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ネロ・バーサーク  作者: 大海
第二章
15/24

第7話  ニャンニャン ニャニャーン ニャンニャン ニャニャーン

 巨大な牙と爪を光らせながら、真っ黒な体毛とタテガミを逆立てた魔獣は、最も近くにいるリアに飛び掛かった。

 リアはその巨大な顎に向かって、鉄靴を突き出す。

 伸びた右の鉄靴は黒獅子の下あごを蹴り上げ、口を閉じさせた。

 しかし、代わりに爪を光らせる前足がリアの顔へ伸びた。


「ぐぅ……ッ」


 二本の前足は、両手に掴んで受け止めた。しかし、不意を突かれたうえ、足一本だけでは、イノシシを超える巨体と衝撃を受け止めることはできず、すぐにバランスを崩す。


 そこで、倒れる前に自ら足を離し、地面に落下した。

 同時に、背中が地面に着く前に、左の鉄靴をクロジシの腹部へぶつけた。


「グゥウウウウッッ!」


 苦しげな呻き声を上げながら、蹴り上げられたクロジシの体は、真後ろへ飛んでいった。

 もちろん、この程度で倒せるわけがない。

 実際、後ろへ蹴り飛ばされたクロジシは既に四足で立ち直り、リアが構えるよりも早く構えていた。



 リアに向かって走る……のではなく、リアとは真逆へ跳び、距離を取る。

 直後、クロジシの立っていた地面に矢が突き刺さった。


「リア、下がって!」


 レナは弓を構え、リアの前に出た。


「こっちよ!」


 同時に、赤髪のフィールが走り、灼熱の剣を振う。それも、クロジシは上へ跳ぶことで避けた。


「そこ!」


 そこへ向かって、レナが矢を射る。

 空を裂く銀色の光は、逃げ場のない空中のクロジシを捕らえた。

 しかし、そこは急所ではなく、左肩。リアが長刀で刺した箇所とは逆の部分。


「グアアアアア!」


 更に手負いとなり、威嚇と咆哮はより凶暴さを増し、その怒りはレナへ向けられた。


「でやああああ!」


 レナを見るクロジシへ、再びフィールが向かった。

 しかし、振われた剣が当たるより前に、クロジシはレナへ走っていた。


「はっ……!」


 レナはすぐさま、構えていた矢を射った。

 しかし、クロジシは走りながら簡単に避けてしまう。

 あまりの速さに、新しく矢を構える暇もなく、クロジシは目前まで迫る。



「どけ!」

「うわ!」


 リアが絶叫し、襟を掴まれると、真上へ放られた。

 その下にいたリアはクロジシへと走った。


 クロジシの長い前足が、再びリアに向かって伸びる。

 それをリアは、正面の、クロジシの頭上へ跳ぶことで避ける。と同時に、その長いタテガミに手を伸ばし、がっちりと引っ掴んだそれを、思い切り引っ張った。

 怪力に引っ張られたクロジシの体は真上を向き、頭と背中が地に着き、下腹部が天を仰いだ。


「フィール! レナ!」

「はああああああああああっ!」


 既に走ってきていたフィールが声を上げながら、剣を振った。

 熱したことで威力を増した左の斬撃は、クロジシの左前足の、ひざから下を切り離した。同時に繰り出された右の突きが、上を向いた左眼をえぐった。


「グギャアアアアアアアッ!」


 熱さと痛みを同時に受け、咆哮を上げた時……

 ドスッという音がした。クロジシの下腹部の中心に、一本の矢が突き刺さった。


「グゲァアアアアアアアッ!」


 レナは弓を構えた状態で、既に地面に下りていた。


「……落ちながら矢を射るなんて初めてだったけど、意外と当たるね……」


 地面に降り立ち、着地の衝撃に足が痺れている中……



「気を抜くな! まだ生きてるぞ!」


 その声で、力の抜けていたフィールとレナに、驚愕と同時に緊張が走る。

 クロジシは、残った三本の足で直立し、肩と腹の矢をそのままに、頭を振ることで左眼を潰した剣を引き抜いた。


「くっ……!」


 フィールが右手に残った剣を構えながら、急いで背中からもう一本、剣を抜いた時、


「グオオオオオ!」

「きゃあっ!」


 襲い掛かかってきた巨黒に対し、咄嗟に剣をクロスさせる。

 だがそんな防御も、残った右前足の一振りで二本とも砕かれ、体勢を崩された。


「フィール!」


 レナが声を上げながら、再び矢を射る。

 だが、矢が届くより早く、その場から跳んだ。


「うぅ……!」


 フィールはすぐさまひざ立ちになり、背中に残った最後の一本を抜く。だが、


(速すぎる……)


