第5話 雨 雨 ふれ ふれ 母さんが
「……あの、化け物が……ッ」
目の前の光景に、思わず唸ってしまっていた。
あの根暗な化け物小僧は、どうやら自分達の知らぬ間に、捕らえた獲物を解体する技術を身に付けていたらしい。
改めて思い返すと、最初、獲物を売りにきていた時、一緒に自分が食べる分の獣を解体させることが多くあった。
解体ができないレナは今でもそうしているのに、あの化け物はいつからか、解体は要求せず、ただ獲物を売りにきて、金を受け取ってそれで終わり、というふうになっていた。
特に気にせず、むしろ、今になるまで気付かなかったが、なるほどこういうことか……
「いい加減にしろよ……あの、化け物だけは……あの、化け物だけはぁ……ッ」
見たところ、まだまだ拙さはあるものの、ほぼ完璧に、食肉、毛皮、骨、内臓、その他捨てる部分と、それぞれの用途に利用できる程度には、加工、選別できている。
自分が食べるだけが目的ならこれで十分だし、売り物にする気なら、もう一ヶ月から二ヶ月は経験を積めば、完璧な仕事をこなせるようになるだろう。
そう。彼から見ても分かる。
時間を掛ければ、彼のたった一つの取り柄である、獣の解体、加工を、彼以上に完璧にこなせる。
俺のたった一つの取り柄を、俺以上に、あの化け物が……
「化け物のくせに……化け物なら化け物らしく、捕まえた獲物を、そのまま生で食い散らかしてやがれ……下手に人間様のモノマネなんかしやがって……そのくせ人間様より上手くなりやがってぇ……ッ」
受け入れられなかった。許せなかった。
猟師として、邪道なくせに狩りをこなして、俺の憧れ二人に認められている。
おまけに、化け物のくせに、俺ができるたった一つを、俺より上手くこなすなんて……
あっていいはずがない。許されていいはずがない。
あいつは化け物だ。化け物は、今すぐ殺さなければならない。
そして、それを誰もしようとしないから、今日、俺が実行するんだ……
「化け物……恨むんじゃねえぞ。悪いのはお前なんだからな……お前は、人間に害を加える化け物だ。俺はそんな、化け物を殺す、英雄になる男だ……」
男は、自分にそう言い聞かせながら、怒りと屈辱に震える心身をどうにか冷静にし、持参した弓矢を握りしめ、目の前に伸びる大木を見上げた。
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高く昇った月。その光だけを頼りに森を歩く、身長差のある少年少女。
特に何を話すでもなく、昼間のように、獲物を探すでもない。
ただ、家を出てから一時間以上、森の中を歩いている。
どこかに向かっている、というふうでもない。森の中にある道という道を、ただ歩いている。
一つの道を通っては、また別の、あるいは一度通った道をまた通る。その繰り返し。
散歩、というよりも、見回りだった。
「はぁ……」
そんなことを何時間と続けたことで、疲れを感じたフィールは、手近にあった岩に腰掛けた。
「……先に帰って、寝ててもいいぞ」
岩に座り、脱力するフィールに、リアはそんな、事務的な声を掛けた。
フィールとしては、はっきり言って、リアがこうして夜の森を徘徊する理由は理解不能だし、眠気も感じている。
リアの言葉に甘えて、このまま今すぐ家に戻って、ベッドに横になりたい。
だがその前に、聞くべきことは聞いておくことにした。
「リアは、いつまで歩くの?」
「朝まで」
さも当たり前のように、平然と即答したのは、短い、無茶苦茶な答えだった。
「……え?」
「朝まで」
「……朝まで歩いて、どうするの?」
「何も無ければ、何もしない……何かあれば、対処する」
「対処……?」
「昨夜の、お前達みたいな連中を……」
「……!」
眠い目が覚めると同時に、ようやく理解した。
これは、散歩でも夕涼みでもなく、そのものずばり、見回りだったと。
「それって……いつから続けてるの?」
「いつからか……俺ももう覚えてない」
リアは遠い目になりながら、思い出すように話しを始めた。
「昔、村に行った時、村が盗賊に襲われてた。連中の狙いは……俺だった。村も住人にも何かされる前にぶちのめしたが、村中から恨まれて、追い出されかけた。もう次は無い。追い出されたら、あの人にも迷惑が掛かる。だから先に、そいつらを見つけることにした」
歩いている時と同じ、静かながら事務的で、冷めきった声。
自分自身がこんな目に遭うことに慣れきって、受け入れている。それがよく分かる口調だった。
