嘘について
「紫先生は」
「僕は君の先生ではありませんよ」
昔ながらの喫茶店の隅の席、ボックス席に腰掛けた私に、目の前の先生は眉を寄せる。
「……紫先生は、嘘ってこの世の中に必要だと思いますか?」
頼んでいたメロンソーダとアイスコーヒーが置かれ、緩く頭を下げた先生が「何ですか、藪から棒に」と問う。
神経質そうな指先が、眼鏡のブリッジを押し上げた。
私は私でグラスに入れられたストローで、カラコロと中の氷を揺らす。
高い音が響くのを聞きながら「ちょっと気になったんです」と答える。
「それは、どの程度の規模の話です?」
「どんな規模でも」
「と、言われましてもね」
まるで駄々をこねる子供を見たように、先生は肩を竦めてストローに口を付けた。
グラスの中身が減っていく。
「だって」私が吐き出すそれは、まあ、確かに、駄々をこねる子供の声のような響きだ。
「嘘って結局どこまでいっても嘘じゃないですか。嘘から出たまこと、なんて言葉もありますけど、それも最初は嘘なわけです。悪いこと、じゃないですか。そんなのが正当化される世の中、おかしくないですか」
カラコロカラコロ、絶えずストローでメロンソーダを掻き回しながら言う。
耳障りらしいその音に浅く息を吐いた先生は、喉仏が浮いた首を左右に振る。
「……僕は君と道徳の話をする気はないですよ」と言いながら、前歯で軽くストロー噛んでいた。
私が言葉を続けていた間、アイスコーヒーは中身をどんどん減らしていき、グラスの半分ほどまでになっている。
対して私のメロンソーダは減らず、グラスには大量の水滴が浮いてきた。
それを指で拭いながら、あはは、と声を上げて笑う。
「私もないですよ。それなら、もうちょっと、ちゃんとした人に聞きます」
「君も大分失礼な事を言いますよね」
「だって紫先生、どっちかっていうと犯罪者側じゃないですか」
「誰が犯罪者ですか」
カロン、氷の崩れる音を聞いた。
「君の方が余程犯罪者側でしょう。前科一犯の保護観察対象者」
先生の目がすぅと眼鏡の奥で細められる。
その目を見ながら、私はやっと水っぽくなったメロンソーダに口を付けるのだ。
「何ですか、保護観察官さん」
水っぽいメロンソーダは美味しくない。
ついでにいうと、炭酸も抜け始めており、甘さが強過ぎた。
ぺろり、舌を出せば、先生はテーブルの上に肘を置き、指を組んだ。
「……僕もどちらかというと嘘をつく側の人間ですし。そんな人間が何を言おうと、それはただの弁解になるんでしょうけど。……それでも、誰かの為についた嘘はこの世の中に存在するし、あの嘘が君を救う為につかれた嘘だったという事は、君だけは覚えておいても良いんじゃないですか」
いつになく饒舌で、よく回る舌だと思った。
店内の明かりを反射する眼鏡で、先生の表情がいまいち読み取りにくく、私は震えそうな息と共に「……大人ってずるいですね」と漏らす。
すると、かちゃり、音を立てて眼鏡を押し上げた先生が、それはそれは楽しそうに、意地悪そうに笑った。
「そりゃあ、大人は嘘をつくのが上手ですから」