第23話 元歴元年(1184年10月~1185年2月) 屋島の戦い
「義経殿の行動はわかりやすくて困る。これでは俺が報告するまでもなく、噂が勝手に鎌倉まで飛んでいくわ。役目は楽でいいが、張り合いが無い……」
新三郎は縁側から、庭で二刀流の稽古をしている貞親にぼやいた。
二人は鎌倉派の公卿の屋敷で仮住まいさせてもらっている。京の治安も不安定なので、公卿も嫌な顔はしない。用心棒代わりになるからだ。
「わしは知らんぞ。そんなにひどいのか?」
「お前はしょっちゅう京を離れて悪七兵衛景清を探しに行っておるからだ。御所と御台所が嫁に選んだ河越殿の娘が間もなく来るのを知っていて、白拍子の静御前という者を先月、側室に入れた。なぜ、わざわざ鎌倉へ当てつけのようなことをする。新たに昇進と昇殿の資格も得たが、辞退しなかった。これもわからぬ」
「大将軍を外されてふてくされているのだろうよ」
「だとしたら子供じみた抗議だ。ここはおとなしく反省の姿を見せればよいではないか。他人事ながらはらはらする。かといって、義経殿の周りを探っても謀反の気配はまったくない。役目も勤勉にこなしておる。変わったお方だ」
「そういう気性なのだ、たまにいる」
「どういう気性だ? 言ってみろ」
「天邪鬼だ」
「ふっ、そうかもな。次の報告にはそう書いておこう」
「ついでに殿から催促されている物も、頼まれてくれぬか。わしは苦手じゃ」
「奥方への贈り物でも買えばよいのか?」
「京の今様(流行歌)をたくさん書いておくれだとさ。書状には、御所の前で今様を披露して大受けしたと自慢が書いてあった」
しばらく、新三郎と貞親は重忠からの催促を押し付け合った。
一方、鎌倉では源頼朝が義経に苛だっていた。しかし、今は西国へ派遣した軍への対応に追われて、それどころではなかった。
範頼が率いる平家追討軍は、船が無いために平家の本拠地の屋島を攻撃できず、横に見過ごして中国地方を攻め進み、九州に向かっている。兵站が伸びたところを、海から平家が襲うため。補給も邪魔されて上手く行かない。
今日もお決まりのように、米が欲しい、馬が欲しい、船が欲しい、御家人が言うことを聞かない、という内容の使者が鎌倉に来ている。それに対して頼朝は、兵糧米は船で送る準備をしている、馬は送らない、船は梶原景時が調達しているから待て、御家人たちを怒らせるな、とこちらもお決まりの返事をするしかない状況だった。
さらに頼朝は範頼に対し、現地の武士を取り込んで命令を聞かせろ。でも嫌われるな。平家に圧力をかけろ。でも安徳天皇を怖がらせて自害させるな。三種の神器は必ず取り戻せ。など、老婆の繰り言のようにしつこいほど手紙を送り続けている。
こうなってくると、現地の将軍である範頼も慎重策を取らざるを得ず、軍の動きも鈍重になるしかなかった。
そして明くる年一月、大江広元が義経の大将軍任命を頼朝に進言した。
「このまま範頼殿に任せていては軍が崩壊いたします。そればかりではなく物資の不足から、現地で無理な調達をかなり行っており、西国で源氏の悪評が広まりつつあります」
「だからと言って義経で何とかなるものなのか?」
「安達新三郎によれば、義経殿は熊野の別当湛増や摂津・紀州の水軍と連絡を取っているようです。大将軍に再任されたときのために船を調達できるよう動いているのかと」
「範頼に渡さず、己のためというところが義経らしいの。だが、勝つための工夫はしているのは誉めてやろう。くれくれの範頼から比べればましか」
「義経殿を推す理由は他にもございます。珍しく、あの大天狗が義経殿に手を出さず、おとなしくしています。平家の残党が伊賀で暴れたのを見て、京で無用の混乱を起こすのを控えているでしょう。だから、釣り針の餌を大きくする必要がございます」
「戦が上手く行くと増長するぞ、義経は」
「大いに結構ではありませんか。鎌倉が最終的に対決するのは大天狗です。私も京で交渉と工作しておりますが、依然として院は手強い。ならば弱みを作り出し、それに乗じて交渉すれば道は見えます。根拠のない恫喝は反発を生みますが、相手に非がある場合、恫喝はとても有効です」
「清水義高では上手く釣れずに網を使うことになった。義経では失敗したくないものだな。よし、広元の進言通りに義経に大将軍を任せよう」
「お聞きいれありがとうございます。これで鎌倉の大業に一歩近づきます」
「そうだ、我々は新しい世を造るのだ」