 四足だった時と変わらない……下手をすればそれ以上の速度で、目の前を走っていた。

 フィールの後ろからは、レナが何本も矢を射っている。

 だがそれが届くよりも早く、別の場所へ走り、矢が刺さる気配はない。


 クロジシの走る場所を予想し撃つこともしているが、クロジシの方もそれを予想しているように、矢が刺さった地面へは、そもそも近づきすらしていない。

 矢を撃ち続けることでフィールに近づくことだけは防いでいるが、


(矢が無くなったら、お終いだよ……)


 背中と腰に下げた矢筒の中身を気にしながら、いつか尽きる矢を連射するしかない。




「あとは任せろ」


 そんな二人に、掛けられた声があった。

 その声が聞こえた瞬間、先程レナがされたように、フィールの身が後ろへ引っ張られ、放られる。と同時に、そんなフィールの目の前を、クロジシと同じく、だが遥かに小さな黒が走り抜けた。


「こっちだ、黒ネコ!」


 フィールの代わりに飛び掛かってきた、クロジシの爪にしゃがみつつ、頭の真上に来た後ろ足を引っ掴んで、それを力の限り、正面に向かって投げ飛ばした。


「黒毛同士、遊んでやる……立て黒ネコ」


 再び走る。投げ飛ばされた先で既に直立しているクロジシと、再び対峙した。



「グアアアァァ!」


 巨大な口を開き、喰らいつこうと襲い掛かる。それをリアは、頭上へ飛んでかわした。

 同時に、揺れる尻尾を真上から両手で掴み、クロジシの巨体を上へ引っ張り上げる。

 地面に着地すると、両手に掴んだ尻尾を振り下ろし、地面に叩きつけた。その後も左右に振り回し、何度も、何度も地面に叩きつける……


「飛べ……!」


 地面がへこむまで叩きつけた後は、再び真上へ放り投げる。

 そして、上から降ってきたところを狙い、跳び上がり、鉄靴をお見舞いする。


 だが、鉄靴が届くより前に、巨大な後脚で振り払われた。

 後脚にぶつかったリアの身は、振り抜いた方向へあっさり飛んでいった。


「リア! ウソ……!」

「力はあっても、リア自身の体重はすごく軽い。だから簡単に飛ばされるんだわ」


 それなりの高さから、かなりの力で地面に叩きつけられたリアは立ち上がると、クロジシは既に地面に降りて、リアに向かって走っていた。


 前脚の爪を立て、リアに振りかぶる。それをリアは、左手で受け止めた。

 クロジシは残った牙を向けるが、右の拳で、クロジシの下アゴを突き上げる。

 それでまた口を閉じるが、攻撃が効いた様子はない。

 掴まれた前脚を振り回し、軽く小さなリアを再び突き飛ばした。



「リア!」


「動くな!」


 地面を転がりながらも、リアは、とっさに武器を構えた二人へ叫んだ。


「また狙われる……そうなったら足手まといだ……ジッとしてろ」


 ふらつきつつも立ち上がりながら、毅然と言った言葉に、二人とも、焦りと危機感にありながら、逆らうことができなかった。


「心配するな。化け物がこんな雑魚に、殺されるわけないだろう……」


 髪の隙間から、不敵に吊り上がった口角が見えた。

 そんなリアへ、クロジシは走っていく。

 向かってきた鋭い牙を、地面を転がり避ける。


(こいつを仕留めるには……)


 土にまみれながら、この戦いを終わらせるための手段を思考する。


(軽傷じゃないケガを負ってる。放っておいても出血で死ぬかもしれんが……)


 それまで、自分が生きている保証は無い。むしろ、手負いの獣ほど恐ろしい相手はいない。

 何より、海リュウもそうだったが、獣より強い魔獣の頑丈さと生命力は、普通の獣の比ではない。

 そこまで考えたところで立ち上がり、最後に残された、唯一の手段を思考した。



(次で六回目……もう、どうにでもなれ!)



