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ネロ・バーサーク  作者: 大海
第三章
19/24

第3話  ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ

「ぐぅ……」


 リーダーの後に残ったメンバーの、最後の一人が横たわった。

 メンバーの全員が、慕い、尊敬し、崇拝さえして集まるに至った、そんなリーダーの男を倒したリアを許さず、容赦なく襲い掛かった。


 そんな彼らにとっての不幸は、その相手がタダの子供ではなく、リアだったこと。ただそれだけ。


 ある少年は、リーダーと同じように鉄靴の蹴りを喰らい……

 ある少女は、怪力に振り回され、あげく、投げ飛ばされ……

 そしてある子供は、それらの攻撃で巻き添えを喰らって……


 結果、ほとんどは反撃する暇もなく、反撃しても当てることすらできず、全員、アッサリ倒されてしまった。



「まだ、だ……」


 倒れた者達の中で一人、立ち上がる者がいた。


「俺達は……聖地へ……」


 喰らったのは蹴り一発でも、その一発は超強力。立ち上がりながらもふら付いて、足取りはおぼつかない。それでもリーダーは、リアに向かって、前進していく。


「もう……誰も死なせない……勝手な大人達の、好きに命を奪わせない……俺達は……全員で、幸せに、生きるんだ……」


 途切れ途切れに、言葉を発して、その言葉を込めるように、拳を持ち上げ、振った。

 それがリアの頬を捕らえたところで力尽き、リアの真横の地面に倒れ伏す。


 ようやく眠ったリーダー。そして、他のメンバー達。

 街の住民達にはあった、醜い願望も、邪な欲望も、無様さも、その顔には無い。

 あるのは、心から家族の幸福を願い、追い求めようとした、優しさに溢れた純粋さ。


(それだけ強い気持ちを持ってるなら、こんな街、さっさと出ていけば良かったんだ。そうすれば、お前達ならどこででも生きていけたろうに……)


 目の前にある、華やかさへの憧ればかりにしがみ付き、それ以外には目を向けなかった。

 聖地に比べれば、その幸福は小さいかもしれない。それでも、家族がいるなら、決して小さすぎる幸福でも無かったろうに。


(……いや、俺も同じか。俺は森から出ずに、たまたま魔法使いと出会った。こいつらは、街から出ずに、魔法使いに出会えなかった。ただ、それだけの違いか……)




「見つけたぞー!」


 倒しながら拾い集めた、黒丸全てを粉々に握り潰した、ちょうどその時。

 倒した彼らとは全く別の、しかし、この街では圧倒的に多数派な声が響いた。見ると、薄暗い道の向こうから、いくつもの灯りが見えた。

 徐々に距離が近くなっていき、やがて、リアのいる、扉の前を取り囲んだ。


「奴隷! もう逃がさねえぞ!」

「テメェは大人しく、俺を聖地に連れてきゃいいんだよ!」

「聖地に連れていく前にボコボコにされたくなきゃ、全部脱いで土下座して謝れ!」


 ここには、こんな大人しかいないのか……


 思いながら右手を伸ばした。伸ばした右手が掴んだのは、空ではない。

 掴んだそれを、腕力に任せ、力の限り、目の前に振る。


「うおお!」

「きゃあ!」


 振った瞬間、巨大な風が彼らを叩く。いくつも悲鳴が上がり、土と埃が巻い上がる。

 何人かは、それに怖気づいたように後ずさった。だが、残ったほとんどは、


「へぇ、それがお前の魔法かよ。聞いてたのとは違ぇが、凄ぇじゃねえか」

「奴隷のくせに、生意気なんだよ! 抵抗してんじゃねえ! 殺すぞ!」

「大人しくしろ! 動くな! 喋るな! 今すぐ聖地まで連れていけ! この奴隷!」


 今までなら、これだけで誰もが戦意を無くしていたのに、彼らはなお更欲望をギラつかせていた。



「……一つ、聞いてもいいか?」


「あ?」


 刀を下ろしながら、リアは、目の前の大人達に呼び掛けた。


「聖地に行って、どうするんだ?」


 彼らを物理的に黙らせることは簡単なこと。

 だから、黙らせる前に聞いておきたかった。


「確かに、聖地に行けば、ここよりは豊かに生きられるかもな。だが、それが本当に幸福とは限らない。わざわざ聖地にこだわることもないだろう」


 華やかな聖地が目の前にある以上、そればかりを見るのは仕方がない。だからこそ、それしか無いわけじゃないことを知るべきだろうに。


「俺自身、この街の外から来た。同じ外地には違いないが、それでも住むには良い場所だった。そこを追い出されたからここまで来たが……街の外には獣もいるし、危険もそれなりにある。だが、少なくともこの街に比べれば、夢も希望も広がってる」


