01.(森が焼ける)
鉄の杭 -炎の日Ⅰ&Ⅱ-
▼フラッシュバック 1.357
森が焼ける。世界が煙る。
熱風が押し寄せ、全身を焦がした。
腕を伸ばし、抱きかかえた。
その手は血で濡れていた。
小さな躰は、意志を持たない袋だった。
▲フラッシュフォワード 3
「国なんざ滅びてもいいだろう」
王宮のバルコニーの手すりから半ば身を乗り出し、マイティ・勇者・ロジャーが云った。夕陽が顔を赤く照らしていた。「いい機会じゃあないか」
中庭に、阻塞気球の作る影が細く長く伸びていた。
秋の風が、そよと吹く。
影がゆらり、と流れる。
「やめてください」伏し目がちにイブキ・女騎士・メブキは哀しげに応える。
その様は、半分の年にも満たない娘のようであった。
「どうあれ、王室は尊敬されているのです。飾りだの神輿だのと揶揄されることもある。けれども、その存在は、議会が幾ら束になったところで遠く及ばない。王室は国なのです。私たちの住うこの国そのものなのです」
「ふうん?」それからロジャーは、「静かだな」ふと、口にする。
「ええ」とメブキ。「避難させましたので」それから小さく言葉を溢した。「もう少し時間があれば良かったのですが、」云いかけ、慌て付け加える。「いえ、非難してるわけじゃないです」
「誰もいない町。誰もいない都」ロジャーはメブキに視線を向け、「その王室を担ぐ民衆がいなくなる。民のいない、たったひとりの国の王。それがお前の望みか」
「違います」彼女はかぶりを振った。「違うんです。人々がいて、国がある。人々が集い、王室がある。この地、この場所、この世界。何世代、何百年と続いてきたのは、相応の理由があるのです」
「カネばかりかかるだろうに」
「悪いことばかりではないのです」
メブキは小さく息を吐く。
お金だけの問題だったら。
確かに彼の云う通り。
簡単なことだったろうと思う。
けれども、お金では計れないコトがあるのを、バウティハンターに求めて何とする。
「なら、どうすればいいんだ?」灰色の口髭のゴールデン・拳銃使い・ゴールが訊ねる。
メブキは王都の西へ目を向ける。幾筋も煤けた煙が立ち昇り、夕暮れを焦がしていた。
「わたしたちが今、判断すべきことではないと思います」
「で?」同じく西へ顔を向け、ロジャーは目を眇めた。
「何百年と続いたものを、ふと思い立ったように、ただ気に入らないとの理由だけで消してはいけない」
メブキは云った。「ここで生まれ、ここで育ち、ここで生き、子を成し、育て、そして死ぬ。土地とヒトは、割り切れるものでない。根を張り、生活するところでなのです」
「根無し草稼業には縁のない話だ」ロジャー言に、「そうでもないな」とゴール。「帰る場所でもあるんだろう」
「まぁいいさ」ややもすると、無関心な調子でロジャーは続けた。「杭で縫い付けられンだろうさ」
「呪いとでも云いたいのか」ゴールが問う。
「違うとでも云えるのかい?」
メブキが静かに口を開いた。「時代はいつも普遍の価値の上にありません」彼女は伏し目がちに続ける。「今には今の、過去には過去の、未来には未来の捉え方があるのでしょう」そして、毅然と彼女は云い切った。「我が国はこの地で歳月を積み重ねてきた。伝統や文化は、一朝一夕のものでない」
「後生大事に抱え込んで、どうするつもりか」ロジャーは首を傾け、「先を心配しても割りに合わない。昔を偲んでも、今が良くなるわけでもない」
「たぶん、そうでしょうね」彼女は薄く微笑む。「だからこそ、同じくらいの時間をかけて、民衆と王室で考え、それからでも……遅くないと思います」
「先伸ばしをしたところで、国は滅びる」ロジャーは断定した。
「それはヒトも同じです」メブキは穏やかに応えた。「寿命なら仕方ないのです。けれども、一度なくしたら、二度と元には戻らない」
