第4話 そうよ 母さんも好きなのよ
「あの化け物髪の毛……アイツのせいだ……アイツが悪いんだ……」
父親と二人で解体した、巨大なイノシシを睨みつけながら、彼はブツブツ呟いていた。
彼の父親も、かつてはこんなイノシシや獣を狩る猟師だった。
弓矢を使いこなし、罠を仕掛けて、獣を仕留めては、解体し、金に変えたり、家族に振る舞っていた。
そんな強くて格好良い父親に憧れた息子も、同じように猟師になるという夢を持った。
だが、当たり前だが、父親が優れているから、息子もまた優れている、とは限らない。
生まれつき物覚えが悪いせいで、習ったことはすぐに忘れ、おまけに手先も不器用なせいで、弓矢もまともに扱えず、罠を仕掛けることも満足にできず、いつも父親を呆れさせていた。
しかも、それらの欠点を克服するために、努力することを嫌った。
聞いたことをすぐ忘れるくせに、メモも取らず復習もしない。
とっさにどうするべきか思い出せないのに、父親に相談もせず一人で判断し、行動した結果失敗する。
弓矢が下手糞なのに練習をしようとは考えず、実際の狩りの場以外では、弓矢に触れることさえ嫌った。
本番のみで練習も義務も果たそうとし、その本番すら真剣に取り組もうとしない。
父親に何度怒鳴られようが反省もせず、怒鳴ることが無くなったら、ようやく静かになったと喜ぶだけ。
そんなことで猟師としての腕が上達するはずもなく、上達しない内に、歳を取った父親は猟師を引退してしまった。
父親が猟師を教えられなくなった後で、彼がまともにできることは、父親を伴っての獣の解体しかなくなった。
全ては怠けてきた自分が悪い。そんなことはよく分かっている。
それでも、仕方がない、自分には無理だった、そう言い訳しながら、何もできない自分にイラつくばかりの毎日を過ごしていた。
そんな怠慢息子が、突然目の前に現れた二人の猟師に対して、妬みや嫉みを抱くことになるのは、むしろ自然なことだったろう。
今では、十四歳と十五歳の二人。
彼が本気で猟師を志し、学んでいた頃と同じ年頃にありながら、二人とも遥かに昔から、一流の腕前を振うに至っていた。
その二人は、獣を狩る度、金に代えるために自分達の家まで獲物を持ってきた。
一人は少女。名前を、レナと言った。
気弱で引っ込み思案な面が目立っていた物の、純粋で、人懐っこい笑顔を見せる、誰にも好かれる村一番の美少女だった。
聞けば、彼女もまた、猟師の娘だという。
そして、彼より遥かに幼い頃から父親に狩りを習い、その父親が死んでしまった今では、彼の父親さえ舌を巻くほどの腕前を振っていた。
それだけの腕前ながら、彼のことを見下すようなことはしなかった。
むしろ、自分にはできないという獣の解体を行う彼を見て、すごいと尊敬していた。
それを彼は誇らしいと感じた。そんな誇らしさを与えてくれたレナのことが眩しかった。
やがて彼は、一回りも年下のレナのことを、毎日考えるようになっていた。
だが、そんな少女の視線の先には、常にもう一人がいた。
もう一人は、少年。名前は……知っている。だが、呼びたくもない。
彼だけでなく、村の住人の誰もが、その少年の名前を呼ぼうとはしなかった。
聞けば、レナとは違い、父親はおらず、家族は母親が一人だけ。
そして、そんな少年の狩りの腕前は、父は愚か、レナも……いや、仮に世界中の猟師が束になったところで、絶対に敵うわけがないと言えるほど、優れていた。
その小さな体で森の中を駆け回り、飛び回り、そして、明らかに体に合っていないバカデカい刀を振り回し、投げ飛ばし、獣を仕留める。
こんな猟師がいてたまるか!