 獣という、明確で分かり易い危険があるうえ、慣れ親しんだ場所から離れる以上、どんな危険や脅威があるか。

 常に、扉の外から見えている聖地と違って、見えないことは確かに恐怖だろう。

 だが、全てが見えていないのは、外地も聖地も同じだ。


「聖地へ行ける俺達が言うのもどうかと思うが、外から来た身として言わせてもらえば、外地だって、ここみたいな場所ばかりじゃない。どんな場所だろうが、その場所にしかない豊かさはある。そこで幸福に暮らせるかはお前達次第だが……少しは、外にも目を向けてみたら――」



 ガシャンッ、という音が、正面から響いた。直後、リアの足もとから炎が燃え上がった。

 今時、誰が持っていたのか、飛んできたランタンを蹴り砕き、散らばった油に引火した。



「うるせえんだよ……」


 おそらく、ランタンを投げた男は……どころか、集まった者達全員、表情に変化は無い。


「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、奴隷の癖によ……」


 口調は怒っているが、その声色も、ここへ来た時と全く同じ、無様なまま。


「奴隷のくせに、生意気に喋ってんじゃねえぞ」

「奴隷は奴隷らしく、アタシを聖地に連れていって一生アタシのために働けばいいのよ」

「喋る暇あったら、俺を聖地に連れていって、俺に楽させやがれ奴隷があ!」


 リアの言葉は、全く耳に入っていない。どころか、リアの姿すら、まともに見ていない。リアが、自分達の探す奴隷かどうか、見分けが付いていないのが何よりの証拠だ。

 単純に服装のせいもあるだろうが、これだけ喋れば、見た目がどうあれ、リアが少女でないことは明白だろうに。

 全員が全員、ただ、目の前の魔法使いという宝だけを見て、それを手に入れることだけを望み、それ以外の考えを捨てている。



(どいつもこいつも……)


 そんな様を見ていると、また溜め息が出た。

 現実という苦難に負けて、負けっぱなしで全てを諦めて、人生すら放棄しておいて。

 目の前の現実さえ見ないくせに、都合の良い夢だけは、いつもいつも見ている。


(誰も気付いてない……それとも、気付いてないフリしてるのか? 聖地に行って、遊んで暮らす。そんな、空っぽな夢のためだけに生きて、他を目指すことをしなくなった……本当の奴隷は魔法使いじゃない。お前らこそ、聖地っていう夢に囚われた、ただの奴隷だろうが……)


 夢を見るのは自由だ。その夢を叶えるために、はたから見れば、バカだと笑われて、奴隷のようだと蔑まれるだけの努力をすることも自由だ。その末に破滅し、狂ったとしても。


 だがこいつらは、努力と呼べるものを何一つしていないうちから、ただ大勢が同じように見ている夢を、同じようにただ見ているだけ。

 その夢を見るまでにどんな目に遭ってきたか知らないが、その末に行きついたのが、見るのが楽なだけの夢。必ず幸せになれると決めつけ、他人に叶えろと駄々を叫ぶ。

 自分自身の本当の夢か、その区別さえ放棄して。


(まあ、今の外地に、他に見られるような夢がないことも事実だが……)


 理由はどうあれ、現実からそんな物に逃げ、喜んで囚われているこいつらは、夢の奴隷ですら無い。

 意志も、意識も、信念さえ、全てが空虚なだけの、ただの奴隷。


 ただの、無様な奴隷達……



「捕まえろー!」

「俺の奴隷ー!」

「アタシの聖地!」


 そんな無様な奴隷どもの声が、また四方八方から聞こえてくる。


(全員が俺を見てる。これ以上、同士討ちは狙えないかもな……だが、まあいい。どうせ、最初からそのつもりだったし)


 心の中で呟きながら、リアは右手の長刀を、夜空へ向かって高く投擲した。

 全員の目がそれを見る。

 そのタイミングで、燃え上がる地面を蹴り、無様な奴隷に向かって走る。



「誰も、この扉に近づくな」



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「リア……」


 遠くから聞こえてくる騒乱の中、リア、と、レナは呟いた。

 その服装は、いつもの服とは変わり、リアと交換した、黒の上下という、シンプル且つ貧層な服装に変わっている。

 サイズや武器の都合から、唯一交換しなかった茶色のブーツは、そんな上下の黒には全く合っていない。

 そんな足の、ひざを枕にフィールを寝かせ、周囲の音を聞いていた。


(大丈夫かな……リア……)


 未だ、目を覚まさないフィールの顔を撫でながら、不安と孤独に、ただ耐える。


(リア……早く帰ってきてよ……)




