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叔父との生活

3話目です。


 少年が街に着いたのはもう一週間も前のことだった。


 普通なら二週間で辿り着く道程を、少年の小さな足では一生懸命歩いたつもりでも更に一週間掛かった。


 彼は今この石に囲まれたたくさんの家が、まるで森の木々のようにびっしりと集まった場所で叔父ブラウドと暮らしている。

 ひ弱な少年には街の暮らしはまるで、薄暗い部屋の中に閉じこめられているようなものだった。


 街には村で生まれたエドリンが見たこともないような、たくさんの人が押し込められている。ソフィアの父親に連れられて初めて街に辿り着いたとき、エドリンはただその人の数に驚くばかりだった。


 もちろんエドリンが街に来たのは初めてのことであり、トウモロコシ色の髪の少年は物珍しげに辺りの様子を見ていた。緑の森と黄金の麦を見て育ったエドリンには街は灰色そのものに思えた。


 ソフィアの父に手を引かれて人込みを歩いていると息苦しくてたまらなかった。すぐに何か嫌な匂いがしてきて気分が悪くなったが、それ以上に押し込められた人間が窮屈に思えた。そしてエドリンには何処をどう歩いたのか解らなかった。


 それ程に街の中は細い道が入り組んで、道にまで張り出した家の為にほんの少し先でも見通せない。エドリンが小さいのと、道を歩く人の多さがそれに輪を掛けて、深い霧の中を歩いているようだ。どんなにたくさんの人がいても、それはみんなエドリンの知らない人だった。


 ソフィアの父親がある家の前で立ち止まったとき、もう街の入り口が何処だか見当もつかなかった。


 その家は村にあったどの家とも全く違って見えた。木でできた村の建物とは違い、それは街の他の物と同じく灰色の大きな石で作られている。今まで人込みのせいで気づかなかったが、建物の周りはゴミでいっぱいだった。


 お父さんがこんなものを見ればすぐに掃除を始めただろう。嫌な匂いの元はこれだった。いったい元は何だったのか、エドリンにはよく解らない。ひび割れた石のせいで建物一つ一つがとても冷たく思える。木でできた家はいい匂いがして暖かだったのに。


 こんな家に本当に人が住んでいるのかな? 戸惑ったままでいるエドリンの前で、ソフィアの父親は一度少年の顔を見ると家の扉の方へと向き直った。力強く三度扉が叩かれた後、エドリンがひっくりした怒鳴り声がようやく聞こえた。


 それから少し経って軋む扉が少しだけ開けられ、中から髭を生やした男が顔を覗かせた。痩せて頬のこけた顔には手入れのされていない髭が生えている。扉と同じように濃い茶色の髪は伸び放題で乱雑に後で束ねられている。痩せてはいたが背が高いのと、肌が日に焼けているのでエドリンのようにひ弱には見えなかった。


 男の灰色の瞳は非難げにまずソフィアの父親を見てから、エドリンの方に向けられた。その冷たい眼に、エドリンは恐怖しか感じなかった。彼は少年の叔父であったが、全く彼の父親とは似てなどいなかった。




 一週間の間に知ったことといえば、叔父が街でしている仕事が酒場の経営だということだけだった。


 エドリンが住むことになったこの建物が、実は酒場だということを知ったのはその日の夕暮近くになってからだ。エドリンの生まれた村にも酒場が一つだけあるが、それは村人の寄り合い所のような場所だった。


 酒場ということを知ったのも叔父の言葉からではなく、ここにやって来る人の姿と家の中に並べられている酒樽やテーブルを見たからだった。

 叔父は甥に父が死んだことの慰めの言葉を掛けるいとまもなく、ジャガ芋の皮剥きを言い付けた。不平を言う事もできずにエドリンはその仕事を始めた。


 叔父の片足が不自由なことを知ったのは、そのときだった。


 酒場にやってくる人々は当然のごとくエドリンの見知らぬ人ばかりだった。

 ソフィアの父親はエドリンをブラウドに引き渡すと直ぐ様いなくなってしまった。今度こそ本当に一人ぼっちになった気がしたが、すぐに側に叔父がいることを思い出した。


 だが少年には憮然とした叔父に話し掛けるだけの勇気はない。

 叔父とはかつて一度だけ会ったことがあるのを覚えていたが、それもまだエドリンが小さな頃だった。その微かな記憶の中の叔父は髭など生やしておらず、足が不自由だったとは思えなかった。




 一週間の間にエドリンの身体はもうすっかりくたくたになっていた。

 長い旅の末に辿り着いてみると、直ぐ様次の仕事が待っていたのだ。エドリンはぐったりして泣き出したかったが、叔父の厳しい顔を見ると言葉が出てこない。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう?


 エドリンは逃げ出したかった。だが何処に逃げる場所があるというのだろう? エドリンをこの街に連れてきたのは他ならぬソフィアの父親なんだ。周りには恐ろしい顔をした男たちや、きつい匂いのする女の人ばかりだった。そんな中で、エドリンには他に選ぶ道がなかった。


「ソフィア……村に帰りたいよ……」


 ベッドの中で啜り泣くエドリンの横では、ブラウドが高鼾をかいて深い眠りに落ちていた。




 ソフィアが変わってしまったことは、誰の眼にも明らかだった。


 あの素朴で可愛らしい働き者の少女に影ができた理由を、村の者であれば知らない者はいない。

 確かにお転婆というわけではなかったが、微風のような明るい笑顔の少女だった。その笑顔がもう一月も見られない。


 両親はこんなソフィアの様子をほんの一時的なものと思っていた。別に友達ならば他にいるじゃないか。だが彼らは大事なことを見落としていたのだった。


「エドリンは一人しかいないのよ……」


 少女にとり弟のように愛しい少年は他にはありえなかった。エドリンという幼気な少年が、ソフィアの笑顔の大部分を占めていたことを誰も知らなかった。その笑顔はエドリンという対象があって初めて花開くものだった。エドリンを失った今、ソフィアは自分の中の大きな部分が無くなってしまったように思えた。


「私はどうしたらいいの?」


 ソフィアは何もかもが手につかなかった。畑仕事を手伝っていても半ば朦朧としている。

 ソフィアの父にはどうすることもできなかった。優しく娘を慰めてやることはできても、娘の望みを叶えてやることなどできない。


 自分はエドリンにとって一番良いと思うことをしたのだ。

 たとえブラウドがどんな男であったとしても。だが彼にも娘のことが気掛かりでならなかった。


「もうしばらく様子を見てみよう」


 他にはどうすることもできないのだから――。



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