第14話 寿永三年(1184年2月) 一ノ谷の戦い
熊谷直実らの先駆けから始まった戦は始めから激戦だった。お互いに雨のようなに矢を降らせているとき、大手口の総大将・源範頼は後白河法皇が平家に思ったほど信用されていないことを知った。
この戦で立てた戦略は後白河法皇が平家に和平をすすめ、油断させてところに源氏が襲い掛かる、というものだった。だが、思ったほど敵が慌てていない。源頼朝から院には用心しろ、としつこく言われていた範頼は不安になった。
――もしや、罠に掛けられているのは源氏でないのか? 兄に叱られるかもしれない。
助けを求めるように梶原景時のほうを向くと、攻め気がありありと見えたので範頼は少し安心した。
「壕は越える自信はあるが、あの逆茂木は邪魔だな。取り除けるか、爺」
雨のような弓矢の勢いを図りながら、畠山重忠は興奮する愛馬“三日月”の首を撫でてはやる気を抑えていた。隣には秩父馬に乗った本田貞親が並んでいる。
「お任せください、若。しかし、あれほど大掛かりな逆茂木は見たことがない。見よ、あの刺さっている尖った枝の数。幅もかなりありますな。今、わしの郎党に盾の支度をさせております。ちょうど矢が収まる頃合いに支度が終わりましょう」
応じるのは榛沢成清。重忠の父・重能の代から使えている歴戦の勇者であり、畠山家の軍師を自負している。
「ほら、誰かが突っ込んでいったぞ! あれは誰だ、貞親」
「梶原党のようですな」
騒ぐ重忠と貞親に対して、成清は子供を諭すように言う。
「支度不足で突っ込んでも矢の的になるだけじゃ。知恵者の景時殿も興奮のあまり、判断を間違えたと見える。わしが戦の呼吸を教えて差し上げよう」
「おおっ、逆茂木を外し始めたぞ! 早い。景時殿と息子の景季殿はいったん戻っていきおった」
「景時殿はしっかり支度されていたようですな」
成清は小声で郎党に「急げ!」と命じた。
「景時殿が騎馬に乗って逆茂木の空いた場所にかかっていきおった!」
「他の党も景時殿を見て、動き始めましたな」
「どうやら逆茂木用の支度が出来てないのは我が党だけらしい。どうする? 爺。戦が終わるまで準備しているか?」
成清は怒りに震えながら郎党から盾を取ると膝で叩き割った。
「我が郎党よ! 支度はやめじゃ! 盾のなどいらぬ! わしに続け! 敵陣に穴をあけてくれる! 若よ、馬前で見事死んでやるから見ておけよ!」
成清とその郎党が敵陣に突っ込んでいった。
「殿、少し言い過ぎでは?」
「爺の作戦は手堅すぎる。戦には勝てるだろうが首が取れぬ。今の畠山党がすべき戦いは、犠牲が多く出ても首を取る戦いだ。貞親、伊藤景清を見たらわしのことは構わず戦え。行くぞ!」
重忠は馬腹を蹴った。貞親も騎馬で後に続いていった。前方に煙が上がるのが見えた。
戦いはすぐに乱戦になった。源氏の白旗と平家の赤旗が混ざり合う光景。それはどちらが押しているかではなく、戦の激しさを表していた。
「勝ち負けはどうなったら決まるのだ――」
冷静な景時まで混戦に身を投じてしまったため、範頼の問いに応えるものはいない。範頼は後ろで傍観している。こんな状況になったらもう指揮などできはしない。海を見る。向こうの総大将・平宗盛は大きな唐船いる。三種の神器も一緒であろう。そして源氏には船が無い。
――敵の大将を討てぬ戦いとは一体何なのだ。
敵の宗盛は何を考えているのだろう。初めから逃げ腰で陣を引いている。玉を盤面の外に置いている不敗の陣。ただ、必勝も願っていない。戦っている者にとって必死になって守る者がいない不敗の陣は、崩れたとき何をもって支えるのだろう――範頼は宗盛に少しばかり同情した。
重忠とその一党は奮戦していた。ただ、どこへ向かって行けばいいのか分からず、その場で敵を倒していた。それは先に切り込んだ梶原党もいっしょで、皆、混戦の中、良い敵はいないかと戦っていた。
一方、平家の大将である、平知盛、平忠度などは敵軍の首に興味を示さず、指揮に専念して懸命に軍を支えていた。
「平家の将軍はどこにいるのかさっぱり分からぬ。貞親! 景清はここにはおらぬようだ。煙が幾筋も立ち昇っている反対側に行け」
「殿は?」
