第2話 喰わせてくれよと リュウが哭く
「な、なに……? また、水リュウ……?」
レナは、そう声を漏らしていた。
フィールは目を見開きながら、声も出せずにいた。
普段と同じなのは、リア一人だけ。
湖の中心から、白い波を起こしながら、ゆっくりと顔を出したもの。
真っ青な鱗を艶めかせるそれは、直前に見た水リュウよりも、遥かに長い、巨体を持ち上げ、遥かに巨大な牙を光らせ、遥かに凶悪な目を向ける、巨大な生物。
「水リュウじゃない」
絶句し、狼狽している二人の耳に、冷静で、冷めた声が聞こえてくる。
「水リュウが、こんなデカく育つわけがない。よく見ろ。体色もそうだが、水リュウとはヒレの形が違う」
そんなことを言われて、先程リアの持ち上げた、一匹の水リュウを思い出す。
もっとも、思い出したところで、レナもフィールも、そんな細かいこと、わざわざ覚えていない。
そう言えば、さっき見た、獣の爪のような形をしたヒレに比べて、普通の魚みたいに滑らかなような、そうでもないような……
「こいつは、『海リュウ』だな」
だが、あくまで冷静な、リアの涼しい声に、二人とも、多少は落ち着きを取り戻した。
「海リュウって……海の生き物でしょう? どうして、海なんてどこにもない湖に?」
「大方、聖地のバカな金持ちがペットを捨てたんだろう。元々観光地だったルオーナ湖が、水リュウが大繁殖したせいで危険地帯になったのも、大昔にそんなことがあったからだそうだ。水リュウに襲われても負けない強さと大きさに、水リュウも含めて餌の多いこの湖でなら、デカく育つこともあり得る」
フィールの質問に、さもありなんといったふうに答えた。
「……なんで、ヒレの形で種類が分かるの?」
「海に比べて、遥かに狭くて餌も少ない川や湖でも、効率良く泳いだり、獲物を仕留めるために爪が発達した……こんな説明、今聞いている場合か?」
リアの言った通り、リアが説明をしている間に、海リュウは三人の立つ陸に迫っていた。
「さっさと逃げるぞ。海リュウは水リュウと違って、陸にも上がってこれる」
それを聞いて、二人ともようやく事の重大さを認識したらしい。
だが、その時また、ザバァ、と、水を叩く音がした。
未だ、体の半分以上が水中にある海リュウが、その長い尾で、水面を持ち上げた。
そして、持ち上げられ、巻き上がった水の中には……
「水リュウ……!?」
レナの叫んだ通り、青ではなく、茶色の水リュウが三匹、水と一緒に三人へ降ってくる。
「フィール」
「え……痛ったぁッ!」
先程そうしたように、フィールの左肩を踏みつけ、それを踏み台に上へと跳んだ。
上昇し、到達した高さには、水リュウがいた。
そこで体を回転させ、その巨体を蹴りつけ、一匹を湖へ蹴り飛ばした。
直後、逆方向にいる二匹目の尾びれを引っ掴み、投げ飛ばす。
しかし、最後の一匹は既に、リアの手も足も届かない距離まで落ちていた。
落下地点にいたフィールとレナは、急いでその場から離れたが、
「うそ! 陸の上を歩いてる!?」
レナが叫んだ通り、地面に落ちた水リュウは、ヒレの爪を使い、二人に向かって這っていった。
まるでトカゲのように這いつくばり、その巨大な口を開け、レナの目の前に迫る。
思わずレナが目を閉じた時……ドカッ、と、目の前から鈍い音が聞こえた。
目を開くと、半ば予想していた通り、リアが水リュウの下顎を足で突き上げている。
水リュウは、爪の生えたヒレをばたつかせながら、空を仰いでいた。
「陸には、上がれるだけの力が無いってだけだ。陸で動けないわけじゃない。あまり長い間は無理だが、陸上でも、ある程度は、活動……できる!」