 髪をまとめ、靴と靴下以外を換えて、落ちていた弓を肩に、別れる直前。

 リアはレナに言った。


「連中は俺が相手する。その間に、お前はフィールを連れてどこかに隠れろ」


 いきなり服を換えたかと思ったら、そんなことを言われて、レナは慌ててそれを拒んだ。

 フィールが気絶していて、街のことを何も知らない自分に、どこへ行けというのか、と。


「……ああ。さっき言ったばかりだもんな。お前達は、俺が守るって……できればそばにいたいが、俺の体は一つしか無い。目や手が届かない場所に行く時もある」


 心底申し訳なさそうに言う。そんな声や表情のまま、続けてこう言った。


「俺は、俺にできる手段でお前達を守る。だから俺がいない間、お前がフィールを守れ」


 お前が……わたしがフィールを……

 いきなり言われて、レナは思考が停止した。そして、リアは背中を向けた。

 そこでレナは我に返り、とっさにリアの手を掴んでしまった。


「しっかりしろよ。年上だろう」


 自分が何かマヌケをする度に繰り返す常套句。

 いつもなら文句を返していた。しかし、今回はそんな余裕さえなく、ただ泣きついた。


「無理なら……最悪、フィールを置いて逃げろ。魔力を全部吸われてるからな。しばらくは目を覚まさない。だが、あいつらの目的は、お前達を捕まえて聖地に行くことだ。だから、少なくとも命は助かる。命はな」


 最後の言葉を、いやに強調して言った後で、レナの手を振り払い、歩いていく。


「夜が明けるまでには、全部片付ける。そしたら、扉の前に来い。お前達は必ず、俺が聖地へ連れていってやる……いいか? この街の人間、誰も信じるなよ」


 そんな言葉を残し、走り去るリアの背中を見て、レナが感じたのは、不安だけだった。




「リア……」


 リアが消えてしばらく後に発生した喧騒の声に対して、レナはただ、震えていた。

 毎日のように歩いていた森の中なら、一人ぼっちでも全然平気だったのに。

 暗くて静かな森と違って、光はそこかしこにあり、人の声もあちこちから聞こえてくる。

 それなのに、危険度も厄介さも、夜の森を遥かに超えている。


 いつも感覚を研ぎ澄まし、どこに潜んでいるとも分からない獣の気配を感じ取っていた。

 だがここは、そんなことをするまでもなく、大量の人間の気配が、狂気と一緒に充満している。


 レナが今、目を閉じているのは、ただの恐怖による生理現象でしかない。

 狂った人間達の気配なんか、一人だって感じたくないのに……


 何も聞かず済むよう、耳を塞いだ。

 何も見ずに済むよう、目を固く閉じ、顔を下に向けた。


(リア……リア……)


 愛しい男の子の服を着て、その子の名前を、声には出さずに繰り返し呼び続ける。

 呼んだところでやって来るわけもない。それでも、呼ばずにはいられない。


(リア……)