猟師を目指してきた者として、そう思わずにいられない姿だった。
それに加えて、汚い髪の毛を気持ち悪く伸ばしまくっているから、村中から、名前ではなく、化け物髪の毛、と呼ばれている。
更にはいつからか、その強さのせいで賞金が懸けられ、それを狙う盗賊が現れるようになり、それに村が巻き込まれたことさえあった。
だから、村中から忌み嫌われ、大人はアイツを無視して、子供達はアイツを見つける度に必ず石を投げて遊んでいた。
そして彼も、同じように、化け物髪の毛のことを忌み嫌った。
だが、嫌うことなど、周りがしているのだから当たり前のことだ。
そんなこと以上に気に入らないのが、そんなめちゃくちゃな存在のくせに、猟師としての結果を、しっかり残しているということ。
確かに、化け物の狩りはデタラメで邪道で外道で……そのくせ、王道だ。
弓矢や罠より効率的で、且つ、大きな獲物を確実に仕留めることができたから、持ってくる獲物はいつも大物だった。
そんな姿が、レナとは違う意味で眩しくて、だがそれ以上に妬ましくて、忌々しかった。
そんな化け物をいつも見つめるレナを見るのが、なお更腹立たしかった。
おまけに、仕事上とは言え、父にすら認められ、必要とされている。おかげで、覚えたくも無い化け物の名前まで覚えてしまった。
レナと、親父。
二人が他と同じように、アイツのことを忌み嫌っていたなら、まだ我慢もしてやったのに……
なぜ、あの化け物ばかりがよりによって、レナと、親父の、二人に認められるのか……
化け物が獲物を持ってくる度、不満は鬱積していく。
そのうえ、どれだけ親父にアイツとの関係を絶つよう説得しても、説得する度に、あの二人のようになってくれれば……そんな台詞の一点張り。
説得しなくとも、毎日毎日、ネチネチネチネチ、しつこく言われ続ける毎日。
年下の少女、レナに憧れた。
年下の少年、化け物を憎んだ。
レナを見ていて、自分のものにしたいと常に欲した。
化け物を見ながら、今すぐいなくなれと常に望んだ。
そんなもろもろの負の感情が、彼の心を埋め尽くした時……
言い訳ばかりの怠慢息子は、その身に余る、間違った行動力を発揮してしまった。
「化け物……ぶっ殺してやる……俺が、アイツを……そうすれば、親父も……レナだって……」
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「重たくない?」
「いえ。むしろ軽いです」
「それじゃあリア、お休み」
車椅子に座るネアと、その車椅子を押すフィール。
その会話の最中、ネアから言葉を受けたリアは、無言で玄関から外へ出ていってしまった。
樹の下でリアと話して、夜になった後、フィールは寝起きにも食べた、リアの手料理を振る舞われた。
安くて汚い店でしか食事したことのないフィールにも、店を出せば十分に金が取れると分かる腕前の食事に満足した後は、ネアと二人で風呂に入り、こうしてネアの部屋に入っていた。
「うわぁ……」
フィールの寝ていた部屋の隣にあるドアを開いた時、思わず声が出てしまった。
自分が寝ていた場所よりも広い部屋。一人用のベッドと揺れる椅子。それは普通だが、驚かされたのは、窓以外を埋め尽くす、ベッドを挟む形で置かれた本棚だ。
背の高い三つのようで、実際には、背の低い本棚が二つずつ重ねられている。そんな計六つの本棚全ての、上から下まで、本がぎっしり詰まっている。納まりきらない本は、本棚やベッドの足もと積まれている。
「……これ、全部読んだんですか?」
「まあね。リアがいない時とかにね」
そう、感慨深そうに話した。