「……じゃあ、その日から、ずっと見回りを続けてるの?」
「……ああ」
「毎日?」
「毎日」
「……いつ寝てるの?」
「……昼間の狩りの合間に、寝る時もある……」
「ああ……ちゃんと寝てはいるんだ」
その答えには、少しだけホッとした。
「盗賊は、今のところ、昼に来たことはない。昼はどうせ、狩りをする以外は暇だから」
「そう……やっぱり、村の人達からは、嫌われてるんだ……」
ネアから大体の事情は聞いた。そして、リアの口から聞かされて、はっきりと理解した。
「目の前を歩くだけで、ガキどもには石を投げられて、大人には陰口叩かれて、買い物させろって言っても、一人以外からは無視される……少なくとも、好かれてる、とは言えないだろうな」
状況を、容易に想像できる答え。容易に想像できるくらい、残酷な事実。
「……友達とか、いないの?」
「いない」
これも、聞いていいのか分からない質問。それでもリアは、嫌な声一つせず即答した。
「ただ……俺を見つけると話し掛けてくる、年上の物好きが、一人いる」
「それは、友達じゃないの?」
「そいつ次第だろう」
「そう……」
リアには話し相手がいない。
ネアはそう言っていたが、どうやら実際には一人、それも、自分から話し掛けてきてくれる、そんな人がいるらしい。それがなぜか、すごく嬉しかった。
「もっとも、そいつは俺と違って、村の連中には普通に好かれてるが……」
そう、最後に付け加える。どうやらその人は、リアに比べれば人格者ではあるらしい。
それにしても、と、フィールは思った。
確かにリアは強い。昨夜のフィールや、襲いかかった連中全員が感じたように、はたから見れば、恐怖するべき化け物だ。
だがそれでも、その本質は、ただ優しいだけの、普通の少年だ。
見た目を気にすることは仕方がない。金しか見ていなかった自分もそうだったのだから。
だからこそ、私ができたのだから、その人格者を除いた村の住民とやらも、本質を見抜く努力をするべきだ。
「この森から出ようとは思わないの?」
魔法が使えるとか使えないとか言う以前に、そんなにひどい村なら、いっそ盗賊なんか放っておいて、ネアを連れて、どこか遠くへ行ってしまえばいいのに……
「行くアテも、金もない」
「え……お金は、たくさんあったじゃない?」
この家から出る直前に見たものを思い出す。
こんな森の奥の、猟師の収入などたかが知れている。賞金稼ぎより安定はしているだろうが、賞金稼ぎのような大当たりな臨時収入はまず見込めないはずだ。
そんな、猟師が稼ぐには無理があり過ぎる金額が、あの戸棚には眠っている。昨夜のように、少ないながらも盗賊から巻き上げたり、多分、もっと汚いこともしたんだろう。
稼ぎ方はどうあれ、あれだけあれば、ここと同じような場所の、同じような小さな家なら買うことも不可能じゃない。
金に詳しくないフィールにも分かることが、リアに分からないとは思えない。
「全然足りない……」
「どうして?」
「……行くなら、あの人の足を、治せる場所に行きたい……」
聞き返し、返ってきた言葉に、思わず息を呑んだ。
「……あの人には、ちゃんと償わないといけない……」
「償いって……村から孤立させちゃったこと?」
「……」
この質問には、答えない。
「余計なお世話かもしれないけど……償いなんかよりも、ネアさんは、あなたがそばにいて、話しをしてくれることを望んでる、と、思う……」
「……分かってる」
あまりにもあっさりと、リアはフィールの余計なお世話を肯定した。
「分かってるが……今の俺に、あの人の息子でいる資格は無い……」
資格は無い。と言うということは、その資格は欲しい、と思っていることに違いない。
「……リアの言う償いって、どんなこと?」
尋ねた時、髪の隙間に見える瞳を真っ直ぐフィールに合わせ、確信を込めて言った。
「あの人の足を治す。この森より良い家に引っ越す。そのくらいしないと、俺は……」
一度言葉を切って、そして言った。
「俺は……一生、あの人の息子には、戻れない……」
足と、家。
十四歳の少年には重すぎる、大それた償いだ。それだけなら、歳若い少年らしい願い事で済んだろうが、頭の良いリアのこと、それがどれだけ険しい夢かは分かっているはずだ。
だがそれでも、それを話した時のリアの目は、本気でそれらを目指している目だった。そんな目と、戸棚に蓄えられた大金が、何よりの証拠だった。
