第3話 ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ
「ぐぅ……」
リーダーの後に残ったメンバーの、最後の一人が横たわった。
メンバーの全員が、慕い、尊敬し、崇拝さえして集まるに至った、そんなリーダーの男を倒したリアを許さず、容赦なく襲い掛かった。
そんな彼らにとっての不幸は、その相手がタダの子供ではなく、リアだったこと。ただそれだけ。
ある少年は、リーダーと同じように鉄靴の蹴りを喰らい……
ある少女は、怪力に振り回され、あげく、投げ飛ばされ……
そしてある子供は、それらの攻撃で巻き添えを喰らって……
結果、ほとんどは反撃する暇もなく、反撃しても当てることすらできず、全員、アッサリ倒されてしまった。
「まだ、だ……」
倒れた者達の中で一人、立ち上がる者がいた。
「俺達は……聖地へ……」
喰らったのは蹴り一発でも、その一発は超強力。立ち上がりながらもふら付いて、足取りはおぼつかない。それでもリーダーは、リアに向かって、前進していく。
「もう……誰も死なせない……勝手な大人達の、好きに命を奪わせない……俺達は……全員で、幸せに、生きるんだ……」
途切れ途切れに、言葉を発して、その言葉を込めるように、拳を持ち上げ、振った。
それがリアの頬を捕らえたところで力尽き、リアの真横の地面に倒れ伏す。
ようやく眠ったリーダー。そして、他のメンバー達。
街の住民達にはあった、醜い願望も、邪な欲望も、無様さも、その顔には無い。
あるのは、心から家族の幸福を願い、追い求めようとした、優しさに溢れた純粋さ。
(それだけ強い気持ちを持ってるなら、こんな街、さっさと出ていけば良かったんだ。そうすれば、お前達ならどこででも生きていけたろうに……)
目の前にある、華やかさへの憧ればかりにしがみ付き、それ以外には目を向けなかった。
聖地に比べれば、その幸福は小さいかもしれない。それでも、家族がいるなら、決して小さすぎる幸福でも無かったろうに。
(……いや、俺も同じか。俺は森から出ずに、たまたま魔法使いと出会った。こいつらは、街から出ずに、魔法使いに出会えなかった。ただ、それだけの違いか……)
「見つけたぞー!」
倒しながら拾い集めた、黒丸全てを粉々に握り潰した、ちょうどその時。
倒した彼らとは全く別の、しかし、この街では圧倒的に多数派な声が響いた。見ると、薄暗い道の向こうから、いくつもの灯りが見えた。
徐々に距離が近くなっていき、やがて、リアのいる、扉の前を取り囲んだ。
「奴隷! もう逃がさねえぞ!」
「テメェは大人しく、俺を聖地に連れてきゃいいんだよ!」
「聖地に連れていく前にボコボコにされたくなきゃ、全部脱いで土下座して謝れ!」
ここには、こんな大人しかいないのか……
思いながら右手を伸ばした。伸ばした右手が掴んだのは、空ではない。
掴んだそれを、腕力に任せ、力の限り、目の前に振る。
「うおお!」
「きゃあ!」
振った瞬間、巨大な風が彼らを叩く。いくつも悲鳴が上がり、土と埃が巻い上がる。
何人かは、それに怖気づいたように後ずさった。だが、残ったほとんどは、
「へぇ、それがお前の魔法かよ。聞いてたのとは違ぇが、凄ぇじゃねえか」
「奴隷のくせに、生意気なんだよ! 抵抗してんじゃねえ! 殺すぞ!」
「大人しくしろ! 動くな! 喋るな! 今すぐ聖地まで連れていけ! この奴隷!」
今までなら、これだけで誰もが戦意を無くしていたのに、彼らはなお更欲望をギラつかせていた。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「あ?」
刀を下ろしながら、リアは、目の前の大人達に呼び掛けた。
「聖地に行って、どうするんだ?」
彼らを物理的に黙らせることは簡単なこと。
だから、黙らせる前に聞いておきたかった。
「確かに、聖地に行けば、ここよりは豊かに生きられるかもな。だが、それが本当に幸福とは限らない。わざわざ聖地にこだわることもないだろう」
華やかな聖地が目の前にある以上、そればかりを見るのは仕方がない。だからこそ、それしか無いわけじゃないことを知るべきだろうに。
「俺自身、この街の外から来た。同じ外地には違いないが、それでも住むには良い場所だった。そこを追い出されたからここまで来たが……街の外には獣もいるし、危険もそれなりにある。だが、少なくともこの街に比べれば、夢も希望も広がってる」
