第一話「性格破綻と美少女モデル1」
もう、最悪っ! どうして、この人がここにいるわけ?
真夏の日差しが窓から降り注ぐ生徒指導室。
現在、私は強烈な気まずさと戦いながら、無言でソファーに腰をろ下ろしていた。
そんな私の向かいには、一人の男子生徒が虚ろ気な眼差しでこっちを見つめている。
いいや、これは見つめているというレベルではない。もはやガン見だ。
百合先生、お願い早く来て……。
私は心の中で懇願すると俯いていた顔を一瞬、男子生徒に向けてみた。
吸い込まれそうなほど黒く大きな瞳。透き通るようなキメ細やかな色白の肌。
誰がどう見ても、文句のつけようがない美少年。そう、見た目だけは……。
私こと綾瀬玲は高校生活のかたわら、モデル業もこなす高1の女子校生だ。
仕事がら、他人に見られることには当然ながら慣れてはいる。
だけど二人きりの密室で、しかもこのガン見。
加えてさっきから、なにを話しかけても完璧な無視。
この嫌がらせ意外のなにものでもない行為には、ポジティブシンキングの私でも流石にヘコまずにはいられなかった。
っていうか、どうして無視されなきゃいけないわけ?
私が何か悪いことでもしたっていうの? いいや、そんなはずないっ!
だって彼とは初対面のはずだもん。恨まれる謂れなどないはず……。
ああ、ダメッ……もう限界っ!
二人きりになって数分が経ったころ、私の忍耐がとうとう臨界点をむかえた。
よしっ、こうなったら素早くここからエスケープよっ!
意を決しソファーから腰を上げようとしたちょうどその時だった、生徒指導室の扉が勢いよく開いた。
「お待たせっ!」
息を切らしながら現れたのは、予想通り神楽百合先生だった。
切れ長な目元に、胸元まで伸ばされた艶やかな黒髪。
クールビューティー系が好きな男たちには、堪らなく魅力的な女性だろう。
加えて竹を割ったような、男勝りな性格と頼りになる姉御気質。
本学園に入学以来、私がなにかとお世話になっている女性教員なのだ。
「ごめんね、こんなのと二人きりにしちゃって。超気まずかったでしょ?」
「ううん、そんなことはないけど……」
正直、数分が数時間くらいに感じました。
私はそう思いつつ、チラリと非難の眼差しを百合先生に向けてみた。。
だけど彼女はそんなことなどお構いなし、とばかりにしれっと私の隣に腰を下ろしてくる始末。
もう、ほんと相変わらずなんだから……。
「それで、自己紹介の方はもう済んだわけ?」
「ううん、まだだけど……」
自己紹介どころかさっきから、ガン無視くらってます。
「ああ、そうなんだ。でも彼のことは知ってるわよね?」
「う、うん。天音君だよね?」
「そう、我が学園きっての超厄介な問題児っ!」
百合先生は苦笑いを浮かべながら煙草に火をつけた。
すると私の胸の奥で、徐々に広がりつつある嫌な予感が急速に膨らんでゆく。
私はもう一度、向に座る男子生徒にチラリと目を向けてみた。
天音いと。私立白鳳学園に席をおく高1男子だ。
成績は常に断トツのトップ。加えて容姿も文句なしの美少年。
一見すると完璧なようなに思える男子高校生。
だが実は性格のほうに少々難がある。
ゆえに入学して半年経ったいまでは学園の有名人となっていた。
勿論これは悪い方の意味である。
でもどうしてこの人がここに? 私は目線だけで百合先生に訴えてみた。
すると彼女は小声で「助っ人よ」と、呟いた。
嘘でしょ……嫌な予感が見事に的中した。
この時、私は目の前が真っ暗になる、ということを身を持って体感した。
「煙いんですけど」
私が絶望感に浸っていると、目の前の問題児が静かに口を開いた。
低くよく通る声……。
初めて聞くその声色は、私の想像とは裏腹にとても男性的なものだった。
そんな彼は相変わらず虚ろな表情のまま、テーブルに置かれているお弁当箱を見つめてる。
「だからなに?」
百合先生は当たり前のように副流煙をまき散らした。
私も煙草は嫌いだけど、この女前にご意見するなんて流石にちょっと……。
「可愛い生徒たちを肺がん予備軍にする気ですか?」
「こんな副流煙ごときで大げさ――」
「なぜそう言い切れるんです?」
「なぜって、それは――」
「先生の専門は物理でしょう。それとも呼吸器科の医師に転職でもしましたか? いいですか? 先生、副流煙というのは――」
その後、この問題児による煙草と肺がんの因果関係よる講義が数分続いた。
百合先生はその講義を、苦虫を噛み潰したような表情でただ黙って聞いている。
だけど流石に我慢の限界が来たのか、渋々といった表情で灰皿に煙草を押し付けた。
「ほら、消したわよ。どう、これで満足?」
百合先生の問いかけに、天音君は無言で頷いた。
圧倒的な知識量と、よく回る舌。この二つがこの問題児の最大の武器と言われている。
はじめて見たけど、やっぱり凄い……っていうかなに感心してんのよ、私はっ!