「元々本が好きで、たくさん買って読んでたんだけど、こんな足になって、外も出歩けなくて。だから私が退屈しないようにって、リアが買ってきてくれるの。この本棚も、リアが作ってくれたのよ」
「へぇ……」
話しを聞きながら、ベッドへ連れていき、座らせる。
「けど本当言うと、読み切れないくらいたくさんの本に囲まれてるより、ほんの十分でいいから、リアが話し相手になってくれる方が、よっぽど楽しいんだけどな……」
「……」
「……あ、もちろん、フィールちゃんと話すのも楽しいよ」
「え? あ、そうですか……」
座ったと同時に寂しそうな顔になって、その後フィールを見て、慌てて訂正する。
そんな一連の振る舞いが、全部可愛らしかった。
だがそれ以上に、悲しむ気持ちも伝わった。
樹の下で話した時、リアは言っていた。
――俺は、あの人と話せない……話しちゃいけない。
そんな言葉の通り、フィールから見て、この部屋に入る直前まで、二人がまともに会話をした時は、一度も無かった。
ネアが笑って話しかけても、リアは簡単な相槌か、最低限の言葉しか交わさない。
リアの方から呼び掛ける時は、「なあ」とか、「おい」とか、直接の呼び名を使わない。
そして、絶対に目を合わせない。
今思えば、あの長すぎる大量の髪の毛は、収納以上に、そうやって、母親のことを見ないようにするために伸ばしているんじゃないか……そんなふうにさえ感じてしまう。
「……リアと、何かあったんですか?」
聞いていいことかは分からない。だが、リアも、ネアのことを思いやっていることは分かるから、聞かずにはいられない。
聞いてみると、ネアの、悲しい目は変わらなかった。
「……後ろめたいって、思ってるのかな」
「後ろめたい……?」
「リアの狩りは、見た?」
「ええ……」
「料理だけじゃない。あの子は小さい頃から何でもできたわ。力も強くて頭もよくて。だから、母さんのこと守るんだって、猟師になってくれた。私がこんな足になった後も、今まで以上にお金を稼いでくれるようになった。そうやって、本人はただ一生懸命がんばってくれてるだけなんだろうけど……がんばったせいで、森の向こうにある村の人達からは、化け物、なんて呼ばれるようになって、他の子供達にも虐められるようになっちゃってね……」
黒い化け物……
てっきり、賞金首としてだけの呼び名だと思っていた。その強さは、実際にこの身をもってよく知っている。
それがこの森では、それより遥か以前に浸透していたらしい。
「そのせいで、昔はこの家に遊びに来てくれる人達もいたけど、段々人が来なくなって。それでもたまに来る時は大抵、リアのいない時に、頼むから余所へ行ってくれって頼み事だったしね。どっちも適当にごまかしてたけど、リアはとっくに分かってる。それで、自分のせいで、自分だけじゃなくて、私まで村から孤立させたって、責任感じてるのよ……」
「……だから、話さないんですか?」
自分のせいで、母親を孤立させたから。
自分がお金を稼ぐ度、お母さんまで相手にされなくなっていくから……
「まあ、それだけじゃないだろうけどね……昔は普通に、母さん、て呼んで、今日あったこととか、色々笑って話してくれてたんだけど……」
そんなことを語るネアの顔は、ひどく淋しげだった。
「……リアのこと、好きなんですね」
「子供のこと好きじゃない親なんて、親とは言えないわよ」
そう、誇らしげに笑う。とても優しい、心を癒してくれる笑顔だった。
とても良い人だと思った。リアのことを心から愛している。
なのに、リアはそんなネアのことを、どうしてあそこまで遠ざけるのだろう?