獣という、明確で分かり易い危険があるうえ、慣れ親しんだ場所から離れる以上、どんな危険や脅威があるか。
常に、扉の外から見えている聖地と違って、見えないことは確かに恐怖だろう。
だが、全てが見えていないのは、外地も聖地も同じだ。
「聖地へ行ける俺達が言うのもどうかと思うが、外から来た身として言わせてもらえば、外地だって、ここみたいな場所ばかりじゃない。どんな場所だろうが、その場所にしかない豊かさはある。そこで幸福に暮らせるかはお前達次第だが……少しは、外にも目を向けてみたら――」
ガシャンッ、という音が、正面から響いた。直後、リアの足もとから炎が燃え上がった。
今時、誰が持っていたのか、飛んできたランタンを蹴り砕き、散らばった油に引火した。
「うるせえんだよ……」
おそらく、ランタンを投げた男は……どころか、集まった者達全員、表情に変化は無い。
「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、奴隷の癖によ……」
口調は怒っているが、その声色も、ここへ来た時と全く同じ、無様なまま。
「奴隷のくせに、生意気に喋ってんじゃねえぞ」
「奴隷は奴隷らしく、アタシを聖地に連れていって一生アタシのために働けばいいのよ」
「喋る暇あったら、俺を聖地に連れていって、俺に楽させやがれ奴隷があ!」
リアの言葉は、全く耳に入っていない。どころか、リアの姿すら、まともに見ていない。リアが、自分達の探す奴隷かどうか、見分けが付いていないのが何よりの証拠だ。
単純に服装のせいもあるだろうが、これだけ喋れば、見た目がどうあれ、リアが少女でないことは明白だろうに。
全員が全員、ただ、目の前の魔法使いという宝だけを見て、それを手に入れることだけを望み、それ以外の考えを捨てている。
(どいつもこいつも……)
そんな様を見ていると、また溜め息が出た。
現実という苦難に負けて、負けっぱなしで全てを諦めて、人生すら放棄しておいて。
目の前の現実さえ見ないくせに、都合の良い夢だけは、いつもいつも見ている。
(誰も気付いてない……それとも、気付いてないフリしてるのか? 聖地に行って、遊んで暮らす。そんな、空っぽな夢のためだけに生きて、他を目指すことをしなくなった……本当の奴隷は魔法使いじゃない。お前らこそ、聖地っていう夢に囚われた、ただの奴隷だろうが……)
夢を見るのは自由だ。その夢を叶えるために、はたから見れば、バカだと笑われて、奴隷のようだと蔑まれるだけの努力をすることも自由だ。その末に破滅し、狂ったとしても。
だがこいつらは、努力と呼べるものを何一つしていないうちから、ただ大勢が同じように見ている夢を、同じようにただ見ているだけ。
その夢を見るまでにどんな目に遭ってきたか知らないが、その末に行きついたのが、見るのが楽なだけの夢。必ず幸せになれると決めつけ、他人に叶えろと駄々を叫ぶ。
自分自身の本当の夢か、その区別さえ放棄して。
(まあ、今の外地に、他に見られるような夢がないことも事実だが……)
理由はどうあれ、現実からそんな物に逃げ、喜んで囚われているこいつらは、夢の奴隷ですら無い。
意志も、意識も、信念さえ、全てが空虚なだけの、ただの奴隷。
ただの、無様な奴隷達……
「捕まえろー!」
「俺の奴隷ー!」
「アタシの聖地!」
そんな無様な奴隷どもの声が、また四方八方から聞こえてくる。
(全員が俺を見てる。これ以上、同士討ちは狙えないかもな……だが、まあいい。どうせ、最初からそのつもりだったし)
心の中で呟きながら、リアは右手の長刀を、夜空へ向かって高く投擲した。
全員の目がそれを見る。
そのタイミングで、燃え上がる地面を蹴り、無様な奴隷に向かって走る。
「誰も、この扉に近づくな」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「リア……」
遠くから聞こえてくる騒乱の中、リア、と、レナは呟いた。
その服装は、いつもの服とは変わり、リアと交換した、黒の上下という、シンプル且つ貧層な服装に変わっている。
サイズや武器の都合から、唯一交換しなかった茶色のブーツは、そんな上下の黒には全く合っていない。
そんな足の、ひざを枕にフィールを寝かせ、周囲の音を聞いていた。
(大丈夫かな……リア……)