 半ばヤケになりながら、右手を伸ばした。

 クロジシより、リアより、もしかしたら夜よりも黒い、夜の闇に紛れた黒い柄と鍔。

 その先端に光る、銀色の輝き。


「出た! これで決まった!」

「……いや、あれは……」


 遠くから見ている、レナは、歓喜と期待の声を上げた。だがフィールは、顔をしかめた。

 その声に応えるように、目の前を走るクロジシへ長刀を振う。

 それを上に跳んで避けられるが、同じように上へ切り返し、刃を当てた。


「浅い……!」


 その言葉の通り、地面に降り立ったクロジシは、何事も無かったように走り、


「ぐぅ……ッ」


 そこから頭突きを喰らわせる。しかし、先程とは違い、地に着いた両足と、刀の重さのおかげで吹っ飛びはしない。


「うおッ……!」


 体制を立て直した瞬間には、目の前にクロジシの巨大な牙があった。

 咄嗟に目の前に刃を立てたが、その刃に噛みつかれてしまう。


「……うおおッ!」


 刃にかじりついたまま、リアごと刀を持ち上げ、リアの手を離そうと振り回す。

 しかし、掴んだ右手が離れるより前に、長刀ごと放り投げられた。


「ぐッ……!」


 遠くへ飛んでいく前に、地面に刃を突き立て止まる。

 鍔に足を掛けたリアに向かって、クロジシは既に走ってきている。


「ちぃ……ッ」


 鍔を蹴って上へ跳び、飛び降りながら刀を引き抜く。

 それを正面のクロジシへ振り下ろすが、当然それも避けられる。

 避けられ、体当たりを喰らい、再び地面を転がった。



「なんで? さっきまで普通に避けてたのに……」

「湖で聞いた通りだわ。刀が重すぎて、持ったままじゃ自由に動けないのよ」


 それでも、何度も、何度も刀を振るった。

 だが、そんなリアの動きを嘲笑うように、全て避けてしまう。


「手も足も動きが単調すぎる。間合いも考えずにただ振り回してるだけ。振り方だって滅茶苦茶だし……ちっとも使いこなせてない。むしろ、刀に振り回されてる」

「それって、どういうこと……?」

「あれだけ派手な剣を使っておいて、肝心な剣の腕は下手くそ、ということよ!」



 我流とは言え、今日まで剣の腕だけで生き抜いてきた。そんなフィールの言葉を証明するように、クロジシは刃を避けた後、また刃をくわえ、再びリアを刀ごと放り投げた。


「この……!」

「ギャッ……!」


 吹っ飛ばされながらも刀を振り、その切っ先が、クロジシの鼻先を斬りつけ、怯ませた。

 地面を転がったのは、そのすぐ後のこと。



 何度目か分からない、地面の上を転がされた。

 クロジシにも、刀にまで振り回されて……


「そんなに振り回すのが好きなら……俺は、投げ飛ばしてやる」


 立ち上がったリアは、長刀を振りかぶり、


「……え? どこ投げてるの?」


 それを真上に向かって投げた。その瞬間に、クロジシは走ってきた。

 刀が離れ、身軽になった体で横へ飛び、攻撃を避ける。

 同時に、駆ける後ろ脚を蹴り飛ばし、勢いよく走っていたクロジシを転ばせた。

 そのタイミングで、投げた刀が降ってきた。それを掴み、クロジシへ振り下ろす。

 だが、クロジシはすんでのところで立ち上がり、避けてしまった。


「惜しい。だが……」


 クロジシの動きや様子を見て、確信を得た。クロジシは明らかに、刀を怖れている。


「これが怖いか? こんな物干し竿がそんなに怖いのか? なら、こうだ」


 もう一度、刀を真上へ投げ飛ばした。再びそのタイミングで、クロジシはリアへ走った。

 何度目かの目の前に迫る、突き立てられる右の前脚の爪と、大きく開かれ、光る牙。

 前脚は左手で掴み、右手でタテガミを引っ掴み、動きを封じる。


「腹が減ったか? 俺を食いたいか?」


 互いに押し合いながら、答えるわけがない、だが答えが明確な質問を投げかける。


「食いたいよな……俺もだ。猟師は獣を食う獣だ……腹減った……食わせろ!」


「グアアアァァァアアア!」


 リアも、その小さな口を大きく開き、ついさっき切りつけた鼻に食らいついた。