「必要なら、また誰かが担ぎ上げられるさ」
メブキは首を横に振り、「それは、以前とは違う、新しい何か、なのです」
「何百年だか何世代だか続けば、それも歴史だろう?」
「ええ、そうでしょうね」再び、メブキは薄く微笑んだ。「書物は焼かれ、文化は壊され、時代と歳月、世代と共に、言葉が移り変わっていく。滅びた事実だけが残り、誰かの作る歴史が始まる」
「その程度のモノだってことだろう」
「それは後世のモノの見方なのです」
メブキは、変わらず静かな調子で続けた。「どんなものでも二代、三代と待たずに、いとも簡単に消えてしまう。誰が語ろうにも、全ては伝え切れない。記録は断片に、記憶は曖昧に。何もかもが風化し、ボロボロに崩れてしまう」
「砂の城か」ゴールが太い息を吐いた。
「王室を好ましく思わない人がいることも分かっています。初めてではない。そしていつも掲げた理念の前に、目的のための手段が、手段のための目的になってしまう」
「ふうん?」とロジャー。
「家族。家。土地。生活。それらをないがしろにした理想とは、一体なんなのか」メブキの言葉が硬くなる。「誰もが納得するのは難しい。いや、そんなものはない。そんなことは起こらない。でも、ひとりでも多くの人が、そこにしあわせを見出せるのならば、それを奪う権利が誰にあるのか」
「割を食った方はどうだかな。去ったか、それとも追い出したか」
一拍おいて、勇者は続けた。「綺麗さっぱり国もヒトもいなくなれば、考えないで済む」
メブキは、薄い笑みを顔に浮かべたまま、何も云わなかった。ゴールは何やら念慮するかように自分の髭を撫でる。
「なぁ、ロジャー。俺たちが寝返ったら、どうなんだろうな?」
「俺たちが押さえ切れなかったら、革命が始まるンだろうな」
「まぁいいさ」ゴールが云う。
「まぁいいな」
「俺たちが引導を渡したところで、今日は英雄、明日は逆賊だ」ゴールが白い歯を見せる。「変な仕事を受けたなぁ」
ふたりは視線を交す。
「いつものことだ」とロジャー。その口ぶりは、興がるような響きを持っていた。
「違いない」応えるゴールの声音にも、同じものがあった。
「何も変わらんよ」ロジャーは云う。「約束通りに支払われるのなら、俺に否やはない」
「本当にあなたは……」メブキが呆れ気味に云う。「報酬次第で命をぽいっと捨てられるんですね」
「まぁ、そうだな」ゴールが云う。「地獄の沙汰も、カネ次第だ」
「隊長さんは名誉や伝統を重んじる。俺らはカネを信じている」ロジャーが応える。「死んだ後のことを心配したところで引き合わない。生き残って、ソレにありつけるかどうかだ。QX?」
どおん、と大きな音が、空気を震わせた。
爆煙が膨れ、吹き上がった。
間もなくポータルをくぐり抜け、乗り込んでくる。
炎の日が始まる。
◆Present day 1
当てつけるように、ビアトリスが大きな溜め息を吐いた。ベイブ〝三ツ目〟デイヴは邪気を払うように、手を横に振った。
「はーぁあぁああ」
やはり当てつけだった。
これまたデイヴは手で払った。実際、彼女の口から吐き出されるのは、怨毒をたっぷりと含んだ邪気そのものである。
金色の、秋の日差しが差し込む執務室。樫材のどっしり構えた両袖机。それを挟んで小娘が、大鬼相手に大溜め息。
執務室、とは云うが。小部屋と呼んで差し支えない。書庫は別にあるので、並べたてるようなものもなし。
このせせこましい空間に、二人きり。
マヂ、しんど。デイヴは思った。マヂしんど。
彼はこの夢魔の女が苦手であった。
波打つ銀の長い髪。澄んだ灰色の瞳そして青磁を思わせる冷たくも艶やかな肌。
年端もいかない小娘のようなナリをしているが。小姑か。
たいてい彼女は、愛らしい娘姿に化けている。だが、その正体は一目見たらば発狂し、二目と見られぬモノである。おお、恐ろしい!
