序章 車の子 見ていた 隠れんぼう
今日も、いつもと変わらない。
オレンジ色の景色が広がる時分、車を走らせながら、アシュが感じる毎日の言葉だ。
毎日同じ道を往復し、日暮れまで仕事をする。
成果が出せれば金がもらえて、出せなければそれで終わり。もちろん金はもらえない。代わりに拳骨をもらうことになる。
もっとも、成果があろうが無かろうが、少なくとも、クビになる心配は無い。
車が何十年前にできたものか知らないが、外地でまともに、マジメに車を運転できるヤツは、多いようで少ない。
たまたま車の運転の仕方を知っていて、それのおかげでこうして仕事にありついている。
車の運転ができなければまともな仕事にありつけないが、そのくせ、ご丁寧に車の運転を教えてくれるようなヤツも場所も、この外地には無い。
できもしない車の運転技術を自称して、それを確かめる時点で、エンジンの掛け方も分からずに門前払いを喰らう。アシュの知っているオチがそれだった。
そして、そんな人間達ばかりな中、しっかり運転技術を持っていたおかげで、こうして車(確か、ケイトラと言った)を走らせて、街の外をひたすら周って、金になりそうなものを拾い集める。つまりはゴミ拾いの仕事にありつくことができた。
とは言え、夜になる前に戻らないと、ガソリンの無駄使いだと殴られる。かと言って、それで何も無ければ結局は殴られる。
こっちは毎日、獣や盗賊がいつ出てくるかも分からない、険しい道を通って、色んな意味で命懸けのゴミ拾いをしているのに、粗末な金か、粗末な食料だけ投げ渡されて、それで終わり。
少なくとも雇い主の口から、労いの言葉や、お礼の言葉を聞いた記憶は一度も無い。
仕事と同じで、吐かれる言葉もいつも同じ。
「いい加減ガソリン代に見合った仕事をしろよクズ」
「クズのくせにクズ拾い一つできないとか、どうしようもないクズだ」
「どうせクズなら金になるクズになりやがれ。なれないなら死ね」
他にもあるが、ムカついてきたから考えるのはやめた。
周りの人間を見ていると、仕事にありついて、成果さえ上げればちゃんと金がもらえる分、自分は十分過ぎるくらい恵まれている。そう言っていい。
だが常々、あの雇い主をボコボコにしてやりたいと思うくらいの鬱憤はたまっていた。
立場でも腕力でも敵う気はしないが、いっそのこと本当に、あの雇い主をぶち殺して、金と、この車を奪って、遠くまで逃げてやろうか……
もっとも、そんな物騒なことを考えるだけ考えて、実行に移す度胸は無いから、今もこうして律儀に働いて、あのクソオヤジの機嫌を取ろうとがんばっているわけだが……
「はぁ……」
溜め息を吐きながら、ふと、知り合いの顔が浮かんだ。
何年か前にたまたま出会って以来、時々、ほとんど飾りと化している助手席に乗っては、会話をする。
自分とは違って、強くて、頭も良くて、前向きに生きている、そんな人間。
憂鬱な時はいつも、そんな知り合いの顔を思い出しては、溜め息を吐くのが癖になっていた。
「はぁ……ん?」
と、いつも通り溜め息を吐いた時……距離は遠いが、それでも、見間違うわけがない。
全身真っ黒な服と、それに負けず劣らず真っ黒な、長すぎる髪。いつも一人でいるのに、今日は両隣に人を二人立てた、その背の低い知り合いは、こっちに向かって手を振っていた。
「リアさんだ!」
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「リアに運転手のお知り合いがいるなんて、知らなかった……」
「ええ。急に暴漢からカツアゲし出したり、突然獣を狩ってきたと思ったら……街まで送ってもらうための代金とはね」
ケイトラの荷台に座り、震動に揺れながら、レナとフィールはそう会話していた。
そんな二人の目の前には、リアが狩ってきたデカい獣が積まれている。
