08.(高くついた)
◆Present day 8
「ハイ」
休憩室で、レディ・カフカが声をかけたのは、ソファに座った褐色の肌をした小柄なエルフだった。「クリムちゃん?」
「オバさん、誰?」
レディ・カフカは、小娘の頬っぺたを指で摘むと、そのままぐいと引っ張った。
「いたたたた」
「おねぇさんよ?」
「おねぇさん、誰?」
むすっとクリムは訊ねるが。
「誰でもないわ」けんもほろろである。「あのね、贈り物があるの」
「なに」なんかこわい。知らない人からの贈り物なんて。絶対、高くつく。
身構えるクリムに、レディ・カフカは、くつくつと笑う。「大丈夫、怖くないわ」
余計に怖い。
レディ・カフカは、ドレスの腹のあたりからにゅるんと、掛け金のついたウォールナットの箱を取り出した。
なにそれ。どういうしかけ。
「この箱は大切にしてなさい。持っていることは知られないように」
小物入れと呼ぶには些か大きいそれは、確かな重みを持っていた。
「どうして?」
「誰かにとっては、イヤな思い出だろうから」
クリムは箱の掛け金を外し、おっかなびっくり、そうっと蓋をあけ──はっと息を飲み、慌てて閉じる。
やっぱり高くついた。
息が詰まった。
箱の中は濃紺のベルベット貼りで、真っ赤な飾り紐のついた角笛がぴったりと納まっていた。
信じられない程、高くついた──角笛は、彼のものだ。
クリムはレディ・カフカを見上げた。
レディ・カフカは微笑みながら、「それは蓋を開けた時だけ存在する。そしていつか、ずっと箱の中にあるようになる」
「……どういうこと?」
「そんなに怖がることはないわ。掛け金は、あなたの固有マナで施錠しておきなさい」そして、ふふふと、笑う。「いつか箱の中身が粉々に崩れる日が来るの」
「どうして、」
「哀しまないで。それは彼が思いを遂げた証だから」
クリムは困惑の中にあった。
このヒトは何を云っているのだろう。何が目的なのだろう。
どうして私に渡したのだろう?
「未来の約束よ」
クリムの思いとは裏腹に、レディ・カフカは、にっこりと笑った。「その日を楽しみに」
「それは……いつ?」
クリムは唾を飲み込み、小さく擦れた声で訊ねる。
「さほど遠くはないかな」
レディ・カフカは、依然、微笑んでいる。
▲フラッシュフォワード 2
「集まったか、カネの亡者ども」
荒くれ者たちを前にして、メブキ・女騎士・イブキは口を開いた。腹の底から響く、堂に入った大音声だった。
*
ヒトだけでなく、魔のモノたちもよく集まってくれた。
お前たちは、互いに刃先を向け合った時もあろう。
しかし、賞金稼ぎだの、傭兵稼業だのとは、元来がそうであろう? それとも節介が過ぎたか。
まぁいい。
カネは後払いだ。
もう一度云う。後払いだ。
よく見ろ、この城を! 王宮を!
ここが落ちたらビタ一文、お前たちの懐には入らん。
だが、これを護ればカネが入る。
ああ、略奪は楽しいだろうな。
それを考えるのを咎めたりはしない。
事実だから。
しかしこれからの先のことを天秤にかけ、己の胸に問え。それで傾くのなら一先ず去れ。我々は、志願者を希望している。
簡単な話だ。
私に賭けろ。
相応、それ以上の対価を約束する。
なに、外したところで、たかが自分ひとりの首だ。もっと首を望むのならば、応じるのも吝かでない。
どちらにしても、ここが落ちるようなことがあれば、私の──私たちの未来に、何を望もう?
私は、私たちの未来が、永遠に続くことを信じている。
未来。云うのは簡単だ。
私たちの子供。そして、その子供の子供たち。
未来が、この地で永遠に続くことを信じている。
私はここで引くつもりは無い。勿論、死ぬつもりもない。
足下を見ろ! それが今日、ここから始まる未来への最初の一歩だ。
自分たちの足で、始めてみたいと思わないか?
今一度、云う。
私の賭けに、乗れ。
風はこちらに吹いている。
お前たちの中には、私に一太刀浴びせたいと思うヤツがいるのも知っている。
私の仕事は、お前たち盗賊風情の連中から国をお護りすることだった。
先刻、その任を降りた。
私は、お前たちカネの亡者の頭目を買って出たのだ。
私は一流だ。
ケツを蹴り上げ、死地へ行かせる。
そして、ケツを拭くのは、この私だ。
一流の私が、ケツを持つ。
そのケツは三流か!?