「わしはここで働く。爺もそろそろ限界のようだからな。目の前で死んでやると言われたからには、わしの命を懸けても目の前で死なさぬ」
勢いよく突撃した成清だが、戦っている姿にも疲れが見えてきたのがわかる。
「ご武運を」
貞親は戦いを避け、乱戦の外側をなぞるように馬を走らせた。
煙のほうに進んで行く途中で、貞親は木陰で休んでいる一組の武士を見つけた。
「熊谷殿、よくご無事で」
「畠山殿のとこの貞親か。いいところで会った。傷薬を持っておらぬか」
馬から降り、貞親は傷薬を取りだした。
「先駆けは上手くいったのにその後は散々じゃ。まだ首を取れておらぬどころか、倅がやられる始末じゃ」
「父上、私が不甲斐ないばかりに、申し訳ございませぬ」
まだ幼さを残す若武者が口惜しそうに言った。
「いやいやいや! お前が気にする事はない。父がお前の分まで手柄を取ってきてやるからな。ここでゆっくり休んでおるのだ。ああっ! 無理に体を起こすではない」
梶原景時もそうだが、坂東武者には息子想いの親が多い。
「ご子息は誰にやられたのですか?」
「景清。伊藤悪七兵衛景清だ。同じく先駆けをした平山季重の郎党も皆殺しにされた」
貞親は薬一式を熊谷に渡すと、馬に乗り駆け出して行った。
「首重い! 首重い!」
童武者が十個以上ある首を両手で引きずりながら叫んでいた。“悪”の旗は背に結び付けている。
「そこに積んでおけ」
「恩賞無くなる! 恩賞無くなる!」
「我が旗を指しておけば誰も触れぬ。そんな葉武者の首の山より、大将首が欲しい。しかし……、誰も我に近づこうとせぬ。ふん、逃げ腰で打つ矢など私には刺さらぬ――いっそ敵の攻め口まで行ってみるか」
ヒュウッ!! 大きな音を立てた矢が景清の横を飛んでいった。乗馬がいななく。
景清が馬を落ち着かせると、正面に貞親がいた。
「久しぶりだな、景清。ずっと、会いたかった」
「ほう、いつぞやの。音の出る鏑矢とは、卑怯者の坂東武者には似合わぬ所業」
童武者が叫ぶ。
「猿武者! 猿武者!」
貞親は弓を納めて、太刀を抜いた。
「大殿が残したこの太刀。おぬしのことを想いながら何万回と振り下ろしたことか。弓などで殺したら、この太刀に嫉妬で呪い殺される」
「少しは腕を上げたようだな。気配で分かる。だが……、まだ私には及ばぬ!」
景清は長刀を握り直すと向かってきた。貞親も馬腹を蹴った。
切り結ぶ景清と貞親。切り合うこと五合を超えたときには、二人の間には混戦にも関わらず、そこだけ空間が出来ていた。二人に近づいたものは敵味方とも絶命したからだ。
「馬裁きが上手いな。致命傷をわずかに交わす。分かっているぞ、貞親。これが見たいのであろう」
景清は長刀を童武者に渡すと黒光りした太刀をぬらりと抜いた。前に貞親が見た時よりも刀身が長くなったように感じた。
「こいつは神剣だ。義仲の武者を斬っているうちに太く、厚くなった。しかし厄介な神でもある。生贄を与えねば、切れ味が鈍る」
貞親は大きくうなずいた。
「大殿は偉い。その太刀を見たとき、すぐに危うさに気づいていた。景清、その太刀は災いをもたらす。わしが海に捨ててやる」
「神を捨てるだと。愚か者め! 神罰を受けよ!」
迫る景清。貞親は手綱を離し、両手で太刀を持ち振り上げた。
両者の馬が交差する。攻防一閃――。
景清は馬首に寄りかかり、貞親は落馬した。馬が貞親をかばうように前に出る。
そのとき、二人の近くの兵たちに大きな動揺が起こった。予想もしないところからの新手か、奇襲か。童武者は景清が乗っている馬に飛び乗ると手綱を握った。
「ここまで! ここまで!」
泣きそうな顔で叫ぶと、童武者は走り去っていった――。
※参考wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E3%83%8E%E8%B0%B7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E4%B8%80%E3%83%8E%E8%B0%B7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84.png