05.(毒気)
◆Present day 5
ビアトリスがデイヴと共に執務室を出ると、「あらあら、まぁまぁ!」嬌声に出迎えられた。
見れば、ホールの玄関口になんだか毒々しい色をしたでっかい花が咲いておる。
うっわ。マスク夫人だ。
ビアトリスは廻れ右を試みたが、ひと足先に何もかも、すっかり放棄したデイヴの巨体に阻まれた。
マスク夫人は、たっぷりとした躰を緑のフリルドレスで包み、巨大なボンネットを被っていた。
そして目元を、花のような濃紺のレースマスクで隠している。
マスク夫人とは:
前述の通りバロン・チャムリーの令夫人である。(原註:初出。間違いか)
彼女は、片手には畳んだパラソル、もう片手にはバスケットを持っていた。
「ビアトリス! 元気だった?」
もうムリ。にげらんない。
「ヨウコソ、イラッサイマシター」
ビアトリスは膝を折ってお辞儀をした。
「まぁまぁ!」喜色満面のマスク夫人。「相変わらずかわいいわね、ビアトリス」
「アザッスー」
頭を撫でられた。子供扱いされちょる。がまんがまん。
「はい、お土産」バスケットを渡してきた。「ガレットよ。たくさん焼かせたから」
「ゴチになりやす」
一転、ビアトリスの態度は軟化する。大好き。お菓子大好き。
「そんなにしゃちほこ張ることはないわよ」ほほほほっ。
「ソウッスネ」もっしゃもっしゃ。
「客人を応接間にお通しせんかい」デイヴがたしなめる。行儀がなっとらんなぁ。
「ソウッスネ」もっしゃもっしゃ。
「気にすることないわ」ほほほほっ。「長居するわけでないので」
「そうか」デイヴはほっと胸を撫で下ろした。「お帰りはあちらで」
ほほほほっとマスク夫人は愉快そうに笑った。
そして、満足げな太い息を鼻から吐く。「ここは可愛いものと、むっさいものがいっぱいね」
そのむっさい組合長は、ふと、豊かで幅のある彼女の後ろに、バラ色の頬をしたひとりの見目麗しき貴婦人の姿を認める。
薄桃色のドレスに、金の縁取りのある赤いビロードのマスクで目元を隠していた。はて、誰だ? あからさまに怪しい。
視線に気付いて、「あらやだ」マスク夫人は云う。「あたくしったら、もぅ。紹介、まだでしたわね。デイヴ・ベイブ、こちらは、レディ・カフカ。レディ・カフカ、こちらはデイヴ・デイブよ」
レディ・カフカは、膝を曲げて優雅にお辞儀をする。スカートが衣擦れの囁きで揺れた。
はて、このご婦人。初めてにしては肝が据わっておる。デイヴは感心する。誘われたにしても、蛮族が魔族の根城に乗り込んで。
何者か。仮面で良く分からぬが、何処かで見た顔をしているような、してないような。
そこへ、クリムを伴ったカーリィが通りがかって、「あらスージィ」めっちゃ軽い挨拶をカマした。
「姉さん」レディ・カフカはむっとした様子で。「いきなりバラさないで」
「メンゴ、メンゴ」
姉の軽薄な謝罪に「もう」ぷんすかとして見せる。
不確定金属生命体、カーリィは今日も美しい白磁の淑女姿に、色鮮やかな模様を描いている。
一方、エルフ族の娘であるクリムは、てててっとかわいらしい足音を立てながらビアトリスに駆け寄り、腕を取って引っ張った。「なーなー」
「なんじゃい、クリムちゃん。欲しいンか」
「なーなー」
「はいな、はいな」手ぇ、離しなさいってば。
ビアトリスは、ガレットを一枚に取って、残りをバスケットごとクリムに渡した。
「マスク夫人からのお土産よ」
「ありがとう、マスク夫人」
「あらあら、まぁまぁ!」
「休憩室で皆と食べるのよ」
独り占めしてたヤツがのたまう。
こくり、とクリムは頷いた。
大切そうにバスケットを両手で抱え、てててと、足早に休憩室へと向かった。
後ろ姿を見送りながら、ビアトリスは最後の一枚を一口で頬張った。もっしゃもっしゃ。
おいちい! ガレット、おいちい!