 急所な上に、真新しい傷の上から更に噛みつかれたことで、クロジシは悲鳴を上げ、頭全体を振り回した。

 それに、特に逆らうことなく引っ張られたリアは、再び真上に放られる。その放られた先にあるのは、


「……ッ!」


 上から降ってきた刀を掴み、真下に向かって振り抜く。だが、やはり避けられた。



「……ベッ。まず……」


 噛み千切ったことで、しかも、刀が手元に戻ったことで、また離れてしまったクロジシを見ながら、考える。

 やみ雲に振り回したところで、避けられる。考えて振り回しても、避けられる。

 確実に倒すために、今までとは違う戦い方を、考える……



「……よし」


 考えがまとまり、実行に移した。

 肩げていた長刀を振り上げる。

 だが、前でも上でもなく、後ろへ向かって、投擲した。


「追ってこい……」


 その声を、クロジシは認識してはいないだろう。

 それでも、脅威である刀を手放し、背中を向けて全力疾走したリアの後を追い掛けた。



「リア、どうする気?」

「……もしかして……」



 二人が呟く間も、クロジシは走り続けた。

 その巨体と、リア以上の俊足で、巨大な顎で狙い打ち、残った右前足を振りかざす。

 追い掛けられるリアは、体を傾け、別方向へ飛び、紙一重で攻撃を避けつつ、走り続ける。

 攻撃し、避けられ、攻撃され、避けながら、辿り着いた先で、


「はっ……!」


 真上へ向かって跳んだ。ただ跳躍する以上の、かなりの高さがあった。

 それでも、足の速さと同じく、クロジシには及ばない。

 だからクロジシも、同じように跳躍した。



「やっぱり! 海リュウに使った手だわ!」



 空中のリアへ向かいながら、その巨大な顎を開く。

 リアの高さに届くまで、さほど時間は掛からない。そんなクロジシに向かって、


「ふんッ!」


 リアは足を伸ばす。蹴った先の鼻先を踏みつけ、そこへ更に力を込める。

 クロジシは再び痛みに怯み、同時に、浮いていた小さな体は更なる浮力を得、更に浮上し、そして、目の前に……


「殴られるなら、下からと上から……どっちの方が痛いと思う?」


 クロジシの目が、大きく見開かれたように見えた。

 それをリアが見るより早く、鉄靴に蹴とばされ、飛んでいった黒と銀の物干し竿は、クロジシの、口の中へ入り、口内から、臀部に掛けて、その巨体を突き抜けた。




 ズリ、ズリ、ズリ……


「リア!」


 泥だらけながら戻ってきたリアに、レナとフィールが駆け寄った。

 その足取りは、全力の疾走と直前の戦闘が嘘のように、ずっと見せてきた、毅然とした姿だった。


(やっぱり、リアはすごい。あんなに大きくて重い刀を、あんなふうに使うなんて)

(リア流の、剣術、じゃない。さながら投擲……『刀擲術(とうてきじゅつ)』ね)


 二人がそれぞれ、そんなことを思った長刀は既に、どこかしらへしまわれている。

 だが、手ぶらではなかった。


「そのクロジシの死骸、どうするの?」


 左手に引っ掴み、ここまで引き摺ってきたクロジシの巨体を指差すフィールに、リアは、相変わらず平然と答える。


「こいつの毛皮は、高く売れる……他は晩飯」


 相変わらず、しっかりした子だ……

 フィールもレナもそう思った直後、リアは右手に持っていたそれを、フィールへ差し出した。


「私の剣……左目を刺したやつ、わざわざ拾ってきてくれたの?」


 問い掛けつつ、フィールもそれに手を伸ばした。だが、


「……ちょ、リア……!?」


 その剣を受け取るより前に、リアの体は、正面に向かって傾いた。

 傾き、倒れた先には、当然フィールが立っていて、顔が向かった先には……


「えぇえええええ!?」

「リア! いきなり何ということを……!」


 フィールもレナも、フィールの胸元に顔をうずめたリアに向かって、一斉に声を上げた。



「……スー……スー……」



 が、直後に聞こえてきた音に、フィールは人差し指を立て、レナは両手で口を押さえた。


(無理も無いわね。さっきまでぐっすり寝てた私達と違って、昨夜からずっと寝ないで戦闘続きだったんだから……)