「おねえちゃん」



「いやあああああああああああああ!!」



 震えながら耳を塞いでいたレナに、そんな声は聞こえなかった。しかし、同時に肩に手を置かれたことで、大声を上げながらその場から飛び退いてしまった。


「だいじょうぶ? ずっと震えてるよ」

「え……あぁ……」


 そんな声と、その声を出した人の顔を見て、冷静さを取り戻した。


 目の前にいるのは、子供だ。

 スカーフ街の住人らしく、服装はボロボロで、体は汚れ、顔は傷だらけ。

 かと言って、単なる浮浪者というわけでもなく、顔色や血色はしっかりしている。

 汚れてはいるが、それなりの生活は送っている、そんな風貌の小さな男の子だ。



「だいじょうぶ? ケガしてるの?」

「えっと……大丈夫、大丈夫……」


 何も知らず、無邪気に聞いてくる男の子に、レナはどうにか笑顔を作った。


「その人、寝てるの?」

「え? あ、うん……」


 ひざで眠っているフィールを見ながら、無難に返事をした。


「ねえねえ、こんなところいて、あぶなくないの?」

「……危ないよね、やっぱり……」


 男の子の姿に安堵しつつ、それ以上に危険な状態を思い出して、再び周囲に気を配った。


「みんな、お祭りが始まったら、おうちの中に隠れてるんだよ」


 随分と物騒なお祭りだなぁ……と、レナが感じていると、


「ねえねえ、おねえちゃんも、ボクらのおうちにおいでよ」


 そんな提案を受けた。それに首を傾げた直後、



「ねえどうしたの?」

「なになにー?」


 建物の陰や、通りの向こうから、更に四人の男の子と女の子が歩いてきた。

 全員、四つか五つか、歳のころは同じらしい。無邪気で純真な声を上げ、レナに近づいた。


「ねえおねえちゃん、ボクらといっしょに行こう」

「え、でも……」


 リアはまだ、街で戦っている。隠れていろとは言われたが、恐怖のせいで、今いる場所から動くことができずにいた。

 そんな心情など知らず、最初の男の子が、レナの手を引いた。


「ねえ、行こう。そのおねえさんもいっしょに」


 フィールのことを見ながらそう言った。逃げるにしても、置いていく気は無い。かといって、リアほど力は無く、フィールを背負った状態で、長い距離を逃げるのも難しい。


「……じゃあ、そうしよっかな」


 リアはそばにいない。フィールは気絶中。そんな状況で、街中から狙われている。

 そんな恐怖と孤独に長く耐えるくらいなら、子供達と一緒に安全な場所へ行きたい。

 そう思って、フィールを背負い、子供達の背中を追い掛けた。




 暗くて、狭くて汚い道を通って、途中いくつもある曲がり角を曲がる。五つ目を曲がったところで数えるのをやめて、その時点で、どこをどう歩いてきたか思い出せなくなった。

 もっとも、帰り道を心配する暇も無く、目的の場所に辿り着いてしまった。


「ここが、僕らのおうちだよ」


 子供達が指さしたのは、この街ではよく見掛ける、四角い五階建ての建物だ。

 レナから見れば十分大きいが、この街の中では大きさも普通で、特に変わっている部分も、目立っている部分もない。そんな建物の、いやに硬そうな、両開きのドアを開いた。


 広くも狭くも感じる建物内は暗く、小さな電灯の淡い光だけが目の前を照らしている。

 そんな家の中に、レナは警戒しつつ足を踏み入れる。

 ここに隠れていれば安心。外から中に入ったことで、そう思った。


「ねえねえ、おねえさんのこと、下ろしたら?」


 それもそうだと、背負っていたフィールを下ろし、壁にもたれさせた。


(フィールって、見た目より重いなぁ……やっぱ、脂肪のせいかな……)


 そんなことを思いながら、額の汗を拭った……



「ねえねえ、おねえちゃん」


 再び無邪気な声を掛けられ、そちらを振り返る。


「お手てだして……これあげる」

「……え?」


 笑顔の言葉に両手を出して、渡されたのは……いや、渡されたのではない。

 出した両手にあるもの。それは、錆と鉄が光る、鎖と輪。両手首を繋ぐ、手錠。よく見ると、薄暗い玄関の隅に置いてある段ボール箱に、大量に手錠が入っている。


「……あ!」


 気付き、振り返った時には、すでにフィールの両手も手錠で繋がれ、玄関には鍵を閉められていた。更には、いつの間にか、フィールの剣も、背負っていた弓と矢筒まで取り上げられている。