喋りながら足に力を込め、そのまま足で押し上げる。
水リュウの巨体は後ろへ引っ張られ、湖へ落ちた。
だがその間に、海リュウは胴体を陸に持ち上げていた。
頭から尻尾の先まで、ざっと見積もっても十五メートルはあった。
「……ヘビみたい……」
「そりゃあ、『リュウ』は元々、『ヘビ』の突然変異種だからな」
フィールが言い、リアも答えた通り。陸を移動し、鎌首をもたげ、三人を睨み、見下ろしている。その様は、その見た目も相まって、巨大なヘビに違いない。
「……おい」
陸に上がった海リュウを見上げ、動けずにいる二人に、リアは呼び掛けた。
「俺が走ったら、そのまま後ろへ走れ」
「え……?」
「なに言って……」
二人が聞き返そうとした時、リアは既に海リュウへ走っていた。
走った先で、海リュウの長い胴体に蹴りを入れた。
直後、そこを踏み台に、胴体を駆け上がっていき、そこから更に頭へ向かって飛ぶ。
海リュウの目の前の高さまで跳び、リアの体の二倍以上ある顔面目掛け、蹴りを放った。
「おお!」
リアの蹴りで、後ろへのけ反った海リュウの姿に、下にいる二人は同時に声を上げた。
その直後……
グオオーッ、という咆哮を上げながら、その巨大な口を開き、喰らい掛かった。
「リア!」
そんな海リュウに対し、リアは足を伸ばし、海リュウの鼻先を蹴りつけ、後ろヘ跳んだ。
だが次の瞬間、ドッ、という鈍い音と共に、横から飛んできた長い尾が、リアにぶつかった。
「リアー!!」
再び二人が叫んだ瞬間には、リアの小さな体は、湖の向こうへ消えていった。
「うそ……」
あれだけ強かったリアの、あまりに呆気ない最期……
いや、普通に考えて、あんなに大きな獣を相手に、人間が勝てるわけがなかった。
それは、リアだろうと変わらない。普段から強い獣を、涼しい顔であっさり仕留めてみせる、そんなリアの姿に慣れ過ぎたせいで、そんな単純なことすら忘れていた。
いくらリアが強いと言っても、無敵なわけじゃない。
リアでも勝てない獣はいくらでもいる。獣以上に巨大で危険な、魔獣、妖獣、霊獣……
そんなことも忘れて、リアを止めることも、一緒に戦うことさえしなかった。
「リア……」
後悔と、あまりの呆気なさと、どうしようもない喪失感。そこから来る、悲しみ……
「立ちなさい。レナ」
ひざを着き、呆然と打ちひしがれるレナの耳に、そんな凛とした声が聞こえた。
見上げてみると、フィールが、剣を二本とも抜いて、前に出ていた。
「フィール……?」
レナが名前を呼んだ時には、飛んでいったリアの方を見ていた海リュウは、二人を見ていた。
「まさか、戦う気? 勝てるわけないよ!」
「そうね……けど、だからなに? たった今リアを殺したのは、こいつよ」
レナへ向けたその顔は、無表情にも見えた。
しかし、口角がひくつき、瞼は震えている。目元が高揚していて、眼球は湿っている。
そんな顔を、それ以上見せる前に、再び海リュウを見る。海リュウも、フィールを見ていた。
「怖いなら逃げればいい。けど少なくとも、ここでジッとして、リアが守ってくれた命を粗末にすることだけは、許さない」
そして、海リュウへと進みながら、叫んだ。
「私は、リアを殺したこいつだけは……絶対に許さない!」
海リュウは、再びその長い尾を、走り出したフィール目掛けて降り下ろす。
フィールはそれを、横へ跳んでかわすと同時に、すぐ真横に降り下ろされた尾を斬りつけた。剣は鱗に食い込むが、そこで停止してしまう。
(そんなことしたって……あれ?)