いくら後ろめたさと、罪悪感があるからって、そこまで拒絶する必要も無いだろうに……
「ところでフィールちゃん」
「は、はい……!」
「フィールちゃんは、どこから来たの?」
「え? えっと、私は……」
突然の質問に、答えるべきか迷った。それでもネアの純真な顔を見ていると……
「……そう。親がいないんだ……」
少しだけ、当たり障りのないことを話そうと思っていたのが、気付けば全て打ち明けていた。
生まれつき、親の顔など知らず、孤児院で育ったこと。
その孤児院から逃げ出して、拾った剣で剣士の真似事をしながら、あちこちで盗みをしながら食い繋いできたこと。
そうして自然と剣の腕が磨かれ、気が付けば、賞金稼ぎとして日銭を稼いでいたこと。
息子の賞金目当てにこの森へ来たこと。これを含めた、絶対に話したくない秘密だけはさすがに話していないが、それ以外は話すことになってしまった。
「孤児院の出身。道理で……言葉遣いが綺麗だと思った。ちなみに、歳はいくつ?」
「……多分、十六くらいかな、とは、思うんですけど……」
「リアと同い年でもイケると思うけど?」
「いや、それはさすがに……」
こんなふうに、話を聞きがら、良い意味でおかしい冗談を挟むから、話すのが楽しかった。そのせいで、自分でも気付かない内に、自然と全てを話してしまっていた。
「でも正直言うと、歳はもう少し上かと思ってたわ。背も高いし、私よりスタイル良いし」
「ハハハ……よく言われます。歳の割に老けてるって……」
「あらぁん、褒めてるのよぉん」
誰かとじっくり会話する機会などしばらくなかった。そんなしばらくを、どころか人生を振り返ってみても、こんなに面白おかしく会話をしたのは初めてだった。
そんな楽しい会話に、何より、優しいネアさんの視線に心地良さを感じていると……
「こんな家でよければ、いつでもいてくれてもいいわよ」
「え? それは……いえ、でも……」
「いいのいいの。フィールちゃん可愛いし、一緒に暮らせば毎日楽しくなるわ」
「はぁ……」
昼間にリアからも受けた。その誘いは、正直言って、とても魅力的ではあった。
毎日の美味しい食事は保障されている。
危険な仕事を片っ端から受け、時に組みたくもない同業者や、それ以外の素人と手を組み、騙し、騙されながら、得られるかも分からない金に命を賭ける必要も無くなる。
それに、フィールにとっても、ネアと話すのは楽しい。
一度殺し合ったリアと向かい合う時の気まずさだけは、多少の緊張と勇気がいるが、そのことを差し引いても、この家自体の居心地は良い。
森の中にある分、街に比べればどうしても不便さはある。
それでも、無駄にごちゃごちゃと汚い便利さの中にいるよりは、自然に囲まれたこの場所は、いるだけでとても心地が良い。
と、いきなりリアから言われた時は戸惑ったものの、改めて考えると良いことづくめだ。そのための条件が、話していて楽しいネアさんの話し相手ならお安い御用だ。
「でも……」
魅力的で良いことづくめで、拒む理由が何も無いからこそ、ためらった。
「その……赤の他人な上に、行きずりの私が、そんなこと、良いんでしょうか……」
楽しくて、居心地が良くて、二人とも親切で優しい親子。
そんな二人にとっての自分は、赤の他人だ。おまけにリアにとっては、大勢で凶器を振り回して襲い掛かった賞金稼ぎだ。
もちろん、今となっては、リアやこの家に何かをしようという気は全く無い。だがそんな本心など、二人には分からないはずなのに。
ただ二人とも優しいから、こんな自分でも盲目的に助けてくれるだけなんじゃないか。
そう考えると、優しい二人に対して、罪悪感ばかりが芽生えてくる。
「あら、フィールちゃんはとっても良い子よ」
と、悩んでいるフィールの耳に、ネアの変わらない優しい声が聞こえた。
「あのね、もしかしてフィールちゃん、私が誰にでもこんなこと言うとか、思ってない?」
「え……? いや、それは、その……」