車内の見えるガラス越しには、楽しそうに会話をするリアと、運転手の二人が見える。
「それにしても……」
とっくの昔に慣れきった、死んだ獣の臭いより、もっと気になるものを見ながら、レナは呟いた。
自分達以外の人前で、態度やら口調やらを可愛らしく変えているリアにも目は行くものの、それ以上に、右側に座る、アシュという運転手には、それ以上の興味が惹かれた。
「……車って、大人の人が運転するものだと思ってた」
右側のシートでハンドルを握っているのは、身長こそリアと大差ないが、十四歳のリアより更に幼い、男の子だ。
それを疑問に感じたレナの声に、フィールは冷静に返した。
「そりゃあ今時、小さくても大きくても、車の運転くらいできなきゃ、普通に生きていくなんて無理よ」
「そうなの?」
「ええ。自然の中で自給自足してるレナ達はともかく、私みたいな、手に職を付けられない人間の、金の稼ぎ方は限られてる……レナやリアみたいに、簡単にできることじゃないのよ。一人の力で生きていくって」
「……わたし達より小さな子供だったら、余計に難しいだろうね……」
「そうね。ただでさえ何も知らないんだから。生きていくには何が必要か、どうしたらいいか……生まれたばかりの小さい子がそんなこと、知るわけがないわ」
フィール自身、死んだ人間は何人も見てきた。勝手に殺し合って勝手に死んだ人間もいたし、病気か飢え死にか、道端に野垂れ死んだ奴もいた。
その中で最も多かった死体が、コドモだった。
「……そんな風にならないために、色んなこと教えてあげて、一人で生きられるようになるまで育てて、守ってあげるのが、大人の役目だと思ってたけど……」
「レナの村では、そうだったんでしょうね。けど、他は違う。誰も、そんなことしたがらない。理由は、金にも得にもならないから。世話をしてほしければ金を出せ……今時の大人が子供に求めるものは、成長じゃない。金だけよ」
「大人のくせに、子供にお金をたかるとか……バカげてるって気付かないのかな?」
「気付いてないし、むしろ当然と思ってるんでしょうね。コドモだコドモだって、人間扱いしないくせに、責任だけは、人間様の基準で取らせようとして。そんな調子だから、マトモに子供を育てられる人間なんて、多分、もう残ってないわ」
「もう、この世界に未来はないね」
「それもみんな知ってる。だから諦めて、せめて自分だけは、死ぬまで良い思いをしようって……し続けようって考えてる。そのくせ、そのために努力も何もしない。それでもいつか、自分だけはそうなれるって、根拠も無いくせに確信してる。そんな、バカばっかりなのよ。今時の大人は……」
「わたしの村も、とっくに終わってると思ってたけど……国も人も、とっくに終わってたんだね。むしろ、あんな村でもかなりマシな方だったんだ」
「あの村に残った方がよかった?」
「ううん……平和な村にいるより、リアのそばにいる方が、断然良いに決まってる」
終始、顔に不快感や嫌悪感ばかり浮かべていたのが、最後の言葉を言った途端、真剣で、力強い顔に変わった。
そんなレナの気持ちは、フィールにはよく分かる。この二人にとって、価値のないこんな世界の中で、ただ一人、価値があると認められる存在が、リアなのだから。
「……レナ」
そんなレナの顔を見て、フィールはずっと気になっていたことを、今こそ尋ねることにした。
「リアは、レナの魔法のこと、一年くらい前には、知ってたのよね?」
「うん」
「ケガを治す魔法……それも、知ってたのよね?」
「うん……」
返事をする度、元気が失せていく。レナも、フィールの聞きたいことが分かったらしい。
「……リアは、聖地へ行くために、何年もかけて、お金を稼いでた。歩けなくなったネアさん……お母さんの足を治すために」
「……」
「レナの魔法のこと知ってたなら、リアはレナに、お母さんのこと、話さなかったの?」