その時、異変に気付いた。
青色だったはずのフィールの髪の毛が、赤色に光って見えた。
同時に、フィールが斬りつけ、食い込んだ刃の切っ先から、煙が上がっている。
それが見えた直後、海リュウは、苦しげな声を上げながら、尾を後ろへ引いた。
「まだよ……!」
尾を引いた瞬間、間髪を入れず海リュウの胴体へ走り、鱗の薄い下腹部へ、剣を突き立てた。
「ギャオオオ!」
再び苦しげな悲鳴を、海リュウは上げた。
その剣の刺し口は、黒く焼け焦げていて、煙が上がり、焦げ臭い匂いがレナの鼻まで届いてくる。
「ウソ……魔法? まさか……!」
レナがそれに気付いた、次の瞬間。
海リュウはその巨体を、フィールを振り払わんと左右に揺らす。
剣は引き抜かれ、同時にフィールも振り払われた。
更にそこへ、振り払うために振り回された尾が、たまたまそこにいたフィールへ向かう。
素早く反応し、身を引いたことで、直撃は免れた。
しかし、体よりも前に出ていた腕が抉られ、その衝撃でレナの前まで吹っ飛んだ。
「フィール!」
レナが、悲鳴を上げながらフィールに近づいた。
フィールの左前腕に、鋭い傷跡が刻まれ、出血している。
「このくらい……うぅ……!」
傷ついた腕のまま、剣を握ろうと力を入れている。そのせいで痛みが増しているはずなのに、その目には、怯みや恐怖は無い。あるのは闘志と、怒りだ。
「……こいつだけは、倒す」
「……どうして? どうして、そこまでして、戦うの?」
リアを殺されたことへの、怒りや悔しさは分かる。仇を討ちたい気持ちも、よく分かる。
それでも、はっきり言って、リアのこと、わたしよりも知らないはずなのに……
そんなレナの問い掛けに、フィールは、海リュウから目を離さないまま答えた。
「……これ以上リアを、奪われたくないから」
「奪われる……?」
フィールは、悲しみを隠さず続けた。
「そうよ。私は、たかが一日二日、一緒に過ごしただけだから、正直、リアのことは全然知らない。けど、少なくとも私は、リアが、誰かから何かを奪われてる所しか知らない」
「奪われるって……リアが?」
「故郷の村では、化け物呼ばわりされ続けて、普通の人間でいる時間を奪われた。賞金が懸けられて、村が襲われたのを理由に、盗賊から村を守るために、夜寝る時間を奪われた。事故だったとは言え、母親のネアさんを歩けなくしたことに責任を感じて、自分で自分から、息子でいる権利さえ奪って、奪われて……」
「……」
「それでも大切に思って、守ってきたネアさんの命を奪われた。挙げ句、よりによってその罪を被せられて、息子としてお母さんを思って、守ってきたっていう事実すら奪われた。住む家も、長い間積み重ねてきた努力も全部。それだけ奪われてきたのに、最後には命まで、こんな奴に奪われて……」
話していきながら、その目には、悲しみが、怒りが、それ以上の、憎しみが宿っていく。
「もし今、こいつを生かしたままにしたら、今度は、私達の中のリアまで奪われる。正真正銘、リアは、何もかも奪われるために生まれてきた。そう認めることになる。そんなこと、絶対にさせない……!」
「フィール……」
「リアが生まれて、生きてきたことには、奪われる以上の意味や価値が絶対にある。そんなリアの記憶まで、こんな奴に奪われたままにはしない。だから今、こいつだけは殺すの!」
「……」
敵討ち。仇討ち。仕返し。
長い台詞で語っても、一言でまとめてしまえば、フィールが言いたいのはそういうことだ。それでも、そんな簡単な一言で済ませられない、確かな決意が、強い感情が、その目には宿っていた。
「……そのままジッとして」
今にも向かっていきそうなフィールを押さえつつ、レナは、傷ついた腕に手を添え……
「ヒューアノートリー……」
「……え?」
レナの声を聞いた直後、あれだけ左腕に走っていた痛みが、薄れていくのを感じた。
