ソフィアとの再会
「人にはそれぞれ役割がある。確かに戦場に行くだけが能じゃない。畑を耕す奴がいなくちゃ兵士は飯も食えないからな。
ただな……ただ誰かが兵士として戦わなければならないのも事実だ。俺は……そんな
やり取りを他人任せになどしたくないだけだ」
ブラウドがあの夜家に戻ってきてから言った言葉を、エドリンは今でも覚えている。
あのときは、まだそれをよく理解できなかった。
幾ら努力してもまだ僕は世間知らずの小さな子供だった。
だからといって、それを理解した今、全てを鵜呑みにしたわけじゃない。
ただ僕の出した結論が、たまたま叔父さんと同じになっただけだ――
十五歳になったエドリンは、もう当分この部屋に戻って来ることはないと、自分の部屋を丹念に掃除してた。この五年間、ブラウド叔父さんと過ごした部屋にはたくさんの思い出がある。
時間だけは村で過ごした方が長かったが、村の家と同じだけの思いがここにあった。
この街では、いろんなことがあったっけ――。
「もう荷物は詰めたのか? 補充兵が出発するのは明日だろう?」
いつの間にかブラウド叔父さんは部屋の中にいた。
何も言わないで箒を持ち掃除を手伝っている。
ブラウドはエドリンが補充兵に志願した事について何も言わなかった。
エドリンはそれを無言の承諾だと思った。以前よりもずっと逞しく成長した少年。初めての自分で決めた行動が、これからどのような事態に辿り突くであろうか。
エドリンの希望に満ちた目は輝いている。戦争という真実を知り、あえてその中へと自ら足を踏みいれようとする。そのとき、エドリンには責任感よりも自分が行動した事によるヒロイズム的な自負心の方を感じている。それは未知のものに挑もうとする、少年らしい踊るような気持ちだった。
そう――エドリンには何の懸念もないはずだった。ただ一つの事を除いては。
補充兵として志願を決めた後、少年はそれから残された時間を利用してアクタル村に帰っていた。
「戦場に行く前に一番会いたい奴に会っておくといい。もう二度と会えないかもしれないからな」
叔父の言葉をそのまま信じたわけではない。
自分が帰ってこれないなどとは思わなかった。たが、エドリンは叔父の言葉に従った。
「そういえば――もうずいぶん村に帰ってないな」
街での生活が忙しいのは確かだった。だが、あれ程すばらしいと思った村や森の事を、街に来てから一年も経つとまるで思い出さなくなったのは不思議だ。
それにソフィアの事も……
「ソフィア!」
不意に、懐かしさとともにアルタク村での幼き日々の思い出が心に広がる。まるで突然湧き出した泉のように。懐かしい。だが、ただそれだけだった。久方ぶりに思い出した村の事も、もうエドリンにとっては世界の全てではなく、単なる幼き日々を過ごした片田舎の村だった。
ただ思い出に過ぎないしても、ソフィアに会いたいのは確かだった。
無力な少年だった彼を姉のように守ってくれた栗色の髪の少女のことを、様々な思いとともに思い浮かべる。ソフィアに会いたい――他に誰に会いたいと言うのだろう?
ソフィアと再会したとき、少女は昔の姿のまま成長した美しい娘としてエドリンを迎えた。
「エドリンなのね!」
懐かしい麦畑の中で、ソフィアは思い出の中にあるままの笑顔に涙を浮かべていた。何も言わなくても彼がエドリンだと解った。どんなに少年が逞しくなっていても。とうの昔にソフィアを追い抜いていた背の高い少年の胸に、ソフィアは無我夢中で飛び込む。少女には、もうエドリン以外のものなど目に入らない。
「本当にエドリンなのね!」
今、手を離してしまえば消えてなくなりそうで、必死にしがみつく。
「私がどんな気持ちだか解る? どれほど、あなたに会いたかったかったか?」
エドリンはあまりにも激しいソフィアの反応に呆気に取られた。
僕だってソフィアに会えたのは嬉しい。でも、どうしてこれほど僕のことを思っていたのだろう?
エドリンは恥ずかしくなって周りを見回した。
畑にいるのだからソフィアの両親が見ているのも当然だった。困った顔をするエドリンを、二人は微笑みながら見つめている。だからもうエドリンも抵抗することは諦めた。
あなたがいない間、私がどんな思いをしてきたか――何度村を飛び出して追い掛けて行こうとしたか? ああエドリン、もう二度と離さないわ……
だがそんな情熱に満ちた歓迎も長くは続かなかった。
「何で僕が村に来たと思う?」
エドリンはようやくソフィアの家に落ち着いてから全てを説明した。それを聞いた瞬間に、ソフィアの激しさは全く方向の違うものとなった。
「どうしてそんなことを言うのよ!」
爆発した火山のような勢いで、ソフィアが叫ぶのをエドリンはただ聞いているしかなかった。
「ねえ、応えてよエドリン! どうして、街の人の戦いに、あなたが行かなければならないの? また私を……私を残して行くなんて!」
こんな反応を、エドリンは予想もしていなかった。ただ懐かしい思い出としてソフィアに会いにきたのに、ソフィアは何で――
「もう決めたことなんだ!」
「あなたが行くことなんて、ないじゃない!」
自分がしようとしていることを頭から否定されて、エドリンは頭にきていた。
何でそんなことを言われなければならないんだよ?
エドリンは、もう何も言うつもりがなかった。
うまく言葉で説明などできない。そんなことはしたくもない。黙り込むことを決めた。
ソフィアもそれが解った。
「あなたは、鳥が好きなんでしょ? 鳥になりたいんじゃなかったの!」
エドリンはソフィアの言葉に驚いた。
まだそんなことを……もう僕はそんなことを言っている子供じゃないんだ。
だけど、エドリンはソフィアにそう言うことができなかった。
「――勝手にすればいいわ!」
エドリンが口を挟む暇を与えず、ソフィアはそう叫ぶなり出て行ってしまった。
それきり、エドリンはソフィアと顔を合わせることなく、アルタク村を後にする。
「もう行くよ――」
それだけブラウド叔父さんに言うと、エドリンは五年間過ごした家を後にした。
ようやく西の空が明るくなり、灰色と赤の二色の空のもとエドリンはゆっくりと歩き出す。
「ソフィア――君が何て言おうと、僕は行くよ――」
強い決意が少年を包んでいる。もう振り返るつもりはない。
広場では士官とともに、同じように補充兵として戦場に向かう若者たちが何人も集まっている。
どの若者も、これから始まるであろう誇らしい戦いに眼を輝かせていた。
エドリンは彼の部隊を率いる士官の顔を知っていた――カータス。エドリンが初めて戦場の現実を知った夜に会った若い兵士は、手柄を立てて士官となっている。
「僕もきっと……」
カータスのように、エドリンもきっと手柄を立てるつもりだ。
希望に満ちたエドリンには、淋しそうに自分を見るカータスの表情など、全く眼に入らなかった。