「お元気でした?」
レディ・カフカが訊ねると、カーリィは小首を傾け、「ちょっとあったかな。いきなり固まっちゃりして。ちょーっとばかり記述の修正をしてみたのだけれども、」
「まぁ」大変、とレディ・カフカは心配げに。「大丈夫だったの?」
「久しぶりに弄ったから……ねぇ、スージィ、見てくれる?」
「えっ」やだ、とレディ・カフカは身を引いた。
「えっ」なんで引くのよ。妹の態度に姉はぷんすか。
「昔から、少しだけだの、なんだのと、姉さんには散々な目に遭わされたもの」
「そんなこともあったかしらね」しらばっくれながら自分のスカートの裾を捲り上げかけ、
「やめやめやめ」
姉の奇行を押しとどめ、レディ・カフカは諦観の溜め息を吐く。「分かったから。記述、見てあげるから」
「さすが私の妹だわ」今度は妹のスカートの裾を捲り上げかけ、
「やめやめやめ」妹は必死に裾をおさえ、「繋がないから。複写だけちょうだい」
「あらそう?」
カーリィは、その白磁の指先から小さな珠を分離させた。「これでいい?」
白い珠はレディ・カフカの手のひらの上で、ふっと闇色に変わった。
そしてグリーンの光が、表面で星のように瞬き、やがて様々な図形となって文様を描き、ぐるぐると渦巻いた。
チカチカするな。デイヴは目を擦った。
レディ・カフカは珠を手の中に包み、次に開いた時には何も無かった。
「なんだそれは」どう云うこった。蚊帳の外からデイヴが訊ねる。
「思念文字」カーリィは答える。「わたしたちってば不確定だからね、こうね、サイコグリフでね、なんかね、確定化とかしちゃってるんです」
ああそう。
良く分からなかったが、「大変なのだな」
「そう。大変」
「んー」レディ・カフカが唸る。「んー。んー。んんーん」
「どう?」
「んー……んっ」
「どうなのよ」はよ答えなさい。カーリィが急かす。
「まぁ大丈夫じゃないかな」何かあっても、姉がどうにかなるだけだし。
「そう、よかった」何かあったら、あんたも巻き添えにするわ。
不確定金属生命体の姉妹は、互いに思念で牽制し合った。
「で、あなた、いつまでミートパイの格好しているの?」
「ティーカップの姉さんに云われたくありません」
「まぁ、この子ったら」カーリィが同意を求めるようにデイヴを見る。「いっつもこんな調子で」
オークの組合長は、如才なく、姉妹喧嘩に口を挟むような真似はしなかった。
「でもまぁ」とカーリィは肩を竦め、「トースターよりはマシでしょ?」
「ええ……まぁ」レディ・カフカは小鼻に皴を寄せ。「どうしてルーシィ姉さんは、あんな奇矯な姿を好むのかしら」
「まぁ、変わり者だから」と姉。
「ええ。変わり者ですね」と妹。
はて? ビアトリスは首を捻る。どっかで聞いた名前のような……。なんかすごく嫌な感じがするような……。
「なんと」デイヴは目を見張った。「三姉妹だったのか」
そこかい、とビアトリスは思う。
▼フラッシュバック 5
切り落とされた角が地面に突き刺さった。
角のあった左の付け根は、ヒヤッと冷水を浴びせられた一拍の後、カッと燃え上がった。
「ちっ」
イブキは忌々しげに舌を打つ。「命拾いしたな、牛頭」
これが実力であればまだしも、偶然に助けられるとか。まったくもって腹立たしい。
「足を滑らすとは、さすがに予想できなんだ」イブキは血振りをし、刀を鞘に納めた。「運は一度きりだぞ、牛頭。次は無い」
ファラリスは唸った。女から物凄い毒気を感じた。
なんなのだ、この蛮族の女は。
何故にここまで強い憎悪を抱ける。
たったいま出会ったばかりの相手を、慈悲も躊躇いもなく、ただただ殺しの対象として見ることができるのだ。
不意にファラリスは理解した。
先に名乗りを挙げたではないか。
彼女もまた、この地の者でない。
浪人、だ。