「おねーちゃーん! 連れてきたよー」


 レナが混乱している間に、子供の一人が奥に向かって叫ぶ。すると、奥の景色が揺れた。

 黒い人影は、ドカドカと無駄にデカい足音を立てて、歩いてくる。

 それがレナの前までやってきた瞬間、ドカッという、生々しい音が響いた。

 歩いてきた奴が、男の子の顔を全力で蹴った音だった。


「何度言ったら分かるんだ! この役立たず!」


 最初に聞こえたのが、ゲロゲロな汚い声だった。そして、声と同じく、顔も体も汚い女だった。


 汚い服を着た体は、上背はそれほど高くないが、デップリ太っていて、横幅がやたらにデカい。

 無作為に伸ばした白髪交じりの髪。顔は体と同じく贅肉だらけ。太い唇は横へ広がっていて、顔を見れば、一瞬カエルじゃないかと見間違えそうになる。

 デカくて太くて、毛穴だらけの平べったい鼻からは、鼻毛が伸び放題、飛び出し放題。アゴからも、何本かヒゲが飛び出している。


 声も、顔も、そもそも歳からして、とても『おねーちゃん』だなんて呼べない。老婆一歩手前くらいのカエル女だった。



 カエル女は、顔の脂肪のせいでほとんど潰れた目を真っ赤にしながら、叫んだ。


「手錠を閉める時は後ろ手に閉めろって何度も言ってるだろう! 何度も言ってるのに何だって分からねぇんだ! この役立たずの糞ども!!」


 ゲロゲロ声で絶叫しながら、倒れた男の子を蹴りつけ、踏みつけている。

 手錠にも驚いたし、突然現れた女にも驚いた。だが、それ以上にレナが驚いたのは、


「なんで……?」


 蹴られている男の子。そして、それを見ている子供達の顔。全て、笑っていた。

 良いことだと、微笑ましい光景だとでも言うように、穏やかに微笑んでいる。


「……うわ!」


 何度も蹴り、満足したのか、女はレナの髪を乱暴に掴むと、その顔をマジマジと見た。


「ほぉ……糞どもにしては良いのを連れてきたじゃないか。これなら高く売れそうだよ」


 遠慮なく言いながら、力任せに顔の角度を変え、乱暴に頭を振り回す。

 時々顔に掛かる吐息は臭いし、デップリとした腕の指は力が強く、髪や首が痛い。

 そんなふうに、不快感ばかりを募らせていると、


「……ん?」


 女は、疑問の声を上げた。そして、首に指を当て、それを取る。それが何か分かった時、レナは思わず、あ、と声を出した。


「こいつは……黒丸じゃないか! まさかお前、今街を逃げてるって魔法使いか!?」


 言われながら、黒丸を当てられる。普通の人間なら普通に下へ落ちるそれが、レナの鼻先にピタリとくっつき、落ちることなく、動くことなく制止した。


「じゃあ、そっちの女もかい!?」


 そう聞いて、また黒丸を着ける。同じように、汗も掻いていないフィールの額に、ピタリとくっついた。


「何だいこの奇跡は! 奴隷が二人もやってくるなんて! やっぱ、役立たずの糞どもを必死に育ててやったのが報われたんだねぇ!!」


 狂ったようにそう叫ぶと、女は再び、男の子に蹴りを入れ、踏みつけ始めた。


「やっぱ、糞どもを育てたアタシはエラかったんだ! アタシには、聖地に行くだけの価値があったんだよ! 感謝しな! アタシに感謝しな! 糞ども!!」



「やめてよ!」


 もはや正気とは思えないカエル女の言動に、とうとうレナは声を上げた。


「ああん? なんだい奴隷? 今躾けしてるんだよ。文句あるのかい? 奴隷のくせに」

「大有りだよ! そんなことして、何が躾けよ! ていうか、みんなもどうして、友達がひどいことされてるのに……君だって、こんなことされて、何で笑ってるの!?」


 女に、そして、今でも会った時と変わらない笑顔を浮かべるだけな子供達に叫ぶ。

 女は、さぞ下らない物を見ているふうな目を向け、鼻を鳴らした。


「アタシがそういうふうに躾けたからだよ。泣かれちゃうるさいし、ムカつくだけだからね。一日中静かに笑って、それ以外の顔は作るなって教えてやった。それだけだよ」

「それだけって……こんな小さな子が泣くのなんて、当たり前でしょう!」

「何が当たり前だい!」


 レナの言葉に対して、カエル女はまたゲロゲロと絶叫した。



「こっちは汚ねぇ糞ども拾ってやって、アタシの役に立つよう育ててやったんだよ! コドモでもしっかり教えてやれば、いつかはオトナになるって聞いたからね……」


 話しながら、段々とその顔に、暗がりの中でも分かるくらいに、太い血管を浮かべた。


「それが何だい! 一回教えても言葉一つ憶えない、何度教えても同じ失敗ばかりする、叱ったら泣く、ケガしても泣きやがる、泣き声はうるさいし何の役にも立たない……こんな奴らのどこがオトナだってんだ!」

「そんな簡単に成長なんてできるわけないでしょう! 子供の成長っていうのは、小さくて言葉が通じなくても根気よく何度も教えて、ちょっとずつ色んなこと覚えていって、歳を取っていって、そうやってゆっくり大人になるもので――」


「バカじゃねえのかお前は! わけ分かんねぇこと抜かしてんじゃねえよ!!」


 レナは間違いなく正論を返した。女はそれを、暴論で返した。


「二ヶ月だよ! アタシは拾ったこいつらを、二ヶ月も育ててきたんだ! 貴重な時間を二ヶ月も無駄にしてこいつら育ててやったんだよ! なのにこいつらコドモのままだ! このアタシから貴重な時間を二ヵ月も奪っといて……金は盗めねぇ、食い物も盗ってこれねぇ。金も作れねぇくせに、一丁前に腹は空かすわ、病気で倒れやがるわ……金にもなれねぇくせに、このアタシをやたらイラつかせるわ……」


 そしてまた、何かを爆発させて、足もとの男の子を踏みつける。


「わけの分からねぇ、コドモなんかに生まれやがって!! なんにもできねぇ、役立たずなコドモなんかに、金も無ぇくせに生まれてきやがって!! なんでタカがオトナになるのを、このアタシが何年も待たされなきゃならねえんだ!!」

「言ってることの意味が分かんない! ならアンタの言うタカが大人ってなに?」


「アタシの思い通りに生きられる奴だよ! デカかろうがチビだろうが、アタシに都合の良いことができる奴のことだ! そんなこともできねぇコドモなんかに、ムセキニンに生まれやがって! だからセキニンの取り方教えてやってんだろうが! そのために躾けてやったんだろうが! コドモに生まれたセキニン取らせるためによぉ!!」