「それまでずっと、ネアさんと話さないつもり? ネアさんは、ずっとあなたのこと待ってる」
「……」
「償いなんて、触れ合いながらでもできる。ネアさんと触れ合って、話しをしながらでもいいじゃない。あなたは十分、償いと呼べることをしてきたはずよ?」
一日しか触れ合っていない身でも、リアの、ネアのことを思う顔を見ればよく分かる。
それだけ頑張ったんだ。そんな自分を許してあげてもいいじゃないか。そう思った。
「……それで許されても、許されないことをしたからな」
顔を背け、前髪の下は変わらない無表情で、なのに、悲しげな声で、拒否的な声を吐いた。
そこから更に、苦しそうに、言い辛そうに、続きを話そうとした……その時だった。
「……え?」
「なに?」
突然聞こえてきた大きな音に、二人が一斉に、音の方向へ振り向いた。
「火事……?」
夜の空が、真っ赤に照らし出され、黒と灰色の煙が、夜空へ昇っていくのが見える。
呆然としているフィールの前に、リアが出てきた。
「おい……あそこは……まさか……」
静かながらも尋常ならざる声で、フィールも気付く。
真っ赤に光る空の下。あの場所は……
それに気付いた瞬間、リアは既に走っていた。フィールも、すぐに後を追った。
リアの俊足に置いて行かれそうになりながら、何とか走り続け、背中を見失わないよう、追い掛けて……
そして、辿り着いた。
「……おい」
また同じ声。その声が向けられた、大木の上に建つリアの家は、真っ赤で巨大な炎に包まれ、かなりの勢いで、赤々と燃えている。
「おいッ!!」
今までに無い絶叫を上げて、すぐさまハシゴへ走った。
地面を蹴って半ばまで跳び、そこを蹴って玄関へ着地。
たったの二歩でハシゴを上ってしまったリアを、フィールも慌てて追い掛けた。
玄関から離れているおかげで、ハシゴは燃えておらず、倒れてもいない。だが、下はともかく、上へのぼるほど表面が熱くなっていく。それでも火傷を覚悟し、ハシゴを上る。
上までのぼると、玄関のドアは既に破られていた。
中に入ると、ついさっきまで夕食を囲んでいたテーブルが、椅子が、部屋の隅に吹っ飛ばされている。全てが燃える灼熱の中で、リアはすぐに見つけることができた。
「リア!」
リアは、ネアの部屋の前にいた。
ドアノブに手を掛けているが、燃えているせいでかなり熱が籠もっているらしく、握ってしばらくした後で、熱さに離してしまっている。
おまけに、ドアや入口自体も変形しているせいか、熱さをガマンして押そうが引こうが動かない。
開くのを諦め、ドアに蹴りを入れた。上と下、一撃ずつで蝶つがいを破壊し、外れたドアを後ろへ投げ飛ばした。
「おい!」
「はいはい、ここにいるわよ」
と、ついさっき聞いたばかりの、明るく陽気な声が聞こえた。
無事だ、と、ホッとした時……
声の方を見た瞬間、フィールの安堵は一瞬で消えた。
リアは無言だが、似た表情に違いない。
「ごめん……これはちょっと、助かりそうにないわ」
何事も無いように、いつも通りの軽い口調で言っている。
そんな、ネアの言った通りだった。
ドアから入ると、ドアの前からベッドまで、その間の床が崩れ、大きな穴が開いていて、そこから地上と、樹の根元が見えている。
それだけなら、リアなら跳び越えることはできたろう。
だが、跳び越えた先にある、本棚にある大量の本。その全てが燃えて、巨大な炎の壁と化している。本棚も崩れ、それがベッドの横にある車椅子を押し潰し、木でできた床や、大量の本を火の海に変えている。
しかも……
「そんな……ネアさんの足が……」
天井の一部。ネアの真上のやや前方。そこが崩れ落ち、落下した先のベッドを、家具を、そして、ネアの足を、潰し、無くしている。
赤々と燃える炎の中でも、白い毛布や、白いパジャマが、真っ赤な血に染まっているのが見えた。
そんな状態のネアを包む火の海は、ベッドにも燃え移っている。
そんな海に浸かった状態で、かろうじて、ネアはまだ沈んでいない状態だった。
あくまで、かろうじて。
ネア自身が炎に包まれるか、もしくは燃えた床が崩れて落下するか。
どちらにせよ時間の問題だった。
仮にリアがベッドへ飛び移ったとして、二人揃って炎に巻かれるか、その勢いで床が崩れ落ちるか。
無事に飛び移れたとして、ネアの足を潰している、熱く燃えている巨大な天井をどかせるだろうか……
どかせたとして、大けがをしたネアを抱えて、部屋が燃えて無くなる前に、無事に逃げられるか……