ここからでも良く分かる。
最高のケツが揃っていると確信している。
だから、私の賭けに乗れ。
私は、お前たちカネの亡者どもに期待している。
言葉で云い表せないほど、大きな期待をしている。
故に、何も、恐れはない。
*
中庭を後にして石畳の廊下を歩いていると、金や銀で装飾の施された美しい甲冑の女騎士と行き合った。
面を下げ、既に闘志に燃え盛っていると云った按配だ。どれだけやる気満々なんだ、こいつは。これ見よがしに近衛の隊旗まで翻しよってからに。
メブキは露骨に舌打ちした。相手も露骨な舌打ちで応じた。
しばし睨み合い──それからふたりは腹を抱えて笑った。
「メブキ。なかなかいい演説でしたよ」
「褒められたのか」メブキは、口の端に、薄く笑みを浮かべ、「私は自分が信じたい嘘をブチかましただけだぞ」
ふ、と笑う。「聞こえの良い言と、口当たりの弁で糊塗したに過ぎない」
「そんなこと皆、承知の助です、メブキ」
「えっ」めっちゃダサいじゃん。まるっきり道化じゃん。
「道化でもいいじゃないですか」
や。腹のうちを読むなや。
「あなたが魔族と組むとは思わなかったですよ、メブキ」
「私とて、自分が信じられない。お前も知っているだろう、昔、森が焼けたことを。炎の日のことを」
「ええ」女騎士が頷く。「角斬りおフキの名が轟いた日」
「私はね、こう思うんだ。母は鬼になりきれなかった。今になって、なんだかそんな気がしてならない」
「メブキ……」
「私は鬼の子だと思っていた。だが見ろ。手は震え、足も笑っている」
自嘲気味のメブキに女騎士は、「あなたはあなたよ、メブキ」と優しく諭す。「鬼の子であろうと、ヒトの子であろうと、変わらない。私の目の上のたんこぶで、騎士団の中で一番、いけ好かない」
「最低だな」
「そして、一番の好敵手」
面のサイト、覗き穴から真っ直ぐメブキを見つめ、女騎士は続けた。「しっかりしろ、なんて云わなくても充分ですね。今は好きなだけ震えていなさい。直ぐにそんな暇も無いくらいに忙しくなるのだから」
「勿論だ。そちらはどうなのだ?」
「……目に見えるものがないと、なかなか志気と云うのは維持するのが難しいですね」
「陛下は、」
「落城を以て、自分の死とせよ、と」
「城を離れることの承諾は得られなかったか」
「それが徒とならねば良いのですが」
「いや」メブキは否定した。「陛下は、我々に帰る場所を示して下さったのだ。私とて負けるつもりは無い。退却もなしだ。昔、母が云っていたぞ。相打ちまでなら、負けではない、と」
「メブキ……」
「勘違いするな。私は母とは違う。相打ちだと? 違うな。相打ちは、含まれない」
「それは頼もしい」
「ああ、頼っていいぞ」
「私も、あなたの賭けに乗りましょう」と女騎士は云った。
「違うな」とメブキは首を横に振った。「オヌシが乗るのは、自分の賭けだ」それからやや声の調子を落し、「良く聞け。いざとなったら、姫さまを連れて逃げろ」
「何を……」
「約束してくれ。いや、約束しろ」
「逆に問います。負けるつもりの者と、約束などできようか?」
「バカを云うな。負けるつもりなどない」
「ならば、メブキ。約束そのものが無効です」
「なるほど。相分かった。オヌシの云う通りだ」
「それに、先の決闘の決着もついていない」
「全くもってその通りだ」メブキは笑った。「私たちには明日も明後日も、その先も、やることが山積みだ。人生と云うやつは、なんと忙しいことか。だが、精一杯やってやろうじゃあないか。私は生き延びる。生き延びて、戻ってくる。オヌシも、決して負けるな。相打ちなど、認めぬ」
「当たり前だのクラッカー」
この女騎士は時折、変な云い廻しをする。
かって、国王自ら編成した魔王討伐隊の旅より戻ってからのことだから、道中に何かがあったであろうと思う。
でもまぁ。メブキは思う。そんな変なところも、別に嫌いでない。
あの時、討伐隊の任命に、選抜は無かった。真っ直ぐ彼女が指名された。
若くして抜擢され、同世代のメブキは苦汁を嘗める思いであった。
失意と無念の恨事であった。
あまりにも悔しくて、三日三晩、枕を濡らした。
女中が濡れたシーツの交換をするとき、あらぬ心配をしたので、激しく否定し、酷く叱責した。
誰だ、涙が目から出ると決めたのは。夜には、腰の辺りも、泣くことがあるのだぞ。
でもまぁ。メブキは思う。幸福だった娘時代。今となっては、ただ懐かしい。
「……オヌシとは、一体、何度やりかったかな」なんとなしに、メブキが口にすると、
「お互い年を取りましたね、メブキ」
おい、そのわだいにふれるな。
「寝ても疲れは取れず、どんなに疲れても寝つけない」はー。やれやれ。「肩もなんだか重たいし」
だから、やめろってば。
「抜いた鼻毛が白かった」
ばかっ。
メブキは手を横に振って、払った。怪訝そうに首を傾げられたが、構うものか。
今は呑気に年を喰ってる場合でない。喰った分だけ、還さねばならぬのだ。
「外のことは案ずるな。だが、情勢はきちんと見ておけ」
「ええ。メブキ、気をつけて」
「ああ」メブキは頷く。「オヌシもだ。ト・モエ。一段落したら、もうひと勝負だぞ」
メブキの言葉に、近衛隊の女騎士、ト・モエは面の下で微笑んだ。