「話したよ」
あっさりと、レナは肯定した。
死んだ村で捕まった時と同じく、遠い目になりながら、過去を思い出した。
「魔法のこと話して、一ヵ月くらい後だったかな……仕事の後で、リアが急に、俺の家に来てくれって、誘ってきことあったんだ」
リアに驚かされるのはいつものことだが、あの時の驚きは、いつもとは全然別物だった。
「びっくりしたけど、それでもすごく嬉しかった。お互い、家に誘うようなことなんてなかったし、そこまでリアが、わたしのこと信用してるって、思ってなかったから……だから、リアの家までついていきながら、ずっとドキドキしてた。どんな家なのか、とか、何して遊ぶのかな、とか、リアの部屋に入れるかな、とか、どんな匂いかな、とか、お風呂やトイレに入ってるとこ覗けるかな、とか、こっそりリアの下着を一枚もらってもばれないかな、とか……」
「レナさん……?」
あの時みたく暴走する前に、名前を呼んだ。するとレナも、正気に戻ったようだ。
「それで、家に入ってすぐに、お母さんに会わされた。それまで、遠目でちょっと見たことがあるくらいで、話したことなんてなかったけど……車椅子に乗ってたのには驚いたけど、リアにそっくりで、すごく綺麗で、向かい合って笑顔を見ただけで、リアと一緒で優しい人だって、何となく分かった……」
私と同じことを感じたんだ……
フィールはそう、嬉しさを感じたが、次を話し始めたレナの顔は、嬉しさとは程遠く、暗く、沈んでいた。
「そんな、ネアさんのこと紹介されてすぐ、リアは、部屋の隅にあった、戸棚を開けた」
その戸棚なら、フィールも知っている。リアが長い時間をかけて積み上げてきた、文字通り、血と、汗と、涙の結晶が詰まった中身……
「開けたその中には、村の中じゃまず見られないような、すごい量のお金が詰まってた。わたしも、ネアさんも驚いてたけど、お金を見せて、言ったんだ……全部やるって。この金、レナに全部やるって」
「……」
「全部やるから。もし足りないならもっと稼いでくるから。金がダメなら、代わりに何でも言うこと聞くから、だから……母さんのこと、歩けるようにしてくれって。あのリアが、土下座して頼んできた……」
そんなリアの姿が、フィールには容易に想像できた。
敵に対しては容赦しない。けど、ネアさんのためなら、本気で何だってできる。あの子はそういう子だということを、フィールはよく知っているから。
「何もかもいきなりすぎて、全然理解が追いつかなくて……けど、あのリアが、こうまでして頼んでるから、助けなきゃって思った。お金とか、リアが何でも言うこと聞いてくれるとか関係なしに、助けなきゃって」
「本当は?」
「……もし、治してあげたら、お嫁さんにしてくれるかなって、ちょっとだけ思ったけどさ……」
正直な娘だ……
「それで、いつもケガした時にそうするみたいに、ネアさんに触ってみた。どこを触ったらいいかは、リアが教えてくれた。腰の辺り、せぼね? が折れて、そのせいで足が動かなくなって。だから、そこが上手く繋がったら、また歩けるようになるはずだって。だから、やってみたんだけど……」
そこで、言葉が途切れてしまう。
結果がどうなったかは、話さなくても知っている。
「わたしに治せるのは、あくまで、見えてるケガだけだったみたい。傷が見えなくて、体の中で折れてる骨を治すなんてこと、できなかった。あの時はまだ、魔法のことなんてちっとも分かってなかったから、今ならどうなるか分かんない。でも、わたしには、ネアさんのこと、助けてあげられなかった……」
そしてまた、泣きそうな声になった。
「わたしには治せないって、正直に話しても、リアの態度は変わらなかった。けどやっぱ、ショックだったと思う。それで、わたしの魔法のことも、戸棚のお金のことも黙っててくれって。いらないのに、口止め料だって、お金まで渡してきて……」
