10.(自分とは違う何か)
◆Present day 10
収穫祭が終われば、つらく厳しい冬が到来する。口減らしには絶好の機会だ。
三つの領地に重なるようにしてある農村は、今年も恵まれ、祭もたいそう賑わうであろう。
「ああ、いい香りだ」
デイヴは執務室で、ヤギヒゲの淹れたコーヒーをゆったりと楽しんでいた。
「綿花、砂糖、コーヒー豆……。我が農地は着々と広がっておる」
退室しようとした、はぐれ蛮族のヤギヒゲの同席を許していた。
仕事があるだの何だのと云うが。
当のファラリスがアレだ。
少しはコイツを話し相手にしてやろうとか思ったりしたとかないったらないけどまぁなんだ、口答えしないヤツというのは、これでなかなか貴重なのだ。
魔族ギルドは。
愚痴の聞き役を常に探しておる。おお、面倒くさい!
「生糸、手放しちゃったのね」
何故にかビアトリスも同席しておる。
だが今は気分が良い。
「互いに喰い合う道理はない」
「蛮族の商会など、いつでも乗っ取れるさ」
何故にか、メイジーも同席しておる。めっちゃせせこましいのが、さらにせせこましい。
だが今は気分が良い。
「あれは商人だ。勘定には賢しい」
「カカオ農園、欲しいなぁ」ビアトリスが甘えた声を出す。「それからバニラとシナモン」
「欲張るな。ことはそう簡単でない」苦々しくデイヴは続ける。「売り買いされる蛮族どもを攫い、強制的に移住させ、労働に就かせておるが……。年季が明ければ、おっぽり出すのに、何故にあいつら出て行かん?」
「ある程度の歳月を過ごした土地から離れるのは難儀なのでしょうよ」とメイジー。
「それで逃げ遅れては意味ないのにね」とビアトリス。
ああ、そうだ。
そこに危機が迫っているのを分かっていながら、離れようとしない。
否、出来ないのだ。
心は、竹を割るようには出来ていない。
もし簡単に割り切れるのなら、それこそ心など持つ意味がない。
心を捨てたら。
それこそナニモノでも無くなる。
望んでなるものでない、何か、なのだ。
▼フラッシュバック 9
「ホゥ」鬼は、興味深げに目を細めた。
「どけ、どくのだ」ファラリスは子供の肩に手をやり、「あれは、……やるぞ。走れ、今すぐ走れ!」
しかしエルフの子供は、女剣士を真っ直ぐ見据え、「森を焼いたのはあなたたち、ヒト」
「そうだ。我々が焼いた」
「わたしは許さない」
「避難の通達は出ておろう。女子供と年寄り、男たちに分けて。時間? グズグズするのを家畜同然に急かしたのは致し方あるまい。だが、それはわたしの仕事でない」
「絶対に、許さない」
「構わぬ。だが、お前ごときに何ができようか」
「今は何もできない。でもいつか、」
「やめるんだ」
今や、ファラリスは子供の両肩を掴んで揺さぶり、懇願していた。しかし、エルフは全身でこれを拒んだ。
「どうか……逃げてくれ」
「嫌」
「よかろう」女が、ふぅー、と細く息を吐いた。
ファラリスは戦慄した。子供を斬るつもりだ!
