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再会と別れ

えっと――お目汚ししました。今さら公開する作品じゃないとは思いましたが、つい投稿してしまいました。


 戦場というものの現実を知るには、実際に戦場に出て戦ってみるしかない。


 だが、エドリンが補充兵として志願したのはまだわずか十五歳のときだった。

 他の兵士たちだってそうだ。若者たちは兵士として志願し、死ぬか負傷し戦闘不可能とならない限り最低三年間を戦場で過ごさなければならない。


 そんなものは、ヒロイズムを抱く少年たちには当初気に掛けることでもなかった。


 少年たちは本当に戦いを経験してから初めて自分がしたことの意味を知る。

 その時にはもう後三年間がいかに長いものかと解っても、自らの義務を果たさない限りそこから逃げ出すこともできない。

 

 エドリンは大人たちの話から、戦場がどういうものか解っているつもりだった――だが、それがいかに甘い考えだったか――


 戦場にあるものは、ただ死ばかりだ。


 昨日までともに言葉を交わしていた者が次の日には永久に姿を消す。

 ほんの一瞬の隙が直接死につながる。太きを抜いた瞬間に身体を貫かれた兵士を、いったい何人見ただろうか。血と腐臭はけして消えることがない。そしてその先にあるものなど何もなく、


 戦いは決して勝者を生み出しはしなかった。

 一瞬の勝利がいかに無意味なものか。それが本当は勝利などではなく、束の間の休息だと気づくまで兵士にたいした時間は必要ない――




 エドリンが三年間生き残れたのは、ただ運がよかったからだ。

 これは謙遜ではなくて、心からそう思うのだ。


 かすり傷程度ならそれこそ数えきれないほと負った。一度は脇腹に矢じりを受け、その傷のせいで一月もベットの上だった。だが、それだけで済んだのは好運なんだ。


 イスタリア人と自分たちの争いの理由を、エドリンはもう馬鹿げたことなんて言わない。

 その理由がいかに意味のないことだとしても、剣を振るってくる相手に、どうやって納得させられるというんだ? 相手が襲ってくる限り、殺さなければならない。それが嫌なら――自分たちが死ぬしかない。


 ブラウドの言った台詞を、エドリンは心の中で繰り返し思い出した。


 もう何人のイスタリア人を殺しただろう? 人を殺すことに罪悪感など考えてはいられない。

 そんなことを考えていれば、隙ができて死んでしまう。


 初めて戦場に出たときのヒロイズムなど、もう何処かに行ってしまった。

 それが自惚れでしかなかったことを、今十八歳のエドリンは思い出している――




 ようやく三年間の義務が終わった。三年間に彼がしたことなど、人殺しの他に何もなかった。

 何一つ戦況は変わっていない。


「変えずに済んだ事が成果か……」


 それがどれ程の価値があるのか解らない。もしかしたら、もっと別の手段があるかもしれない。自分たちがしたような人殺し以外の方法が――エドリンは自分の考えを即座に打ち消した。いったい何を考えているんだ。俺はよほど疲れているらしい。


「こんな考えは危険だ……」


 自分の考えが単なる悲観でしかないことに気づく。だったら他に何があったというんだ? こんなことじゃすぐに殺られる。こう思い当ったとき、エドリンはおかしくなった。そして再び自分の考えを打ち消す。


「もうここは、戦場じゃないんだ」


 エドリンは北へと向かう街道を歩いている。そうだ、もう砦を離れてから五日になる。こんな考え方をやめることができるだろうか。薄暗くなっていく空を見つめてため息をつく。ここには血の臭いがない。もう緊張することもないんだ。


 これから先のことを、エドリンはまだ考えてはいない。ただ今は少しだけ休みたかった。


 三年間で肉体も精神も疲れ切ってしまったのが解る。

 エドリンは確かに若い。身体だけであれば、すぐにでも回復できるだろう。

 だが、あの戦場にいることで、精神はぼろぼろだった。


「戦場なら、どうせこんなことを言ってられないな」


 こんな状態でも、戦場であれば戦えただろう。

 死に対する本能的な恐怖心が身体を意識を動かす。

 だが、今はそんな必要などないんだ――だったら少しは休みたいものだ。


 エドリンは半ば思考停止していた。

 夢の中を歩くかのように、朦朧として足を前に出す。

 いつの間にか、足がアルタク村に向かっていた。エドリンはそれを意識しなかった。


 微睡むような思考の中で――エドリンは不過去へと彷徨った。


 微睡みの中で意識を持つもう一人の自分が言う――疲れているときに人は昔のことを思い出すと言うが、どうやら本当らしいな。

 三年前、ソフィアは必死になってエドリンを引き止めようとした。


 そのまま喧嘩別れをしてエドリンは村を出た。

 あのときは、あんなに腹が立ったのに――今思い出してみるとそれが懐かしい。

 あの頃自分がいかに世間知らずだったのか……苦笑したくなる。


「あれは、ソフィアの方が正しかったのかもしれない」


 ソフィアが止めたのは、エドリンがどんなことを経験するか知っていたからだろうか?


 ソフィアがどんな思いだったにしろ、今は彼女に会いたかった。

 自分のことをあれだけ思ってくれた栗色の髪の少女は、今はどうしているだろうか?

 もう十八歳だ。村の誰か結婚して、もう子供がいるかもしれない。


 ソフィアが選ぶとしたら……誰だろうか?


「エドリン……」


 ソフィアは三年前のことを繰り返したかのように、あのときと同じようにエドリンを見つけた。

 自分がエドリンを見間違えるはずがない! どんな姿でいたって!