思っていた通りの言葉が聞こえてきたせいで、とっさに否定できなかった。
「……ま、そりゃあ親切はなるだけ心掛けてるわよ。けどだからって、いつまでもいて良い、なんて言葉は、誰にでも言える言葉じゃないわよ。私は、フィールちゃんなら良いって思ったから、そう言うことにしたんだから」
「私なら、ですか……?」
フィールが聞き返すと、ネアはその笑顔に、確信を込めた。
「そう。確かにフィールちゃん、賞金稼ぎだからでしょうね。目付きは悪いし、態度もどこか固いし、最初見た時は、危ない人っていう印象もあったわ」
思わず苦笑してしまう。
仕事の関係上、進んで危ないことをする、危ない人には違いないのだから。
目付きが悪い、という言葉には、ちょっとだけ傷ついたが……
「だけど、ちょっと話したら、それ以上に優しい子だってことは、分かったから」
「そう、ですか……?」
「そうよ。何よりフィールちゃん、リアのこと、今はもうあんまり怖がってないでしょう?」
「それは……まあ……」
確かに。昨夜、襲って、反撃されて、その強さが身に染みて、敗北して、恐怖した。
だから今朝、その姿を見た時は震えた。
だが今は、その強さの本性を知っている。あの母親思いの優しさを一度でも見てしまったら、怖い、だなんて感じない。
「話してると楽しくて、リアの強さを知ってて怖がらない。そんな子が、ただの危ない人なわけないからね。フィールちゃんは、とても真っ直ぐで、すっごく優しい、危ない人だわ」
(危ない人、は変わらないだ……)
「そんなフィールちゃんが、ここにいれば楽しいと思ったから、私は誘うことにしたの」
「……」
「もちろん、決めるのはフィールちゃんだから、ゆっくり考えたらいいわよ」
こんな自分のことを、心から思いやってくれているのが分かった。
彼女は本当に、こんな私のことを、信頼できる人だと感じてくれたんだろう。そしてそれは、昼にリアが言っていた通り、確かに信用できる力がある。
自分自身のことなのに、この人がこう言うなら間違いは無い。
そんな、根拠が無い、なのに、確信に満ちた自信を生み出してくれる。
周りを見れば、歩いているのは卑しい奴らばかりで、そんな連中にさえ相手にされず、ただ、剣と金だけを信じて、家族も無く、たった一人、今日まで生き抜いてきた。
そんな自分のことを、必要な存在として認めてくれて、温かく迎えてくれる。
それが心地良くて、そして、誇らしかった。
母親という人は、ここまで力強い存在だったのか……
「……ありがとうございます」
誘いに対して、そして、そこまで信じてくれたことに対して、お礼を言った。
「えっと……もう少しだけ、考えてみます」
「うん」
本当なら、今すぐにでもイエスの返事を返したいところだ。
それでも、リアを襲ったのは事実だから、もう少しだけ保留させてもらった。
改めて、リアに謝ろう。その後、ネアさんに本当のことを話して、謝ろう。
この家での仲間入りを決めるのは、それが許された時だ。
「……ああ、そうだ」
急に何か思いついたように、ネアは今までと違う、おかしな笑顔になった。
「フィールちゃんが、もしこの家に住むとして、いっそリアのお嫁さんになったら?」
「……は?」
一瞬、思考が停止した。
「お嫁さんて……」
「あら、リアじゃ不満? 年下はタイプじゃない?」
「タイプて……いや、そりゃ、リアは、狩りの腕もすごいし、この森にいる限り、生活には不自由しなさそうだし、それに……綺麗で、可愛い、ですけど……」
と、冷静に考えてみれば、それもある意味破格の条件だと気付いた。
とは言え、出会ってまだ、多分まる一日と経っていないのに。
「うーん……じゃあいっそ、フィールちゃんがリアをお嫁さんにもらったら?」
「リアを、お嫁さんに、ですか……?」
と、次に聞こえてきた提案は、ただ立場が逆になっただけ。
「うん。あの顔と体型なら、満更違和感も無いでしょう? 料理も上手だし」
「……それはまあ、確かに……いえ、それ以前に、リアの意思は……?」
