第27話 元歴二年(1185年5月) 京模様
本田貞親は西河の遊郭に行った。数々の戦乱に焼けても、いつ間にか賑わっている。今は平家追討から戻ってきた御家人たちが、京の思い出にひと遊び、どこそこには平家の姫君もいるぞ、などと噂しあっては遊びに来るものだから、繁盛も一際である。
貞親は何軒か飾り窓を覗きながら歩いていると、“天女”と書かれた小さいながらも品を感じさせる店があった。
――大層な名前を付けるものだな、と貞親が眺めていると、
「お前さんじゃ払えないよ、田舎武者。恰好を見ればわかるわ。ここはあの静御前の御母君・磯野禅尼がやっている店よ。任官してから出直しな」
――わしに払えんことぐらいわかっておるわ。厭味ったらしい断り方をしおって。
貞親は文句の一つでも言おうと、入口を見ると、あっ! とお互いに声を出した。
「おぬしは馬泥棒ではないか? こんなところで何をしとる」
「ちょっと、変なこと言わないでよ!」
阿火局は貞親の袖を掴むと店の中に引っ張り込んだ。
「私はここでは茜御前でやっているの。あんたは?――ああ、西国帰りか」
貞親は掴まれた袖を振りほどくと、
「おぬしが切った髪代が名馬では割が合わん。馬泥棒でなければ何だというのだ」
「ああ、確かに高く売れたわよ――悪かったわ。でも今は払う物代は持ってないの」
「だったら、ここで遊ばせろ」
「あいにく、今は皆出払っていて誰もいないわ」
「奥から管弦と歌が聞こえてくるじゃないか?」
「あれは磯野禅尼が白拍子見習いの禿に稽古をつけているのよ。だから、諦めて」
「おぬしがいるではないか」
「私と遊びたいの?」
阿火局はきょとんとした顔で貞親を見た。
畠山重忠と新三郎は三条通りを惟宗広言の屋敷に向かって歩いていた。
「いやあ、楽しみだ。わしも歌集に選ばれるくらいの名人になりたいのう!」
「歌に没頭されるもほどほどになされ。歌狂いになると、一族に見限られますよ。惟宗殿は老齢の身をお一人でお過ごしです。子供たちは皆、家を出て、今は比企義員殿の元で働いております」
「興の無いことを言う。わかっておるよ。それにしてもおぬし、惟宗殿のことに詳しいな。付き合いが古いのか?」
「――かつては父でした。理由があり、今は縁を切っております。ですので、お送りするのは屋敷の前までです」
「――わかった。深くは聞かん」
この後、重忠は気を聞かせて話を変えてくれたが、結局、今様(流行歌)を熱く語っているだけなので、新三郎は畠山家の未来が少しだけ心配になった。
「本当によく効くわね、この薬」
阿火局は薬入れの小壺を揺らしながら言った。横では貞親が大の字になっていびきをかいている。あたりには食い散らかした皿や、銚子が転がっている。
――さっさと抱かない、あんたが悪いんだよ。
股間に銚子を投げてみる。ウッ、と呻いたが、すぐにまた眠りだした。いい眠り薬だ。部屋に入ってから、貞親は阿火局にいろいろ話してきた。
――お前は新三郎の妹に違いない。一度、会うべきだ。
――京に手掛かりを探しにきたのなら、手伝ってやる。
余計なお節介だ。だが、京に来てからというもの、自分の出生について、何もつかめていない。情報が集まりやすいということで遊郭を選んだのだが、手掛かりが“子供の時に捨てられていた場所”だけでは、どうにもならなかった。
そのうち、牧の方から連絡があり、遊郭にいるのだったら、磯野禅尼のとこに行くようにと指示があり、今はここにいる。
――こいつの言うとおり新三郎に会ってみようか。
そんな事を考えていると、チリンと入口で鈴の音が鳴った。
――その前に役目を果たさないとね。
阿火の局は雑用の禿に貞親のことを任せると、店の入り口に向かった。大柄の武者が立っている。何も言わずに奥の間に案内した。
「北条御内室(牧の方)が、わが主に同情なされているのは本当でしょうか?」
生真面目な顔をして聞いてくるのは、佐藤忠信。義経の側近である。言葉から必死さが表れている。きっと追い詰められているのだろう。
「はい、あれほど大きな功を上げられたのにも関わらず、御所の酷い仕打ちと――鎌倉にも同じ気持ちの御家人が多数いる、とおっしゃっていました」
「――そうですか。それを聞けば主もお喜びになるでしょう!」
忠信は愁眉を開いた。
「北条御内室には御所にお取り無しいただけますでしょうか?」
「それは、なかなか難しいようです。まずは、御所と義経殿が直接お会いすることが一番大切な事かと、会って話せば誤解が解けることもございます」
「その通り。今は間に懺言者がいる。それがなければ――」
「そうです、しかし懺言者は強力です。もし、お会いしても許されないことも考えておかねばなりません。その場合は、非常の手段も仕方がないだろうと――」
忠信は緊張する。阿火局に言葉の先を促した。
「御所を幽閉して、君側の奸である懺言者を討つしかありません。もし、大倉御所に火が上がるようなことがあれば、北条は駆けつけます。失敗したとしても由比ヶ浜に奥州へ渡れる船も用意しております。義経殿に、そうお伝えしよと」
「承知した。主においては、御内室の御心に重ねがさね感謝しておること、お伝えください。少しばかりですが、これは主のお気持ちです。それでは」
忠信は砂金袋を置くと立ち上がった。
「大倉御所に火が上がらないことを祈っております」
忠信の背に向かって阿火局は頭を下げた。
――生真面目な男を騙すと後味が悪い。おそらく牧の方はそそのかすだけで、何も行動しないだろう。私が恨まれねばよいが……。
阿火局はそう考えると急に疲れが出てきた。貞親のいる間をのぞくと、忠信に比べ、ずいぶんと幸せそうな顔をして寝ている貞親がいた。クスリと笑うと、
――可哀そうだから、少しだけ抱かれてやるか。
阿火局は身体を横にすると、いびきをかいている貞親の胸に頭を預けて眠った――。
阿火の局が目覚めると、貞親の姿は見えなかった。小袖の乱れも無い。
――薬を盛られた文句の一つも言いたかっただろうに。襲いもせずに素直に帰るなんて、案外いいところあるじゃないか?
しかし、阿火局が貞親に好感を持った時間は短かった。眠り薬が入った壺と、忠信からもらった砂金袋が無くなっていたからだ。
「あの泥棒!!」
パリン! 銚子が一つ、砕け散った。