未だ、目を覚まさないフィールの顔を撫でながら、不安と孤独に、ただ耐える。
(リア……早く帰ってきてよ……)
髪をまとめ、靴と靴下以外を換えて、落ちていた弓を肩に、別れる直前。
リアはレナに言った。
「連中は俺が相手する。その間に、お前はフィールを連れてどこかに隠れろ」
いきなり服を換えたかと思ったら、そんなことを言われて、レナは慌ててそれを拒んだ。
フィールが気絶していて、街のことを何も知らない自分に、どこへ行けというのか、と。
「……ああ。さっき言ったばかりだもんな。お前達は、俺が守るって……できればそばにいたいが、俺の体は一つしか無い。目や手が届かない場所に行く時もある」
心底申し訳なさそうに言う。そんな声や表情のまま、続けてこう言った。
「俺は、俺にできる手段でお前達を守る。だから俺がいない間、お前がフィールを守れ」
お前が……わたしがフィールを……
いきなり言われて、レナは思考が停止した。そして、リアは背中を向けた。
そこでレナは我に返り、とっさにリアの手を掴んでしまった。
「しっかりしろよ。年上だろう」
自分が何かマヌケをする度に繰り返す常套句。
いつもなら文句を返していた。しかし、今回はそんな余裕さえなく、ただ泣きついた。
「無理なら……最悪、フィールを置いて逃げろ。魔力を全部吸われてるからな。しばらくは目を覚まさない。だが、あいつらの目的は、お前達を捕まえて聖地に行くことだ。だから、少なくとも命は助かる。命はな」
最後の言葉を、いやに強調して言った後で、レナの手を振り払い、歩いていく。
「夜が明けるまでには、全部片付ける。そしたら、扉の前に来い。お前達は必ず、俺が聖地へ連れていってやる……いいか? この街の人間、誰も信じるなよ」
そんな言葉を残し、走り去るリアの背中を見て、レナが感じたのは、不安だけだった。
「リア……」
リアが消えてしばらく後に発生した喧騒の声に対して、レナはただ、震えていた。
毎日のように歩いていた森の中なら、一人ぼっちでも全然平気だったのに。
暗くて静かな森と違って、光はそこかしこにあり、人の声もあちこちから聞こえてくる。
それなのに、危険度も厄介さも、夜の森を遥かに超えている。
いつも感覚を研ぎ澄まし、どこに潜んでいるとも分からない獣の気配を感じ取っていた。
だがここは、そんなことをするまでもなく、大量の人間の気配が、狂気と一緒に充満している。
レナが今、目を閉じているのは、ただの恐怖による生理現象でしかない。
狂った人間達の気配なんか、一人だって感じたくないのに……
何も聞かず済むよう、耳を塞いだ。
何も見ずに済むよう、目を固く閉じ、顔を下に向けた。
(リア……リア……)
愛しい男の子の服を着て、その子の名前を、声には出さずに繰り返し呼び続ける。
呼んだところでやって来るわけもない。それでも、呼ばずにはいられない。
(リア……)
「おねえちゃん」
「いやあああああああああああああ!!」
震えながら耳を塞いでいたレナに、そんな声は聞こえなかった。しかし、同時に肩に手を置かれたことで、大声を上げながらその場から飛び退いてしまった。
「だいじょうぶ? ずっと震えてるよ」
「え……あぁ……」
そんな声と、その声を出した人の顔を見て、冷静さを取り戻した。
目の前にいるのは、子供だ。
スカーフ街の住人らしく、服装はボロボロで、体は汚れ、顔は傷だらけ。
かと言って、単なる浮浪者というわけでもなく、顔色や血色はしっかりしている。
汚れてはいるが、それなりの生活は送っている、そんな風貌の小さな男の子だ。
「だいじょうぶ? ケガしてるの?」
「えっと……大丈夫、大丈夫……」
何も知らず、無邪気に聞いてくる男の子に、レナはどうにか笑顔を作った。
「その人、寝てるの?」
「え? あ、うん……」
ひざで眠っているフィールを見ながら、無難に返事をした。
「ねえねえ、こんなところいて、あぶなくないの?」
「……危ないよね、やっぱり……」
男の子の姿に安堵しつつ、それ以上に危険な状態を思い出して、再び周囲に気を配った。
「みんな、お祭りが始まったら、おうちの中に隠れてるんだよ」
随分と物騒なお祭りだなぁ……と、レナが感じていると、
「ねえねえ、おねえちゃんも、ボクらのおうちにおいでよ」
そんな提案を受けた。それに首を傾げた直後、
「ねえどうしたの?」
「なになにー?」
建物の陰や、通りの向こうから、更に四人の男の子と女の子が歩いてきた。
