第21話 元歴元年(1184年6月) 命の粥
阿太郎は鎌倉・畠山屋敷でずっと考えていた。
――俺のしたことは義高様にとって良かったのだろうか、重忠殿の言うとおりに命乞いをしていたほうが、義高殿の命は助かったのかもしれない。
だが、他にも逃亡計画が動いているのを阿太郎は感じとっていた。義高主従の目も逃亡決行の機を探っていた。
――大姫様に発覚したときも俺が馬を用意していなければ、逃げることを選ばなかったのかもしれない。いや、どうだろう。大倉御所の外に追手が待ち伏せていた。あれは必ず逃げると想定しての罠だ。他の誰かが逃がす予定だったのかもしれない。しかし、なぜ逃亡の日がわかった。あれは大姫様が起こした突発的なものなのに……。
ここで、いつも阿太郎の思考は行き止まりになる。
畠山屋敷は大倉御所に近い。大姫の病状も自然と伝わってくる。阿太郎はますます罪の意識を感じるようになった。自分がいなければ義高様は助かったかもしれない。そう思いつめ、自決をしようとしたが、本田貞親に見つかり縛りあげられた。
それ以降、阿太郎は物を食べなくなった――。
「謹慎させている阿太郎の件だが……」
「処刑は無い。心配するな。御所は義高の件を早く忘れたがっている」
畠山屋敷の客間で向き合っているのは主の重忠と義兄の江間義時である。
「その前に、自分で死ぬかもしれん。大姫様への罪の意識でな。御所の前に連れて行っても、義高様を逃がしたことを詫びず、逃がせなかったことを大姫に詫びそうだ。そうなると、かえって御所を怒らせるだけかもしれん」
「それも心配ない。御所は藤内光澄を斬った。これは義高誅殺を悔んでいることを大姫様に示すためだ。しかし――大姫様は御所が心から悔んでなどおらぬことなどお見通しだ。それ以降も、なかなか食を取ろうとせぬ」
「――そんなに心が傷つくものなのか。まだ六歳だろう」
「六歳だからだ。私を含めて皆、幼女という事で、大姫様の心を深く考えていなかった。大人よりも激しく一途な恋を、ままごとだと笑っていたのだ――私は大姫様が恐ろしい。弱っているときは同情を禁じ得なかったが、今の大姫様はこのまま恨みながら死んで、祟りを起こすのではないかとさえ思う。御所も姉上も同じ気持ちだ。だから大姫様の気持ちに逆らうようなことはせぬ」
「大姫様は許してくれるか? 義高様を逃がすのに失敗した阿太郎を」
重忠は今の大姫が正しい判断ができるのか、疑問だった。
「そのときは悪いが諦めてくれ。大姫様はこのままだと間違いなく死ぬ。この世に強い恨みを残して。大姫様の心を動かすきっかけが欲しいのだ。そのために阿太郎をくれ!」
――阿太郎の助命のために義時に相談したのに、これではあべこべではないか。
だが、重忠はその言葉を口には出さなかった。義時の言葉に大姫への真情がこもっていたからだ。
「阿太郎に決めさせる」
重忠は義時を見送ると、貞親を呼び出した。
三日後、大倉御所の縁側の一段高い所に、頼朝・御台所・大姫が並び、地面には阿太郎が座っている。その後ろに重忠、義時が立っていた。頼朝はこの裁きが政治に影響が出ることを避けるために、立ち会う者をできるだけ少なくした。
「阿太郎、義高と逃げた事の経過を詳しく話せ」
頼朝がまず口を開いた。阿太郎は大姫に向き直って話し始めた。頼朝は不快な顔をしたが、政子に目で制されると表情を元に戻した。この裁きは大姫のためであることは頼朝も承知している。
やせ細った大姫に、同じく食を断ってやせ細った阿太郎が訥々と話しはじめた。義高が逃げている間、何をして何を話していたか。三日間の話なので内容こそ少なかったが、大姫は阿太郎の言葉を全身で聞いていた。話し終わると阿太郎は嗚咽を交えながら訴えた。
「申し訳ございませぬ、大姫様! 阿太郎は義高様を救えなかった大馬鹿者です。何卒、死を賜りますよう。いや、大姫様がどう申そうとも阿太郎は死にます。阿太郎は義高様のことを考えると申し訳なくて、苦しくて、死にとうござります……」
――阿太郎の死の決意は変わらぬか。
重忠は残念そうに目を閉じた。阿太郎が裁きに出ると言った瞬間、こうなる予感はしていた。
「私も同じよ、阿太郎」
静かに涙を流しながら、大姫は言った。
「みんな、言葉ばかり。義高様の元に行こうとするのは私と阿太郎だけよ。恨み? 祟り? 何もわかっていない。私にあるのは後悔と義高様の側にいきたい想いだけ」
この一カ月で大姫は数年歳を取ったかのように、大人びた話し方に変わってしまった。
政子が袖で顔を覆って泣きだした。
「阿太郎、一緒に義高様に会いに行きましょう」
場に緊張が走った。義時と重忠は何かが起こったときにすぐ動けるよう目合わせした。
「……それはなりませぬ。義高様がお怒りになられます」
「なんで? 大姫は義高様の妻よ!」
「なぜ義高様が己の危険を顧みず、護衛の海野殿と望月殿を大姫様の側に残したか? 義高様は自分のことより大姫様の命を大事に思っていたのです――だから死ぬのは俺だけ十分です」
「ずるい! 阿太郎だけ死ぬのはずるい!」
大姫はいつしか立ち上がって叫んでいた。
「海野殿と望月殿は、義高様の生き形見! 大姫様は彼らを大切にせねばなりませぬ!」
「黙りなさい! 阿太郎だけ死ぬのは許さない! お前も生きよ!」
頼朝と政子は、はっと目を合わせた。肩で息をしながら大姫は頼朝の目を見て言った。
「お父様、大姫は粥を食べます。だから――」
頼朝はうなずいた後、大姫に答えた。
「海野、望月、阿太郎は殺さぬし、死ぬことも許さぬ。これで良いか?」
大姫はうなずいた。
「さっきの話……、海野と望月にも話してあげて……」
大姫は阿太郎にそう言うと糸が切れたように倒れた。
大姫は粥を口にすると言っただけで三人の命を救ったことになった。
政子が大姫を抱きかかえていった後、頼朝は義時をねぎらった。
「見事だ、義時。正直、上手く行かないだろうと思っていた。だが、まだだ。我の命令を聞いた堀の郎党が首となり、逆らった阿太郎は救われる。これでは誰も言うことを聞かなくなる」
「はい、ですので阿太郎を殺します」
「なっ!!」
抗議をしようとする重忠を義時は手で止めた。
「まだ話は終わっていない。殺すのは阿太郎の名前だけです。幸いにも阿太郎の関与を知る者は、大倉御所の奥の住人と堀親家だけです。堀親家も阿太郎の顔は知りませぬ」
義時の言っていることはほぼ正しい。後一人、牧の方を除いては。義時はそのことを知っているのかどうか。
「ほう、阿太郎は死ぬことになるのか。して、蘇る者の名は? おぬしのことだ。当然、用意しているのだろう」
「安達一族に了解を取りました。阿太郎よ、お前の新しい名は“安達新三郎清経”だ」
頼朝は義時の差配に満足し、大きくうなずいた。
「重忠、おぬしの郎党の阿太郎は死んだ。新三郎は我の郎党とする。良いな」
重忠がうなずくと、頼朝は御簾の奥に下がっていった――。