「何言ってるのか全っ然分からない! 子供に生まれた責任てなに? 誰だって、生まれた時は子供でしょう! アンタだって……」


「アタシは人間(オトナ)さ! 生まれつきね!」


 レナの正論を遮りながら、レナの顔に唾を飛ばしながら、ゲロゲロと絶叫を続ける。


「生きてることしか能が無ぇ、役立たずのコドモなんかじゃねえ! 生まれた時から世の生き方や礼儀をしっかり覚えたオトナさ! そんなオトナに生まれずに、役立たずのコドモなんかに生まれやがった、こいつらが全部悪いんだよ!」

「なにそれ……自分が言ってることがおかしいって思わないの?」

「おかしくないね! おかしいのはお前の方だ! アタシの言ってることが理解できねぇお前がおかしいんだ! バカな奴隷なんだから仕方ねーけどな!」

「仕方ないで済ませないでよ! だったらそのバカな奴隷にも分かるよう説明したら? 大人なんだからそれくらいしてみせてよ!」


「なんだってアタシが説明なんかしきゃならねーんだ!! 奴隷のくせにアタシに指図してんじゃねえよ!! これ以上このアタシに!! 余計な仕事増やしてんじゃねえええ!!」


「……ッ」


「そこまで言うなら教えてやるよ!! 働いて役に立つのが大人だ。働いて金を作るのが奴隷だ。大人と奴隷のどっちかになれるのが人間だ! コドモはどっちにもならねーだろうが! こいつらは人間じゃねぇ! コドモだぁ! 生きた人間の糞だぁ!!」


「生きた、人間の糞……」

「そうだろーか! どっかの女が気まぐれに出した糞じゃねーか! 生きてる上にうるさいだけで何もできないゴミ! 人間が出した生きた糞じゃねーか!」

「……」


「アタシはその糞を、アタシの役に立つよう躾けて、育ててやったんだ! タカが糞相手にそれだけのことしてやったんだ! アタシはね、エライんだよ! アタシはね! 立派なんだよぉ!!」


「……」



 もはや、返す言葉もない。セリフも言葉も滅茶苦茶すぎて、会話する気も失せてくる。

 そんなレナの心情など知らず、カエル女は再び、男の子に足を振るった。


「けどそれも終わりだ! それだけのことしてきた立派なアタシには、聖地に行く価値があったってことさ! アンタ達を奴隷にして、アタシは聖地に行くんだ! 生きた糞どもは用無しだ! 最後の仕事は、今までイライラさせてきたアタシの気を晴らすことだ! そのためにさっさと死ね! 今すぐ死ね!」


 ――役立たずども!


 ――死にやがれぇえええ!!


 偶然現れた奴隷に歓喜し、同時に、今まで散々働かせておいて、イラつきしか感じてこなかった子供達に暴力を振い、興奮している。そんな光景に、レナは吐き気すら覚えた。

 そして、そんな愉悦のために蹴られ、傷つきながら笑う男の子は、カエル以上の異常に見えた。



「ちょっと、いい加減に……」


 やめろ――と、そう言う前に、カエルは足を止めた。


「……は?」


 カエルは振り返り、レナは、その光景に固まった。

 カエルの後ろには、四人の子供達が、一人一本、計四本の、レナから奪った矢を握り、女の背中に突き立てていた。


「おい、糞ども……なに、やって……」


 カエル女が体ごと振り向こうとした時、再び……



「ぎゃあああああああああ!」



 矢の突き立った右眼を押さえながら、今までとは全く別種な絶叫を上げた。

 蹴られていた男の子にも矢が渡された。それは、カエルの内ひざに突き立てられた。


 直立できなくなったカエルは、四つん這いになった。そして、ゲロゲロと絶叫がコダマする室内で、五人のコドモは矢筒が空になるまで、デカいカエルに矢を突き立てていった。



「……」


 一連の出来事を、レナは、見ていることしかできなかった。

 リアの安否よりも、両手を繋ぐ手錠よりも、今気になるのは、笑いながら、女一人をサボテンにした子供達の姿だった。


「これでセイチに行けるんだよね?」

「うん。このおねえちゃんと、おねえさんを連れていったら、セイチで幸せになれるって」

「じゃあ、ボクらももう、コンナノの言うこと聞かなくて良いんだよね」

「うん。わたし達も、ニンゲンになれるよー」


 一見すれば、無邪気な子供達の作り出す微笑ましい光景。

 それが、全員体中を血まみれにしていることの、なんと不気味な光景だろう。


 命を軽んじられ、間違った躾けで育まれた、歪んだ価値観と、間違った義務感。

 そんなものしか知らずに育ち、完成されてしまった人格。その姿……


(人間じゃない……)