全員、四つか五つか、歳のころは同じらしい。無邪気で純真な声を上げ、レナに近づいた。
「ねえおねえちゃん、ボクらといっしょに行こう」
「え、でも……」
リアはまだ、街で戦っている。隠れていろとは言われたが、恐怖のせいで、今いる場所から動くことができずにいた。
そんな心情など知らず、最初の男の子が、レナの手を引いた。
「ねえ、行こう。そのおねえさんもいっしょに」
フィールのことを見ながらそう言った。逃げるにしても、置いていく気は無い。かといって、リアほど力は無く、フィールを背負った状態で、長い距離を逃げるのも難しい。
「……じゃあ、そうしよっかな」
リアはそばにいない。フィールは気絶中。そんな状況で、街中から狙われている。
そんな恐怖と孤独に長く耐えるくらいなら、子供達と一緒に安全な場所へ行きたい。
そう思って、フィールを背負い、子供達の背中を追い掛けた。
暗くて、狭くて汚い道を通って、途中いくつもある曲がり角を曲がる。五つ目を曲がったところで数えるのをやめて、その時点で、どこをどう歩いてきたか思い出せなくなった。
もっとも、帰り道を心配する暇も無く、目的の場所に辿り着いてしまった。
「ここが、僕らのおうちだよ」
子供達が指さしたのは、この街ではよく見掛ける、四角い五階建ての建物だ。
レナから見れば十分大きいが、この街の中では大きさも普通で、特に変わっている部分も、目立っている部分もない。そんな建物の、いやに硬そうな、両開きのドアを開いた。
広くも狭くも感じる建物内は暗く、小さな電灯の淡い光だけが目の前を照らしている。
そんな家の中に、レナは警戒しつつ足を踏み入れる。
ここに隠れていれば安心。外から中に入ったことで、そう思った。
「ねえねえ、おねえさんのこと、下ろしたら?」
それもそうだと、背負っていたフィールを下ろし、壁にもたれさせた。
(フィールって、見た目より重いなぁ……やっぱ、脂肪のせいかな……)
そんなことを思いながら、額の汗を拭った……
「ねえねえ、おねえちゃん」
再び無邪気な声を掛けられ、そちらを振り返る。
「お手てだして……これあげる」
「……え?」
笑顔の言葉に両手を出して、渡されたのは……いや、渡されたのではない。
出した両手にあるもの。それは、錆と鉄が光る、鎖と輪。両手首を繋ぐ、手錠。よく見ると、薄暗い玄関の隅に置いてある段ボール箱に、大量に手錠が入っている。
「……あ!」
気付き、振り返った時には、すでにフィールの両手も手錠で繋がれ、玄関には鍵を閉められていた。更には、いつの間にか、フィールの剣も、背負っていた弓と矢筒まで取り上げられている。
「おねーちゃーん! 連れてきたよー」
レナが混乱している間に、子供の一人が奥に向かって叫ぶ。すると、奥の景色が揺れた。
黒い人影は、ドカドカと無駄にデカい足音を立てて、歩いてくる。
それがレナの前までやってきた瞬間、ドカッという、生々しい音が響いた。
歩いてきた奴が、男の子の顔を全力で蹴った音だった。
「何度言ったら分かるんだ! この役立たず!」
最初に聞こえたのが、ゲロゲロな汚い声だった。そして、声と同じく、顔も体も汚い女だった。
汚い服を着た体は、上背はそれほど高くないが、デップリ太っていて、横幅がやたらにデカい。
無作為に伸ばした白髪交じりの髪。顔は体と同じく贅肉だらけ。太い唇は横へ広がっていて、顔を見れば、一瞬カエルじゃないかと見間違えそうになる。
デカくて太くて、毛穴だらけの平べったい鼻からは、鼻毛が伸び放題、飛び出し放題。アゴからも、何本かヒゲが飛び出している。
声も、顔も、そもそも歳からして、とても『おねーちゃん』だなんて呼べない。老婆一歩手前くらいのカエル女だった。
カエル女は、顔の脂肪のせいでほとんど潰れた目を真っ赤にしながら、叫んだ。
「手錠を閉める時は後ろ手に閉めろって何度も言ってるだろう! 何度も言ってるのに何だって分からねぇんだ! この役立たずの糞ども!!」
ゲロゲロ声で絶叫しながら、倒れた男の子を蹴りつけ、踏みつけている。
手錠にも驚いたし、突然現れた女にも驚いた。だが、それ以上にレナが驚いたのは、
「なんで……?」
蹴られている男の子。そして、それを見ている子供達の顔。全て、笑っていた。
良いことだと、微笑ましい光景だとでも言うように、穏やかに微笑んでいる。
「……うわ!」