見てみると、それなりの深さがあった傷は、出血が止まっていた。
その後、徐々に、傷口が塞がっていき、やがて、傷自体が無くなった。
「まさか、ケガを治す魔法……? レナ、あなた、『魔法使い』だったの?」
「……うん。わたし以外に初めて会ったけど、フィールもだよね……」
互いに、互いへの衝撃の真実を知り、互いに目を見張る……
「キシャアア!」
再び海リュウが吼えた。
直前までの痛みに身悶えながら、新たに憎しみを宿した目を二人に向けている。
そんな目のまま、二人に牙を向けてきた。
「くっ……」
痛みも傷も消えた腕で、再び剣を握る。
向かってくる海リュウの顔を見据え、身構える。
「ギャオオ!」
しかし、身構えた瞬間、海リュウはまた咆哮を……否、悲鳴を上げた。
上を見上げ、頭を右往左往へ激しく揺らすのは、苦痛に身悶えているせいだと分かる。
「あれは……!」
その理由は、すぐに分かった。海リュウの左眼に、一本の矢が突き刺さっている。
隣を見ると、レナが、いつの間にやら弓を構えていた。
「……わたしも、戦う」
直前までの、気弱な表情はそこには無い。
海リュウに対して、決意の固まった表情を向けている。
「リアの命を奪ったこいつを倒せば、リアの何を取り返せるかは、正直、分かんない。けど、そういうの抜きにして、リアのこと殺したこいつのこと、わたしも、許さない」
言いながら、矢筒からもう一本、矢を抜き取り、弓に掛ける。
「少なくとも、こんな奴が、リアから何かを奪うなんてこと、許せないから。リアはもう帰ってこないとしても、ちょっとでもリアが正しいってことになるなら、わたしは、こいつを殺す!」
「ギャアアアア!」
二本目の矢が、右眼も射抜く。
海リュウは再び苦痛の声を上げ、激しく頭を揺らした。
「……ええ。必ず倒す。こいつだけは……!」
そしてフィールも、意識をレナから海リュウに戻した。
決意を言葉に、覚悟を剣に握り……
「レクトレー」
呪文を唱えた時、黒色に近い青髪が、徐々に、熱されるように赤く染まっていった。
同時に、二本の剣の切っ先に、白い電流が流れる。それが刃の全てを包んだ時、その銀色の刀身全てを、湯気が出るほど真っ赤に熱した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……」
向こう岸を眺めながら、つい溜め息がこぼれる。
わざわざ痛い思いまでしたというのに……
(あいつら、逃げてないのか……)
湖の浅瀬に突き立てた長刀の、鍔に右足を引っ掻け、柄にしがみ付く。
そんな体勢で、長すぎる前髪を揺らしつつ、ここからかろうじて見えている、海リュウの背中をのんびり眺めながら考えていた。
(戦ってるのか……あの二人で、勝てるか……?)
フィールの力量は知っている。
あの夜に戦った時は、この刀を取り出すまでは互角に戦っていた。
直前に戦ったゴロツキや単細胞に比べれば、遥かに強いことは分かる。
ただ、それはせいぜい、自分や、武器を持った人間を相手にした時くらい。そう感じた。
獣以上の生き物を相手にしたことは、無くはないかもしれない。
それでも、本業の猟師であるリアやレナに比べれば、場数が圧倒的に足りないことは、戦いぶりを見れば分かる。
レナに関しては、弓の腕はまず間違いない。
ただ、猟師としては、少なくともイノシシ以上の獣を相手にしたことはない。
水リュウにさえ驚いて何もできなかったのに、海リュウが相手となると……
(行くしかないか。さて……)
信じないわけではないが、どの道行かねばなるまい。
そのために、どうしようか考える。
(普通に降りて、あそこまで行こうと思ったら、かなり回り道になるよな……)
とは言え、回り道は時間が掛かるが、考えている間にも時間は過ぎていく。
そんなジレンマに悩まされ、体も頭も傾いてしまう。
(……ん?)
