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父の死

2話目です。よろしくお願いします。


 人の死というものは突然訪れる。

 エドリンのたった一人の肉親、父親マグダスが屋根から落ちて死んだのは少年が十歳になった年の冬のことだった。


 祖父の代から彼らが住んでいた家は所々が古くなり、マグダスはこの農閑期を使って家の修理に忙しかった。めずらしく冷え込んだ夜が屋根に雨を氷り着かせ、ただそれだけの為に父は死んだのだ。それはエドリンにとり二重の悲しみとなって彼の小さな肩に伸し掛かった。


 教会の鐘が重苦しい鎮魂歌とともに、まるで出来の悪い鈴の音のように鳴る。

 鈍い音は灰色に曇った空へと掻き消えて行く。小さな村の住人たちはこの突然の悲しみの為に集まり、教会の前には人だかりができた。鳥たちですら今日は哀しげに鳴いている。


 ひ弱な少年は棒布のような腕をしたに垂らしたままで、無力に立ち尽くす。


 エドリンは何も考えられなかった。これがどういうことなのか、幼い心にも十分に理解できた。

 だが、その微かな魂の炎では、事実に直面してじっと立ち向かうことなどできなかった。

 少年はただ大人たちになされるまま、それに任せるしかない。


 風にそよぐ森の木々が、このときほど何の力もない棒布にすぎないように思えたことはない。もうどうすることもできなかった。


 ソフィアは両親とともにこの悲しみの儀式に加わっていた。

 悲しみに沈むエドリンを励ましてやりたかったが、今の彼女にそんなことはできなかった。

 ただソフィアは自分の両の眼から流れ出る涙を我慢するしかない。それ以上のことは少女にはできない。


「どうしてなの! どうしてエドリンが行ってしまうのよ!」


 マグダスの死が、エドリンがこの村からいなくなることを意味することを知ったのは、エドリンの父親が死んだその晩のことだった。


 その晩は悲しみに暮れるエドリンを家に泊め、同じベッドで眠っていた。

 両親は二人を家に残して、教会の司祭様と葬儀の段取りの話をする為に遅くまで帰って来なかった。


 ソフィアはエドリンを慰めるのに一生懸命で、彼が泣き疲れて眠りに着くまでずっと側にいた。

 エドリンがようやく眠ったときにはもう月は空の真ん中に辿り着こうとしていた。


 アルタク村の少女であるソフィアがこんな時間まで起きていることは非常に珍しいことだったが、こんな時間になるとかえって眠れなくなってしまう。きっとエドリンの悲しみが自分に移ってしまったに違いない。 悲しみはソフィアの睡魔を追い出してしまった。


 ちょうどそのとき、家の扉が開いて両親が帰って来た音がした。

 ソフィアはこんな時間まで起きていることを叱られないように、ベッドの中に頭から潜り込んだ。

 父と母がゆっくりとキッチンの椅子を引き、そこに座り込んだ音がする。


 ソフィアが息を忍ばせていると二人の話し声が聞こえてきた。


「明日になれば、また忙しくなるな」


 父の声だった。声に疲れが出ているのが解る。


「ええ。エドリンもこれから大変ですね」


 気遣わしげな母の声。同情と哀れみが声だけで解る。エドリンのことが話題に出たので、ソフィアは耳をよく澄ました。


「まだソフィアと同じ年なのに、あの子にはもう父親も母親もいないのだから……」


 言葉の端が涙に掻き消えてしまう。言葉を聞くとソフィアも悲しくなった。そうよ、エドリンは何て可哀相なの。そう思うと知らぬ間に涙が溢れてきた。もう、それを止めることもできない。


 後から後から溢れ来る涙に、声を出してしまわないでいるのがもう我慢できなかった。もうどうにもならないと思ったとき、次の言葉が聞こえてきた。


 父親は母に幾つもの慰めの言葉を掛けた後、ゆっくりと言った。


「確かにエドリンは辛いだろうが……だが、それでも一人じゃないんだ」


 ソフィアはその言葉に期待を込めてベッドから身を起こした。


 側で寝ているエドリンが毛布を取られた為にゆっくりと身体を動かす。ソフィアは起こしてしまわなかったかと気遣わしげにエドリンを見たが、エドリンの眠りは疲れの為に深かった。安心してソフィアは再び耳を澄ます。お父さんはこう言おうとしているのよ。


「エドリンをうちの子にするんだ」


 そうだ。そうに決まっている。エドリンは私の家に来るのよ!

 一瞬で期待が悲しみを忘れさせた。そうすればどんなに素晴らしいか。ソフィアの胸は踊った。

 不謹慎にも喜びの為に身体が動き出してしまいそうだ。期待を込めて、ソフィアは一層耳を峙てた。


 父親はソフィアがそんな風に聞いていることなど気づかず言葉を続けていた。

 父は優しく母の肩に手を置いて、ゆっくりと力付けるように言う。ソフィアは言葉の一つ一つをそれが宝物でもあるかのように聞き入った。だが、ソフィアが期待した言葉はなかなか出てこない。


「街にはブラウドがいるさ。あれはマグダスさんの弟、エドリンの叔父じゃないか」


 お父さんは何を言っているの? 耳を峙てていたソフィアは急に不安になった。

 エドリンの叔父さんがどうしたって言うの?


「あなた、でもブラウドさんは……」


 不安げに母親は聞き返した。父はそれに重苦しく頷く。


「確かに、村であの男が何と言われているか、私だって解っているさ。何しろ村を捨てた男だからな」


 村を捨てた人? どういうことなの? その人がどうしたって言うの?