何度も蹴り、満足したのか、女はレナの髪を乱暴に掴むと、その顔をマジマジと見た。
「ほぉ……糞どもにしては良いのを連れてきたじゃないか。これなら高く売れそうだよ」
遠慮なく言いながら、力任せに顔の角度を変え、乱暴に頭を振り回す。
時々顔に掛かる吐息は臭いし、デップリとした腕の指は力が強く、髪や首が痛い。
そんなふうに、不快感ばかりを募らせていると、
「……ん?」
女は、疑問の声を上げた。そして、首に指を当て、それを取る。それが何か分かった時、レナは思わず、あ、と声を出した。
「こいつは……黒丸じゃないか! まさかお前、今街を逃げてるって魔法使いか!?」
言われながら、黒丸を当てられる。普通の人間なら普通に下へ落ちるそれが、レナの鼻先にピタリとくっつき、落ちることなく、動くことなく制止した。
「じゃあ、そっちの女もかい!?」
そう聞いて、また黒丸を着ける。同じように、汗も掻いていないフィールの額に、ピタリとくっついた。
「何だいこの奇跡は! 奴隷が二人もやってくるなんて! やっぱ、役立たずの糞どもを必死に育ててやったのが報われたんだねぇ!!」
狂ったようにそう叫ぶと、女は再び、男の子に蹴りを入れ、踏みつけ始めた。
「やっぱ、糞どもを育てたアタシはエラかったんだ! アタシには、聖地に行くだけの価値があったんだよ! 感謝しな! アタシに感謝しな! 糞ども!!」
「やめてよ!」
もはや正気とは思えないカエル女の言動に、とうとうレナは声を上げた。
「ああん? なんだい奴隷? 今躾けしてるんだよ。文句あるのかい? 奴隷のくせに」
「大有りだよ! そんなことして、何が躾けよ! ていうか、みんなもどうして、友達がひどいことされてるのに……君だって、こんなことされて、何で笑ってるの!?」
女に、そして、今でも会った時と変わらない笑顔を浮かべるだけな子供達に叫ぶ。
女は、さぞ下らない物を見ているふうな目を向け、鼻を鳴らした。
「アタシがそういうふうに躾けたからだよ。泣かれちゃうるさいし、ムカつくだけだからね。一日中静かに笑って、それ以外の顔は作るなって教えてやった。それだけだよ」
「それだけって……こんな小さな子が泣くのなんて、当たり前でしょう!」
「何が当たり前だい!」
レナの言葉に対して、カエル女はまたゲロゲロと絶叫した。
「こっちは汚ねぇ糞ども拾ってやって、アタシの役に立つよう育ててやったんだよ! コドモでもしっかり教えてやれば、いつかはオトナになるって聞いたからね……」
話しながら、段々とその顔に、暗がりの中でも分かるくらいに、太い血管を浮かべた。
「それが何だい! 一回教えても言葉一つ憶えない、何度教えても同じ失敗ばかりする、叱ったら泣く、ケガしても泣きやがる、泣き声はうるさいし何の役にも立たない……こんな奴らのどこがオトナだってんだ!」
「そんな簡単に成長なんてできるわけないでしょう! 子供の成長っていうのは、小さくて言葉が通じなくても根気よく何度も教えて、ちょっとずつ色んなこと覚えていって、歳を取っていって、そうやってゆっくり大人になるもので――」
「バカじゃねえのかお前は! わけ分かんねぇこと抜かしてんじゃねえよ!!」
レナは間違いなく正論を返した。女はそれを、暴論で返した。
「二ヶ月だよ! アタシは拾ったこいつらを、二ヶ月も育ててきたんだ! 貴重な時間を二ヶ月も無駄にしてこいつら育ててやったんだよ! なのにこいつらコドモのままだ! このアタシから貴重な時間を二ヵ月も奪っといて……金は盗めねぇ、食い物も盗ってこれねぇ。金も作れねぇくせに、一丁前に腹は空かすわ、病気で倒れやがるわ……金にもなれねぇくせに、このアタシをやたらイラつかせるわ……」
そしてまた、何かを爆発させて、足もとの男の子を踏みつける。
「わけの分からねぇ、コドモなんかに生まれやがって!! なんにもできねぇ、役立たずなコドモなんかに、金も無ぇくせに生まれてきやがって!! なんでタカがオトナになるのを、このアタシが何年も待たされなきゃならねえんだ!!」
「言ってることの意味が分かんない! ならアンタの言うタカが大人ってなに?」
「アタシの思い通りに生きられる奴だよ! デカかろうがチビだろうが、アタシに都合の良いことができる奴のことだ! そんなこともできねぇコドモなんかに、ムセキニンに生まれやがって! だからセキニンの取り方教えてやってんだろうが! そのために躾けてやったんだろうが! コドモに生まれたセキニン取らせるためによぉ!!」