傾けた頭を、すぐ元に戻した。すると、下に垂れ下がっていた長い前髪が、持ち上げた分だけ元の高さに戻った。
再び頭を傾け、垂れ下がった前髪の先端を見ながら、またすぐ元に戻す。
「……ああ」
髪を垂らす度に、大きくバシャリと鳴る水面を見て思いつき、リアは、再び海リュウを見た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「まだまだ!」
真っ赤に染まった髪を揺らしつつ、熱した剣で、再び海リュウを斬りつける。
海リュウは再び痛みに身悶え、再び悲鳴を吠えた。
「わたしだって!」
レナも後ろから、矢を抜き取っては、両目の潰れた海リュウの頭目掛け、どんどん矢を放つ。
既にその頭には、十本を超える矢が突き刺さっていた。
「グオオアアア!」
それだけのことをされていながら、海リュウは長い尾を振り回し続けた。
やみ雲に振り回すのでなく、前を走るフィールを狙い、正確に振り下ろしている。
「なんで? 両目は潰したのに……」
だが現に、海リュウは未だフィールを狙い澄まし、攻撃することができている。
何より、矢や熱で、いくら攻撃を受けても、痛み、怯みこそすれ、弱る気配は見せない。
普通の獣なら、とっくに決着がついてるだろうに。これが巨体を持つ、海リュウの力なのか……
「レナ!」
不安と迷いのせいで、手が止まったレナを、フィールの声が現実に引き戻した。
前を見た時、海リュウの長い尾が、レナに向かって振われた。
慌てて避けたが反応が遅れ、右腕をかすった。
「レナ!」
フィールが駆け寄ろうとしたが、攻撃はレナからフィールへ移り、フィールを追い詰めていく。
それでも、剣を構え、斬り掛かった。
その時、キーン、という金属音が響いた。
「折れた……!」
フィールの言った通り、剣が二本とも、真っ二つに折れてしまった。
だが無理もない。盗賊や賞金稼ぎが使うような安物の剣が、根元から切っ先まで、目に見えて真っ赤になるほど熱し続けて、長もちするわけがなかった
「レナ! 私が引きつけている間に、ケガを治して! 早く!」
折れて、僅かに刃が残っているだけで、剣としては使い物にならない。それでも、戦うことをやめようとしない。
だが、そんなフィールの声も、既にレナには届かない。
(やっぱ、勝てない……)
決意しても、誓いを立てても、現実は、そんな物に意味はないぞと突き放す。
右腕の傷には、とっくに魔法を使っている。それでも、そんなふうに諦めているせいなのか、フィールの時に比べて明らかに治りが遅い。
「ぐぅ……!」
今もフィールは、諦めず戦っている。けど、今二人になったとしても、全然勝てる気がしない。
(……ごめん、リア……)
わたしには、リアの仇を討つ力も無い……
やっぱり、無理だ……
そう思った時には、海リュウはその牙を光らせ、フィールに向かって……
「ギャオオオオオ!」
その時、フィールに向かっていた海リュウの首が、突然真上へ向かって伸びた。
「な、なに……?」
ついさっきも、レナが急所である両目を潰したことで、あんな動きを見せていた。
しかし、それ以上にダメージを受けているように見える。
「それじゃあ倒せない」
フィールもレナも、疑問に苛まれる中で、確かにその声を聞いた。
長い間か、短い間で慣れ親しんだ、低く静かで、なのによく通る、ありえないはずの声。
「水リュウや海リュウは、そもそも視力はほとんどない。代わりに嗅覚がかなり発達してるから、水中でも匂いを辿って獲物を仕留める。目を潰したくらいで安心するな」