頼朝は側にある紙に目を落とした。紙には、“守護”“地頭”“幕府”と大書されていた。
義経に対し、四国方面の将軍を一月に任じると、鎌倉に残っていた御家人にも出陣の命が下る。畠山重忠も四国方面軍に組み入れられた。また、それだけでは少ないので西国方面軍からも戦力を割いて合流させることとなった。
大将軍になってからの義経の動きは電光石火だった。重忠が摂津の沖に付くころには船が用意されていた。大嵐の中で決死隊を編成して海を渡り、徹夜で進軍。村に火を放つことで少数の軍を大軍に見せかけて急襲して、屋島から平家軍を船に追いやった。その間、わずかに二日。義経でなければできない戦い方だ。
しかし、夜が明けると平家軍に寡兵であることに気づかれてしまう。平家軍が激しい矢戦を仕掛けてきて、義経の郎党・佐藤継信も義経の盾となって死んだ。
強行軍の疲労もあってか、危機的な場面も数多くあった。だが、義経軍は騎馬武者だけで編成されているため、機動力で数の差を何とか補っていた。朝から続いた戦いも夕刻に近づくと、休戦状態になった。
しばらくすると平家軍の船隊の中から、老武者が漕ぐ一艘の小舟が出てきた。船には竿に先に日輪の扇が付けられており、美女がこの的を射てみよと、指していた。
「殿! 殿! いつまで青い顔をしておる。義経殿が呼んでおられる。平家軍に殿の剛弓を見せてやってくれ、と言っていますぞ。名を上げるいい機会だ!」
船が苦手な重忠は嵐の中で船酔いしたまま、二日間寝ずに戦っていた。貞親が声をかけても、木にもたれたまま動こうともしない。疲れた声で返す。
「……正面から敵の挑発を受けるなんて義経殿らしくもない」
「平家軍全体が船端を叩いて煽っているからでしょう。聞こえるでしょ、バンバン鳴っているのが」
「他を探せと言え。そうだ那須十郎がいい。那須党は弓の名家だ。それで文句があるのだったら、この重忠の顔を見てから言え、と伝えろ」
義経は次に那須十郎を呼び出したが負傷していたため、弟の那須与一が引き受けることになった。
那須与一が騎乗で海に進んでいくと、両軍とも息をのんで静かになった。それでも「行き過ぎじゃないか」、「まだ早い」、「いま波が落ち着いているぞ」など、叫ぶ声が聞こえる。与一はそんな声から心を離すように「南無八幡台菩薩――」と神文を唱えた後、弓を放った。
――沈む夕日を背に日輪の扇もまた海に落ちていった。与一の腕の見事さと、情景の美しさに、沖の平家は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いてどよめいた。すると小舟を漕いできた老武者が、白柄の長刀を持って舞い始めた。
「あそこで終わっておけば良かったのだ」
貞親は不満気な顔で言いながら、扇で重忠の顔に夜風を当てている。まだ重忠は木にもたれたままだ
「天邪鬼なのだろ?」
「人が思っていることの逆をやりたくなるのでしょうね。あそこで老武者を射殺しても誰も喜ばない。案の定、怒った平家軍が攻撃してきましたよ。そこからは大乱戦」
「伊藤悪七兵衛景清はいたのか?」
「いました。ほらこの通り」
貞親は右手を見せた。指が二本、折れている。
「やつめ、殿並みの怪力だったのを隠していました。美尾屋国俊なんて兜の錣(裾に広がっている部分)を引きちぎられて、散々に追い掛け回されてました」
「負けたのか?」
「海岸は足場が良くなかった……。老武者が殺されて気も乗らなかった……」
「新三郎の手紙に書いてあったぞ。~親恒の二刀流、これが本当の付け焼刃~とな」
「新三郎――――っ!」
貞親は叫ぶと、闇の中の新三郎がいるかのように、二刀をぶんぶん振り回した。
「やめておけ、指が使えなくなるぞ」
そう言うと、再び重忠は横になった――。
※参考wiki 屋島の戦い前
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%BA%90%E7%AF%84%E9%A0%BC%E3%81%AE%E9%81%A0%E5%BE%81.png
※参考wiki 屋島の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84.png
※参考wiki 扇の的『平家物語絵巻』巻十一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yasima.jpg