「何言ってるのか全っ然分からない! 子供に生まれた責任てなに? 誰だって、生まれた時は子供でしょう! アンタだって……」
「アタシは人間さ! 生まれつきね!」
レナの正論を遮りながら、レナの顔に唾を飛ばしながら、ゲロゲロと絶叫を続ける。
「生きてることしか能が無ぇ、役立たずのコドモなんかじゃねえ! 生まれた時から世の生き方や礼儀をしっかり覚えたオトナさ! そんなオトナに生まれずに、役立たずのコドモなんかに生まれやがった、こいつらが全部悪いんだよ!」
「なにそれ……自分が言ってることがおかしいって思わないの?」
「おかしくないね! おかしいのはお前の方だ! アタシの言ってることが理解できねぇお前がおかしいんだ! バカな奴隷なんだから仕方ねーけどな!」
「仕方ないで済ませないでよ! だったらそのバカな奴隷にも分かるよう説明したら? 大人なんだからそれくらいしてみせてよ!」
「なんだってアタシが説明なんかしきゃならねーんだ!! 奴隷のくせにアタシに指図してんじゃねえよ!! これ以上このアタシに!! 余計な仕事増やしてんじゃねえええ!!」
「……ッ」
「そこまで言うなら教えてやるよ!! 働いて役に立つのが大人だ。働いて金を作るのが奴隷だ。大人と奴隷のどっちかになれるのが人間だ! コドモはどっちにもならねーだろうが! こいつらは人間じゃねぇ! コドモだぁ! 生きた人間の糞だぁ!!」
「生きた、人間の糞……」
「そうだろーか! どっかの女が気まぐれに出した糞じゃねーか! 生きてる上にうるさいだけで何もできないゴミ! 人間が出した生きた糞じゃねーか!」
「……」
「アタシはその糞を、アタシの役に立つよう躾けて、育ててやったんだ! タカが糞相手にそれだけのことしてやったんだ! アタシはね、エライんだよ! アタシはね! 立派なんだよぉ!!」
「……」
もはや、返す言葉もない。セリフも言葉も滅茶苦茶すぎて、会話する気も失せてくる。
そんなレナの心情など知らず、カエル女は再び、男の子に足を振るった。
「けどそれも終わりだ! それだけのことしてきた立派なアタシには、聖地に行く価値があったってことさ! アンタ達を奴隷にして、アタシは聖地に行くんだ! 生きた糞どもは用無しだ! 最後の仕事は、今までイライラさせてきたアタシの気を晴らすことだ! そのためにさっさと死ね! 今すぐ死ね!」
――役立たずども!
――死にやがれぇえええ!!
偶然現れた奴隷に歓喜し、同時に、今まで散々働かせておいて、イラつきしか感じてこなかった子供達に暴力を振い、興奮している。そんな光景に、レナは吐き気すら覚えた。
そして、そんな愉悦のために蹴られ、傷つきながら笑う男の子は、カエル以上の異常に見えた。
「ちょっと、いい加減に……」
やめろ――と、そう言う前に、カエルは足を止めた。
「……は?」
カエルは振り返り、レナは、その光景に固まった。
カエルの後ろには、四人の子供達が、一人一本、計四本の、レナから奪った矢を握り、女の背中に突き立てていた。
「おい、糞ども……なに、やって……」
カエル女が体ごと振り向こうとした時、再び……
「ぎゃあああああああああ!」
矢の突き立った右眼を押さえながら、今までとは全く別種な絶叫を上げた。
蹴られていた男の子にも矢が渡された。それは、カエルの内ひざに突き立てられた。
直立できなくなったカエルは、四つん這いになった。そして、ゲロゲロと絶叫がコダマする室内で、五人のコドモは矢筒が空になるまで、デカいカエルに矢を突き立てていった。
「……」
一連の出来事を、レナは、見ていることしかできなかった。
リアの安否よりも、両手を繋ぐ手錠よりも、今気になるのは、笑いながら、女一人をサボテンにした子供達の姿だった。
「これでセイチに行けるんだよね?」
「うん。このおねえちゃんと、おねえさんを連れていったら、セイチで幸せになれるって」
「じゃあ、ボクらももう、コンナノの言うこと聞かなくて良いんだよね」
「うん。わたし達も、ニンゲンになれるよー」
一見すれば、無邪気な子供達の作り出す微笑ましい光景。
それが、全員体中を血まみれにしていることの、なんと不気味な光景だろう。
命を軽んじられ、間違った躾けで育まれた、歪んだ価値観と、間違った義務感。
そんなものしか知らずに育ち、完成されてしまった人格。その姿……