「畑で汗を流すのが嫌で村を出ていった男に、何でエドリンを、と?」


 父の言葉に母親は頷いく。


「エドリンはこの村の子供なのよ。そんな人に渡すくらいなら、うちで育てれば……」 ソフィアが望んでいた言葉は意外な展開で、父ではなく母から告げられた。そうよ、エドリンはうちの子になるの。そして、ずっと一緒にいるのよ!


「いいや、そういう訳にはいかない」


 ソフィアの願いは他ならぬ父の言葉でぷっつりと断たれた。今、何て言ったのお父さん。


「どうしてなの、あなた?」


 母はまるでソフィアの気持ちが乗り移ったかのように気持ちを代弁した。そうよ、どうして?


 父は気遣わしげな表情で母と手を重ねた。力付けるように、ぎゅっとその手を握り締める。


「おまえがエドリンを自分の子供のように思うのは解る。確かにいい子だ。だがな、子供のようなことを言うものじゃない……」


 諦め顔で母は言葉を受け止めた。そして努力してゆっくりと頷いた。


「おまえも知っているだろう。ブラウドが前からエドリンを欲しがっていたのを。マグダスさんが酔っ払うといつも言っていたじゃないか」


「ええ……でも……」


 半ば諦めながらも、母は最後の抵抗を試みた。だがそれすらも、父が優しげに首を横に振ると半ばで途切れてしまう。


「子供は、家族と一緒にいるのが一番なんだ。そしてブラウドは、エドリンに残された最後の家族なんだ」


「どうしてなの!」


 その突然の第三者の声に二人は顔を向けた。幼い娘が両目にいっぱい涙をためているのを、驚きの顔で眼にする。


「起きていたのかソフィア……」


「どうしてなのよ!」


 父の言葉をソフィアは感情で押し流した。

 怒りと悲しみが嵐のように姿をあらわし、小さな身体はそれで張り裂けてしまいそうだ。


 こんな娘を、両親は今まで見たことがない。親の言い付けに逆らうことなど一度としてなかった娘が、こんな風に激しく感情を顕にするとは思ってもみなかった。


「ねえ、どうして! どうしてエドリンと暮らしたらいけないの!」


 涙がとどまることを知らず頬を伝わるのを気に掛けもせず、ソフィアは父親に詰め寄る。

 父は全てを知った娘の反応に初め戸惑いを見せたが、すぐに自分がどういった対応をしなければならないかに気づき顔を引き締めた。


「全部聞いていたのか?」


 父の厳しい表情にソフィアは怯んだ。

 だが、それだけで黙ってしまう程度のことならこんなことは言わない。少女の心は世界全てに立ち向かうような思いで全ての勇気を振り絞った。

 血が滲む程唇を噛みしめ、褐色の瞳は震えながらも父を見据える。


「そうよ、お父さん」


 父親は娘のこのときの気持ち全てを直ぐさま理解した。

 どれ程の気持ちでソフィアが自分に立ち向かっているか。それが痛い程よく解る。

 だが、父親はその気持ちに流されてしまうことが何を意味するかを理解していた。


 だから彼は表情を崩すことなく娘に告げた。


「ならば解るだろう。おまえが何と言おうと、エドリンはこの村を出ていかなければならないんだ」


 ソフィアはもうそこにいることは出来なかった。

 彼女の必死の抵抗すら父親の前では何の力をも持ちはしない。


 ソフィアが泣きながらその場を逃げだしたとしても、誰に攻めることができようか。娘の後ろ姿を見つめる父の顔には、やはり同じように悲しみが浮かんでいた。


「どうしたのソフィア……」


 ソフィアが部屋へ駆け戻ると、エドリンは寝呆け眼でベッドから起き上がろうとしていた。ソフィアが戻ってきたのを認めると目をこすりながら声を掛ける。ソフィアは今話していたことをみんなエドリンに聞かれてしまったかと思い、じっとエドリンを見つめた。


「どうして泣いているの?」


 あどけない顔でエドリンは言った。ソフィアにはその姿があまりにも幼く、守らなければならないものに思える。

 エドリンは何も知らないんだわ。自分がこれからどうなってしまうのかも。そう思うとソフィアには弱々しい少年が愛おしくてたまらなかった。


「エドリン!」


 戸惑うエドリンを、ソフィアは力いっぱい抱き締めた。涙は乾く間もなくいつまでも流れている。それでエドリンの服がぬれてしまうのにも気づかない。


「痛いよソフィア」


「エドリン……」


 ソフィアにはこうすることしかできなかった。何を言うこともできはしない。


「ソフィア……」


 何も知らないエドリンは不平混じりにソフィアを見つめた。少年の顔はやつれ、疲れと悲しみの為にそれ以上の抵抗はできなかった。



 鎮魂歌が別れを告げる――。

 司祭の言葉に従って、人の列はゆっくりとエドリンの父親を納めた白い棺を運んで動き出した。静かな人の動きは灰色に見えた。


 村外れの墓地に掘られた穴へと棺は埋められ、その上に土がかぶされる。

 その上に十字架が立てられたとき、エドリンは父親との永遠の別れをすることとなる。


「……それだけじゃないわ。エドリンはこの村の皆とお別れするのよ……私とだって……」


 ソフィアはもう我慢できずに泣き出していた。

 村の人々はその理由を誤解して彼女を慰めたが何の意味もないことだった。


 ソフィアが泣いていた理由を少年が知ったのは、父親の葬儀が終わってからのことだった。

 それから三日の後、少年はソフィアの元から去って行った。



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