「……そう言えば、あの子の好きなタイプっていうのは、聞いたこと無いわね。フィールちゃんみたいな娘はどうなのかしら?」
「さ、さあ……」
「いっそ誘惑してみたら? 意外と食いつくかも知れないわよ」
「誘惑、ですか? 私が……?」
いきなりそんなことを言われても……
こちとら誘惑どころか、恋愛すら生まれてこの方経験したことは全く無い。
仮にどうにか誘惑したとして、それに釣られるリアの姿も想像できない。
「その……私じゃ、無理じゃないかな……」
「あらぁん、いけるわよぉ。フィールちゃん可愛いし、おっぱいも大きいし」
「おっぱいはもういいです……」
と、そんなふうに、方向性の違う、且つ、一方通行気味な恋バナは、小一時間続いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ふぅ……」
話し相手を終えて、部屋を出て、台所で溜め息を一つ。
話すのは楽しいと思ったし、ネアのことを良い人だとは思った。だがどうやら、普段からリアや、他人と話せないせいか、日頃話し足りないきらいがあるらしい。
一度話し出すと、口が止まらなくなり、気付けば遅い時間になっていた。
良かったら一緒に寝る? そんな魅力的な提案を受けたものの、直前に二人で入ったお風呂での出来事を思い出して、遠慮した。
「リアが話し相手になってほしいって言ってた理由、分かった気がする……」
そんなことを呟きながら、リアの顔を思い出す。同時に、ネアの言葉を思い出した。
(リアの、お嫁さん……リアが、お嫁さん……?)
もちろん、きっと、多分、おそらく冗談なのは分かっているのだが、改めて考えると、少しだけ意識してしまう。
少なくとも今日の昼頃までは、リアのことを化け物だと思っていた。
そして、話した後には、リアが優しい人だと分かった。
分かって、リアのことが好きになった。だがそれは別に、恋とか愛とか、そういう感情じゃない。
フィールが口元に浮かべたのは、苦笑だった。
リアが、私を好きになる……
「それも変な話しだけど……」
「何が変な話しなんだ?」
だから、リアが私のお嫁さんになることだって……
そう声が出る前に、顔を上げる。
月明かりだけが照らす、暗い部屋の中で、そこに佇んでいるのは……
「リア……」
相変わらず、長すぎる前髪の隙間から、無表情の口元と、二つの泣きぼくろと、黒い大きな瞳がこちらを見ている。
だが、引きつけられたのは、そんなリアではなく、そのリアが手に持つものと、彼の前にある戸棚の中身だった。
「……すごい、大金ね……」
リアの手と、戸棚の中には、この世界の通貨である紙幣の束が山積みにされていた。
戸棚の奥まで見えないため正確な金額は分からないが、少なく見積もっても、フィールであれば、二年か三年は余裕で遊んで暮らしていける額がある。
「……欲しいなら盗めよ。俺から逃げられる自信があるなら……」
大金に目を引きつけられ、ジッと見ていたことで、リアからそんな言葉が聞こえた。
「盗んだりしないわよ。逃げられる自信なんて、全然ないんだから……」
昨日までなら、考え無しに盗み出していたかもしれない。だが今はネアやリアから、大金以上に魅力的な誘いを受けている身だ。
それを受けたなら、きっと金など無用の長物に変わる。
そして、謝って許されるかはともかく、受けることは、もう決めている。
「……まあいい。寝るなら俺の部屋を使え。お前を寝かせておいた部屋だ」
リアは言葉を信じたのか、札束を戻し、戸棚を閉めながらそう言った。
「え、あ、ありがとう……え、リアは、どこで寝るの?」
礼を言った後で、疑問に感じたことを聞いてみる。リアは、玄関のドアに手を掛け、
「……今から出掛ける」
「今からって……ちょ、ちょっと待って、どこへ行くの?」
フィールの呼びかけにも、リアは何も言わず、フィールを見つめるだけ。
しばらく、無言で見つめ合った後で、
「……ついてくるか?」
ボソリと帰ってきたのは、そんな一言だった。