「だからねぇ」ビアトリスは泥濘のように、ねっとりと云う。「どう云うことなの?」
どうもこうもない。「通常業務だ」
「ファラリスが抜けたからって、ウチの宿六が働くなんておかしいじゃない?」
いや、おかしくない。おかしくはないのだ。
牛の頭を持つファラリスと並んで、馬の頭を持つメイジーこと、ビアトリスの夫は、組合会館にて、受付を担当している。
そしてたいてい、サボってる。鼾をかき、ヨダレ繰り繰りサボってる。
だから、ファラリス不在のいま、彼がサボらず働くのは道理であり、そもそもサボりが常習化していた状況のほうが問題なのだ。
むしろ、ファラリスが働き過ぎなのだ。あいつは。まったくもう。少しは手を抜け。他に廻せ。仕事を渡せ。抱え込むな。
まったくもう。
あのバカチン。
物語と関係は無いが、バカチンとは南東に位置する蛮族の公国と、その周辺地方の呼称である。
デイヴはその二つなの由来である、額に突き出た一本角を掻いた。
「ねぇ」ふと、ビアトリスが云った。「また青空市場、襲うンだって? アンタ、ホントにどうしたいの?」
▼フラッシュバック 1<2
空を裂いて矢が雨のように降り注いだ。ファラリスは身の丈もあろうかという巨大な両刃の剣で払う。
力尽きた木々が倒れる。火の粉が舞い、汗水漬くの躰に散った。
ファラリスは唸った。剣は、そこかしこで刃毀れしている──蛮族め。
これまでか。死地と半ば覚悟したその時、母を呼ぶ子供の声がした。
見遣れば、燃える木々の煙る中に子供がいた。
「母さーん! お母さーん!」
少女であった。大きな耳環を嵌めている。
あの耳は、エルフとかいう種族だ。褐色の肌は煤け、しかし炎で赤く焼けていた。
矢が少女を目がけて降ってきた。
ファラリスは少女を抱きかかえ駆け出した。胸に庇い、駆け出した。背で矢を受けた。
どれほど走ったろう。腕の中の子供は目を閉じ、ぐったりとし、はっとさせられた。胸が規則正しく膨らむのを見てほっとした。
顔を上げ、辺りを見渡した。木々の向うの向うに、煙がもくもくと立ち昇っている。
炎を逃れ、だいぶ奥深いところまで来てしまった。
子供を抱え、風上へと向かった結果がこれだ。
ファラリスは膝を付き、少女の躰を、柔らかそうな地面に下ろした。木の根を枕変わりにしてやって。
割いた布で、頬の煤汚れを拭いてやった。綺麗にしてやれなくて、歯痒く思った。
致し方ない。
立ち上がって深く息を吐いた。
その時、木々の合間からひとつの影が現れた。蛮族の女であった。
その様は、庭を散策しているような佇まいであった。姿格好さえ違えば。
黒髪を後ろで束ね、額に鉢金。確かな体躯に、長い刀を佩いていた。
やはり炎から逃れてきたのか、顔は黒く煤けている。
「ホゥ」鎖帷子が覗く襟元を直しながら、女は口を開く。「残党狩りにでもと洒落込んでみれば、どうやら大物に行き合ったらしい」
女は頬を擦った。煤汚れがべったりと広がった。
ファラリスは睨め付けた。
女も視線を外さなかった。
「フブキ・イブキ」女剣士が口を切った。「お前の首を狩る者の名だ」
黒髪が、風で逆立つ。