 そんなリアを受け止めながら、ゆっくりと、その場に腰を下ろした。

 そこで、座って折りたたんだ太ももに頭を乗せてやる。

 呼吸しやすいよう、前髪を左右に開いてやった。目元が見えて、素顔の全部が見えた。

 傷つきながらも美しいその顔は、『化け物』という言葉や、直前の激しい戦闘とはかけ離れた、純真無垢な、あどけない少年にしか見えない。




(それにしても……)


 そんな表情を見て……そして、ついさっき出ていった村を見て、思うこと。


(子供の、子供らしさを全否定して、平穏と、楽と、利益だけ求める大人達、か……)


 子供をコドモと呼んで散々否定しておいて、わざわざ子供を作って産んで、育てるための金も知識も無いくせに、得られるかも分からない金のために、嫌々ながら育ててやる。

 その子供が望みと違えば、コドモのせいだと文句を叫び、捨ててしまうか、殺してしまうか。


 少なくとも、フィールが生まれた時には、自分や、自分の周りにとっての普通はそれだった。リアが殺した女も、フィールの目には常識的な姿だった。

 それが、時代遅れのド田舎で生まれ育った、リアやレナの目から見れば、異常だったんだろう。



 そして、そんな時代のこんな世界だから、大人以上に戦える子供が生まれてしまうことも、必然なのかもしれない。


(今の戦いも、リアに任せきりだったものね……)


 異常なのか常識なのか。今の世界をどう呼ぶべきか。

 判断することは、フィールにはできない。

 だが少なくとも、今の時代が、あるべき姿かそうじゃないかくらいは、そんな時代遅れな田舎者の二人と一緒に過ごしたから分かる。


 もっとも、だからどうすべきだとか、大層なことは考えない。

 少なくともフィールにとっては、今こうして、自分の足でぐっすり眠っている男の子のそばにいること。

 それ以外にしたいことなんかないし、それだけが、今の自分にできる精一杯なのだから。



「……」

「……」

「……」

「……」

(……レナ、どうかした?)


 声を潜め、自分と同じように腰を下ろしつつ、ジットリと見つめてくるレナに尋ねた。


(……い……い……)

(い?)


 よく聞き取れなかったので、聞き返してみる。

 すると、今度ははっきりと聞き取れた。


(……いいな……おっぱい……)

(おっ……ッ)


 どこかで聞き覚えのある単語が聞こえた。

 どこだったか思い出す前に、レナは続けた。


(リア、倒れながらおっぱいに顔うずめて、気持ちよさそうに寝てたし……気持ち良かったのかな)

(それは、偶然だと思うけど……)

(やっぱ、女の子はおっぱいなのかな……リアも、おっぱいが大っきい人が好きなのかな)

(リアがそんなことに興味あるとも思えないけど……)


(私と一歳しか違わないのに……なに食べてそんなナイスバディになったの?)

(ナイスバディかは知らないけど……む、胸が大きいと、そんなに得なの?)

(得だよ、絶対。ぺったんこなわたしみたく、無いよりある方が良いに決まってるじゃん)

(邪魔なだけよ。重いし、揺れてうっとうしいし、足もともよく見えないし……)

(なにその贅沢すぎる悩み)

(えー……)


(戦ってる最中だって、ぶるんぶるん揺れてたしさ)

(戦ってる最中にどこ見てるのよ……)

(正直、クロジシや村の人達より狙いやすかったよ。おっぱい……)

(怖わッ……!)



 リアが眠る前で、ジットリ見つめ続けるレナと、困り果てたフィールの、囁き話は続いた。

 はたから見れば微笑ましく、つい笑みが込み上げる、年頃の娘らしい会話だろう。


 化け物と呼ばれ、殺してやるぞと宣言された少年と、それを守ろうと心に決めた、人間達の夢と希望を押し付けられた少女二人。

 そんな三人が作り出す、始まったばかりの旅の過酷さなど微塵も感じさせない、平和な空気に溢れた、ひと時の穏やかな時間だった。



(……フィール)

(……なに?)

(……負けないからね)

(……あ、はい……)




第二章 完




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