「おねえちゃん。行こう」


 不快と脅えの只中にいるレナに、無邪気な声が掛けられる。

 男の子が、レナの手を引いた。


「……ッ!」


 さっきまでなら、快く受け入れられた子供達のその手や笑顔が、全て真っ赤な血にべっとりと濡れている。それは、受け入れられた無邪気さや純粋さを帳消しにするには十分すぎた。


 そんな手に引かれた瞬間、別の子が鍵を開け、玄関を開けた。

 その玄関に向かって、レナは、手を引いた男の子、そして、他四人の子供を突き飛ばし、外へと押し出した。

 全員が外へ出たのを見て、急いでドアを閉め、鍵を掛ける。そして、鍵を開けられても開かないよう、いくつも置いてある手錠の一つを取り、両開きのドアノブ同士を繋いだ。



「おねえちゃん、開けて……」

「開けてよ。いっしょにセイチに行こうよ。ねえねえ……」


 外からは、子供達の声が聞こえてくる。

 子供ながらの優しい声を上げながら、子供ゆえの弱々しい力で、バンバンバンバン、とドアを叩き、ガチャガチャガチャガチャ、とドアノブを回している。



「……」


 やがて、それらの不気味な声や音が止み、声も聞こえなくなった。

 諦めたかな? それを期待しながら、ドアの中心にある、覗き穴を覗いてみる……


「……ひぃッ!」


 その不気味な光景に、思わず悲鳴を上げた。同時に、カチリ、と、鍵の開く音がした。

 ドアが開いても、ドアノブ同士を繋ぐ手錠のおかげで、全開になることはない。

 しかし、僅かに開いた隙間は、子供はくぐれなくとも、両手くらいは余裕で通る。


 そんな隙間から、計十本の真っ赤な手が伸び、右往左往と蠢いて……



 ――いやあああああああああああああああああ!!



 あまりに不気味で、怖ろしくて、人生で上げたことの無いような絶叫を上げた。

 そんな恐怖から逃げるために、夢中でフィールを背負い、建物の奥へ駆けだした。




「はぁ……はぁ……」


 夢中で走っているうちに、この建物の内側を把握することになった。


 五階建てのこの建物は、住まいとしては一階の、それもほんの一部しか使われていない。

 ベッドは一つ見つけたが、その一つ以外には布団さえなく、ここに住んでいた子供達が、レナから見て、いかに子供らしくない生活を強いられていたかが見て取れる。

 その一部以外は、ゴミや空き瓶、それ以外の物が散らかっているだけで、水道や、放置された着替え以外に、生活に役立ちそうなものは何もない。


 その後、二階、三階と駆け上がっていったが、二階から上は使われた形跡もないほどに荒れ果て、木の板やら道具やら工具やら、何かしらの金属やらが散らかっている。


 明かりは無く、窓から差し込む光が空間を照らしているだけで、前はある程度見えてはいるが、それでも暗い。夜目を鍛えたレナでないと、まともに身動きでなかったろう。

 そして、玄関から最上階まで、全ての階に共通して言えることが、窓という窓は全て、板や鉄格子やらで塞がれていて、そこから外へ逃げることは不可能、ということ。



 レナが最後に辿り着いたのは、そんな建物の中の、最上階である五階の、いくつかある部屋の一室。部屋の隅には道具が散らかっていて、だが中心はスペースが開いている。

 そんな、それなりの広さの部屋の中心にフィールを寝かせた。


「……う、ぶっ……! おぇ……げぇ……!」


 部屋の隅へ走り、散乱している物の陰に向かって、こみ上げてきたモノを吐き出した。

 この吐き気は、人を一人背負って走り回ったことだけが原因じゃない。直前に見たものを、思い出したせいだ。


「ゲホッ……この街じゃ、あれが普通なの……?」


 みんな、普通の子供達だった。ただ、育てられ、成長した末の姿が、レナの知る、『普通』……『人間』とは違い過ぎていた。


 けど、当たり前だ。あんな小さな子たちが、生まれた瞬間から『人間』であることを否定されて、そんな風に育てられてきたんだ。

 そのまま成長したって、『人間』になれるわけがない。


『人間』の見た目をした、ニンゲンじゃない、別の生き物……


「それが、『コドモ』ってこと……?」



 そして、そんなコドモを飼っていて、最後には噛みつかれ、殺された、カエル女。

 逃げる途中で見た、殺されかけた、後の無様。


「……この街じゃ、あれが『普通』ってこと……?」


 リアは言っていた。この街では、毎日のように人は死んでいると。

 理由なんかどうでもいい。殺すことはよくあることだと。


(……だったら、このままじゃ、わたし達も……?)


