第16話 元歴元年(1184年4月) 三つの逃亡計画
清水義高は海野幸氏、望月重隆と、三つの密書の前で悩んでいた。一つは一条忠頼の家人と名乗るものから、二つ目は牧の方から、三つ目は御所の警護をしている阿太郎のものだ。残念ながら木曽ゆかりの者からは何も知らせは来ていない。
義高は二人に小声で話しかける。
「さて、もう一度見てみよう。一条忠頼は甲斐源氏の実力者だ。父上の仇を討つのであれば、頼るのも良いかもしれない。甲斐源氏と父上の所領であった信濃は隣なのも良い。御台所様に貢物を持ってきたときの荷台に隠して運んでくれるらしい。追手が来たとしても、御家人ごときには荷物改めはさせぬ、と書いてある」
幸氏、重隆は黙って聞いている。
「牧の方は奥州藤原氏の元へ逃がすと書いてある。義経殿も一時期、平家の追捕を避けるため奥州へ逃げていた。ここ数十年、奥州には平家も源氏も手出していない。私は安全だと思う。日が決まったら由比ガ浜の先に早船を隠しておく、と書いてある」
義高は最後の一枚を開く。
「阿太郎の計画は駿馬を渡すので、いったん上野国に行き、迂回して信濃に入ってはどうかという案だ。阿太郎が手伝うのは馬を用意するところまでで、そこから先は我ら自身で父上と縁が深い者の元へ行かねばならん。道中は誰も守ってはくれないが、知らない者ばかりの土地に行くよりは良いかもしれない。二人はどう思う?」
海野、望月はどれを選んでも従うとしか言わなかった。その後も話し合ったが。十を少しばかり超えた少年が三人集まったところで、大した意見が出るはずもなかった。あるのは少年らしい覚悟だけである。
「僕にも正直わからない。だから、どの相手にも同じ日に行動に移すと返事をしようと思う。決行は一週間後。どの計画を選ぶかはぎりぎりまで待って決める。選ばなかった計画も追手をごまかすのに少しは役に立つかもしれない」
海野が苦しい表情で言う。
「大姫様を人質として連れて行くこともできますが……。大姫様なら乱暴せずとも、喜んで殿について来るかと思います」
「幼子を人質にして討たれれば、永代までの恥だ。それに大姫は我ら三人にとっても妹のようなものだ。危険な目には会わせたくない」
「義高様――! 義高様―――!!」
部屋の外から大姫が義高を探している声が聞こえてきた。三人の少年は立ち上がると談笑するふりをして部屋から出た。
「御所、義高は乗ってきました」
「まずは良し。我なら政子に密書を持っていって身の潔白を証明し、なりふり構わず命乞いをするがな。そこまで徹底して仮面を被れなかったか……」
頼朝は景時から報告を聞くと、頼朝は側近の堀親家を呼び出した。頭は回るほうではないが、腕は立つ。
「一条忠頼の郎党に扮して、義高の逃亡を手引きし、駿河の一条屋敷へ向かえ。屋敷の近くまで来たら、おぬしは一条の郎党から頼朝の追手に変わるのだ。その後は、謀反人・義高を殺して手柄を上げろ。相手が少年だからといって簡単な仕事だと思うなよ。義高は山育ちの冠者だ。油断して山に逃げ込まれると難儀なことになる」
「承知しました。それでは決行日に向けて準備いたします」
伊豆から鎌倉の北条屋敷に牧宗親がやってきた。牧の方の離れに入る。傍らには阿火局が控えていた。
「義高を逃がすことにしたのか。そなたが奥州に伝手を持っているとは知らなかったぞ」
「ああ、阿火局から聞いたのね。何もしない兄上は黙って見ていて」
「時政殿が怒りはしないか? 駿河を取り損ねるかもしれぬ」
「どうでもいいわ。頼朝に媚を売って貰う所領なんて。私は頼朝と政子に苦しみを合わせたいの――心配しないで。時政殿に気づかれるような証拠は残さないわ」
「奥州に逃げ込めば、頼朝の頭痛の種になるかもしれないが……。また失敗しないように気をつけるのだな。そなたの言う通り、私は黙って見ているよ」
宗親は立ちあがると離れから出て行った。牧の方は出て行った方向に向かってつぶやいた。
「成功させるつもりなんて無いわ。ねえ、阿火局」
阿火局は静かに立ち上ると庭に出た。そこには西国に逃げ損ねた平家の落武者たちがいた。
秩父では畠山主従が、無念そうに話していた
「貞親、命乞いは無駄だったようだ。阿太郎から駿馬を三頭送ってほしいと手紙が来た。先に鎌倉屋敷に繋いである“洞吹”だけ渡す。あの馬はまだ他党の者の目に触れていない。他は秩父党の牧場で探させている」
「あの“洞吹”を渡すのですか!?」
「そうだ。良く走るいい馬だが声が良くないので、今は乗っておらん」
「殿、前にも申した通り、この件には深入りせぬほうが……」
「阿太郎を暴走させないためだ。馬を手配する代わりに、それ以上の義高様の手助けはしないと約束させた。義高様は大倉御所から逃げた瞬間、御所の敵となる。そしてこの重忠は御所の忠臣を自負している。義高様が畠山の所領に一歩でも入ったら躊躇なく討ち果たすとも伝えた」
「おとなしく殿の言うことを聞けばよいですが……。奴はたまに感情を優先させる」
「それはお互い様だろ。書状には武蔵国を通って上野国に出ると書いてある。つまり我が所領の近くを抜けるということだ――おぬしに命ずる。義高様を我が所領に入れるな」
「追い払えと?」
「やり方はおぬしに任せる。わしは御所も阿太郎も好きなのだ」
重忠は明確な返答を避けた。貞親は太刀を握りしめると、阿太郎に恨まれることにならないよう願った。