やはり、声は聞こえた。同時に、海リュウが何に身悶えているのかがやっと分かった。
海リュウの、後頭部から鼻先にかけて、長く、大きな、黒い刀が、串刺しに突き立てられていた。
「こいつを確実に倒す方法は、三つ。一つ目、攻撃を続けて弱らせて、死んでいくのを待つか。二つ目、確実に脳を狙うか……」
そして、黒い色の彼は、二人の前に姿を現した。
「リア!!」
「リア……生きてたんだ……」
レナは絶叫し、フィールは、今にも泣き出しそうな顔で、リアの無事に歓喜した。
「……フィールのそれは、熱……いや、電気の魔法か」
リアは冷静な声で、フィールの持つ、真っ赤に熱した、折れた剣を見ながら言った。
「首を殴ったくらいで、人一人気絶させるなんておかしいとは思ったが、なるほどな……で、レナ」
レナにも同じように、傷を治していく光景を見ながら声を掛けた。
何やら気まずそうに、顔を背けるレナを見た後で、海リュウを見上げる。
「……やっぱり、脳は小さすぎて、普通に狙っても当たらないな……」
既に、痛みとダメージでかなり弱りながら、それでも戦おうと、三人へ顔を向けている。
そんな海リュウに向かって、リアは再び走る。
先程のように、胴体を駆け上がっていき、頭の上へ跳ぶ。着地した頭の上から、そこへ突き刺さった刀を握り、引っ張りだし、振り払われる前に地上へ降りた。
「こいつを倒す、三つ目の方法は……」
二人に聞こえるように、声を上げた。声を上げながら、再び長刀を投げる。
だがそれは、海リュウに、ではなく、海リュウの真上、頭以上の高さへ、投げ飛ばした。
それに向かって、走った。途中、海リュウが尾を振り回したが、リアはそれを避けつつ、再び胴体を蹴りつけ、走り、駆け上がり、長刀に向かって跳んだ。
そこへ再び、ブンッ、と振るわれた尻尾が、リアに直撃する。
「……同じ手は食わん」
また二人が悲鳴を上げる中、二度目は吹っ飛ばない。
吹っ飛ぶどころか、直撃した尾から離れていない。
「うわ……相変わらず、すごい握力と怪力……!」
海リュウがどれだけの回数、どれだけ大きく振り回しても、硬い鱗が突き破れんばかりに指を食い込ませ、ひざを曲げて足の裏を密着させるリアを、振り払うことができない。
とうとう尻尾ごと地面に叩きつけようと振り上げた瞬間、リアはその尻尾を蹴り出し、さっきと同じ高さへ跳んだ。
「三つ目の方法は、一番単純な方法だ。それは……」
跳んだ先で、降ってきた長刀の柄を掴み、体を回転させ、海リュウ目がけて振る。
長い刃が振り抜かれた瞬間……
海リュウの頭は真下へ、直角に折れ曲がり、地面へ落下した。
「首を落とせば、確実だ……三つとも、殺せて当然か」
「……」
相変わらず、強すぎる。力の差があり過ぎる。
ついさっきまでは、死んだとばかり思っていたリアの仇討ちのために、命懸けで戦っていた。
そのリアが、圧勝する様を見て、真剣に戦っていたのがバカバカしく思えてくる。
「おい」
そんなことをボンヤリ考えていたフィールに、近づいてきていたリアが声を掛けた。
「まだ生きてるぞ」
と、その言葉で、二人とも落とされた海リュウの頭を見た。
頭と、あって無いほどの胴体しか残っていない。それでも十分に巨大なソレは、両目と同様、顔中に十本を超える矢が刺さり、真っ赤な血にまみれている。
だというのに、浅く呼吸をし、口元は震え、全体が振動しながら熱を持っている。
海リュウは頭だけになりながら、確かに生きていた。
「とどめを刺せ」
フィールの耳に、リアのそんな言葉が聞こえた。と同時に、目の前に何がそびえ立ったかと思ったら、リアの黒い長刀だった。