 胸に飛び込んで来たソフィアを、エドリンは三年前と同じように受け止めた。

 何もかもが変わっていない……ソフィアがエドリンをきつく抱き締めたことも……


 それが微睡みの中の幻想だと思えるとほど、何もかもが三年前のまま変わってはいなかった。

 いや……エドリンが村に住んでいた頃と何が変わったというんだ?

 ようやく現実を取り戻してきた意識の中で、エドリンはじっと世界を見つめた。


 ソフィアは結婚していない――恋人の一人すら彼女にはいなかった。

 彼女はエドリンと別れた最初の日から、ずっとエドリンだけを待っていたのだ。


「私のことを怒っているなら……謝るわ。だから、もう二度と村から出ていくなんて言わないで!」


 ソフィアの褐色の瞳はエドリンだけを見ている。

 どんなことをしても、エドリンを放しはしないという強い意志だけが、そこから伝わってくる。


 ソフィアの気持ちはエドリンにも嬉しかった。

 だが、ソフィアに腕を引かれながら彼女の家に向かう間、エドリンが見ていたのは、ソフィアではなく村自そのものだった。


「本当に、何も変わっていないな。麦畑もあの森も……」


 エドリンがつい漏らした言葉に、ソフィアは楽しそうに応えた。


「確かに村の美しさは変わらないわね……これからだって、ずっと……」


 エドリンの視線を追って、ソフィアも辺りを眺める。

 その間も足は止まることを知らない――幸せに包まれた少女の足取りは軽かった。

 エドリンはただ微かな笑みを浮かべただけで何も言わない――


「驚いたでしょう? お母さんはすっかり年を取ってしまって……あなたがいない間に、わたしたちも変わったのよ!」


 ソフィアと彼女の両親と、エドリンとテーブルを囲んで夕食を取った。

 ソフィアの言うように、彼女の母親の顔には、老いによる幾つもの皺が刻まれている。

 確かに月日は彼らに変化を見せていた――


「戦場では大変だったでしょう? でも無事に帰って来れて、本当によかったわ――」


 ソフィアの母親の言葉にエドリンは簡単な答え方をした。

 詳しく話をすることが、この場にふさわしくないことは解っている。ソ

 フィアの家族は、娘が久方ぶりに見せる笑顔に、幸せを取り戻していた――わざわざ、それを打ち壊す必要なんてない――


 ソフィアたちは、エドリンがこれからどうするかについて、意図的に話題に出さなかった。

 エドリンにも、それがよく解る。彼らはエドリンに村が残ることを望んでいた。


 婚期をとうに迎えた娘が、彼だけのことを思って恋人すら作らずにいるのだ。どうしても婿になってもらいたいだろう――だけどエドリンは、一度彼らを裏切っている。だか、らそのことを言い出せないんだ。


「一度、僕は街に帰ります。ブラウド叔父さんに会っておかないと……」


 エドリンはそれだけを言った。

 その言葉はソフィアと彼女の両親に大きな希望を抱かせた。


「じゃあ……」


 ソフィアの顔は、もうこれ以上ないという程に輝いて見える。

 ずっと待ちこがれていたものを手に入れようとする少女の、純粋な喜びに満ちている。


 エドリンは黙っていた。自分の笑いが乾いているのを、誰にも悟られないようにと祈って――エドリンには、ソフィアを見た瞬間に全てが解っていたような気がする。


「村は何一つ変わっていない。風景も、人々も……」


 ここに来たことには意味があった。


「このために俺は来たのか……」


 生まれ育った村が、自分には場違いなものに思える。

 アルタク村と戦場の風景は、何処から何処まで違っていた。

 ここでは、剣で腹を切り裂かれて死ぬ兵士はいない。その代わりに、人々は麦を育てて暮らしているのだ。何の不安も抱かずに――


「兵士たちが戦場で戦っていることを、村の人は誰も知らないんだろうな?」


 そう言えば多くの者が、そんなことは知っていると応えるだろう。

 だが、彼らが知っているのは――戦場というものが、この世の何処かに存在するということだけだ。それが本当にどういう場所か、想像だにしないだろう。


「兵士の死なんて、本当に関わりがないことだと思っているんだ――戦場で誰かが死んだとしても、自分の代わりなどと思いはしない――」


 ブラウドの言葉が思い出され――人にはそれぞれ役目がある。麦を作るものが居なれば戦場で戦えないと。確かにそうだ。麦を作るのも立派な仕事だと思う……


「ソフィアは恨むだろうな……」


 エドリンの思いは栗色の髪の少女に移る――エドリンはたった今、真夜中の村を出て行こうとしていた。


 寝静まった村では、ようやく幸せを手に入れたと信じたソフィアが、婚礼の日を待ちわびて安らかな寝息を立てているだろう。


「ソフィア……君は何も変わってないね?」


 エドリンはソフィアの家の方へと振り向き呟いた。彼の顔はもはや少年の面影などはない。


「君はまだ……鳥になる夢を信じているんだね?」


 ソフィアにっては、世界はこの村と森だけだった――そこに答えがある。彼女は戦場を、自分たちと同じ世界にあるものとは思っていない。だから――平然としていられるんだ。


「僕は、もうこの村では暮らせない……僕だけが、変わってしまったから……」


 エドリンの顔に一瞬だけ淋しさが見える。

 その微かな影はすぐに消えて、もう二度とあらわれなかった。

 エドリンの口元は決意に固く結ばれて、彼は静かに前だけを見ていた――


「もう二度と、ここに戻っては来ないだろう……」


 後悔はしていなかった。エドリンは少年の日々の最後の思い出を、瞳に焼き付けるように、最後にもう一度だけ村を見た。


「さよなら……」


 それきり――エドリンはもう二度と振り返らなかった。



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