を取り出して渡した。

 牧の方は恨みがましい目で義時を睨みつけると文机に向った。


「これから甲斐へ行くの?」


「甲斐へは父上が急いで向かっております。私は武田との同盟の動きがあるということを武蔵国で触れ回り、のんびり武蔵の武家の様子を見ながら甲斐へ行きます。その前に姉上に佐殿の石橋山からの行動を報告してからですが」


「その必要は無いわ。兄の宗親(むなちか)が密偵からの情報が来ると、すぐに手柄顔で行ったわ。政子の郎党でも無いのに情けない……」


「ハッハッハッ、叔父上も武者働きができない分、必死なのでしょう」


「――嫌な言い方だこと。そういうあなたこそ武者働きはしたのですか。負け戦帰りの割には、矢傷一つ見当たらないけど」


「目立つのが嫌いですからね。後方で皆の戦ぶりを眺めていましたよ」


「それでは他の家の者に笑われましょう」


「他の家の者は手柄を上げなければ恩賞(おんしょう)を得られませんが、私は何もしなくても佐殿の義弟。前に出れば却って嫉妬を受けます。あの人望のある兄上でさえも前に出たがるために良く思わない者がいましたから――」


 石橋山の戦いで敗死した北条宗時のことを話すとき、わずかだが義時の声が湿りを帯びた。


 返し文を持って屋敷を出ていく義時を見送りながら、牧の方は義時との関係について思い起こしていた。宗時、政子をはじめ北条家の人間は、物をはっきりいい、感情を激しく表す。


 京育ちで遠回しに物を言うことに慣れていた牧の方は、それが下人のようで嫌だった。政子たちもそれを感じたのか、牧の方に対してよそ者扱いをすることを隠さなかった。


 そんな中、義時だけは物静かな男で、書物を読む以外は何をしているか分からないほど存在感がなかった。北条時政はそんな義時に対して物足りなく感じてはいたが、次男だからと放っておいたそうだ。嫡男の宗時は別として、姉妹たちも何を考えているかわからない義時をどこか苦手としている様子だった。


 牧の方は文句の一つも言わずに話を聞いてくれる義時を気に入り、いつしか部屋に入り浸るようになっていた。義時は愚痴も聞いてくれるが、太政大臣平清盛と後白河院の話を好んだ。牧の方が知っていることなどわずかなものなので、赤禿からわざわざ話を聞いて義時に聞かせた。


 仲も深まってきたある日、家族の中で疎外感を感じていると牧の方は泣いた。そのとき、初めて義時に抱かれた。普段の姿から想像のできないほど激しく愛された。義時も泣いていた。あの涙は同情か共感か――義時は語らない。


 それから、牧の方と義時は少しずつ変わっていった。牧の方は継娘たちに負けないほど物を言うようになり、義時も発言こそ少ないが、時政や宗時に積極的に付き従って行動するようになっていった。坂東情勢の急変が二人を変えた原因だと誰もが勝手に納得し、二人の仲を疑うものはいなかった――。




※当時の関東勢力図 wikiより

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/d/d9/%E6%B2%BB%E6%89%BF4%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%96%A2%E6%9D%B1.png

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