「え……私が?」
思わず尋ねてしまっていた。
戦いはしたが、最後に海リュウを倒したのは、リアなのに……
「……俺が来るまでに、こいつを十分に弱らせたのはお前達だ。お前達が終わらせろ」
「……」
「こいつを持ち上げて、降り下ろすだけだ」
淡々と語るリアに対して、それ以前のことを指摘した。
「けど……私には、リアほどの力は無い。いくら、リアの刀を使っても……」
「魔法で熱すれば良い」
フィールが全て言う前に、一言で答える。
「海リュウの頭くらいなら、熱で簡単に溶ける」
「そんな……そんなことしたら、リアの刀も……」
足もとに捨てた、折れた剣を見ながら言ったが、リアは首を横に振った。
「手に入れてから、どれだけ振り回しても刃こぼれ一つしない。そこまでヤワな刀じゃない」
いずれにせよ、自分が持っていた剣は、二本とも折れてしまっている。そんな自分がとどめを刺せと言うなら、それは、この刀を使うしかない。
それを理解し、刀を握る。
「……う、うわあっ!」
刀の柄を、右手で握り、リアが手を離した瞬間、腕ごと体が引っ張られた。とっさに両手に持ち変えたものの、両手でも支えきれず、腕ごと、体ごと、地面に落下した。
「……ちょっと、待って……こんなの、無理……」
両手で広く持ち、両足を広げ、体全体を使って、腰ごと腕を持ち上げようと踏ん張る。
体全体を使っているのに、刃は地面から上がりこそすれ、上まで持ち上がる気配は無い。
「だから言ったろう」
刀の重さに悪戦苦闘しているフィールに向かって、リアは、相変わらずの涼しい声で言った。
「お前達が……俺はそう言った」
「お前……たち?」
その言葉を聞いた直後、手元に、自分以外の両手が加わった。
自分よりも小さく、細い指ながら、猟師特有のタコがある、愛らしくも逞しい手。
「二人で一緒に……」
そして、耳のすぐ近くからは、同じように可愛らしくも、力強い声が聞こえてきた。
お互いが今、どんな顔をしているか、それは、確かめるまでもない。
お互いを気にする以上に、お互いの全力を、腕に込める。
「く、ううぅ……」
「ううぁぁ……!」
フィール一人の時は、持ち上がるのがやっとだった。
しかし、レナが手を貸したことで、少しずつ、上へ上へと上がっていく。
徐々に、徐々に、上がっていき、やがて、その長大な切っ先が、天を仰いだ。
「レクトレー……」
呪文を呟き、髪が熱されたように赤く染まっていく中、刃から湯気が立ち上る。
銀色の刃もまた、すぐに真っ赤に染まった。
「いくわよ」
「うん……」
フィールの言葉を合図に、刃が降り下ろされる。
まず、硬い鱗に刃が食い込む感触があった。
そのすぐ後で、更に硬い、頭蓋骨にぶつかる感触が加わった。
焦げ臭い匂いと一緒に、その硬い骨へ、徐々に、刃が通る感触が伝わってきた。
熱で骨が溶かされて、食い込んでいく感触だった。
やがて、力を込め続け、上から下へ、骨が溶けていく感触が続き……
最後に腕に伝わったのは、ガン、と、刃が地面を叩いた感触だった。
そんな感触のおかげで、本当に終わったことを感じながら、再び海リュウの頭を見る。
大量の矢が刺さり、黒く乾いた血にまみれ、それでも直前まで生きていた頭の中心に、黒く焼け焦げた跡が、くっきりと刻まれている。
そこには、直前まで確かにあった、生きているそぶりは残っていない。
かと言って、二人とも、倒した、という実感は無かった。
ただ、終わった、という確信だけが、いくつもの感触の覚えと共に、二人の腕に残っているだけだった。