 自分達は、聖地へ行くための切符として狙われている。

 命は奪われることは無い。そう、リアは言っていた。命はな……と。


(て、ことは……命しか、助からないんだ……)


 命は大切だ。けどこの街ほど、そんな言葉に説得力が無い場所も無い。そして、狂った人間の集まったこの街で、命さえ助かれば、命以外の何を奪われるか、分からない。



「……どうして、こんなとこ来ちゃったんだろう……」


 今更になって、そんな後悔の言葉が出てしまった。

 こんなことなら、あんな村でも我慢していれば、無難に猟師として生きていけたのに……


 そんなことを思いながら、部屋の中心で眠るフィールを見た。

 静かで穏やかで、気絶する前の悲鳴がウソのような、無垢な寝顔だった。


 レナの今の苦労や後悔も知らずに、気楽な顔で眠っている。


 こんな女が、リアのそばにいると思うと……



「……ううん!」


 と、心に沸き上がった激情を、声を出してどうにか押さえ込む。


「とにかく、リアが全員やっつけてくれるまで、隠れてなきゃ……」


 声を出して自分に言い聞かせ、フィールのそばへ寄り添った……




 その時、下から突然、ブオー、と、機械の音がいくつも鳴り響いた。

 すぐに窓まで走り、鉄格子の隙間から、下を覗いてみる。


「……乗り物?」


 車と違って、タイヤは二つしか無く、剥き出しの人間がその上にまたがっている。

 最初に自分やリアを攫った連中が乗っていたもの、バイクだ。

 建物の一階を照らしていた明かりよりも、遥かに強い光でこの建物を照らす、何十というバイクが、ビルの真ん前に並んでいる。


「ウソ……ウソでしょう……」


 口でどれだけ否定しようとしても、もはや、逃げ場はどこにも無い。

 闘おうにも、弓も矢も、フィールの剣も、武器は全て奪われた。

 しかも、両手を手錠で繋がれて、これでは満足に戦うこともできない。



 そんな現実を突き付けられて、その身を窓から離し、へたり込み、座り込んだ。

 座り込んでいる間も聞こえてくる。バイクのエンジン音や、人々の声。

 レナの偏った知識上とは言え、大よそ人が発しているものとは思えない音の山。

 そんな、自然の中で生きたレナにとっての、不自然に囲まれた中で、床に背中を着ける。




「……うん。やっぱり、そうだ……」


 空も見えない、ススと埃にまみれた天井を見上げながら、感じた一切を声に出す。


「この街も、街の人達も、全部、化け物だ……」


 リアと一緒に行った場所は、全部が化け物だった。

 聖地を前にして、ちょっとは平和かな、と想像していたこの街は、それ以上の、化け物だった。


「相手が人じゃなくて、化け物だから、みんな、自分以外の人のこと、殺せるんだ……」


 人であるリアは、化け物と呼ばれ殺されかけて、代わりにお母さんが死んだ。

 人が人を殺すことは罪らしいが、人が化け物を殺すことは、罪じゃない。

 つまり、その人にとって、目の前の人が化け物に見えたなら、それは、殺しても悪くない。


 レナの目の前で、誰かを殺した人、全員がそうだった。目の前にいる人が、自分を怒らせたり、幸せを邪魔して、横取りする化け物に見えたから。

 自分以外の全員、人じゃない化け物に見えるから、殺したとしても悪くない。

 そんなふうに、人を殺すことが日常だっていうなら、それは結局、人間じゃない。獣ですらない。そんなものより遥かに怖ろしい、化け物だということ。


 そんなことをする人間も、そんな人間が集まってできた、この街も……



「……だったら、やっつけなきゃ」


 そんな化け物を前にして、レナは、覚悟を決める。


「相手は、わたしを餌にするために襲ってくる。ならその前に、相手を餌にしなきゃ……」


 今は亡き、猟師としての師である、父の言葉を思い出す。

 思い出しながら、自分の置かれた場所、そして、立場を見返した。


 自分が今いるのは、いくつもの人の気配と、岩と金属でできあがった空間。

 それは、自然ではなく、人が作った、巨大な灰色の森。

 襲ってくるのは、そんな森に潜む、人間の姿をした化け物達。



「……ああ、なんだ」


 そこでやっと、レナは理解する。

 ちょっと考えれば、それは、生まれてからずっと猟師として生きてきた、あの森と何も変わらないじゃないか。

 どうして、気付かなかったんだろう?


 そして、気付いた今だから、新たにするべきことがある。



「やっつけなきゃ……狩られる前に……狩り殺さなきゃ……」



 その時、レナが浮かべた顔は、ほんの少し前の、脅える少女のそれとは違っていた。


 百発百中の腕前を誇る、無敵の凄腕猟師の顔。

 その顔に光るのは、目の前に現れた、獲物を狙い澄ました目だった。




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