どちらにせよ、フィールにも、強く聡明なリアでさえ分かるのは、今のこの状況で、ネアを生きて助け出すことは、不可能だということ……
「……おい」
また、リアが声を上げた。
弱々しく、だがひたすら必死な、悲愴にまみれた声を。
「……すぐに助ける……そこを動くな……」
「ああ、いいわよ無理しなくて。いくらリアでも、これは無理だから」
「無理じゃない! 絶対に助ける!」
「いいから逃げなさい。どっち道、足がこれじゃ、アンタがどれだけお金稼いでくれたって、もう一生歩けないでしょう?」
「それは……」
(ネアさん、リアのしてること知ってて……)
足のことなど気にせず、顔の血しぶきを拭いながら、母親らしく、我がままな子供に言い聞かせる口調で言った言葉に、リアは、フィールは、言葉を失った。
「いい加減、あんたのお荷物になる人生にもうんざりしてたから。あんたは私のこと忘れて、自分のために生きなさいな」
これから死ぬ人間のものとは思えない、優しく、明るく、前向きで、穏やかな声。
だがフィールは、昼と違い、優しい気持ちになることは無かった。
「ふざけるな! なに勝手なこと言ってる! 俺はまだ、あんたに何の償いもしてないのに! 勝手なこと言うな!」
怒声も同じなリアの絶叫に対しても、ネアの表情は、変わらず笑い、口調は変わらず、軽い。
「あんたは十分、今までやってくれたわよ。もう十分。それに、償うも償わないも、私はあんたのこと、恨んだことなんて無いんだから」
「何でだよ……」
軽く、明るい声に対するリアの声は、どこまでも、暗く、悲痛にまみれて……
「何であんたはそう、いつもいつも、俺に優しい言葉を掛けてくれる……あんたを一人ぼっちにさせたのも……あんたを歩けなくしたのも、全部俺なのに……」
「……ッ! リアが、ネアさんを……!」
その言葉に、またフィールは驚愕させられた。だがネアは、笑っていた。
「あれはあんたのせいじゃないわよ。ただの事故。あんたはただ、いつもみたいに甘えてきただけなんだから」
「ああ、そうだ……いつもみたいに、あんたに抱き着いて、両手に力を籠めたら……あんたの、背中から……バキリって、音がして……そのせいで……」
狼狽しながら語られた、あまりの内容に、フィールは絶句するしかない。
「俺がそんなことしなければ、あんたは今頃、好きだった森の散歩だって、一人でもできて、今だって、部屋がそうなる前に、逃げられたはずだろう……」
今にも泣きだしそうな、だが、それ以上の苦しみと、怒りを含んだ声を絞り出す。
「全部、俺のせいだろう……俺のせいで、あんたは孤立して、歩けなくなって……最後の最後は、俺の買ってきた本のせいで逃げられなくなって……残ってた足まで無くして……最初から最後まで、あんたを守るどころか、不幸にしかできない……なのに、何であんたは、最後まで俺に優しくする?」
問い掛けながら、更に声を上げた。
「村の連中みたいに、俺のこと化け物って呼んで、恨んだっていいだろうが……無視して、顔も見たくないって、突き離してもいいだろう。俺さえいなければ、あんたはそんな目に遭わなかった。俺なんか……俺なんか、ただの化け物だ。優しいあんたの息子なわけない! そこで死ななきゃならないのは、あんたじゃなくて、俺だ!」
「フィールちゃん」
リアの悲痛な叫びを遮りながら、ネアは、今度はフィールを呼んだ。
その時、ネアの顔から初めて、笑顔が消えているのが見えた。
「リアにビンタ」
「……」
その言葉に、即座に従った。
リアの肩に左手を置き、顔をこちらへ向け、右手を上げて、バチッ、という音を、燃え盛る室内に響かせる。
それを見届けると、ネアはまた、口を開いた。
「まったく、あんたって子は……けど、そっか。あんたはいつも、そんなこと思いながら頑張ってたんだ……」
その声に、二人はまたネアを見る。
ネアの顔は真剣なものから、再び笑顔に戻っていた。
「……けど、最期にあんたの本音が聞けて、嬉しかった」
とても穏やかな顔と、穏やかな声で、リアに、最後の言葉を紡いでいく。
「正直に言うとね、そうしようかって思ったこともあった。ある意味、それが一番楽だからね。今の、とてもついてるなんて言えない状態を、誰かのせいにするのって、一番楽だから。全部が全部あんたのせいにしちゃって、あんたなんか息子じゃない! ……て思っちゃえば、そりゃあ私は楽になるでしょうよ」