(人間じゃない……)
「おねえちゃん。行こう」
不快と脅えの只中にいるレナに、無邪気な声が掛けられる。
男の子が、レナの手を引いた。
「……ッ!」
さっきまでなら、快く受け入れられた子供達のその手や笑顔が、全て真っ赤な血にべっとりと濡れている。それは、受け入れられた無邪気さや純粋さを帳消しにするには十分すぎた。
そんな手に引かれた瞬間、別の子が鍵を開け、玄関を開けた。
その玄関に向かって、レナは、手を引いた男の子、そして、他四人の子供を突き飛ばし、外へと押し出した。
全員が外へ出たのを見て、急いでドアを閉め、鍵を掛ける。そして、鍵を開けられても開かないよう、いくつも置いてある手錠の一つを取り、両開きのドアノブ同士を繋いだ。
「おねえちゃん、開けて……」
「開けてよ。いっしょにセイチに行こうよ。ねえねえ……」
外からは、子供達の声が聞こえてくる。
子供ながらの優しい声を上げながら、子供ゆえの弱々しい力で、バンバンバンバン、とドアを叩き、ガチャガチャガチャガチャ、とドアノブを回している。
「……」
やがて、それらの不気味な声や音が止み、声も聞こえなくなった。
諦めたかな? それを期待しながら、ドアの中心にある、覗き穴を覗いてみる……
「……ひぃッ!」
その不気味な光景に、思わず悲鳴を上げた。同時に、カチリ、と、鍵の開く音がした。
ドアが開いても、ドアノブ同士を繋ぐ手錠のおかげで、全開になることはない。
しかし、僅かに開いた隙間は、子供はくぐれなくとも、両手くらいは余裕で通る。
そんな隙間から、計十本の真っ赤な手が伸び、右往左往と蠢いて……
――いやあああああああああああああああああ!!
あまりに不気味で、怖ろしくて、人生で上げたことの無いような絶叫を上げた。
そんな恐怖から逃げるために、夢中でフィールを背負い、建物の奥へ駆けだした。
「はぁ……はぁ……」
夢中で走っているうちに、この建物の内側を把握することになった。
五階建てのこの建物は、住まいとしては一階の、それもほんの一部しか使われていない。
ベッドは一つ見つけたが、その一つ以外には布団さえなく、ここに住んでいた子供達が、レナから見て、いかに子供らしくない生活を強いられていたかが見て取れる。
その一部以外は、ゴミや空き瓶、それ以外の物が散らかっているだけで、水道や、放置された着替え以外に、生活に役立ちそうなものは何もない。
その後、二階、三階と駆け上がっていったが、二階から上は使われた形跡もないほどに荒れ果て、木の板やら道具やら工具やら、何かしらの金属やらが散らかっている。
明かりは無く、窓から差し込む光が空間を照らしているだけで、前はある程度見えてはいるが、それでも暗い。夜目を鍛えたレナでないと、まともに身動きでなかったろう。
そして、玄関から最上階まで、全ての階に共通して言えることが、窓という窓は全て、板や鉄格子やらで塞がれていて、そこから外へ逃げることは不可能、ということ。
レナが最後に辿り着いたのは、そんな建物の中の、最上階である五階の、いくつかある部屋の一室。部屋の隅には道具が散らかっていて、だが中心はスペースが開いている。
そんな、それなりの広さの部屋の中心にフィールを寝かせた。
「……う、ぶっ……! おぇ……げぇ……!」
部屋の隅へ走り、散乱している物の陰に向かって、こみ上げてきたモノを吐き出した。
この吐き気は、人を一人背負って走り回ったことだけが原因じゃない。直前に見たものを、思い出したせいだ。
「ゲホッ……この街じゃ、あれが普通なの……?」
みんな、普通の子供達だった。ただ、育てられ、成長した末の姿が、レナの知る、『普通』……『人間』とは違い過ぎていた。
けど、当たり前だ。あんな小さな子たちが、生まれた瞬間から『人間』であることを否定されて、そんな風に育てられてきたんだ。
そのまま成長したって、『人間』になれるわけがない。
『人間』の見た目をした、ニンゲンじゃない、別の生き物……
「それが、『コドモ』ってこと……?」
そして、そんなコドモを飼っていて、最後には噛みつかれ、殺された、カエル女。
逃げる途中で見た、殺されかけた、後の無様。
「……この街じゃ、あれが『普通』ってこと……?」
リアは言っていた。この街では、毎日のように人は死んでいると。
理由なんかどうでもいい。殺すことはよくあることだと。
(……だったら、このままじゃ、わたし達も……?)