「それじゃ話を元に戻すけど、彼女のことは勿論キミも知ってるわよね?」
「ええ、有名人ですから」
自分で言うのもなんだけど、私は結構な有名人である。
理由は先も述べたように、副業がモデルだからだ。
「美人よね?」
「そうですね」
あら、以外にも肯定……うふっ、ちょっと嬉しいかも。
「私とどっちがタイプ?」
「それを聞くために僕をここへ?」
「まさか、キミと違って私は暇じゃないの」
「へえ、そうは見えないですけど」
「……実はね、ちょっと頼みたいことが――」
「食べながらで良いですか? 神楽先生の話しは無駄に長いんで」
ああ、また余計なことを……私はそう思いつつ、チラリと百合先生の横顔を盗み見た。
すると予想通りその綺麗な曲線を描く額には、クッキリと青筋が浮かんでいた。
やばっ、これはブチ切れ寸前……。
「無駄に長いは一言余計だけど……まあ、いいわよ。お食べ」
私の予想とは裏腹に、百合先生は意外にも平然としていた。
一方、問題児の方はテーブルに置いていた弁当箱をおもむろに開いた。
するとそこには食欲をかきたてる数多くのおかずと共に、ハートマークに彩られた桜でん粉ご飯の姿があった。
キ、キモっ……。
そのマザコン色の強い愛母弁当に、私と百合先生は軽く引いた。
だが彼はそんなことなどお構いなし、とばかりに玉子焼きを頬張る。と同時に話の続きを百合先生にうながした。
「ざっくり言うと――」
百合先生は数日前から私の身に起こっている、ストーカー紛いの嫌がらせについて語り出した。
発端は一通のメール。最初はただの悪戯だと思い私も特に気にはしなかった。
だが徐々にメールが送られてくる回数が増えてゆく。と同時にその内容もかなりプライベートなものになっていった。
身の危険を感じた私は事務所のマネージャーと共に警察を訪れた。
だが実害がメールだけでは警察としても動きようがない、と軽くあしらわれるだけだった。
そこで昨日の放課後に困り果てて百合先生に相談を持ちかけた、という訳であった。
「――と、まあこういう訳なのよ」
話を終えた百合先生は目の前で、黙々と弁当を食べている天音君を見つめた。
どうやら、この問題児のリアクション待ちのようだ。
だけど、いくら待っても彼は全くのノーリアクション。
この人、百合先生が事の次第を説明してる時も、全く箸の手を休めなかった……。
お腹が空いてたのは分かるけど、どうなの? 人としてその態度は。
っていうか短気の百合先生がブチ切れしなかったのが、不思議なくらいだわ。
私はそう思いつつ、相変わらずお弁当に夢中の問題児を静かに見つめた。
すると、ある一つの可能性が脳裏をよぎってきた。
っていうか、こいつ話し聞いてなかったんじゃね?
そんな私の心の声を察してか、百合先生がおもむろに口を開いた。
「お弁当美味しい?」
「ええ」
「相変わらずお母さん料理上手ね」
「ええ」
「因みに今日のおかずの中ではなにが一番好き?」
「うーん……シシトウのベーコン巻ですかね」
「あら、意外と渋いのね」
「そうですか?」
「そうよ。私なんてキミくらいの頃は、シシトウなんて全く興味なかったもの。だってちょっと辛いし微妙に青臭いじゃない」
「そうですか? でも辛いと言っても――」
「ちゃんと聞いてたんでしょうね?」
こ、こわっ!
百合先生は眉間に皺をよせながら問題児を見据えた。こめかみ辺りには青筋が浮かんでいる。
すると天音君は途端に箸の手を止めると、俯きながら黙り込んだ。
その行動を見れば答えは一目瞭然である。
こ、この距離で担任の話を完全にシカトって……一体どういう神経してるの、こいつは。
「ちょっと、アンタいい加減にしなさいよ……よしっ、取りあえずグーでいくから歯食いしばんなさいっ、歯っ!」
当然のごとく生徒指導室には、拳をきつく握りしめた百合先生の怒号が響き渡った。
流石に我慢の限界のようだ……いいや、彼女にしては辛抱したほうだろう。
ご愁傷様です、天音君。どうか安らかに天国へ行ってください。
「冗談ですって、聞いてましたよ」
鼻息を荒くしながら、拳を振り上げる百合先生。
そんな彼女を見上げながら問題児は、天使のような微笑みを浮べた。
因みにこの時、私は不覚にも ”可愛い” と思ってしまったのです。
「……本当に?」
「ええ、ざっくりとですけど」
「ちゃんと聞きなさいよっ!」
「大丈夫ですよ、先生の言いたいことは伝わりましたから」
「そう? じゃあ、私の頼みごと当ててごらんなさい」
「その姿の見えないストーカーをあぶり出せ言うんでしょう? この僕に」
「おおっ、ビンゴ。大正解っ!」
「嫌ですよ、面倒くさい」
こ、こいつ、いまハッキリと面倒くさいって言った。
私はこれでも雑誌の表紙を飾る人気モデルなんですけど……。
「面倒くさいって……アンタもう少しオブラートに包みなさいよ。目の前に本人がいるのよ、ねえ?」
「う、うん……」
「ほらっ、ドン引きしてるじゃないの、玲ちゃんがっ!」
「いいですか、相良先生。僕は彼女のせいでこんな煙草臭い生徒指導室で昼食をとらされているんですよ。文句の一つも言いたくなるのは当然の事でしょう?」
どうしてさっきガン見&ガン無視を喰らっていたのか、私はこの時はじめて理解した。
可愛い? どこが? 一時でもそう思ってしまった自分が情けない。
「ったくホント迷惑な人だよなあ、綾瀬さんて」
この言葉を皮切りに、性格破綻のドS美少年の口撃が始まった。
マザコン弁当を頬張りながら、烈火の如く嫌味を言い続ける美少年。
私はそんな彼を見つめながら ”お願い……もう止めて” と、心の中で懇願した。