「……」
金を渡したリアも、それを受け取ったレナも、どんな気持ちだったろう……
レナは、フィールや、ましてリアほど、ネアのことは知らない。ただリアにとって、大金をはたいてでも助けたい人だった。そんな認識でしかなかったろう。
そんなリアにとって、魔法使い、それも、ケガの治療という、ずっと求めていた希望が目の前に現れて、なのに助けられなかった……
大好きなリアに頼りにされて、自分しかいないと思ったろうに、それでも助けられなかった……
「……聖地の話は、リアから聞かなかった?」
「……」
泣きそうな声は出さない代わりに、泣きそうな顔を左右に振った。
そんなこと、レナが聖地行きのルールを知らなかった以上、分かりきったことだ。
その理由も、よく分かる。あんなに優しいリアが、猟師として立派に生きているレナの人生を振り回すようなこと、頼もうとするわけがない。
それでもきっと、散々悩んだに違いない。たとえ、力づくで、脅してでも言うことを聞かせれば、今すぐ母さんを治してあげられるのにって……
リアは、どんな気持ちだったろう……
助けられたはずのネアさんを、結局助けられないまま、目の前で死んでしまったのを見た時は……
レナは、どんな気持ちだったろう……
自分には助けられないと諦めて、けど本当は、助けることができたんだと知った時は……
二人とも今、どんな気持ちだろう……
「……」
「……フィール?」
二人の気持ちを推し量れるほど、フィールも二人のことを理解してはいない。
分かるのは、フィールにとっても、ネアさんは守ってあげたい、大切な人だった、ということ。
そして今は、金とか、自分のこと以上に大事だと思えるのが、この二人だ、ということだけ。
だから、隣に座る、レナの肩に手を回した。
「大丈夫……きっと、大丈夫……」
「……?」
「大丈夫だから……二人とも、もう、悩まなくていいから……これからはきっと、二人とも、大丈夫だから……」
「……」
何が言いたいのか、よく分からない。
けど、フィールなりに、慰めてくれてる。それだけはレナも理解した。
それに、なぜだか分からないけど、しきりに繰り返す、大丈夫、大丈夫……そんな言葉を聞いていると、ずっと悩んできたことが、なんだか、本当に大丈夫なような気持ちになってきて……
「……ありがとう」
自然とお礼が口に出て、そのまま、フィールにもたれかかった。
背が高くて大きなフィールの肩は、温かくて、安心できた。
(あらぁー……て、やつか)
二人の様子を、サイドミラー越しに見ながら、リアは思った。
(女同士……あり得ない話じゃないが、この短い間で、もうそんな仲に。こういうの確か、何とかの塔って呼ぶんだっけ? キ、何とか、タワー……まあ、どうでもいいけど……)
二人からすれば、勘違いも甚だしい。
だがリアにとっては、二人の関係がどうだろうと、関係ない。
(また一つ、守る意味ができた。それだけだ……)
二人はリアと一緒に、聖地へ行く。そう言ってくれた。
なら、リアのすることは一つ。聖地に着いて、二人が安心できるまで、二人のことを守る。
それ以外のことに興味はないし、それ以外にしたいことは無くなった。
守る理由が多いなら、それはむしろ、ありがたい……
(好きなだけイチャつけばいい……邪魔は、俺がさせない……)
改めて、リアが決意を固めた時……
キキーッという音と、土が擦れるザーッという音が、同時に下から響いた。荷台に乗る二人の体と、一緒に積んである獣が、一斉に正面へ引っ張られる。
そして、前を見ると、そこには遠くからも徐々に見えていた、巨大な『街』があった。
「着きましたよー」
運転席から、幼い少年の声が響く。同時に、助手席に座っていたリアが車から降り、続いて、レナとフィールも荷台から飛び降りた。