自分達は、聖地へ行くための切符として狙われている。
命は奪われることは無い。そう、リアは言っていた。命はな……と。
(て、ことは……命しか、助からないんだ……)
命は大切だ。けどこの街ほど、そんな言葉に説得力が無い場所も無い。そして、狂った人間の集まったこの街で、命さえ助かれば、命以外の何を奪われるか、分からない。
「……どうして、こんなとこ来ちゃったんだろう……」
今更になって、そんな後悔の言葉が出てしまった。
こんなことなら、あんな村でも我慢していれば、無難に猟師として生きていけたのに……
そんなことを思いながら、部屋の中心で眠るフィールを見た。
静かで穏やかで、気絶する前の悲鳴がウソのような、無垢な寝顔だった。
レナの今の苦労や後悔も知らずに、気楽な顔で眠っている。
こんな女が、リアのそばにいると思うと……
「……ううん!」
と、心に沸き上がった激情を、声を出してどうにか押さえ込む。
「とにかく、リアが全員やっつけてくれるまで、隠れてなきゃ……」
声を出して自分に言い聞かせ、フィールのそばへ寄り添った……
その時、下から突然、ブオー、と、機械の音がいくつも鳴り響いた。
すぐに窓まで走り、鉄格子の隙間から、下を覗いてみる。
「……乗り物?」
車と違って、タイヤは二つしか無く、剥き出しの人間がその上にまたがっている。
最初に自分やリアを攫った連中が乗っていたもの、バイクだ。
建物の一階を照らしていた明かりよりも、遥かに強い光でこの建物を照らす、何十というバイクが、ビルの真ん前に並んでいる。
「ウソ……ウソでしょう……」
口でどれだけ否定しようとしても、もはや、逃げ場はどこにも無い。
闘おうにも、弓も矢も、フィールの剣も、武器は全て奪われた。
しかも、両手を手錠で繋がれて、これでは満足に戦うこともできない。
そんな現実を突き付けられて、その身を窓から離し、へたり込み、座り込んだ。
座り込んでいる間も聞こえてくる。バイクのエンジン音や、人々の声。
レナの偏った知識上とは言え、大よそ人が発しているものとは思えない音の山。
そんな、自然の中で生きたレナにとっての、不自然に囲まれた中で、床に背中を着ける。
「……うん。やっぱり、そうだ……」
空も見えない、ススと埃にまみれた天井を見上げながら、感じた一切を声に出す。
「この街も、街の人達も、全部、化け物だ……」
リアと一緒に行った場所は、全部が化け物だった。
聖地を前にして、ちょっとは平和かな、と想像していたこの街は、それ以上の、化け物だった。
「相手が人じゃなくて、化け物だから、みんな、自分以外の人のこと、殺せるんだ……」
人であるリアは、化け物と呼ばれ殺されかけて、代わりにお母さんが死んだ。
人が人を殺すことは罪らしいが、人が化け物を殺すことは、罪じゃない。
つまり、その人にとって、目の前の人が化け物に見えたなら、それは、殺しても悪くない。
レナの目の前で、誰かを殺した人、全員がそうだった。目の前にいる人が、自分を怒らせたり、幸せを邪魔して、横取りする化け物に見えたから。
自分以外の全員、人じゃない化け物に見えるから、殺したとしても悪くない。
そんなふうに、人を殺すことが日常だっていうなら、それは結局、人間じゃない。獣ですらない。そんなものより遥かに怖ろしい、化け物だということ。
そんなことをする人間も、そんな人間が集まってできた、この街も……
「……だったら、やっつけなきゃ」
そんな化け物を前にして、レナは、覚悟を決める。
「相手は、わたしを餌にするために襲ってくる。ならその前に、相手を餌にしなきゃ……」
今は亡き、猟師としての師である、父の言葉を思い出す。
思い出しながら、自分の置かれた場所、そして、立場を見返した。
自分が今いるのは、いくつもの人の気配と、岩と金属でできあがった空間。
それは、自然ではなく、人が作った、巨大な灰色の森。
襲ってくるのは、そんな森に潜む、人間の姿をした化け物達。
「……ああ、なんだ」
そこでやっと、レナは理解する。
ちょっと考えれば、それは、生まれてからずっと猟師として生きてきた、あの森と何も変わらないじゃないか。
どうして、気付かなかったんだろう?
そして、気付いた今だから、新たにするべきことがある。
「やっつけなきゃ……狩られる前に……狩り殺さなきゃ……」
その時、レナが浮かべた顔は、ほんの少し前の、脅える少女のそれとは違っていた。
百発百中の腕前を誇る、無敵の凄腕猟師の顔。
その顔に光るのは、目の前に現れた、獲物を狙い澄ました目だった。