リア自身が、直前に言った言葉。が、ネアから言葉にされると、その顔には間違いなく、息子としての恐怖が宿っていた。
そんな脅える息子を優しく諭すように、ネアは続ける。
「けどね、あんたは自分がそんな目に遭ったって、誰のせいにもしないでしょう。どころか、一生懸命、自分のしたことと向き合いながら、私のこと守ってくれた。そのせいで話さなくなっちゃったのは寂しかったけど、それでも、毎日楽しかったわ。あんたの作った料理美味しいし、しっかりお世話もしてくれる。時々あんたに車椅子押されたり、おんぶされながら森の散歩するのだって、嬉しかったし、楽しかったしね」
「……」
「そんな、私のために、自分の全部を捧げてくれる息子を見て、あんたなんか息子じゃない、化け物だ……なんて、言えるわけないじゃない。むしろ逆のこと言う。あんたは化け物じゃない。あんたや、村の連中や、誰が何と言おうと、リアは私の、自慢の息子だよ」
「……」
リアは、体を震わせていた。
前髪のせいで顔は見えないが、それでも、泣いていた。
「だから、あんたは胸を張って、これからも生きなさい。お母さんはいなくなっちゃうけど、少なくとも私は、一人でもあんたの味方だったってこと、覚えといて」
「……うぅ……ッ……」
「フィールちゃん」
と、またフィールを呼んだ。
「こんなこと、行きずりのあなたに頼むのも悪いけど……リアのこと、ちょっとの間でいいから、よろしく頼むわ」
「え……?」
「リアは強い子だから、一人でもやっていけるとは思う。けど、何せまだまだ子供だから、危なっかしいこと平気でしそうだからね。だからせめて、ちょっとの間だけでいいから、リアが死んじゃったりしないよう、見張っといてほしいのよ」
「……」
リアの人格は、今日一日で把握することはできた。
確かに、今までのリアならともかく、今のリアなら、そんなことは平気でやりかねない。
そんなことをして失うものが、たった今、消えようとしているのだから。
そして、それを止めること。それが、ネアから託された、最期の願い……
「……分かりました」
自分がやるべきことか。やっていいことなのか。それは分からない。
それでも、この状況で、ネアの最後の頼みを断るなど、フィールにはできない。
そんなフィールの返事に、ネアは満足げな笑顔を浮かべた。
「リア」
もう一度、最愛の息子を呼んで、フィールが知る限り、それまでで最高に輝く笑顔で……
「あんたが息子でいてくれて、お母さん、幸せだった」
「……さん……」
最初、フィールは聞き違いかと思った。だが、
「母さん……」
はっきりと、リアの口から聞こえた。リアが、おそらくは何年も、ずっと言えなかった言葉を。
その言葉に……ネアのその笑顔に、一筋の光が流れるのが見えた。
「ありがとう、リア……」
――大好き……
そう聞こえた……その直後。
ガラガラッ、という音と共に、天井の全てが落ちる。
それがネアの上にかぶさり、ネアの姿を、全て隠した。
「母さん!」
「リア……!」
崩れた部屋へなおも飛び込もうとするリアを、フィールは抱え上げ、引き止めた。
見た目の通り、体重は軽すぎるほど軽い。かなりの力で暴れているが、抱え上げられると、それ以上動くことはできなくなった。
動けないから、叫び続けていた。
「母さん! 母さん……!! ―――――――ッッ!!」
絶叫の最中……また、大きな崩れる音を響かせて、部屋の床が、完全に抜け落ちた。
ネアの部屋が、落ちた天井ごと下へと沈んでいき、代わりに、太い樹の幹と、火事に照らされた夜が目の前に現れた。
その様を見て、リアは、暴れることも、喚くこともしなくなった。
「リア……?」
帰る場所が燃え、最愛の母を失った。
今日まで守ってきたもの、積み重ねてきた努力、生きてきた意味、全てが燃えていく。
そんなリアに、向けるべき感情は分からない。掛ける言葉も見つからない。
何もかも分からないながら、抱えていたリアを床に下ろして、必要な声を掛ける。
「……逃げよう」
返事はしない。動く気配も無い。やっぱり、私が連れていくしかないか。
今のリアなら、無理やり抱き上げても、何の抵抗もしなさそうだから。
そう思った瞬間、リアの後ろにある、燃えている戸棚が崩れ落ちた。
そこから燃えた札束が舞い上がり、その一つが、リアの長すぎる後ろ髪に燃え移った。
「リア……!」
呼び掛けるよりも早く、リアの両手は動いていた。
両手で後ろ髪を握り締め……
――ブッチィ……