今度はファラリスが速かった。小さな躰を抱え、捻るようにして横に飛んだ。
刃が背の皮と肉を削いだ。だか深くはない。致命には程遠い。
運はまだ、自分を見放すに至らなかったのだ。
血に塗れながら、小さな躰を守るように転がった。
「ちっ」女は忌々しげに舌を打つ。「どうにも相性が良くないらしいな、牛頭」
「貴様の腕がその程度なのだ」胸にエルフの子供を掻き抱き、ファラリスは云った。
勿論、そんなことはない。ファラリスには分かっていた。
アレは、化け物、だ。
自分とは違う何かだ。
たとえ自分が切られようとも、刃先が子供に届かぬようにと、躰を強く硬くした。
しかし、何も起こらなかった。
「おしゃべりは……ロクなものでない。するものでないな」
ややあって、 女が太い息を吐いた。「お前のせいだぞ、牛頭」
首を捻り見遣ると、女は刀を鞘に納めていた。
「どうにも興が削がれた」
女は、地面に突き刺さった角を拾い上げた。「今はこれを首の代わりとしよう」
そして懐に仕舞うと、「牛頭よ」と語りかけた。「私もまた、父母の父母の父母と同じ過ちを犯そう。お前ほどの〝気高い武人〟ならば、死より辛い呪いをかけよう」
「なんだと……?」
「そうだ。牛頭。お前を見逃してやる。程なくしてここに、我らの仲間もやって来る。だが、今はまだ、他の者はいない。わたしたちだけだ。なに、礼には及ばん」
呵々、とイブキは笑った。「慈悲をかけたが為に寝首を掻かれる話など、枚挙に遑がない。あえて乗ろう。結末は返り討ちか、仇討ちか。後の世で、好んで語られるものになることを願おう」
「……ここで、自ら首を掻き切ることもできるのだぞ」
「おう、面白いことを云うヤツじゃ」
女剣士は躰を反らして呵々大笑。「相分かった。ならばその気にさせてやろう。右利きか、牛頭」
ハッとした時には遅かった。ずぶり、と右の肩に切っ先が埋った。
ファラリスはギリ、と歯を食いしばる。
エルフの娘がヒッと短く悲鳴を上げた。
骨で刃が滑った。刀身がぐいと捩じられた。
肉を割き、腱を断った。
「もう、以前のように剣を握ることはできまい」
すいと刀が抜かれた。腕が熱く痺れ、指先は意に反してひくついた。
「これで少しは恨みつらみをこぼせるようになったと云うものよう、牛頭。仲間のもとへ帰り、慰めてもらえ。優しくしてもらえ。お前は思い違いが過ぎるのだ。殺し合いに規範も倫理もあるものか。経緯ではない。どのようにして勝ったかではない。勝った事実があれば、どうとでもなる」
「お前は……」ファラリスが吼える。「オニなどでは無い……断じてオニなどではない!!」
「随分と褒められたものだな!!」
躰を反らし、高らかに笑う。
ヒトでも獣でもない、ナニモノでもない笑い声が響き渡る。
涙を流し、なお笑う。
「わたしが、殺す」
巨体の下から、子供が這い出た。
「わたしが、あなたを殺す」
イブキは虚を衝かれた。
一拍の後、「ははは!」嬉しそうに笑った。「面白いことを云うな、エルフの娘!」
「必ず殺す」
「ははは! 十年、二〇年経っても、お前には無理だ」
「必ず、絶対」
「やめろ……、やめるんだ」血の滴る腕を押さえながらファラリスが呻く。
「良いではないか。牛頭。子供の戯れ言と切り捨てるほどわたしは優しくないのだぞ? して、エルフの娘。名は何と云う」
「教える名前なんて、ない」
「ホゥ。成程、相分かった」
睨むエルフの娘に、イブキは微笑して見せた。「お前の顔、しかと憶えた。三〇年か五〇年か、もっと先か。待っていよう。しかし、ヒトの命は短いぞ。お前が先か、閻魔が先か。そこまでは約束できん。悪く思うな」
「その時は──あなたの子供を、殺す」
「よし」女はにぃっと笑った。「だがな、あれは私の獲物だ。約束だ。牛の首は私が貰う。私の首には、エルフの娘、お前の予約札をつけてやる」
「何年かかっても、あなたを殺す」
「そんな日が来るといいな。行け、牛頭。エルフの娘、こっちへ来い。適当なところまで送ってやろう」
「嫌」
「そうか」
イブキはしっかと頷いた。
「ならば、去れ」